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島が見えてくると、後はあっという間に感じられた。
船は島の寂れた港に停泊した。コンクリートの出っ張りが少しばかりある程度で、それ以外は何もない。その出っ張りからさほど離れていないところに、こじんまりとしたプライベートビーチのような砂浜が見えるが、そこかしこにゴミが打ち上がっている。新聞で見たような南国のリゾート感など皆無だ。
「では、迎えの船は三日後にここへ来ることになってますので、皆さん、良い旅を」
客人を降ろすと、漁師はそれだけ言って、直ぐに本土に引き返していった。
乗ってきた船は見る間に小さくなっていく。水平線の彼方に消え去るまで、俺たちは港に立ってそれを見送っていた。
「ようこそ、いらっしゃいました」
船が見えなくなるとほぼ同時に、まるで図ったように横から声が聞こえてきた。僅かにしわがれて年季を感じさせる声。
俺たちはその声の方向へ一斉に向き直った。
そこには、既に還暦を迎えたであろうと思しき女性が、目尻に皺を寄せて、いかにも柔和そうな物腰で立っていた。
「お待ちしておりましたよ。私は、今回皆さんの身の回りのお世話をさせていただきます、冴沼和美と申します。さあさ、どうぞこちらへ」
そう言って、彼女は先に立って俺たちを島の中へ案内した。
港を離れ、コンクリートで出来た階段を上りきると、草と森と山と、自然溢れる光景が目に入ってきた。そこには人工物は何一つ存在せず、まるで太古にタイムスリップしたような錯覚に陥った。B級パニック映画なら、今にも森から巨大な虫か、あるいは爬虫類が飛び出してくる勢いだろう。
「いやあ、なかなか凄いところですね」
沖が眼を輝かせて辺りを見回した。
しかしその言葉には大して反応もせず、冴沼は俺たちを引き連れて、森の中を分け入っていった。日差しが幾分か和らいだおかげで、重い荷物を持っての歩きでも、どうにか耐えることができた。しかし、女性陣は一様に息を荒らげて苦しそうに運んでいる。
手伝えることなら手伝いたいものだが、生憎俺も両手が塞がっているし、自分の分だけで精一杯だ。
だが、冴沼はそんな俺たちに構わずに、ずかずかと先に進んでいく。
やっとの思いで森を抜けると、盆地のように窪んだ土地が眼下に広がって見えた。そこに、上から見ると輪っかのような形状をしている古びた館が聳えていた。
輪の外側には等間隔に四か所、館よりも背の高い塔が、館に密着するように建っている。
あれが、謎の消失を遂げた富豪の建てた館。奇人と呼ばれた富豪の住んでいた館なのだ。
「ああ、あれですかね。僕たちがこれから泊まることになる館というのは」
隣に立った沖が荷物を置いて、眩しい日差しを手で遮って眼下を見据えた。
「なんか、不気味な感じ。もっとこう、南国のリゾートホテルみたいなのを想像してたんだけど」
残念そうに言うのは、両手で大きなボストンバッグを持った、明るい茶髪にショートボブの小柄な女性だった。
もっとも、新聞の惹句やイメージ図を見れば、そう思い込んでしまったのも無理はないだろう。かく言う俺だって、漁師から例の変わり者の富豪の話を聞くまでは、島にそういうホテルがあるのだろうと思っていた。
あからさまな溜息を吐いて、彼女はがくっと肩を落とした。
「これはこれで趣があってなかなかどうして、いい感じじゃないか。私は寧ろこっちのほうが一風変わってていいと思うがね」
上背のある、がたいの良い男がその女性を抜き去り、前に身を乗り出すようにして館を見下ろす。髪は短く、四角張った顔で、肌は良い色に焼けている。いかにも体育会系と言った風貌の男だ。それ程若くはないようだが、こうした風体や短パンにタンクトップという装いも、実年齢よりも若い印象を与えている。
「変人の富豪が建てた館となれば、何かからくりめいた仕掛けでもありそうなものだ。それを探すというのもまた乙というものではないかね」
いかつい風貌にもかかわらず、喋り口調は丁寧そのものだ。そもそも推理クイズを解いてここへやってきているのだから、ある程度頭も切れるのだろう。
人は見かけによらないものだ。
「げえっ、ここ、携帯圏外じゃないか」
高級そうな白スーツを着た長髪の男が、スマートフォンを取り出して呻いた。肩まで伸びた女性のようにさらさらの黒髪が、風でなびいている。
それに釣られて、ショートボブの女も自分の携帯を見る。
「うわ、やばっ、マジじゃん」
「ここは無人島ですから、電波は届いてないんでしょうな」
武刀が慌てふためく彼らを尻目に答えた。この落ち着きぶりだと、どうやらこの状況を予想していたようである。
「ちぇっ、FXは暫くお預けか」
白スーツは忌々しそうに画面を見つめた。
冴沼はそのやり取りも特に気にした様子もなく、俺たちを促して館の入口まで坂道を下って行った。
上から見ていただけではわからなかったが、かなり大きな館だ。窓の数から考えても、三階建ての建物のはずが、その圧迫感や重量感は普通の一軒家のそれらとはまるで違う。俺は玄関の前で、思わず口を開いて見上げた。
玄関の扉には荘厳な装飾が施されており、その重厚感はここへ立ち入ろうとするものを拒絶しているようにさえ感じられる。さながら中世の城のような風格だ。それとは対照的に、外壁は殺風景で、冷たい灰色で統一されていた。小さな窓や外用の照明がいくつか設置されていてるようだが、それ以外には特に何もない。ベランダもなければバルコニーもデッキもない。
玄関の扉にかかった大きな錠前の鍵を開けて、重々しい鉄製の観音扉を緩慢な動作で開けながら、冴沼は俺たちを中へ招き入れた。