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「誰にでも殺せただって?」
全員の視線を一挙に集めて少し萎縮したが、俺は甲塚の遺体に近寄った。
「まず、この食事に毒は盛られていません。ここを見てください。小さな斑点があるでしょう?」
彼女の引っかき傷に目を奪われて判別しにくいが、首筋に赤黒い黒子のような斑点がある。
俺はそれを指し示した。
「多分、注射器のようなもので、直接血管に毒を注入されたんだと思います」
俺は首元に拳を置くジェスチャーで、それを表した。
「だが、口の中に食べ物があったじゃないか」
険しい顔つきの武刀が食って掛かるように反論する。
「確かにそうですが、いくらお腹が空いていても、あんなにがっついて食べたりはしないでしょう。それに、咀嚼の跡も殆どありませんでした。大体、あれに毒が入っていたなら、普通真っ先に吐き出すでしょう。つまり、あれは死後に犯人によって入れられたものです」
「一体、何のためにだね?」
「勿論、見立てのためです。犯人としては、彼女が注射の毒で死んだとなると、『最後の晩餐』の見立てにはそぐわないと考えたんでしょう」
「という事は、夜宵さんに犯行は無理ですね。料理を持っていては、注射器を打ち込むのは不可能。犯人は彼女を殺害した後に、料理を運び入れたんでしょうが、夜宵さんにそんなに時間はありませんでした」
沖も加わって武刀の夜宵または女納尾犯人説に異を唱える。
しかしまだ、武刀は諦めてはいないようだった。
「では、朝の時間、夜宵さんが甲塚さんを呼びに行ったときに殺しておいたのではないのかね? それで昼食を取りに行った時に、ここに料理を運び込んで見立てを完成させたのでは?」
横目で夜宵を睨み付けるように見据えている。
しかし、それに対して、今度は女納尾が反駁した。
「それはないですよ。今朝は先に彼女に呼ばれた私も、一緒になって甲塚さんの部屋まで行ったんですから。できるわけありません」
むっとした武刀は、それならばとばかりに、今度はその彼女をターゲットにした。
「なら、という事は、女納尾さん。貴女しか犯人はいないということになりますね」
「だから、違うといってるでしょう!」
またヒートアップし始めた議論を、俺がまあまあと収めに入る。
「だから、落ち着いてくださいよ。まだ話は終わってません。それに、誰でも犯行可能だと言ったでしょう? 彼女は今日死んだのではなく、昨日の時点で既に死んでいたんですよ」
「え?」
再び視線を集めた。
熱くなっていた空気の動きが止まる。
その静止した空気を切り裂いて、俺は朗々と話し出した。
「俺たちは、今日未明に殺されたであろう冴沼さんよりも後に、甲塚さんの死体を発見したものだから、勝手に冴沼さんよりも後に殺されたのだろうと思い込んでしまった。しかし、この部屋の状況をよく見れば、少なくとも前日に殺されていたことはわかります。まず、彼女の服を見てください」
彼女が着ているのは、白黒のボーダーシャツにデニムのショートパンツだ。
見覚えのある服だった。
これは――。
「そういえば、これは昨日彼女が着ていた服ですね」
ハッとしたように沖が答える。
「そうなんです。そして、これは彼女が初日に重そうに持っていたバッグですが」
俺は床に置いてあったボストンバッグを拾い上げ、チャックを開いて中身を見せた。大量の衣類がこれでもかとぎゅうぎゅうに詰め込まれている。
「四日過ごすのには充分すぎる量の着替えが入ってます。これほどまでお洒落に気を遣っている彼女が、着替えないなんてことがあるでしょうか? 実際、彼女の服装は初日とその次の日で替わっていましたからね。今日まで生きていたのなら、着替えていたはずでしょう。さらに――」
俺はバスルームに足を踏み入れた。浴槽には湯が張ってあるが、その湯はすっかり冷めてしまっている。
「風呂にお湯が溜まってます。彼女はお風呂に入ろうとしていたんですよ。確か初日の夜にお風呂に入ったと彼女は言っていたでしょう? 昨日も入るつもりだったんです。風呂に入れば、流石に着替えるでしょう。しかし、彼女の服は昨日のまま。という事は、彼女は風呂に入る前に殺されたという事です。ここから考えるに、彼女が殺されたのは、昨日の夕方から夜にかけての頃合いだということがわかります」
「それは……恐らく、その……」
先程までの自信を喪い始めているのか、武刀の口調は弱くなっていた。
「は、犯人がそういう風に思わせようと、彼女の服を昨日の服に着替えさせたということも考えられるはず……」
しかし、俺は即座にそれを否定した。
「それはあり得ません。見てください」
再び俺は冷たくなった甲塚の許に戻り、その服の首元を指さした。
「涎で汚れているでしょう? それに、カーペットの繊維も髪や服にこびりついている。彼女がこの服を着ている時に、毒で苦しんでいたというのは明白です。犯行後に着替えさせたのでは、こんな跡はつかないですし、犯行前に着替えさせるのは無理ですからね」
俺は立ち上がって、再び言い放った。
「つまり、この場にいる誰でも、彼女を殺し得ることができたという事です」
「でも、なんで犯人は窓を開けて、ドアにだけ鍵を掛けたんでしょうか?」
沖が首を捻った。
それに対しても、俺にはある程度の理由付けが頭に浮かんでいた。
「ドアに鍵を掛けたのは、時間稼ぎだと思います。死体の発見を遅らせて、アリバイのなくなった人間に、罪を被せてしまおうという魂胆だったのではないでしょうか。
窓のほうは、多分、死臭を紛らわすためでしょうね。昨日の夕方に殺されたのなら、死後一日経っていることになる。臭いもきつくなるはずです。そうすると、死後かなりの時間が経っていることがばれてしまう。だから窓を開けておいて、臭いを外に逃がしたんでしょう。このガーリックトーストも、ニンニクの匂いで僅かでも誤魔化してしまうためだったんでしょうね」
「成程……」
もはや武刀は反論する気がないようだった。がっくりと項垂れて、その巨躯な姿が幾らか小さく見えた。




