猫の死体 ⑤
二人はバイクに相乗りをして夜の街に消えていった――なんて事がある訳もなく、バイクは二人を乗せ街灯もろくにない田舎道を走っていた。目的は血生臭さが一切感じられない向日葵の祖母の家。電話をぶつけた事を悪く思う向日葵が大体の家の場所を説明すると、裸を見た事を気まずく思う青年がぶっきらぼうに「送ってく」と、宣言したのだ。
「次を右で到着ですね」
「あいよって、ここがお前の家か。世間……世界はせまいな」
ブレーキをかけながら、わざわざ青年は言い直す。
目の前の建物には『ひまわり』と書かれた看板。ここは青年も何度か来た事がある場所で、昼間に来れば青と赤と白色の置物がクルクルと回っているはずだ。正式名称は知らないが。
一言で言えば、床屋だった。
席は二つしかなく、お洒落付く前の中学生より低い客層が中心の床屋。この辺りで一番早く日本で一番売れている週刊誌が置かれている事で有名だった。
「知っているのですか?」
こんな小さな床屋は無用そうな、漫画とは縁遠そうな青年が知っているのに驚きの声を上げる。
「ああ、マンションの兄ちゃん達の御用達だな」
「そうなのですか。あなたは違うのですか?」
「ああ、俺は髪の毛が伸びないからな」
他の店でカットしている事に罪悪感があったのか、即興の言い訳らしきものを口にする青年。
ちなみに、向日葵は引越し当日に切ってもらった。彼女の祖母はセンスが若く、意外と高校生になってもカットしにもらいに来る女子も多い事を自慢げに語っていた。大晦日は毎年アイドルグループのライブを見に行くぐらい、若いおばあ様だ。
「……マンションって言いうと、もしかして《テュポーン》って所ですか? あの墓地の隣の山のてっぺんにある」
ヘルメットを外しバイクから降りて、昼間だったら見えるマンションを指す。
「ああ。そうだが、引っ越してきてすぐなのに知っているのか?」
青年はヘルメットを受け取りながら、不思議そうに首を傾げる。
「はい。おばあちゃんが言っていました。『あのマンションの盃嵐には気をつけなさい。あのガキは誰でも過大評価するからって』って」
「ああ、それはお前のばあちゃんが正しいな」
向日葵の答えに満足そうにニヤニヤと口の端を吊り上げて笑う。今までで、一番おかしそうな笑みに、好奇心が刺激される。
「どんな人なのですか?」
「名前通りの暴風雨みたいな奴だよ。《人生不敗》とか仲間内で呼ばれるほど、底抜けに負け知らずのおっさんだ。たしか三十代前半だったっけかな? 若く見えるし、イケメンだが、頭が残念だ」
抽象的な答えに、思い当たる節が一つだけ思い浮かぶ向日葵。
むしろ、あの人でなければ誰だと言う確信すらある。
「……四日くらい前に、前髪が簾になっている人を連れてきた人ですかね?」
確かにあれは引越しから三日後だった。『ばーちゃーん。お客が来たぞー』と朝の六時。そんな声で目が覚めた日があったのだ。黒いタンクトップとジーンズというラフな格好をした男が、星空と見間違う漆黒のスーツを着た若い男を縄で縛って連れてきていた。
「ああ、間違いないな。それだ。その時やたら大声で喋っていたのが《人生不敗》だ。前髪の兄ちゃんが夜兄だ」
その場面を想像したのか、青年は鼻先でその想像を吹き飛ばすように笑う。
アイドリングしていたマシンのエンジンを切り、青年は話の続きを待つ。
「六時間ぐらいその夜さんの頭をおばあちゃんは刈っていましたね」苦笑する向日葵。あれは本当に凄かった。「嵐さんからオッケーが貰えるまでですよ」
「凝り性だからな」
首を縦に振りながら青年は目を細める。
「嵐さん本人は直ぐに置いてある漫画に夢中でしたけどね」
「飽き性だからな」
首を横に振りながら青年は目を瞑る。
「変な人ですよね。私もちょっとだけお話しましたけど」
「あの変人と何を話したんだ?」
「マンションに来ないかって勧誘に始まりまして、好きな国旗のデザインだとか、何チャラスペニエルって言う犬の名前の長さとか、学校は何処に行くのか、読んでいた漫画に出てきたスパゲッティーが食べたいとか」
益体のない話だったので詳しくは覚えていないが、本当にどうしようもない雑談だけだった。
「あっ、そう言えば、私と年の近い男の子がいるって事も言っていましたね」
『白い蛇みたいに赤いんだよ。瞳が。』
冗談かと思って聞き流していたが、今思えばまさに目の前の青年の事を話していたに違いない。ああ、もっと真剣に話を聞いておけばよかった。
「俺の事か? まあ、おっさんからしたらティーンなら似たような年齢にみえるのか?」歳が近い発言に微妙に納得しかねる青年。「聴きたいような、聴きたくないような、複雑な心境をどう表現するべきか」
苦虫を目の前に突き出された表情をして、青年は右手で顎をなでる。
向日葵は頭の中の記憶を引っ張り出し、なんとか嵐の言った事を思い出し、出来るだけ原文で伝える。
「『あいつは普段余裕ぶってるけど、意外と何をやるにも一杯一杯。世界ルートを攻略するには、なるべくココロに余裕を持った喋り方が正解だな。後、ここぞと言う時には強く押しに出る選択肢だ。余裕ぶって軽口を叩くツンデレちゃんだからな』って言っていました」
「……なんか、俺の知らない単語が多くてよく分からん」
興味心身にバイクから身を乗り出しながら聴いていた青年だが、肩を落とし明らかに落胆していた。一体何を期待していたのだろうか?
「たぶん、ツンデレは合っていますよ」
慰めるように向日葵は両手を肩の前で握り締め、『青年=ツンデレ説』を力強くプッシュする。
「だから何なんだよ。それ」
ツンドラ? 亜熱帯? 舌を出し、青年はぼやく。
「ふふふ。秘密です」
静かに笑うと、青年はやれやれ、と首を回す。
「そうかい。はぶられた所で俺は帰るとするかね」
キーを回し、向日葵から返って来たヘルメットを被ると、バイクの上で一回背を伸ばす。
「じゃあ、また縁があったらって事で」
右手を上げて去ろうとする横顔。白髪と緋の眼が隠され、その個性が闇夜に埋没する。
「あっ、すいません。最後に聞きたいですけど」
突然切り出された別れを何とか延期できないものかと、向日葵は縋り付くように、悪あがきのように青年を呼び止める。
「なんだ?」
ヘルメットを取る事も、バイクを止める事もせずに、青年のくぐもった声だけが向日葵の声に答える。
何を問うか迷い、
「私の名前は日向向日葵です。貴方のお名前は?」
今更過ぎる自己紹介。
「なるほど、店の名前の元ネタだ」
向日葵の名前を聞いて、納得したように腕を組み、
「新里世界」
自身に溢れる声色で、その名を名乗る世界。
「世界さんですか。変わった名前ですね」
どちらかと言えば女性っぽい印象の名前だが、不思議と青年のイメージにぴったりであった。
本人も気に入っているのか、「広大な名前だろ?」と向日葵に同意を求める。向日葵はもちろん同意して、「はい」と満面の笑みを向ける。
「今度こそ、じゃあな」
「今日はありがとうございました」
右手の親指をまっすぐに立て、今度こそ青年は深まった夜を駆けていく。
振り返る事なく、スピードを上げながら去っていくその背中を見送り続け、何となくまた直ぐ世界と合える気がしてならなかった。
「うふふ。世界さんだって」
部屋に戻り、借りてしまったミニタオルと学生服を返せる日を思い、一人ニヤニヤと不気味に笑う向日葵だった。