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奇人島殺人事件  作者: 東堂柳
第五章 最後の晩餐
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2

 甲塚めぐみの亡骸は、窓辺のテーブルのそばにあった。

 そのテーブルの上には、時間が経って冷えたスープとサラダ、そして千切れたガーリックパンが置かれていた。パンは湿気てしなしなになっているが、にんにく独特の臭いは鼻腔を刺激した。フォークとスプーンは、床に散らばっている。

 横を向いて、うずくまるように倒れている彼女の大きな眼は、濁った白目を剥いていた。死の間際、苦しみもがいていたのか、彼女の化粧はぐずぐずに崩れていた。マスカラが頬に黒い筋を作っている。口紅は滲んで、口の周りが赤く染まっていた。

 両手で喉をかきむしったのだろう。赤黒い線が何本も伸びていた。

 涙と涎で服の首元が汚れている。

 どれだけ医学に無知なものが見ても、既に事切れているとわかるほどの、壮絶な死体だった。外傷はほぼ無いから、毒で殺されたのだろう。

 頬の輪郭が、不自然に凸凹しているので、嫌々ながらも顎を持って、そろそろと口を開いてみた。

 中から姿を現したのは、テーブルの上に置かれていた、サラダの葉物やパンの欠片だった。口いっぱいに、それだけで窒息しかねないほど、詰め込まれていた。

 それを見て、御行などはトイレに駆け込んで、さっき食べた物を盛大にぶちまけている。


 部屋の壁にかかっている絵は、俺でも知っている、まさしく名画と呼ばれるレオナルド・ダ・ヴィンチ作『最後の晩餐』であった。

 昨日、冷やかすように言っていた御行の言葉が、ありありと脳裏に蘇った。

 彼女は、やはりこの絵を見て、自分が毒殺される危険のあることを予見していたのだ。


「やはり見張りなんて意味ない事でしたわね。結局は彼女が殺される羽目に……」


 女納尾が死体から目を逸らしながら呟いた。


「いや、全く意味がなかったわけではないでしょう。少なくとも私には、そのお陰で容疑者が絞り込めたように思えますがね」


 武刀が分厚い胸板を反らしながら、自信あり気に言い放った。


「じゃ、じゃあ、武刀さんには犯人がわかったんですか?」


 トイレから戻ってきた、真っ白い顔した御行が口元をハンカチで拭いながら、武刀に尋ねる。


「私は二人にまで絞り込めました。しかし、まだ犯人がどちらかまでは分かっていませんが」


「誰なんです。それは」


「夜宵さん、そして女納尾さん、貴女がた二人ですよ」


「えっ!?」


 武刀に名を呼ばれた夜宵は、目を丸くして驚いていた。

 しかし、それとは対照的に、女納尾のほうはあくまで落ち着き払っているように見えた。

 彼女は一旦俺たちと離れて、部屋で一人になっている。それが原因で容疑者扱いされるという事はわかっていたのかもしれない。


「今朝から今の今まで、皆さん一緒に行動しておりましたが、甲塚さんと女納尾さんだけは単独でした。夜宵さんも一旦食料を取りに行くと言って、一人で部屋を出ていかれた。つまりは、甲塚さんを殺害できたのは、この二人に限られるということに他ならない」


「そ、そんな……」


 夜宵は武刀の説明を聞きながら、わなわなと肩を震わせた。

 しかし武刀のほうは、そんな事などお構いなしにたっぷりの自信を抱きながら続けている。


「大方、心配になって食事を持ってきたふりをして、彼女に毒を持ったんでしょうな。そして、ドアに鍵をかけて、窓から脱出したといったところでしょう」


「ちょっと待って下さいよ」


 ようやく彼の口の動きを止めさせたのは、沖だった。


「あんなに人間不信に陥っていた甲塚さんが、誰かがやってきたところで素直に扉を開けるでしょうか? それに、渡された食事に手を付けるなんて、不用心にも程がありますよ。毒殺というのは、彼女が最も警戒していた方法でしょう?」


 話の腰を折られた武刀は、むすっとした顔になった。


「それは……わからんが、彼女だって長らく何も食べてないのだから、うまいこと言いくるめて食べさせたんだろう。そこは別段重要ではないよ。それよりも、殺せるのはこの二人しかいないのだから、どちらかが犯人と考えるのが妥当だろう」


 沖に痛いところを突かれてしまったのだろう。彼の口調は途端にもごもごし始めていた。


「そんな……私は、やってません」


 夜宵は否定する。どうにかしてやっていないということを証明したいようだったが、彼女にはどう説明すればいいのかわからないようだ。

 こんな状況では、無実の証明というものほど、難しい物はない。


「では、女納尾さんが?」


 武刀の眼が、夜宵と入れ替わりに女納尾を捕える。


「私だって違います」


 きっぱりと言い放つ女納尾。静かではあるが、その口調には凄みがあった。鋭い眼で武刀を見返している。

 緊迫した空気が流れ、放っておけばちょっとした拍子に聞くに堪えない罵詈雑言の言い争いになるか、暴力に任せた見るに堪えない乱痴気騒ぎになるか。いずれにしても、碌なことにはならない険悪な雰囲気である。

 こういう時こそ冷静にならなければ、本質は見えてこないのだ。

 俺は意を決して、三人の間に割って入った。


「まあ、三人とも落ち着いてください。もっとよく見てみれば、甲塚さんを殺せたのは、何もこの二人に限ったことではないと分かりますよ」


「えっ?」

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