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奇人島殺人事件  作者: 東堂柳
第三章 カッシーナの戦い
13/42

2

 俺と御行、そして夜宵は、まず三階へと向かっていた。

 冷山が飛び降りたと思われる現場を見ておきたかったのだ。

 螺旋階段から三階の部屋に入ってみると、中は電気がついておらず、真っ暗だった。手探りで壁をまさぐり、スイッチを入れると、ようやく明るくなって、部屋の様相が明らかになった。


「うわあ、色々なものがありますね」


「コレクションでしょうか?」


 部屋には様々な骨董品が置かれている。そういうものの目利きができない俺には、どれもガラクタにしか見えないのだが。

 細かな模様の描かれた大きな西洋の壺。錆びた金属とくすんだガラスを組み合わせたオイルランプ。何をかたどったのかよくわからないブロンズの置物。蓄音機を模した、年代を感じさせる木材のレコードプレーヤー。ターンテーブルにレコードは乗っておらず、ほかの置物と同化してしまっている。

 掃除の手はここまで行き届いていないようで、どれもこれも埃まみれだった。呼吸するだけで堆積した埃が舞い上がっている。

 他にも西洋の鎧がいくつかあったのだが、どれも武具となる槍と盾を手にしているのに、そのうちの一体は何も持っていないにもかかわらず、武器を構えているようなポーズをとっていて、パントマイムのようにとても滑稽に見えた。

 骨董品コレクションは一旦置いておくとして、俺はともかく割れた窓を探したのだが、それはすぐに見つかった。


「これか……」


 近寄って見ると、外から入り込んでくる風雨に服が濡れてしまった。窓の近くの床は、雨のせいですっかり水浸しになってしまっている。

 割れたガラスに気を付けながら、窓枠から身を乗り出して真下を覗き込んでみると、暗闇の中にぼんやりと赤いジャケットが浮かび上がっていた。


「ここから落ちたのは間違いなさそうだな……」


 俺は顎を擦りながら、何か落ちていないかと視線をきょろきょろさせた。しかし、これと言って目を引くようなものはない。


「九剣さんはここにはいないようですね」


 ひと通り部屋中を探し回ってきた夜宵が、俺に近付いてそう言った。二つある別室を調べに行った御行も戻ってきて頭を振る。


「書斎とバスルームがありましたけど、そっちにも誰もいませんでしたよ。ただ……」


「ただ、なんです?」


「書斎の書き物机に、妙な彫り物がしてありまして……」


「彫り物?」


 俺と夜宵は顔を見合わせた。

 気になったので俺たちは御行に従い、書斎を訪れた。

 書斎に入ると、内装の凄さに思わず舌を巻いた。

 そこにはきめ細かな絵柄が織り込まれた、高級そうな絨毯が部屋いっぱいに敷き詰められていた。ペルシャ絨毯という奴だろうか。壁の方には天井まで届くほどの背の高い本棚が殆ど隙間なく並べられ、その中にはぎっしりと分厚い本が、これまた隙間なくぴっちりと収められていた。本のタイトルの多くは英字で刻まれている。俺が持っていたら、枕にでもするしかなさそうな、いかにも堅そうな中身の本ばかりだ。

 そして、部屋の中央から少し窓側にずれたところに、御行の言っていた書き物机が置かれていた。

 色の濃い木材でつくられたその机は、この眼がちかちかする絨毯の敷かれた部屋の中でも、異様な存在感を示して鎮座ましましていた。

 驚いたのは俺だけでなく、夜宵もそのようであった。書斎中を興味深く見渡している。

 御行はそれを尻目に、まだ何冊かの本やペン立てが置かれ、煙のように忽然と消え失せた主人が戻ってくるのを、今か今かと待っているその机に歩み寄り、天板を指さした。


「これですよ。何か文章が刻まれているでしょう?」


 彼に促されて、俺と夜宵も机を眺めた。


『九重より始まる時の流れに沿って、小さな世界の創造主の大いなる象徴、その始まりと終わりを集めよ。シェイクスピアが我らを導くであろう』


 詩というものだろうか。

 文学に興味のない俺は、どうもこうした意味不明な文章を見ると、暗号か何かだろうと推察してしまう。しかしそうだとしても、意味はさっぱりわからない。


「何でしょうか……これ? シェイクスピアって、あの有名な劇作家ですよね」


 夜宵が小首を傾げた。透き通るようなうなじが見えて、少しどきっとした。それを誤魔化すように、俺は口を動かす。


「ああ、そういえば部屋の本棚にも何冊かあったよ。でもそれが、一体何の関係があるんだろう」


「お二人もわかりませんか?」


 困り果てた俺たちに御行が尋ねた。しかし、彼もまた俺たちと同様、この文章から何も掴めていないようで、顔は困惑した表情のままだった。


「ううん、これだけじゃあ何とも言えないよ」


 俺は頭を掻きまわした。


「ともかく、今はこの暗号めいた文章より、九剣さんを探すのが先です。二階を探しに行きましょう」


 俺たちはその足で二階の探索を始めた。


「取りあえず、空き部屋の様子から見てみましょう。確か、37号室と87号室でしたね」


 階段を下りて、廊下に出ると部屋番号を確かめながらドアを見ていく。間もなく見つけた37号室と87号室は隣同士の部屋だった。

 87号室のドアノブに手をかけてみると、やはり鍵はかかっていないらしく、手ごたえもなくすんなりと扉は開いた。


「九剣さん、居ますか?」


 明かりをつけて中に入ってみるが、人のいる気配はない。


「夜宵さんは、ベッドルームのほうを調べてください。俺も手伝います。御行さんにはバスとトイレの確認をお願いします」


 そう言って、俺と夜宵は部屋の奥に足を踏み入れた。部屋は冴沼によって綺麗に整えられたままで、誰かがここへやってきた形跡もなかった。

 御行がバスとトイレ、クローゼットの中も調べてみたのだが、やはりどこも空っぽだったようだ。


「ここにはいませんね」


 そう言って引き返そうとしたとき、壁にかかった絵に気付いた。

 何かの建物の中にいる、多くの人々が描かれている。本を読んだり、書き写したり、色々な人と話し合ったりしている人々。何枚かの布を纏っただけの服装からして、古代の西洋と言ったところか。

 彫像が壁に掘られたアーチ形の門のようなものが奥に伸びていて、それが絵の奥行きを感じさせる。最奥のほうには、青空が描かれていた。

 俺の部屋の絵とは全く違うものだ。


「どうかしたんですか?」


 御行が怪訝そうに尋ねてきたので、俺は絵を指さした。


「いや、この絵って、何の絵かなあと思って」


「ああ、この絵は『アテナイの学堂』という、ルネサンス期のイタリア人画家、ラファエロ・サンティが描いたフレスコ画ですよ。学堂と言うだけあって、多くの哲学者が描かれています。ただ、学者の中でも誰が誰なのかの説が色々あって、確実かつ有名なのは中央にいる二人が、プラトンとアリストテレスという事ぐらいですね。そのモデルとなったのがダ・ヴィンチやミケランジェロとも言われているんですよ」


 急に饒舌になった御行にも驚いたが、その知識にも驚いて、俺は目を丸くして彼を見た。夜宵も俺と同様の反応をしている。

 その彼女が御行に言った。


「詳しいんですね」


「いや、これでも美術に関する仕事をしてますから」


「ってことは、もしかして画家さんなんですか?」


「いやあ、昔はそれを目指していたんですが、その努力も虚しくといった具合で……」


 彼は恥ずかしそうにぼさぼさの頭を掻いた。


「今は画商としてやってるんです」


「そうだったんですか」


 部屋を出ると、俺たちは左隣の37号室に入った。しかし、やはりここも空室のままで、いじられた様子もなければ、九剣の姿もなかった。

 ベッドのそばの壁にかけられた絵は、こちらもまた俺の部屋の絵とも、87号室の絵とも違うものであった。

 羽根を生やした天使が、絵一面に大きく描かれている。その頭上には、太陽が光り輝き、天使はその後光を神々しく浴びている。ピンクの服を着て、左手には百合のような白い花を持った、長い茶髪の女性の天使のようだ。細い眉に高い鼻、淡い唇。どのパーツも綺麗に揃っていて、かなりの美形である。

 バスとトイレを調べ終えて、俺のそばに寄ってきた御行が、絵を見て訊いてもいないのに喋り出した。


「これは、イタリア人画家のロレンツォ・ロットが描いた、『大天使ガブリエル』と言う絵ですよ」


「ガブリエル? という事は、この天使は男なんですか?」


「ええ、非常に女性的な美しい容姿で描かれていますが、彼はれっきとした男ですよ。聖書に出てくる有名な天使で、ミカエル、ラファエルと並んで、三大天使なんて呼ばれ方もしているほどです。キリスト教では、ガブリエルは神からの言葉を伝える天使で、聖母マリアの許にやってきて、キリストの誕生を告げたり、祭司ザカイアの許にやってきて、ヨハネの誕生を告げたりしたそうですよ」


「へええ」


 と解説を聞いたはいいが、そのうちの半分も頭には入っていなかった。

 俺たちは37号室を出ると、そのままさらに廊下を右回りに進んでいって、冷山の部屋である61号室に向かった。ドアの鍵は確かにかかっておらず、彼の荷物はそのままになっていた。

 ここも前の二部屋と同様に調べたのだが、誰もいないのはすぐにわかった。


「この絵……」


 俺は壁にかかった絵に釘付けになった。やはりそれまでのどの部屋の絵とも違う絵だったのだが、釘付けになったのは、そんな事が理由なのではない。

 その絵は、見た瞬間、冷山の死体を彷彿とさせるような絵だったのだ。

 羽を散らしながら落下する、翼の生えた男の絵。


「御行さん、この絵は……?」


 俺は絵を眺めながら、御行を呼び寄せた。


「ああ、この絵は、カルロ・サラチェーニが描いた『イカロスの墜落』という絵ですよ。フランスの画家が描いたものが有名なんですけど、こちらもイタリア人画家の絵ですね。内容としては、父親のダイダロスに翼を生やしてもらったイカロスが、その父親の忠告を破って太陽に近づきすぎたせいで、翼を焼かれて落下してしまう……という……ああ、まさか」


 自分で説明しながら、ようやく彼も気づいたようだった。この絵が冷山の死体の状況そっくりだということに。


「これって、偶然でしょうか?」


「いや、わかりませんが、しかし……」


 御行は顎をさすりながら唸った。彼もすっかり絵に釘付けにされてしまっていたようだ。


「ともかく、九剣さんを探すのが先ですね。次の部屋に行きましょう」


 俺たちは冷山の部屋を出て、廊下を歩んでいき、53号室の前に到着した。九剣の部屋だ。この部屋は俺の部屋の右隣にあった。

 扉にノックをして、中に誰かいないか確かめる御行。しかし、やはり部屋の中には誰もいないようで、返事はなかった。


「九剣さん、本当にどこに行っちゃったんでしょうね……。ここにもいないとなったら、どうしたらいいんでしょうか?」


「その時はその時ですよ。とにかくまずは、この部屋を調べてみましょう」


 御行と夜宵が会話を交わす。

 御行がドアノブに力を入れると、鍵はかかっていなかったようで、すんなりと扉は開いた。

 俺はその時、なんだか妙な違和感を覚えたのだが、それがどこから来るものなのかまでは、はっきりとわからなかった。その違和感自体、俺の勘違いだったのかもしれない。しかし、どことなくむず痒いような、喉の奥に痰が引っかかっているような、そんなすっきりしない感覚が残っていた。

 例のように部屋の中を捜索する。

 俺はまた壁の絵に目を奪われた。

 白黒のデッサンのような絵。川べりで裸になっている男たちが、慌てて服を着て、武器を手にしようとしているようだ。中には、まだ川から上がれず、手首だけが水面から出ている者もいた。


「ああ、この絵は確か『カッシーナの戦い』という絵ですよ。ミケランジェロが描いた作品のはずです」


 絵を注視している俺の隣に、いつの間にか夜宵がやってきていた。


「絵のことにはあまり詳しくないと言っていませんでしたっけ?」


「ええ、でも、この絵は大学の講義で見せてもらったことがあって、今でも記憶に残ってるんです。確か……フィレンツェ軍の兵士が水浴びをして休憩しているところに敵襲の報せが来て、慌てて武装を始めているシーンを描いている絵だったはずです」


 その直後だった――。

 バスを見に行った御行の、驚愕の声が聞こえてきたのだ。


「どうかしたんですか」


 弾かれたように絵の前から離れ、俺と夜宵はバスルームに向かう。バスルームの扉は開いていて、今にも腰を抜かしてくずおれてしまいそうな御行が、壁に背を預けて何とかそれを堪えていた。視線は浴槽に向けられたまま、俺たちのほうへは見向きもしない。


「御行さん、何か見つけた――」


 バスルームに踏み込んだ俺は、御行の視線に促されるようにして、浴槽のほうを見てしまった。驚いてそこでびくりと身体を竦ませ、足を止めた。


「九剣さん……」


 俺はそこで見た光景に、息を呑んだ。

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