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奇人島殺人事件  作者: 東堂柳
第四章 四季:春
18/42

1

 深い眠りの中に沈み込んだ俺を引き上げたのは、何か硬いものを叩くような音だった。

 最初は小さかったその音は、徐々に耳障りなほどに大きくなっていき、俺はついに耐えきれなくなって目を覚ました。

 何事かと扉のほうに近づいて、覗き穴に目を通して見たのだが、廊下には誰の姿もない。


 ――トン、トン。


 その音は、扉からのものではなかった。

 背後から聞こえてきたのである。

 背筋に悪寒が走った。

 馬鹿な。鍵はかかかっている。誰かが忍び込んだのだろうか。だとしたら、それは一連の事件の犯人に他ならないのではないか。

 途端に重しをつけたように、身体の動きが鈍くなった。

 振り返り、部屋を見回す。

 誰もいない。

 そこへ、


 ――トン、トン。


 再び聞こえたその音の出所がわかって、戦慄は極限に達した。

 それは壁を叩く音だったのだ。

 それも外側からではない。壁の内側から、叩かれているのだ。

 俺は何かに突き動かされるように、殆ど無意識のうちに壁に近寄っていた。

 もうすぐで手が届きそうなくらいの近さ。


 ――ドン、ドン。


 急に、音が激しくなった。

 ひっとしゃくりあげたような声が、思わず口から零れた。びくりと身体が竦んで、文字通り飛び上がりそうになった。全身の毛が逆立つ。心臓が早鐘を打った。


 ――ギイイイイイイイ。


 木の軋むような忌まわしい音を伴いながら、壁が真っ二つに切り裂かれていく。そこから覗いているのは、光など存在しない暗黒の空間。

 凝視していると吸い込まれるような、そんな奇妙な感覚に陥った。

 口を開け、ただ事が起こっているのを見守ることしかできなかった。足が震えていた。もう、言うことは聞いてくれない。金縛りか、底なし沼にでも嵌ってしまったように、動こうとしないのだ。

 ぽっかりと開いた壁の隙間から、白い仮面が現れ出た。口元に薄笑いを浮かべているが、感情など微塵も感じられない、冷たい仮面。

 奇人だ。

 この島から突如消息を絶った、あの奇人だ。

 会ったことなどなくとも、直感的にそうだと分かった。

 既に二人を殺したこの奇人は、闇に同化するように黒いスーツに身を纏っている。さながら暗闇の中に、首だけが浮かんでいるようなシュールな映像だ。

 そして今、この俺の命を絶つべく、その手袋を嵌めた両手が首元に近づいていた。

 逃げないと。

 だが、筋肉が脳の命令を無視している。

 動け。動け動け。

 奇人の両手が俺の首を捕えた。

 声も出せなかった。

 力は徐々に強くなっていく。気管が圧迫される。

 何の抵抗もできないまま、奇人の仮面を見ていると、真っ白のその仮面に、走馬灯が浮かび上がってきた。

 俺の身体は、そのまま彼に押し倒され、ベッドの上に大の字に寝転ぶ形になった。

 意識は遠のき、壁の隙間の暗黒の世界が、視界を侵食していく。首を絞められている感覚が薄れていった。


 *


 ――ドンドンドン。


 騒々しいノックの音で、俺はベッドから飛び起きた。

 夢――だったのか?

 息が乱れている。疲れが全身から溢れ出ていた。汗で寝間着はすっかり湿っている。そればかりか、シーツもぐっしょりとなっていた。

 壁を見てみても、例の裂け目の跡など、どこにもなかった。

 悪夢だったのだ。

 俺は安堵の溜息を吐いた。心底からの安堵だった。汗が一気に引いていくのがわかる。


 ――ドンドンドン。


 再びノックの音。すっかり神経過敏になっていて過剰に反応したが、それは壁からではなく、しっかり扉のほうから聞こえてきている。

 誰かが呼んでいるのだ。

 腕時計を着けて時刻を見ると、まだ朝の六時四十分だった。

 朝食の時間にはまだ少し早い。

 窓を叩く雨音が聞こえてくる。雨は未だに途切れることを知らず、飽きることなく館に降り注いでいるようだ。

 またもノックの音。先程よりも少し乱暴になっている。

 今度はそれだけでなく、焦っている男の声まで俺の耳へとやってきて鼓膜を震わせた。


「末田さん、起きてください! 大変なんですよ!」


 沖の声だった。ドア越しでも声の上擦った調子から、何か大事があったのではないかと、すぐに予想がついた。

 俺は服を着替える間もなく、ノックに急かされるようにして、扉を開けた。


「ああ、よかった。なかなか返事がないから、不安になりましたよ」


 彼は俺の顔を見ると、胸を撫で下ろした。緊張していた顔の筋肉が僅かに緩んで、微笑が零れたようだった。しかし、俺の顔から血の気が引いていたのがわかったのだろう。咄嗟に心中を悟られない様に、俯いて隠した顔を心配そうに覗き込んできた。


「どうかしたんですか? 顔色が悪いみたいですけど」


「いや、あまり眠れなくって」


 まさか奇人に襲われる悪夢を見たなどとは言えまい。恥ずかしさから適当に誤魔化した。


「無理もないですよ。こんな状況ですから。ただ、そんな中で悪いんですが、ちょっと来てほしいんです」


 彼は深刻な顔をしている。


「どうかしたんですか? まさか……また?」


 何が起こったのか、今までの流れや、あの沖の声を聞けば、大方の察しはつく。

 しかし、訊いてみないわけにもいかなかった。もしかしたら、俺の考え過ぎかもしれないのだから。ただ、誰かが鍵を無くして騒いでいるだけかもしれないし、あるいは、誰かが備品を壊して責任を追及されているだけかもしれないのだ。

 俺はそんな淡い期待を込めて、彼に尋ねたのだが、やはりそんな期待は無情にも打ち砕かれることとなった。


「また、死体が……。とにかく、早く来てくれませんか」


「わかったよ。着替えてくるから、ちょっと待ってて」


 俺は急いで着替えて、沖のもとに駆け付けた。

 現場へと案内する彼も、流石に不安の色が露わになっていた。冷房は効いていても、冷や汗が額に浮かんでいる。

 当然だ。ここへ来てから、遂に三人目の死が訪れたのだから。

 こうなると、御行が恐怖を煽るように言っていた皆殺し説も、真実味を帯びて迫ってきているように感じられる。

 俺は先程見た夢を思い出して身震いした。


「ここです」


 階下に降りた俺は、沖のあとに続いて廊下を進んだ。彼はある扉の前で歩を止め、その取っ手を掴んだ。

 両開きの扉が開かれると、中の様子が明らかとなった。

 そこは厨房だった。

 一目見ただけでは、初日に迷い込んで見たあの光景のまま、何も代わり映えしないように見える。調理道具は整然と並べられ、調理台やガスコンロ、冷蔵庫は未だ新品同様の輝きを放っていた。床の光沢は眩しいくらいに天井の照明を反射している。

 冴沼一人がやり繰りするには、広すぎるとも言えるキッチン。

 入り口からの視覚情報だけなら、初日と全く同じ印象だ。

 しかし、俺はその臭いを敏感に感じ取っていた。

 キッチンなのだから、多少の血の臭いが漂っていようと、何ら不思議はないかもしれない。だが、この綺麗に掃除された、どこにも生肉の存在など見られない厨房には、不似合いな臭いに感じた。

 それだけではない。

 何だろうか、この青臭い匂いは。それに、ほんのりと甘い匂いも感じる。 


「こっちです」


 沖が部屋の奥へと進んだ。丁度、部屋の入り口からは死角になっている調理台の影に、それはあった。


「こ、これは……」


 大量の花の山だった。

 白、黄、ピンク、青。鮮やかに色づいた種々様々な花々が、こんもりと小さな山のように盛られているのだ。南国系の見慣れない花ばかり。この島に群生しているものだろうか。

 その花の山を、ぐるりと周りながら観察してみて、ようやく気がついた。

 人が埋まっているのだ、と。

 山から、沢山の皺を湛えた白い手が、はみ出ていたのだ。


「まさか……」


 そのまさかだった。

 沖が確認した跡なのだろう。山の形が一部崩れている。そこから、大量の白髪が飛び出ていた。

 冴沼の頭部だ。

 異様なのは、接着剤のようなものでも使ったのか、顔を覆うように花が張り付いていることだった。最早視認できるのは、見開いた目だけ。

 さらに花を掻き分け、山を崩して、沖と二人で死体を引っ張り出した。

 顔だけではなかった。

 身体全体に花がびっしりと苔の様に付着している。小柄な彼女の老体が、長い年月をかけて、自然へ還ろうとでもしてしまっているかのように。

 僅かに露出している服に触れると、べとりとした粘っこさがあった。やはり接着剤か。

 そして、彼女に纏わりつく花々から突き出た、黒い物体。

 冴沼の左胸の辺りから、それは伸びてきていた。周辺の花弁が黒く変色した血で汚れていることから、それが彼女の命を奪った凶器であることは明白だった。

 ここはキッチンなのだ。

 凶器たり得る物など、いくらでもある。恐らくはその内の一つの包丁を、犯人は使ったのだろう。


「冴沼さんまで……」


 俺は口元を覆った。

 こうして三人目の犠牲者を出し、垂れ込める暗雲と再び激しくなりつつある雨音に包まれながら、奇人島は三日目の朝を迎えたのであった。

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