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俺は四人を引き連れて、階上の84号室の前までやってきた。
「すみません夜宵さん。部屋の中を調べさせてもらいたいんですけれど、いいですか?」
「いいですよ」
彼女は呆れた様に肩を竦めつつも、別段抵抗することもなくドアの鍵を開けて、俺たちを中に招き入れた。
部屋の中はさっき調べたときのまま、どこも変わった様子はない。
「大方、私の部屋を九剣さんが使っていた痕跡を探そうという魂胆でしょうけど、残念ながらそんなものはありませんよ。彼はこの部屋に来てなんかいないですし、部屋が入れ替わったりなんてしていないんですから」
部屋の中を見回す俺に、駄目押しのつもりで彼女はそう語りかけた。
しかし、そんな事は百も承知だ。ついさっきも隅から隅までこの部屋を調べたが、そんな跡は何も残ってなどいなかったのだから。仮に指紋が付いたままだったとしても、それをあぶり出すような道具もないのだ。そういう痕跡を調べるのにも限度がある。
俺は端からそんな事を期待して、ここに来たのではない。
「違いますよ。九剣さんがここにいた痕跡ではなく、部屋を入れ替えた痕跡そのものが残っているんです」
「えっ?」
彼女はピクリと眉を動かした。俺の一挙手一投足に神経を尖らせている。
俺はおもむろに部屋に置かれた内線電話に足を運んだ。
「この内線電話です。流石の犯人も、これの電話番号を入れ替えることまでは出来なかったでしょう。という事は――」
「ああっ、そうか! 部屋が本当に入れ替わっているのなら、0053とプッシュすれば、この部屋に電話がかかるはずですね」
女納尾が天啓を得た様に、顔に似合わない甲高い声を上げた。
「そうなんです。それを今からお見せしようというわけです」
「そんなもの、あるわけないでしょう。どうぞやってみてください」
嘲るように鼻で笑う夜宵。彼女の自信はそれでも揺らぐことがない。
そんな彼女を見ていると、俺のほうが自分の頭への信頼を失ってしまいそうになる。
だが俺は意を決して、懐から冴沼の持っていたワイヤレスの内線電話を取り出して、005とボタンを押す。
最後の3に触れようとした瞬間、指が震えた。
もしも、俺の考えが根本から間違っていたら――。
その時は恐らく、真犯人に罪を擦り付けられ、またもや自殺に見せかけて殺されるだろう。
しかし、俺は小さく頭を振って躊躇いを退け、3を押して電話をかけた。
繋がるまでの僅かの間にも、色々な思いが頭の中を駆け巡る。
俺は目を瞑った。
そして――、
――トゥルルルルルル。
全員がそのコール音に条件反射的に反応した。夜宵の自負心とは裏腹に、その視線の先には、この部屋のベッドサイドテーブルに置かれた内線電話機がある。コール音の音源は、この電話機からなのだ。
「なっ……」
それまで不動だった夜宵の自信がぐらついた。パクパクと死にかけの金魚の様に口を動かしながら、言葉にならない吐息が漏れる。顔色からみるみると血の気が引いていた。
俺は自説が合っていたことに、心底ほっとして胸を撫で下ろした。
武刀が電話に出ると、その声は俺の持っている電話機のスピーカーからも聞こえた。
俺はそれを皆に向かって掲げ、証明した。
「やはり思った通りでした。これこそ、彼女が部屋の入れ替えを行った、最大の証拠です」
「ち……違う! あり得ないはずよ! こ、これは、誰かが私に罪を被せるために、電話機を元に戻したのよ! そうよ、末田さん。貴方がそうしたのね! そうに違いないわ」
血相変えて俺に噛みつかんばかりに吼える夜宵。
彼女はまたも聴衆を味方につけ、俺を陥れようとしている。
しかし俺は、それに気圧されるどころか、更なる動かぬ証拠を手中に収めた喜びに、思わず口元を緩ませた。
「やっとボロを出しましたね」
「えっ?」
彼女のヒステリックな叫びが、その驚きで漸く止まった。
「皆さんも聞きましたね? 彼女は今、電話機を元に戻したと仰った。それは、彼女が部屋を入れ替えたときに、内線の番号で気付かれてしまうことを恐れ、両部屋の電話機も入れ替えたという証拠に他ならない」
「あっ……」
彼女は自らの失言に気付き、その手で自戒を込めるようにお喋りな口を塞いだ。
しかし、時既に遅し。いくらそうしたところで、一度言ってしまったことを撤回することはできない。それに今の発言は、この場にいた全員に聞こえているのだ。もはや彼女に言い逃れはできない。
「貴女は内線の仕組みには詳しくないようですね。俺は停電した時に、発電機室で間違えて内線交換機のボックスを開けてしまったことがきっかけで分かったんですけど、この館の内線はホテルのそれと全く一緒の仕組みになっているんです。去年ホテルでバイトをしたことがあったから、そこで知ったんですが、客室に内線電話で連絡を入れると、一旦内線交換機に繋がり、そこから目的の部屋の回線を使って、電話を繋げるようになっているんです。つまりは、それぞれの電話機自体に固有の電話番号が振られているわけではないんです」
「という事は、いくら電話機だけ入れ替えても、電話番号自体は入れ替わりはしなかったという事ですね」
女納尾が簡潔に結論をまとめた。
「そうです。夜宵さん、貴女はそれを知らず、電話機ごと入れ替えて、それで番号も入れ替わった気になってしまっていたんですね。
しかし、お陰でこれ以上ない証拠を提示することができました。夜宵さん、これでこれまでの犯行はすべて、貴女がやったものだと認めてくれますね?」
その時、閃光が部屋の中に闖入して、白と黒のコントラストを作り出した。
刹那、夜宵の顔の半分を差し込む光が占領し、もう半分に影が落とされた。ほんの僅かなその一瞬間に、俺は彼女の半分の影が、毒々しい牙を剥き出して笑ったように見えた。
閃光が消え去ると、けたたましい雷鳴が全てを支配する。
それが鳴り止んで、沈黙が場を包み込んでも、彼女はまだ黙っていた。
夜宵はたっぷりと贅沢に間をとってから、遂に観念したように、自嘲気味な笑いを浮かべた。
「……これ以上言い訳しても、見苦しいだけね」
彼女は長い長い溜息を吐いた。これまで見せていた、可憐で虫も殺せないような偽りの自分の姿をどこかへ追いやるかのように。
「そうよ。五人を殺したのは私。全部私がやったのよ」




