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「そうか!」
声を上げるが早いか、俺は遊戯室を飛び出していた。急いで階上に駆け上がり、九剣の部屋へと向かう。
彼の部屋は、先程見に来た時と同じ状態で、別段変わった様子もなかった。
犯人がこの部屋にあれを隠したのは、まず間違いないだろう。そうなると、探す場所も自ずと限られてくる。人目に付きにくい、狭い隙間。それでいて、音の通りがいい場所。
俺の脳裏に、数日前の推理クイズが過ぎった。
きっと、ここだ。
俺は床を這いつくばるようにして、ベッドの下を覗き込んだ。暗くて視界が悪い。目で見るだけではとても見つかりそうになかったので、攣りそうになりながらも出来るだけ奥に腕を伸ばした。
するとどうだろう。
果たして、指先に何か固いものが当たる感触があった。腕も靭帯がおかしくなりそうな程の限界まで伸ばしている。これ以上奥に引っ込まない様に、慎重にそれを手繰り寄せていった。
掌でそれをしっかりと掴み取ると、一気に腕を引き抜いた。感触の正体は、黒くて小さなICレコーダーだ。屈みこんだ状態でそれを調べていると、後を追ってきた沖と御行、そして夜宵がどやどやと部屋に入ってきた。
「末田さん、それは?」
沖が俺の手に握られているそれに気付いた。
「ICレコーダーですよ。ちょっと聞いてみてください」
俺は興奮冷めやらぬまま、床に直接座り込んで、そのレコーダーの再生ボタンを押した。
――ガシャン。
ガラスの割れる盛大な音。不意に三人は部屋の窓を見やったが、ガラスは割れていない。
当然だ。その音はこのレコーダーから流れた音なのだから。
一拍置いて御行が上擦った声を上げた。
「そのレコーダーに録音された音ですね。という事は、やっぱり第一の殺人には、僕の思った通り、トリックが使われていたんだ」
「それにしても、なぜこの部屋に……?」
腑に落ちない様子の夜宵。俺は立ち上がった。
「これではっきりしました。第一の殺人には、アリバイトリックが仕込まれていた。犯人は夜中に冷山さんを三階から落とした後、ガラスを割って音を録音。そして朝食時に鳴るよう、タイマーをセットしたこのICレコーダーを、ここに隠した。三階にそのまま隠してしまっては、仮にも殺害現場ですから、調べられて見つかってしまうかもしれない。だから、三階ではなく二階で、丁度食堂の真上に位置するこの部屋に隠したんです。その後、九剣さんの死体が見つかったせいで、この部屋が詳しく調べられ、そのタイミングでレコーダーが見つかったとしても、九剣さんがここに落としてしまったものだろうとしか思わないでしょう」
「そうか、二階に仕込んでおいても、実際にそこでガラスが割れていなければ、当然三階だと考える。さらに三階で割れた窓ガラスを目の当たりにすれば、誰だってそこから聞こえてきたものだろうと思い込む。そしてその流れで冷山さんを発見すれば、彼が落ちたのもついさっきガラスの割れる音がしたときだと考えるはず……」
沖はようやくトリックを理解したようだった。
「そうです。それを利用して、犯人はアリバイを作り上げたんです。しかし、犯人にとっても予想外だったのが、甲塚さんの悲鳴です。彼女は死体を見つけて悲鳴を上げたと言いましたね?」
「そうだよ」
沖が頷いた。
「それも、かなりうるさく?」
「ああ、鎮めるのが大変だった」
その時の情景を思い浮かべたのか、彼はうんざりしたような苦笑を浮かべて、溜息を吐いた。
「しかし、殆ど同じ場所から聞こえたはずの、ガラスの音と悲鳴のうち、ガラスの音しか一階の食堂には届いていない。これはあまりに不自然です。それで、この位置に隠してあるんだと分かりました。きっとこの建物は、三階の物音が一階には届かない様になっているんだと思います。それを知らなかった犯人は、バレるとは思わず、うっかりここにレコーダーを残したままにしてしまっていた。あるいは、回収できる時間がなかったといったところでしょう」
「しかしそうなると、アリバイのない女納尾さんと武刀さんは、犯人ではないと言えるんじゃ?」
御行が尋ねる。
「確かに、これで二人が犯人である可能性は大幅に低くなりましたね」
「とすると、第二の殺人が可能だったのは、この二人と冴沼さん、そして甲塚さんなわけですから、犯人は冴沼さんか、甲塚さんのどちらかという事になりますね」
さらに御行は第二の事件を考慮して、犯人を突き止めようとしている。しかし、彼の考えは早合点過ぎた。
「そう考えるのは余りに早計ですよ。実際、こうして第一の殺人にトリックが使われていることがわかって、アリバイのなかった武刀さんたちの疑いが薄まったわけですから、第二の殺人にも何かしらのトリックが使われていて、アリバイのある人物の中に犯人がいるという可能性もあります」
納得したように頷く御行。
「言われてみれば、その通りですね。しかし、これで武刀さんたちが犯人でないことはわかったし、少しは捜査も前進しているのでは?」
「いえ、あくまでもこれは、犯人が三階の物音が一階までは聞こえないことを知らなかったというのが前提の推理です。犯人がこれを知り得ていたとしたら、それを利用して俺たちのさらに裏をかこうとしているかもしれません。つまり、レコーダーが見つかって、俺たちが今の様に推理するのも計算のうちだとしたら、敢えてその時間のアリバイをあやふやにしたということも考えられなくないです」
「そうなるともう水掛け論ですね……。全く、何もかも見えない犯人の巧妙な仕掛けに思えてきますよ」
沖が苛立ちを抑えきれずに頭を掻いた。
「でも、そのICレコーダーから何か犯人に繋がるものが見つかるかもしれませんよね? そうなれば、決定的な証拠になるんじゃないですか?」
夜宵がレコーダーを指さして尋ねるが、俺は何とも言えない微妙な顔をした。
「難しいですね。名前が書いてあるわけでもなければ、指紋を調べる道具もないし、ここから犯人を見つけるのは無理でしょう」
「ってことは、結局振り出しに戻っただけか……」
沖は落胆の息を吐いた。彼にしてはかなり沈んだ口調だった。
「そうですね……。戻ってもう少し考えてみましょう」
遊戯室に戻って女納尾、武刀、冴沼にICレコーダーの発見と、それに関して判明した事実を報告した。トリックの使用によって、最初は自分たちの容疑がすっかり晴れたと勝手に思った女納尾と武刀は、目を輝かせ身を乗り出すようにして真剣に話を聞いていた。しかし、話を聞いているうち、明るかった顔色が段々と元に戻っていった。まだ自分たちが完全にシロと決まったわけじゃないと分かったからだった。
その後も議論は続いたが、結局実になるような結論を得ることはできなかった。
昼食と同様に、その日の夕食も沖と夜宵が冴沼を手伝って準備した。
しかし、相変わらず甲塚は部屋に閉じこもったまま、夕食の席にも現れることはなかった。
昼食の時と同様に、夕食にもあまり手をつける者はいない。豪勢な食事を目の前にしても、どうしても食欲が振るわないのだろう。こんな状況に置かれたら、誰だってそうなるはずだ。結果、皿は上に食料を乗っけたまま、厨房へと逆戻りする羽目になったのである。
なるべく一緒にいたほうがいいと提案したのだが、部屋に鍵をかけて一人でいたほうがよっぽど安全だと声を上げる者が多く、夕食後には全員が自室に戻ることになった。
全員一斉に部屋に戻ることになって、ぞろぞろと二階に上った。
夜宵が部屋に入ろうとして、鍵をポケットから取り出したのだが、手が震えているせいで、なかなか鍵穴に挿し込むことが出来ないでいた。84と刻まれた、例の大きな木製のタグが付いた鍵だ。
「大丈夫ですか?」
心配そうに沖が声をかける。
彼女は蒼白くなった顔を彼に向けたが、気丈に振る舞おうと試みていた。
「ええ、すみません。こんなことになるなんて、思ってもいなかったもので……」
ようやく、鍵が刺さった。彼女は部屋に入ると、「おやすみなさい」と頭を下げた。
「確かに、全く信じられませんよ。一日に二人も死人が出るなんて」
完全に扉が閉まり、部屋の中から内鍵を掛ける音が聞こえるのを確認すると、沖は廊下を進みながら溜息を吐いた。
「すっかりリゾート気分ではなくなってしまいましたね」
「ああ、こんなことに巻き込まれるくらいなら、来なければよかった……」
「全くだ。おまけに犯人扱いまでされたんだから、私としては溜まったものじゃない」
「本当に困りましたわ。ICレコーダーが見つかったと言っても、完全に容疑が晴れたわけでもないのですし」
みんな口々に思いを吐き出している。押し込めていた感情が愚痴となって現れているのだ。
一人またひとりと部屋に戻っていき、最後に廊下に残されたのは俺だった。
鍵を開けて部屋に入ると、電気もつけずにベッドに倒れこんだ。俺は横になりながら、あれやこれやと考えを巡らせていたのだが、結局何一つとして真実が見えてこないまま、気付けば深い眠りに落ちてしまっていた。