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奇人島殺人事件  作者: 東堂柳
第八章 バベルの塔
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3

 逃げ出した夜宵を追いかけ、武刀が部屋を飛び出ていった。俺も咄嗟にその後を追おうとしたのだが、女納尾の事も気に懸かった。仕方がないので、呆けてしまっている沖にどうにか彼女のことを任せて、俺も武刀についていった。

 逃げ足の早い夜宵は、俺たちに差をつけながら階段を下り、迷うことなく大雨の降りしきる館外へと逃げ出した。

 俺たちもそれに倣って玄関扉を開けたが、その瞬間、突風と強烈な雨粒が容赦なく襲い掛かってきた。刹那外へ出るのを躊躇ったが、そうこうしているうちに彼女との距離はさらに離れてしまう。

 どこへ向かっているのかは知らないが、自分だけ島から脱出する手立てを用意しているに違いないのだ。

 みすみす逃がすわけにはいかない。彼女を野放しにしてしまっては、またこんな犯罪を犯してしまうに違いないのだ。そうなれば、また新たな罪のない犠牲者を生み出すことにもなるだけでなく、彼女が更に罪を重ねてしまうことになるのだ。

 武刀と俺は意を決して、雷鼓鳴り響く豪雨の中を、ぬかるんだ土を撥ね飛ばしながら駆けた。

 館から少し離れて獣道を追走する俺と武刀。夜宵の姿はまだ視界に捉えられている。清楚な白い服は、飛び散った泥に汚れてしまっていた。

 

 その時――。


 眼前が白く明転した。フラッシュを焚かれたような光。咄嗟に腕で目を覆ったが、遅かった。眼球に入り込んだ光は、その中で強く存在し続け、瞼を開けても閉じても、一面白の世界だけが広がるばかりだ。そして、ほぼ同時に天を切り裂くような轟音。鼓膜を弾き飛ばさんとする音の波は、耳の中を駆けずり回り、脳を揺さぶり、不愉快な耳鳴りを起こした。閃光手榴弾でも炸裂したかのようなその強烈な衝撃に、俺も武刀も身体が後ろに吹き飛ばされそうになった。

 光と耳鳴りが去った後、漸く視界が取り戻されると、前を行くはずの夜宵の逃げる姿はなく、そこにあったのは、倒れた人型の物体であった。

 それは夜宵に間違いないのだが、姿はあの一瞬のうちにすっかり変わり果ててしまっていた。

 高熱に曝された身体からは、白煙が立ち昇っている。高圧の電気が流れ、全身の肉という肉が焼けただれたのである。皮膚だけではなく、内臓も脳も筋肉も駄目になっているだろう。タンパク質の焦げた臭いが、雨の湿った臭いに交じって鼻腔を刺激した。

 近寄って確認したものの、既に絶命しているようであった。

 身体に残った微量な電気が、まだ僅かに生きている筋肉に伝わって、四肢が瘧のように小刻みに震えている。

 熱によって白く濁った両目を飛び出さんばかりにひん剥いた彼女の顔は、端麗であったそれまでの面影など最早欠片もない。


「もう、ダメですね」


「皮肉なものだ。まさしく『バベルの塔』そのものじゃないか」


 武刀が彼女の身体を見下ろした。臭いのせいで吐き気を覚えたのか、口元を手で押さえた顔からは血の気が引いて、蒼くなっている。

 神に近づこうなどと思い上がった人間に怒り、神は天にまで届くほどに巨大なバベルの塔に雷を落とし、崩壊させた。

 奇しくも自分の行ってきた殺人の方法と同様に、夜宵の部屋に飾ってあった、その『バベルの塔』の絵に擬える形で、彼女は息絶えたのである。

 これは自らを神だと言い、人間の命をいとも容易く奪ってきた彼女に激昂した、神の仕業だとでもいうのだろうか。

 殺人鬼の呆気ない幕切れに茫然と立ち尽くすばかりの俺たちを尻目に、罪人に天罰を加え終え、満足でもしたかのように、荒れ果てていた天気は途端に回復の兆しを見せ始めた。

 あれだけ降っていた雨は嘘のようにその勢力を衰えて、やがて完全に止み上がった。一向に動く気配を見せなかった分厚い暗雲は、その切れ間から三日ぶりの青空さえも覗かせている。そこから漏れた一筋の日差しが、地表に差し込んでいた。

 天使の階段。

 唐突に命を落とすことになった五人の男女を弔うかのように、その日差しが彼らを天へと導くかのように、それは館を明るく包み込んだ。


 しかし、夜宵の意味深長な死に考えを働かせている時間も、神秘的な光景に息を飲んでいる時間も、今の俺たちには残されていない。

 彼女の言葉が正しければ、もうあと一時間強もすれば、あの館も崩れ去る運命にあるのだ。


「まさかこんな事になるなんて……。しかし、ぼけっとしている場合ではない。早く館から離れないと。急いで二人を呼びに行こう」


 歩き出そうとした武刀を、俺は引き留めた。


「待ってください。まだやり残した事があります」


「やり残した事?」


 武刀は俺を振り返って、怪訝そうな顔をしながらも、ちょくちょく腕時計を横目に見ていた。焦っているようだ。


「忘れたんですか? 暗号ですよ。奇人の机に彫られていた」


 武刀は呆れた顔を向けて、俺を諫めた。


「君ねえ、この期に及んでまだそんなことを言っているのか? 今はそれどころじゃないだろう」


「いえ、何もただ暗号を解きたいから、という身勝手な考えでそう言ったんじゃありませんよ。思い出してみてください。奇人はあの館から忽然と姿を消し、島中探しても見つからなかったんですよ? なら、あの暗号は、彼が使った何らかの隠し通路を示していると考えるのが妥当でしょう? もしかしたら、この島から脱出できるかもしれないんですよ? 爆発してしまったら、それももう今後一切調べることはできないんです。今のうちにやってしまったほうがいい。それとも、当てもなくこの島の中を彷徨いたいですか?」


 そうだ。

 小さな島とは言え、徒歩で歩くとなれば、外周を一回りするだけでもかなりの時間がかかるだろう。食料だって、あるのかどうかわかったものではないのだ。それを考えれば、ただ闇雲に歩いて体力を浪費することこそ、よっぽど自殺行為とも言える。

 そんな俺の説得を、武刀は素直に呑み込んだ。


「ううむ……、確かにそうかもしれないな。しかし、今からだともう一時間半しかないんだぞ。それまでに暗号を解けるのか?」


 不安そうな面持ちの武刀に、俺は自信を込めて言い放った。


「大丈夫ですよ。もう解き方はわかっています」

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