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猫の死体 ④

 バイクを走らせること三分。青年の言う墓地には何の問題もなく辿り着く事が出来た。と言っても墓地はどうやら山の中に作られているらしく、二人はそこまで登っていく為に作られた石造りの角度のきつい階段の前にいた。古ぼけた腐りかけの木製の東屋があり、穴の空いた桶や柄のない柄杓が何セットか無造作に立てかけられている。ここは用具の墓場にもなっているようだった。東屋の横にバイクを止め、青年はキャリーからバックを外す。


「着いたぞ。ここからは歩きだな。猫は俺が持つから、お前はスコップを持て」


 そう言って、座席を開き、ビニール袋に入った小さなスコップを取り出し、向日葵に渡した。


 何故そんな物が……新たに増えた疑問と共にそれを受け取り、早速階段を上り始めている青年の背中を追う。背中を見てばかりだ、向日葵は苦笑する。


「面白い事でもあったか?」


 その声に、青年は振り向かずに声をかける。無言の時間が出来ないように気を使っている風に思え、やっぱり付いてきて良かった。心が温かい何かに満たされ、向日葵は、


「はい」


 なるべく明るく答える。笑えてはないが、絶対に泣いてはいなかった。


「猫さんには失礼ですが、なんだか肝試しみたいです」

「そりゃあ、失礼だが。泣かれるよりは笑ってもらった方が気も楽だろうな」


 勝手に猫の気持ちを想像して、青年は適当に答える。


「悪いな、手伝わせちまって」


 猫の入ったバックを持つ手を右手から左手に変え、右手で白髪頭を掻きながら余り申し訳なさそうには見えない青年に、向日葵はギュッとスコップを握り締め、青年の横まで歩調を速める。


「大丈夫です。どうせ引っ越してきたばかりで暇をしていましたし」

「そうか」


 微笑む事はなかったが初対面と比べると大分柔らかくなった表情に、向日葵の表情も自然と和らぐ。


「にしても、ここは始めてきますね。ちょっとドキドキです」


 少し迷いながら、今度は自ら話を振る向日葵。


「無縁仏の墓地に来た事がある方がびっくりだがな。まあ、肝試しには丁度いいかもしれんが」


 何か言いたそうな目で向日葵の顔に一瞬目を向け、目線を正面に戻して青年は言葉を返す。


 見え始めた階段の終わりに、二人して少し早足になりながら会話は続く。


「それもそうですね。多分一生来なかったと思いますよ。散歩に出て正解でした。それと猫さんには感謝ですね」


 悩んだ末に、向日葵はそう締めくくり、青年に向けて微笑む。死んだ事に感謝するのは不謹慎な気がしたが、先程の青年に倣い、猫のために笑ってみた。


「だな、感謝を込めて墓作りだ」


 最後の一段を二人同時に踏みしめ、周囲を見渡す。テニスコートが四つくらい入りそうな広さに、墓石が普通よりも狭い間隔で並べられる様は、周りの静かさも手伝って、確かに肝試しには持って来いの場所に思えた。


「それと散歩もいいが、もう九時回っているんだぞ、ガキが出歩く時間じゃねーぞ」


 その思いついたような発言は、夜遊びを咎めているわけではなく、向日葵の安全のために言っているような言い方で、素直に「気をつけます」と向日葵が答える。そもそも、連れまわしている張本人が何を言っているのだと言う話なのだが。


「あの木の下に埋めよう」


 階段の頂上で足を止めた青年が、鮨詰のように寄り添いあった墓の奥にある雑木林の中に生える一本を指差す。正直、向日葵は墓石が邪魔でどの木を指したのかわからなかったが、迷いを見せずに一本の木を選んだ彼の言葉に素直に頷いておいた。


「じゃあ、俺は埋める準備でもしとくから、お前は適当な石でも拾ってきてくれ」


 向日葵の小さな手からスコップを取り上げ、青年はずかずかと墓の間を縫うように進んでいく。通るのに邪魔だった卒塔婆を一つ蹴り倒しているのを見て、あんな人が何故猫を埋めようと思ったのだろうか。謎だ。


 そんな謎の白髪頭を呆然と見送り、向日葵は墓を避けるように敷かれた石の通路を歩きながら、足元に目を落とす。青年の言った『石』とは恐らく墓石だろう。理想の墓石を思い浮かべ、暗い夜道に転がる石を一つ手に取る。冷たい重さが、手に確りと伝わる。が、ごつごつとした手触りに今一気が乗らず、林の中にそれを投げる。つるつるとした、滑らかな物が向日葵の理想だった。


 歩いてはしゃがみ込み、石を拾う。そんな行為を何度か繰り返しながら、あの青年について考える。どちらかと言えば人見知りをしない人間だとは言え、ほいほい付いていくほど自分は間抜けだっただろうか?


 彼のどこを信じても良いと感じたのだろうか? 再確認のために今は視界にない青年の姿を思い返す。


「…………怪しすぎます」


 頭からつま先まで、全てが怪しい。一週間前まで住んでいた、世界最高峰とすら呼ばれる神知教の研究街でならまだしも、海すらないようなこの田舎でアレはありえない


 つまり彼は、決して風景に溶け込むことのない人間だ。街中で見れば浮いているだろうし、人混みでは避けられる。近付きがたい、孤高な存在。


 ただ、そうであるにも関わらず、そうだと認識しても尚、彼の事を知りたいと思う自分がいた。


「誰かに似ているからですかね?」


 そんな事を呟きながら、五歳の時に真っ白な蛇を埋めた事を思い出した。


 家族で遊びに行った公園から、自宅に帰る途中に向日葵が路上で死んでいる白い蛇を見つけたのだ。その身体に目立った外傷はなく、最初は生きていると思った父親が母親の後ろにすぐさま隠れたことを思い出して向日葵の口元が綻ぶ。母親は、病気で死ぬ間際までそのことに文句をつけていて、父親は何度も何度も泣きながら謝っていた。


『お墓を作ろうか。たしか、白い蛇ってなんかの守り神とか言われない?』


 そう言い出したのは母親だった。『なんかって何?』と父親が呆れて訊ねると、『何でもいいの。あ、そうだ向日葵の守り神にしよう!』と勝手に死んだ蛇を守護霊に認定してくれていた。その後、『蛇の死体くらい持ちなさいよ』と蛇に触ろうとしない二人に苛立った母親が豪快に素で蛇を掴んだのを見て、恐怖を覚えたものだ。その様子に同じく恐怖を感じた父親はビビッて逃げようとして溝に嵌っていた。そんな様子を見て『あー。流石私の見込んだ人だ』と皮肉っぽく嗜虐的な笑みを見せ、泥に塗れた夫を助けていた。当然、蛇は握ったままで。


「あれ? お母さんに似ているのでしょうか?」


 石を両手に持って、天秤のように選別しながら、うーんと唸る。あんなお母さんではなかったはずだと、首を強く左右に振り、古ぼけた思い出から何とか母親の顔を引っ張り出し、心を落ち着かせる。当たり前だが、似ても似つかない顔が頭には浮かんできた。


 結局、彼の何処に惹かれたかは分からないまま、左手に持っていた丸みの強い石を墓石にする事を決めて立ち上がり、背伸びをしてあたりを見渡す。白髪頭がぼんやりと前方に見え、ゆっくりとそちらに向かって歩き始める。


「すいません。これでいいですか?」


 三メートル程まで近づいて、しゃがみ込む青年の背中に控えめに声をかける。青年はその声に返事をする事もなく、数秒間目を閉じて手を合わせ続けていた。


「なんでもいいさ。気分だ、気分」


 拝み終わると青年は立ち上がりながらそう言って、向日葵に石を置くように盛り上がった地面を指す。かなりの量の土が溢れていて、青年の掘った穴の深さがよくわかった。


「もう、埋めたのですか?」


 疑うわけではないが、訊ねずにはいられなかった。スコップが有るとはいえ、石を探していた時間はそう長くなかったはず。短時間で猫二匹が入る穴など作れそうには思えなかった。


 向日葵の疑惑を孕んだ視線に、「なんなら掘り返しても良いが」おどけて見せる青年。


「結構です。じゃあ、この石で完成ですね」


 疑った結果として眠った猫を再び掘り返すのも忍びない。勘弁してほしい。それに学生服の下から感じた力強い肉体も思い出す。「……」少し照れながらそっと盛り上がった頂上部分に石を乗せ、青年に倣って手を合わせて目を瞑る。


 しゃがみ込み、冷たくなってしまった猫達を思い出す。


 助けられなくて、ごめんなさい。


 向日葵に非はないのだろうが、そう思わずにはいられなかった。青年と話して浮かれていた事も少し罪悪感を残し、青年に会う前と同じく自分の無力さが雑草のようなしぶとさで自分をじわりじわりと責めて、心苦しかった。


 青年がやっていたよりも長く黙祷を捧げ、決心したように向日葵は立ち上がる。


「終わりました」


 半回転して、手の汚れを叩く青年に報告。


「……そうか、手洗って帰るか」


 少し声のトーンが落ちた向日葵を不思議そうに緋色の瞳で見下ろす。が、特にその事には触れようとせず、バックを手の甲で広い行きとは違い順路を守って階段に足を向ける青年。

 その背中をチョコチョコと歩いて追いかけながら、向日葵はなるべく明るく勤めようと話を振る。


「でも、手を洗うってどこで洗うのですか?」

「ぼろい屋根の横に桶と柄杓が何セットかあっただろ? あそこに水道があるんだよ」

「詳しいのですね。水道が生きている事まで知っているのですか」


 あっさりと答える青年に、向日葵は単純に感心する。先程の賞味期限が切れたような東屋を見たときには全然気が付かなかった。普通に生活していたらまず墓地の水道の生死なんて興味を持たないだろう。


 石造りの階段を並んで降りながら、やはり変わった青年だと、認識を強める。


「ああ、何度か……これでこの霊園でも七匹目だったか?」


 電灯と言う便利で気の利いたものがなく、闇の中にある足元を確認しながら独り言のような青年の言葉の意味が理解できず、「ほえ?」向日葵は奇妙な相槌を打ってしまう。


「なんだよ。吼えって。捕鯨か? 俺も鯨は埋めたことがないぞ。あるのは小動物だけだな。犬猫の専門だ、殆どな。稀に狸とか小鳥とかの時もあるけどよ」


 ああ、ここには誰かが逃がしたオオトカゲがいるかな? 何かを思い出すべく、耳に入った水を抜くように青年はこめかみを掌で軽く叩く。


「何度も、この墓地に猫たちを埋めているのですか?」


 大きな眼を更に限界まで広げ、驚愕の表情で訊ねる。


 青年は呼吸をするように詰まることなく、「ああ」首肯してみせる。


「…………なんで、そんな事をしているのですか?」


 階段を駆け下りて青年の正面に立ち、後半は半ば食いかかるように言葉を放つ向日葵。


 その勢いに押される事は当然なく、


「別に、普通だろ」


 青年は回りこんだ向日葵の脇を通り、歩調を変える事なく足を勧める。東屋の裏手に回りこみ、古ぼけた蛇口を捻る。ご、ごぼ。と出だし詰まりがちに透明な水が蛇口から控えめに垂れる。想像以上に謙虚な水道だった。


「普通じゃないですよ」


 水圧の低い蛇口から漏れる水で手を洗う青年の広い背中は何も答えない。向日葵が話すのを待っているのか。それとも聴いていないのか。


「本当の事を言うと、猫をあのまま置いて帰ろうと考えていました。助けようと思ったのに、傷ついたあの子を振り回すだけで、結局何もできていません。なんだか、すごく自分が馬鹿に思えて、情けなく感じて、猫もすごく汚いものに見えて……」


 その後の言葉は続かず、声になっていない声だけが向日葵の胸の中に沈んでいく。


「確かに、服も血まみれだな。お前。って、事は俺の学ランもか?」


 手を洗い終えた青年は、その場で腰を落とすと「ふんっ」左右に腕を突き出し、水滴を吹き飛ばす。それは何か拳法染みた、淀みがなくそれでいて力強い動きだった。


「あーあ」


 背中を向けたまま青年は学生服を脱ぎ、その背中を確認して落胆を隠さない溜息を零す。猫を抱いて走った時に向日葵に付いた血が、彼の背中に付いてしまったらしい。


「……ごめんなさい」

「良いから、手を洗え」


 蛇口から青年が離れ、向日葵が重い足取りでそこに向かう。音と僅かな光を頼りに流水を見つけ、小さな手を擦り合わせる。


 無言で洗い続けると、何か違和感がある事に気が付いた。何度も強く擦り合わせても違和感が消えず、背筋にストレスを感じる。これは青年に話を逸らされた事も手伝っているのかもしれない。そんな事も思ってしまった。


 違和感を消そうと奮闘していると突然、強い光が向日葵を照らす。反射的に目を背けた後、焦って光源に顔を向ける。そこには四輪のバイクのヘッドライトの白い光が向日葵に向けて放たれていて、青年が欠伸をしながら予備の学生服に着替えていた。何故、予備の学生服を常備しているのか、それは本人しか知らない事だろう。


 やはり一味も二味も普通ではない青年の優しさに甘え、中々消えない違和感を拭うべく掌を見るとようやくその正体がわかる。


 血だった。


 ぬめりの強い血液が、まるで向日葵に対する恨みを忘れないでしがみ付いて、何度拭っても落ちる事はない。


「それは、家帰って風呂場で落とせ。今日は石鹸を忘れちまった」


 先程とは逆に、いつの間にか背後に迫った青年が、まるで普段は石鹸を持ち歩いているような言い草でタオルを向日葵の頭に載せる。


「はい。ありがとうございます」


 旋毛に乗っかるタオルを右手で掴み、両手に付いた水分をタオルに吸わせる。そうしながら、ミニタオルも貰っていた事を思い出す。血塗れの手で貰って、血塗れの手で涙を拭いて、それをポケットにしまっていた事もついでに思い出してしまう。最悪だ。



 手を拭き終わった向日葵は再び青年に感謝を伝え、タオルを返す。ポケットのミニタオルはどう話を切り出せば良いのか考えていると、


「タオルを多めにして助かった。ほれ。替えの服だ。貸してやるよ」


 青年はタオルを雑にキャリーに再び取り付けたバックに仕舞い込み、開けっ放しになっていた座席の中から、黒い学生服を取り出す。ボタン代わりにベルトの付いた、三枚目の特注品。


 一体どんな事情があれば、学生服が三枚も必要と判断することが出来るのだろうか? バイクを見ても、旅行中には見えないし、謎が深まりすぎて向日葵の理解は一生追いつきそうになかった。


「いや、悪いですよ」


 とりあえず、目の前の一枚の学生服を断る。いくらなんでも、見ず知らずの人の服を着るには抵抗がある。


 それを聴いて、


「そりゃそうだ。猫の死体を汚いなんて言う奴は悪人だ」


 意地が悪そうに唇を吊り上げて笑う。


 話はしっかりと聴いていたようで、今更になって愚痴った事が恥ずかしくなる。


「ガキが他人の心配してんじゃねーよ」

「でも……」

「人の服を血濡れにしといて、俺の意見が聞けないとは偉いもんだな」


 結局、青年の言葉に折れ、「…………はい。ありがたくお借りします」差し出された制服を血のあまり付いていない親指と小指で挟んで受け取る。布で出来ているとは思えない重量に取り落としそうになりつつ、何とかそれを肩に掛ける。


「何処で着替えれば良いですかね?」

「それぐらいは自分で考えてくれ」


 腕を組みながら大袈裟に首を横に振る青年。どうやら自主的に女の子が着替えようとしている現場から消えるつもりはなさそうだった。


 服まで借りておいて、「出てってください」なんて到底言えるわけのない向日葵は大人しく「じゃあ、階段で着替えてきます」と、青年の視界に入らない階段を簡易の更衣室にすることにした。


「暗いから気をつけろよ」


 バイクの明かりから離れていく背中にかかる声。


「子供じゃああるまいし、周りが暗いことくらいわかります」


 少しむくれて呟く。確かに身長や身体つきはあまり高校生らしくないが、いくらなんでもその忠告はあんまりではないだろうか? 私はこれでももうすぐ十七歳だ。


 そう意気込み、階段を見上げて足が止まる。


 先程上ったはずの階段が、向日葵を呑み込むような迫力を漲らせ待ち構えていたのだ。二人の時は「薄暗いな」程度であったが、一人になると「鬱蒼とした」そんな評価が似合う入り口に姿を変えていた。


「…………」


 ごくり。と喉を鳴らす。


「どうした、待っていてやるから早く行け」


 ヘッドライトで顔を照らしてくる青年。瞳はギラギラと愉悦に燃えている。


「ほ、本当に待っていてくれますか?」

「ビビってんのか?」

「…………」だって、上は無縁仏ですよ? 怨念を持ってそうですよ?

「確かに、目撃例は何件かあるな。夏と冬に多いけど」


 その言葉を止めに、向日葵は素早くUターンを決め、


「………………ここで着替えますから、振り向かないでください」


 茹で上がったような真っ赤な顔をして宣言した。


「了解」


 そう言うと、青年はあっさりと東屋から長い足で出て行き、裏手に周り込んで壊れかけた桶を一つ掴むと東屋の近くに落とし、その上に腰を下ろす。


「さっさとしてくれよ」


 柱の一本に体重を預け、少しだけおかしそうに笑う。


 その気遣いに申し訳ないと再び青年に感謝し、まずは渡された制服をバイクのハンドルにかけ、胸部が赤黒くなったシャツのボタンを外す。改めてまじまじと付いた血の量に驚く。あの子猫、気が付かなかったが、何処か激しく出血していたとしか思えず、やはり、自分は余計なことをしてしまったのではないかと自問する。


「汚いってのは、正解かもな」

「はい?」


 突然の大き過ぎる青年の独り言に手を止め、続きを待つ。


「死んだら汚い。筋肉の緊張が解けて糞尿撒き散らすし、生きてなければ腐る。腐れば匂う。古代からわざわざ死体を火葬にしたり土葬にしたりして隔離するのは、死体が病原菌の温床になる事が本能的にせよ経験にせよわかったからだろうな」


 詰まることなくスラスラと、持ち歌を歌うような気軽さで青年の声が薄い木の壁越しに向日葵の耳に届く。


「だから、別段お前の感情はおかしくない。むしろ、正常だろうな。生きようとする力ってのは、何よりも強いだろうからな」


 青年なりに、励ましてくれているようだった。論理的な意見だけに否定の使用がない、少なくとも感情面で反論できない意見に納得せざるを得ない向日葵だったが、


「でも、だったら何で貴女はわざわざその強い力に逆らってまで猫を埋めたのですか?」


 訊ねずにはいられなかった。


 そこまでの考えを持ちながら、何故わざわざ猫を埋めようと思ったのか。無視していても市が処理しただろうし、わざわざ墓地なんて選ぶ必要がないはずなのに、そこの脇道に埋めても問題はなかっただろうに。


 暫くの沈黙の後、


「俺は、本当に死ねるか心配なんだよ」


 静かな声が東屋に響く。


「死ねるかどうか?」

「そう。俺は常々思うんだが、本当に無事に死ねるんだろうか」


 今までで一番理解できない発言だった。


「怖くないか? 死ねないって。ガキの頃からそれが一番の恐怖なんだよ」

「死ぬのが怖いわけじゃないですか?」


 普通はそうだろう。今まで築いてきた物を全て手放さなければならない『死』を恐怖するのであって、死ねないなんてありえない現象を恐怖するなんて滑稽だ。しかも、幽鬼と見間違えてしまうほど不吉な容姿の彼が、真剣にそんな事を言っているとなると、最早怪奇としか言いようがない。


「閃光のように生きられない事が怖いんだよ」


 ポツリと答える青年。何かに諦観した寂しい声色だ。


「理解する必要はないけどな」前置きして、「恐怖を消す祈りだな。恐怖を消すには昔から薬か祈りか論理かって相場があるからな、俺は先に死んでいった罪人なり犬なり猫なり狸なり狐なりに祈ってんだよ」


「『無事に死ねますように』ってな」


「優しいのですね」


 不意に向日葵の口からはそんな言葉が飛び出る。


 きっと、今語ったことは言い訳なのだろう。そう思ったのだ。


 優しい自分を隠すために、まるで自分は勝手にやっただけだ、と言い張る。偽悪者のフリをしているだけなのだと。


 きっと、その優しさに、私は惹かれたのだ。そう理解すると同時に、体中が煩わしいくらいに熱くなり、その熱量を発散するために奇声を上げて走り回りたい気分になる。


 そんな気持ちを抑えて、向日葵は思い出したように脱ぎかけの服を脱ぎ、


「何処を取ったらそうなるんだよ……」

「きゃあああああ!」


 突然乱入してきた銀髪の覗きに悲鳴を上げる。

 脱いだシャツを地面に置き、渡された制服を手に取った瞬間。上半身は胸の下着以外は青年とは違った、生気に溢れる瑞々しい肌がライトに照らされていて、


「なんでまだ着替えてんだ! 手と口を同時に……ぶへらっ」


 その少し扇情的な向日葵を目にし、慌てて手を上下に忙しなく動かす青年。わかり易過ぎるくらい慌てて、出て行く様子のない青年に、同じく慌てて顔どころか首まで真っ赤に染め上げた向日葵の投げた携帯電話が見事に命中した。


「あ、ごめんなさい」


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