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奇人島殺人事件  作者: 東堂柳
第四章 四季:春
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3

 女納尾が食堂から出ていくのを見送ってから、武刀が俺のほうに向き直った。


「冴沼さんの部屋を調べると言ってましたが、私も同行しても構いませんかな?」


 彼は咳ばらいをすると、居住まいを正して改まった。


「いや、私を嵌めた真犯人を追究したいと思いましてな。こうして少しは疑いも晴れたわけですから、是非とも参加させてほしいのです」


「それは一向に構いませんが」


 さらに夜宵も小さく手を挙げた。


「あのう、私も行っていいでしょうか? 部屋に一人でいても心細いし、皆さんと一緒なら安心できます」


 俺はそれを快く承諾した。

 こうなってくると、一応御行にも訊いておくべきだろう。


「御行さんもどうですか?」


 しかし、どうやら彼はそれどころではないようだ。

 思えば、食堂へ来た時から彼の様子は少し変だった。さっきから頻りに辺りをキョロキョロ見回していたし、話も上の空と言う風で全く聞いていない様に見えた。


「どうかしたんですか、御行さん」


 もう一度、今度は少し大きな声で呼びかけると、彼はハッと我に返ったように反応した。そうして、訥々と喋り出した。


「ああ、実は、ペンを無くしてしまったようでして……。上着のポケットに入れていたはずなんですけど、朝起きたらないことに気づいて、それからずっと探しているんですけど……」


「ペン……ですか、どんなペンです?」


 尋ねてみたのだが、彼は少し困った顔をした。ペンの特徴など、そう詳しく覚えていないのかもしれない。彼はそのペンの様子を思い描くように、たどたどしく答えた。


「どんなペンって言われても、そんなに特徴的な、変わったものではないので、何とも言えないですが、全体は黒い感じで、クリップが金色になっているやつです。葉巻みたいな形の万年筆なんですけど……」


「あれ、もしかして――」


 唐突に立ち上がったかと思うと、そのまま食堂の壁に並んだ食器棚へと歩み寄る沖。


「これじゃないですか?」


 彼は一旦屈みこんだが、すぐに拾ったペンを御行に見せつけた。


「ああっ、それです。それ」


 ペンを指さして、驚きの声を上げる御行。

 沖は彼にペンを差し出しながら、


「食器棚と壁の隙間に落ちていましたよ。丁度御行さんの席からだと死角になっているから、気付かなかったんでしょう」


 御行は沖からペンを丁寧に受け取ると、頭をペコペコ下げながら、それをしっかりと上着の胸ポケットに留めた。


「きっと昨日の夜にでも落としたんですね。お騒がせしてすみません」


「大事なものなんですか?」


 確かに高そうな万年筆だが、彼の狼狽は過剰なようにも思えた。誰かからのプレゼントだろうか。

 すると、彼は再びペンを手に持ち、それを懐かしさと悲しさが綯い交ぜになったような眼で眺めた。


「これ……父親がくれたものなんです。高校の入学祝いってことでね」


 彼は小さく溜息を吐いた。


「あの時は、こんなペンなんて滅多に使わないし、要らないと思ってたんです。反抗期真っ只中で、どうせくれるんなら、現金のままでくれよ。なんて、思わず酷いことを言ってしまいました。その時はまさか、これが最期になるなんて、思ってもいませんでした」


 ペンを握りしめる御行。その手には強い力が込められている。


「最期……ってまさか」


 察した夜宵が口元を手で押さえた。


「ええ、父はそれから間もなく、事故で死んだんです。酔って暴走した車に撥ね飛ばされてね。今となっては、これが父の形見と言うわけです。こんなことになるなら、あんな酷いこと言わなければよかったって、凄く後悔しました。だから、今は何と言うか、その、うん」


 彼は適した言葉を浮かべることができず、歯痒そうな顔になった。


「兎に角、今こうしてこのペンを使うことが、父への弔いになると思ってるんです。僕の勝手な解釈かもしれませんけどね」


 そう言って彼は自嘲の笑みを零した。

 笑っているのは彼だけで、残りの面々は沈重な面持ちで黙っている。


「ああ、すみません。重苦しい話をしてしまって……。

 ええっと、……そうだ。プレゼントと言えば、末田さんも何かあったりしませんか。思い出に残るような奴が」


 彼はその雰囲気を元に戻そうと、無理矢理俺に話を振った。

 しかしいきなり聞かれても、話せるようなエピソードなど咄嗟に思いつかない。


「そう言われてもなあ……」


 俺は、暫く腕を組んで中空を見上げていた。

 さらに沈黙が募る。時が一秒進むごとに、それはさらに重量感を増し、全身に覆い被さるようにのしかかってきた。視線を一点に集め、そのプレッシャーが余計に焦燥感を与えてくる。

 何でもいいから早く何か喋らないと、とても耐えられそうにない。しかし、結局は何も思いつかなかった。


「う~ん、思い出に残るような……ね。やっぱり俺にはないかなあ。ゲームだとか漫画だとか、そういうありきたりなものしか貰ってこなかったし。

 沖くんはどう?」


 困り果てて、たまたま目が合った沖に話を振る。

 そうだ。一流の私大に通っている彼ならば、何かそういう話を持っているかもしれない。適当に振ってみたのだが、我ながら悪くない人選だ。

 しかし――。

 予想に反して、彼もまた困惑の表情になった。眉間に不快そうに皺を寄せている。


「そうですねえ。僕はプレゼントなんて貰ったことがないですから」


「でも、私立の名門大学に行ってるんでしょう? それなりにお金持ちな家なんじゃないの?」


 そう訊いてみると、彼はさらに面白くなさそうな顔になった。


「よく言われるんですけどね、家は貧乏そのものですよ」


 彼はこの手の話題には辟易しているようで、うんざりしながら肩を竦めた。


「それでも両親は、必死に僕を育ててくれました。だから、国立のいい大学行っていい会社入って、親孝行するんだって、そう心に決めていたんです。でも……実際には第一志望の東大に落ちて、滑り止めの馳田にしか受からなかった。いくら名門でも、私立じゃ進学は難しいと思ったから、僕は言ったんです。大学行かずに就職するって。でも両親は、せっかくいい大学に受かったんだから行きなさいって言ってくれました。お金はできるだけなんとかするからってね。でも僕も、迷惑ばかりかけていられないから、奨学金をもらって、サークル入らずに空いた時間にはバイト入れて、そうやって何とか学費を払っているんです。だから、プレゼントなんてとてもとても」


 沖の外見は今時の、どちらかと言えばチャラい学生然としている。

 当然俺は、仲間内で飲むためだけに存在するようなインカレテニスサークルに入って、キャンパスライフを謳歌しているのだと思っていた。

 しかし、蓋を開けてみれば、中身はこれでもかと言う程によくできた孝行者の模範的学生ではないか。

 彼の話を聞いて、俺は途端に、授業中は推理小説を読むか寝ているかのどちらかで、放課後は実質活動などしていないサークルの部室で、ごろごろしながら時間を無駄にしている親不孝者の自分が、途轍もなく恥ずかしくなった。

 俺という存在は、何から何まで沖とは対極の位置にいるようだ。

 妙な冷や汗が流れた。

 居ても立ってもいられず、それ以上沖に突っ込むことはせずに、取り敢えず夜宵に振ってみた。


「あ、えっと、夜宵さんはどうですか? 思い出に残るプレゼント、ありますか?」


「色々貰うには貰ったけれど……」


 俺は胸を撫で下ろした。

 これなら取りあえず、前二人のような暗い話題にはならないだろう。

 しかし、彼女は躊躇いがちに話し出した。


「でも……、それは本当の両親から貰ったものじゃないんですよね」


「え?」


 彼女の発言に、俺は戸惑いを隠せなかった。沖とてもそれは同じようで、目を丸くして彼女の話に耳を傾けている。


「実は……私には、幼い頃の記憶がないんです。一番古い記憶は、病院のベッドで目が覚めたこと。でも、それは赤ちゃんの時じゃなくって、私が七歳くらいの時の記憶なの。お医者様の話では、雪山で雪崩に遭って、何日も生死の境を彷徨っていたみたい。そのせいで記憶を喪ってしまったらしいのね」


 とんでもない身の上話が始まり、俺はもうすっかりお手上げ状態だった。

 場はこれでもかと言う程の暗い雰囲気になり、同時に何も話すことのなかった俺の薄っぺらい人生に、嫌気がさした。


「本当の両親は私を迎えに来てはくれなかった。それで、私は孤児院に預けられて、今の養父母に引き取られたの。二人ともとてもよくしてくれて、血は繋がってないけど、今でも本当の子供みたいに接してくれているわ」


 話が終わると、訪れたのは静寂。

 自分が始めてしまったこの流れに、少しばかり責任を感じたのか、その空気を切り裂くように御行が手を叩いた。俯き加減になっていたツアー参加者の顔が、俄かに弾かれたように御行に向き直る。


「暗い話はもうやめにしましょう。それより今は、事件について考えるほうが先です。早速冴沼さんの部屋に調べに行きましょうよ」

 

 武刀もそれに賛同するように、明るい顔で大きく笑い出した。


「彼の言う通りですな。こんな時に暗い話題はよくない。さあ、事件の捜査といきましょう」


 無理に明るくしているような印象は否めなかったが、それは部屋の中の淀んだ空気を吹き飛ばすようなエネルギーを孕んだ笑声だった。

 それでようやくみんなの顔が、しこりが取れた様に平生のそれに戻っていった。

 俺たちは食堂から離れて、冴沼の部屋である90号室へと向かった。

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