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幸いにも、90号室に鍵はかかっていなかった。
開いていなかったらという考えは、杞憂に過ぎなかったようだ。
すんなり開いた扉から部屋の中に入る。
やはりこの部屋も、他に見てきた部屋と同様の内装になっている。ただ、冴沼はあまりこの部屋にいることが少なかったのか、それともよく部屋の掃除をしているのか、あまり生活感は感じられない。
ベッドは綺麗に整えられているし、荷物も大きな鞄が部屋の隅にぽつねんと置かれているだけである。
俺は窓に近寄ってみた。カーテンが閉まっているが、その隙間から外の様子が窺える。
雨は幾分弱まったようだが、まだ降り続けているようだ。
いったいこの天気も事件も、いつまで続くのだろうか。
いい加減に気分が滅入ってきた。
俺は肩を落とした。
「鍵がありました。ここの部屋の鍵みたいです」
ベッドサイドテーブルの上にあったその鍵を、指でつまんで見せびらかす御行。例によってでかでか90と刻まれた、木のタグの付いた鍵であった。
タグとキーを結ぶチェーンは頑丈で、取り外しはできない様になっている。鍵だけをすり替えたりは無理だ。実際、この鍵をドアのシリンダーに挿入して見ると、抵抗することなく簡単に回転した。つまり、これは真実この部屋の鍵なのである。
俺は彼のほうを振り返った拍子に、その背後の壁にかけられた絵に視線を奪われた。
「あの絵……」
遠くから見れば、ただの横を向いている、帽子を被った少女の肖像画のようにしか見えないだろう。しかし、凝視してみれば、その絵の中の人物は、色とりどりの花の集合体で構成されており、あたかも人の顔に見えるように描かれているのだということがわかる。
精細なタッチで描かれた美麗な絵。しかし、どことなく不気味さを醸し出しているように見えた。
絵の中の少女の微笑みからも、心の内奥に潜んだ邪悪な意思が見え隠れしているような気がしてならない。
御行が俺の視線に導かれるように、絵の方を振り向いて、簡潔に説明した。有名な絵のようで、彼は絵を見た瞬間に口を動かしていた。
「ああ、この絵はイタリアの画家、ジュゼッペ・アルチンボルドの四部作、「四季」の一つで「春」という作品です。色とりどりの花々の力強さ、鮮やかさを描くことで、この少女の生命力や若さを表現しているといわれています」
この絵と冴沼の死体の様相を見て、俺は確信を持った。
「やっぱり。これで見立て殺人というのは、もはや疑う余地もなくなりました」
「それに、冷山さんが犯人で、自殺したという説も、あり得なくなってしまいましたね」
肩を落とす沖。彼の声のトーンも僅かながらに落ちていた。武刀の提唱した冷山自殺説ならば、これ以上殺人も起きなければ、犯人も生存者の中にはいないことになる。つまり既に危機は去っていることになるのだ。彼にとっては、そのほうが望ましい結末だったのだろう。
「とにかく、もっと何か見つかるかもしれません。細かく探してみましょう」
更に三人がかりで部屋中をくまなく探したのだが、冴沼が持っているはずの空室の鍵は、ここからも見つかることはなかった。
「妙ですねえ、犯人が持っていったんでしょうか」
沖が腕を組んで唸った。俯きながら思考を巡らせているようだ。
「その可能性が高いが……しかし、何でまたそんなことを?」
武刀も考え込んでいる様子だった。いかつい顔が余計にいかつく見える。
沖がハッと思いついたように顔を上げた。
「もしかしたら、犯人は空き部屋を使って、何かやらかそうとしているのかもしれません」
「そうだとすると、これ以上の惨事を食い止めるためにも、その空き部屋を見張ったほうがいいんじゃないでしょうか」
夜宵が提案する。
「このまま黙って指をくわえて見ているわけにもいきません。是非そうしましょう。僕達の中に犯人がいたとしても、奇人が犯人だとしても、見張りの間は犯人も容易に行動を起こせないでしょうからね」
沖は乗り気だった。
兎に角さらに犠牲者が増えるのは御免なのだ。
しかし、ここにいる全員で見張りをすれば、当然その間空き部屋は使えないし、犯行を重ねようと思っても、容疑者が限定されるだけだ。犯人に対して充分な牽制になる。これは悪い手ではない。
ようやく犯人の一歩先に進むことができたような気がした。
しかし――。
急に胸につっかえたような不快感が込み上げてきた。
何故だろう。
そのお陰で、素直に安心することができなかった。
「では二組に分かれて、空き部屋の見張りをしましょう」
沖があり物で作った簡単なくじ引きの結果、俺と御行が87号室を、沖、夜宵、武刀が37号室を見張ることになった。




