日常 ③
新里世界についてあれこれ。
白髪。緋色の瞳。吊り目。不健康な青白い肌。本人曰く「母親がロシア人」らしいが、絶対に嘘だと向日葵は決めつけている。どちらかといえばアルビノ……昔埋めた、白い蛇を髣髴とさせる、生きるのに適していない肌の色に近い。身長は向日葵と頭一つ以上違うが常識外れに高いわけではない。向日葵が桁違いに小さいのだ。体重は不明。体力測定時に調べる予定だが、思いの外、重そうではある。体育のとき見た似合わない体操着の下の身体が健康的に引き締まっていた事が予想の要因。
去年の春先から、盃嵐のマンション《テュポーン》の四階に一人暮らしをしていて、学校の成績は試験の成績だけで語れば普通。他の生徒よりも二歳年上で、本人曰く「病気で二年間休学していた」絶対に嘘だ。そして、性格はいたって好戦的。実際に向日葵は目にしていないので信じられないが、かなりの暴れ者であるらしい。学校内での評価はその気性の荒さ故、『暴君』等と恐れられる存在。
五・一五事件。九・二三事件。この二つは警察沙汰にまで発展したらしいが詳細は不明。特に、五・一五事件はその存在を地域レベルで知らしめた事件であり、新里世界の名はこの辺りでちょっとした有名人らしい。
そんな彼の武勇伝とも悪評とも付かない情報は多く、集めるのに苦労はなかった。「ナイフが刺さったのに笑っていた」「ガードレールを引っこ抜き、武器にする」「動物の死体を持ち歩いている」「特注のバイクは変形機能付」「素手でコンクリの壁にヒビを入れた」「綺麗なお姉さんと町を歩いていた」「潰れた右目が直っている」「神知教の作り出した人型殺戮兵器のプロトタイプである」「白衣を着た兄貴に頭が上がらない」「両親から勘当されて一人暮らしをしている」「可愛い妹がいる」などなど。枚挙に暇がない。一体どれが本当で何が嘘かは向日葵にはわからないが、「動物の死体」の真偽を知っているだけでそんな事はどうでも言いと思えた。
もちろんそれは向日葵が世界にある程度以上の好意を抱いているからであって、世界は周りからは浮き、避けられる学園生活を送っている。なにせ、向日葵が学校で見た世界はとある男子と、学級委員長である津田川涼意外と喋っている所を見たことがない。
そんなことをつらつらとノートに書き留めているうちに授業は終わる。
そして、放課後。
「涼ちゃん。さようなら」
世界の数少ない友達(重要事項。世界も「あいつは友達だ」と言っていたので間違いない)である涼は鞄に教科書をしまう手を止め、向日葵に手を振る。染めた事がなさそうな黒髪のショートカットの似合う、いかにも真面目で利発そうな少女。世話焼きなのか、向日葵を単純に気に入ったのか、色々と面倒を見てくれて、今ではすっかり仲良しだった。
「うむ。向日葵ちゃんも元気で。また明日」
そんな十年後もきっと交わされるような挨拶をして、向日葵はまだ生徒が多く残る教室を出る。放課後の過ごし方や、部活の愚痴を垂れる大勢とは時間の進み方が違うかと錯覚するようなスピードだ。
目的は、そんな向日葵も早い時の流れを生きる男。
「世界君。一緒に帰りましょうよ」
「またかよ! 俺以外にいないのかよ?」
下駄箱で追いついたその背中は新里世界。一番上の下駄箱から少し汚れたシンプルなデザインの白いシューズを取り出している所であった。ちなみに、シューズは校則違反だ。
靴をコンクリートの上に落とし、世界は行儀悪く踵を踏んでシューズを履く。朝の体調不良がまだ続いているのか、眉間には深い皺が寄っていて、少不機嫌そうだ。
「恥ずかしがり屋ですねー。一緒に帰るのですから、一緒に教室を出ましょうよー」
背伸びをして世界から二つ左に位置する自分の下駄箱からローファーを引っこ抜き、向日葵は丁寧に地面に下ろす。
「お前はゆっくり他の女子たちと帰れ。俺は忙しい人間なのだよ」
鞄を叩き、忙しさをアピール。中身の入っていない、薄っぺらなそれを持って塾にでも行くといいたいのだろうか?
「しょうがないじゃないですか。涼ちゃんは剣道部の部長さんで多忙ですし。それでなくともあのクラスは同じ方向に帰る人が少なすぎですよ。大体、私は引っ越して来たばっかりで友達も余りいないのですよ? 世界君ぐらいしか話せる人がいないのですよ?」
「一週間なにしていたんだ……コミュニケーション能力低いな、お前。そんな悲しい人間と一緒に帰りたくねーよ」
爪先を地面に何度か当てて、靴を履き終えた世界は向日葵を待つことなく歩き始める。
「そんなー殺生な」
慌てて靴の踵を引っ張り、今にも躓きそうになりながら、向日葵は定位置にしたい世界の横につく。
「駄目だ。そうだな、今からでも遅くないから教室に戻れ」
犬でも追い払うように手を上下させ、少し歩調を速めて世界はグラウンドを迂回するように作られたアスファルトの通路を進む。
向日葵もその歩調に合わせ、世界の横をキープ。かなり大股で歩かないといけないが、ついていけないスピードでもなく、これはきっと一緒に帰ってオッケーのサインだ。と、思い込む事に決める向日葵。会話を繋げようと口を開き、
「新里世界。渡したいものがある」
「きゃあ!」
出てきたのは悲鳴だった。突然の乱入者に二人の足が止まり、同じタイミングで振り向く。
そこに立っていたのは、二メートルは有りそうな身長を持ったモヤシのように細い青年。古いアニメキャラの缶バッチをボタン代わりに付ける、世界の友達その2、二人のクラスメイトでもある井戸忍であった。
忍はいつも通りに誰とも目を合わそうとせず、両手で持った携帯ゲーム機のような物を見ながら向日葵の方に頭だけを向ける。
「な、何でしょうか」
世界と会話しているのは何度か見たが、実際に会話をするのは初めての向日葵は、警戒しながら世界の後ろに隠れようと足を一歩後ろに進める。幼馴染で付き合いの長い涼からは、「悪い人じゃないよ」なんて説明を受けたが怖い。悪いかどうかは置いておいて、怖い。猫背な忍が目の前まで来ると、背の低い向日葵にとって登ることが不可能な壁が迫る錯覚がある。それに、自分を決して見ていない瞳にも輝く物がなく、世界の両目と互角なほど不吉だ。
「日向向日葵。校門で待っていろ。五分程、世界を借りる」
それだけを告げると、忍の顔は隣の世界の方を向く。
「忍。話って?」
向日葵に話しかけるそれよりも少しだけ調子の上がったトーンの世界。向日葵にとっては話しづらい事この上ない忍も、世界にとっては結構話しやすい相手らしい。
ただ忍は変化のない、聞き取りづらい声のまま、
「《蛇腹》」
一言だけ言葉を返す。
その聴きなれない単語に首を捻ったのは向日葵だけで、世界はニヤリ。と口だけで笑みを作る。弱った鼠をいたぶる猫のような、背筋が凍るような笑い方だった。
「……っと」向日葵の怯えの混じった瞳に気がついた世界は口に手を当て、「そういうわけだ。お前はその変で化石でも掘っていろ」
右手の人差し指で向日葵の小さな額を軽く押し、グラウンドの隅にあるトイレに向かって歩き始める忍の後ろを黙って付いていった。
相変わらず手元の機械から目を放さない忍と世界を見て、
「うーん? なんだか怪しいですね」
平凡な感想を呟く。一体あんな場所で何をする気なのだろうか? 見たこともない冷たい笑み。それに《蛇腹》と言う単語がどう関係するのだろうか?
腕を組んで首を傾げ、何かを考えています、そんな主張をするポーズを取り、頭を回転させる。が、情報が少なすぎて、まともな答えは出てこない。
そして、
「あっ! 『化石掘っていろ』って事は待ってろって事ですよね」
自分に都合の良い答えだけをはじき出す。
「まったくもう、ツンデレですからね。あの鬱陶しそうな目で見てくるのも『ツン』だと思えば気持ちいですね」
絶対に間違っている気がする理論を元に、向日葵のテンションは上昇する。すこし浮かれた足並みで、グラウンドの遠くの白球を追いかける高校球児を見る。思い切って振られた金属製のバットは空を切り、ボールを打つ快音は聞こえてこない。
化石を掘る場所は近場になさそうなので、向日葵はそのまま野球部の練習を眺め続けた。
地方大会一試合敗退常連校の練習はそれ相応のもので、大して面白くもない野球部の練習をぼーっと立ってみている生徒は一人だけ。何人かの生徒がそんな向日葵を珍しそうに見ながら過ぎ去っていく。別に面白くはないが、暇な向日葵は惰性で見続ける他なかった。クラスの何人かも通るが、控えめな挨拶だけで、深く関わろうとはしない。転校生と言う抵抗と、新里世界と親しいと言うのが主な要因だった。
「あれ? 君一年生? でも、その名札の色は二年生だよね?」
「はい。そうですけど……会った事ありましたっけ?」
なので、突然見ず知らずの男に話しかけられるのは向日葵にとって意外だった。しかも、似合わないサングラスをかけ、学生服のボタンを全て外し、その下に派手なワイシャツを着ている人間に覚えはなく、この学校の男子の服のセンスを疑うしかなかった。
そんな向日葵をよそに、その男は「知らないか」と呟く。余り残念そうに聞こえない言い方で、軽薄な印象を受ける。
「三年A組。親七功兵だけど」
「すいません。存じてないですけど、生徒会の人とかですか?」
まったく聞いた事のない名前に、もしかしたら、と僅かな可能性を思いつく。新入生を気遣う生徒会長。に、がんばれば見えないことも……ない。
「そんなんじゃないよ。普通の受験生」ニタニタと締りのない笑みを浮かべて、「見た事ない可愛い顔してたから気になってさ」
うわ。ナンパだ。生まれて初めての現象に、向日葵の中の客観的な部分は冷静に判断した。
「可愛いなんてそんな、照れますねー。後、今年の頭に転校してきましたので、知らなくても仕方がないですよ」
自分で言うのもなんだが、人目を惹きつけるような容姿をしていないと理解している。年齢に合わせて出てくるべき所が出てこないもん。神知教時代、それだけの事でどれだけ馬鹿にされたか……向日葵は、どう逃げるべきかを脳内でシミュレート。
「じゃあ、今暇?」
しかし、世の中には特殊な感性の持ち主がいるようで、もしかしたら芸術肌の可能性も有りうる巧兵は、分かりやすいぐらいに誘ってくる。向日葵は巧兵が視界に入らないように野球部の中でも一際目立つキャッチャーの山のような体格の生徒の行方を追う。
「感じじゃあないですね。人を待っているのですよ」
「君みたいに可愛い娘を待たせるなんて悪い奴がいるもんだ」
「そうでもないですよ。とっても優しい人ですよ。そう言う訳で、これから貴方が提案する事に同意することはできないのですよ」
「あれ? そんな連れないこと言っちゃう?」
「言っちゃいますね。すいません先輩」
次々に、あの手この手と話しかけてくる台詞を適当にいなしていると、
「あれ? そんな酷いこと言わずにさ。ねえ? どう? 楽しいところいっぱい知っているんだけど」
痺れを切らしたのか台詞が切れたのか、巧兵はサングラスをずらしながら向日葵の細い手首を強引に掴む。
「ちょっと! 止めてください」
こういう時の一般的な対処として、向日葵は大声を出し、周囲に自分の危機を訴えるが、
「…………」
目の合った下級生に素通りをされた。助けを求める人がいたときの一般的対処は無視をするに限る事を知っているのか、周りの注目を集めるだけで、自体は一向に進行しない。
「大丈夫だって。別に変な所連れていくわけじゃないからさ。ヤコブに行くだけだから」
「ヤコブって何ですか!」
本日二度目の聴きなれない単語に渾身のツッコミを入れ、その勢いだけで手を振り払おうとはするが、小柄な向日葵と功兵の膂力には超えられない差がある。その手を外すには、一年ほどの筋トレが必要そうだった。
手どころか小さな体躯をフルに起動させ、離れようと暴れまわるが、結果は変わらない。諦めたくはないが、抵抗の無駄を悟り始めてしまう。
と。
「お前、ヤコブに誘われるとは、モテモテだな」
突然、この一週間で聞きなれた声。
「……! 新里世界……」
驚いたのは向日葵ではなく、功兵。先程までの軽薄そうな雰囲気が薄れ、振り返り、幽鬼の出現にその表情が角張る。
振り向いたその顔を見て、「その似合わないサングラスには覚えがあるぞ?」と右の拳を左手で包み、食事の前の挨拶と似たポーズを取る。その姿に、汗ばむまで握っていた小さな指を掌からこぼす。
「覚えがあるぞって、お前がヤコブに殴りこみに行くときに道案内した功兵だよ! 角に来るたびに殴ってナビ代わりにした!」
サングラスを取り、瞼の上の小さな傷跡を指し、精一杯の虚勢を校庭の隅に響かせる。
「ああ、春先に、春嬢を人質に取ってヤコブに引きこもっていた」
世に言う五・十五事件である。
「だからヤコブって何なのですか?」
事件の詳細も気にかかるが、やはりその単語が気がかりとなる。建物の名前のようではある。
「って、事は、この可愛い娘は……」
上から下まで向日葵を見た後に、再び世界の顔を覗く。
その顔は、
「そうだなあ、あの時は爆笑したな。もう一回再現するのもやぶさかじゃあないが」
楽しそうに歪んでいた。
「……っ」
見たことがないほど、それは上機嫌な笑顔だった。殆ど暴力のような笑みだ。無理にでも例えるなら、牙だ。捕食者が持つ、捕食する為だけの、振るうだけで容易く何もかも屠ってしまう、鋭い牙。
味方の向日葵でさえ逃げたしたくなる、実際に背筋が凍った表情に、
「し、失礼しました!」
去年の記憶がフラッシュバックしたのか、安い言葉になってしまったトラウマが頭の中を駆け巡ったのか、突然敬語で叫ぶと一目散に校門に向かって走っていった。
「なんだ。つまらん」
そう言い放ち、眉間には皺が寄り世界の不機嫌そうな表情に戻る。牙をしまい。逃がしてしまった獲物を追うことはしない。ただ肩を竦めて呆れていた。
「何だったのですか? あの人」
その表情に安堵を見出し、とことこと世界の横に並ぶ向日葵。
「あんな頭悪そうな奴に引っかかっていんじゃあねーよ。チビ」
後を追うようで気分は良くないが二人も校門を目指し、足を動かす。
「あー! チビは駄目です。暴力も覚醒剤も違法賭博もいいですけど、嘘だけは駄目ですよ」
壮絶な人生観を語る向日葵に怯えの色はなく、きっと「私を守るためにきてくれた!」程度の事しかもう頭になさそうだった。
そんな馬鹿を目の前に、溜息をつく世界。「やれやれだ」と、呟いて気がつく。
向日葵がこけても止まらなかった足が止まり、目を丸くして肩をまわす。
「どうしました?」
また動物の死体でも見つけたのだろうか? 向日葵は珍しく隙だらけな表情の世界に訊ねる。
回答は、シンプル。世界は未だに不思議そうな面持ちを崩さず、「身体が楽になった」と一言だけ呟く。朝から……思い起こせばこの一週間感じていた違和感のような重さが身体から気がつけばなくなっていたらしい。
「それは良かったですね。風邪でも引いていたのじゃあないですか?」
屈託なく笑い、心から世界の体調の復活を喜ぶ。対照的に世界は電卓の計算が間違っているような引っ掛かりがあった。
「俺が風邪をひくなんてありえないんだがな……」