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地獄期間 ~地獄に咲くは向日葵~  作者: 安藤ナツ
【四月二十二日】

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真実の蛇 ④

「良く来たな」


 闇ばかりが目立つ階段は、前回来たときから何一つ改善されていなかった。角度は急だったし、幅も中途半端で登り辛い。春の日差しを受けて生い茂る樹木の伸びた枝は、夜になると亡者の手と化し、見る者の不安を煽る。おおよそ、墓地と言う不吉なイメージを損ねない、ここはそんな場所だったことを思い出す。


 そして退屈な階段を上り終え、肩で息をしながら見つけたその人も、まだ距離はあるが、記憶とほとんど変わらない姿で立っていた。


 暗闇でもはっきりと認識できる、銀髪。


 全てを見透かした、燃えるような緋眼。


 夜が滲んでしまいそうな、青白な顔色。


 自らを拘束する、ベルトで閉める詰襟。


「確かめたいことがあるんだ」


 世界は向日葵が階段を上りきったのを見て、左手で髪をかき混ぜながら近づき、その言葉は、どう言った意味を持たせたいのだろうか。向日葵には見当が付かない。


「…………」


 何を言われても、怒鳴りつける気概で階段を駆け上がってきた向日葵は、台詞の真意を訊ねることもできない。口をパクパクと金魚の物真似に費やすだけで、言葉なんて出てこない。目の前二メートルに迫った世界を見たときに、何かを喋ろうという考えは吹っ飛んだ。


 奇妙な詰襟の左袖は肘から下の生地がなく、ベルトも数本千切れている。


 色素がないとしか思えない顔の肌には、浅黒い大きな痣が鎮座。

 

 緋色の目は片方しかなく、もう一つの瞳があるべき場所は窪んでいて在るべきものがない。


 銀髪には所々赤黒い物が付着しているように見える。


「ああ、酷い格好だろ?」


 その姿を見て凍結してしまった向日葵に、世界は笑顔を向けて右手を見せる。


 その手に付いている親指と薬指は、曲がっては行けない方に曲がって……


「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 向日葵は叫んだ。顎を外す気かと自分で思うくらい大きく開き、二度と開かなくても良いとさえ願って瞼を硬く閉じた。


 それは、まるで、死体だった。まさしく死体だった。疑う余地のない死体だった。すくなくとも、そう言われたら信じてしまいそうな迫力が篭っていた。


 何度も何度も見てきた肌を、向日葵は病人みたいな肌色だと例えてきた。しかし、その例えは全く正確ではなかった。あれは、死体の肌の色だ。文字通り精気が枯渇した死者の色。


 その死者が、喋る。


「地味に痛いんだよな、骨折って。ジンジン来る」


 おどけるように言う台詞に、痛みに対する嫌悪はない。死体は何も感じない?


 心臓の血流が痛みを感じるほど早く流れる錯覚に、向日葵の膝は崩れ、スカートにシワが出来ることも厭わずに、尻を地面につける。


「せ、世界君!」


 殆ど活動していない肺の奥から空気を振り絞り、目の前の青年の名を叫ぶ。


「こんだけびびらせても、駄目か」


 が、向日葵の叫びは世界に届くことはなく、世界は独り言を小さく洩らす。折れた指と敗れた服で腕を組み、向日葵の目の前まで足を進める。たった三歩四歩の距離を、千里の道を歩くようにゆっくりと詰める。その一歩一歩が向日葵の恐怖を煽る。


「俺は、お前を殺す」


 世界はゆっくりとそう言った。小さな子供の我が儘を諭すように、優しい声音だった。


「わかるか? 簡単に言えば、俺はお前を殺そうと思う」

「な、にゃにを?」

「正確に言えば、首を絞めて殺す。首を絞めることによって、頚動脈や推骨動脈、それに器官を圧迫する。死因は窒息死になるだろう。いくら俺でも、頚椎を損傷させる程の膂力はこのコンディションでは出せないだろう。だから、頸動脈洞を絞める。そうすれば頸動脈洞反射によって急激に血圧が低下し、お前の意識は十秒前後で失われる。なに、苦しみを感じる時間はない」

「世界君? 何を?」

「悪意で十分だと思ったが、まだ足りないらしい。殺意を持って接すれば、まともに話せると思ってね」


 言いながら、水が流れる自然さで、しゃがみ込んだ世界の右手が向日葵の細い首に伸びる。


「安心しろ。螻蛄だって水馬だって、皆、死んでいくんだ」


 あの猫だって、車が来ようが、お前が助けようが、絶対死んでいた。


 首を握った右腕に力が込められる。


 思った程の力ではなかったが、顎が世界の手に固定され叫ぶこともできず、両手はフリーだが、震えを止めることが前提で動く気配がない。瞼は到底持ち上がりそうにないし、足はとっくの昔に笑うことも出来ないほどだ。


 唯一自由なはずの頭は、突然すぎる展開に付いていけず、自分が何をされているかも理解できているかどうか。


 恐怖ばかりが先立っているかと思えば、冷静な部分は若干早いテンポで、首が絞められてからの秒数を刻んでいる。


 ボキ。


 七秒を経過した時点で、そんな乾いた音が夜の墓地で小さく鳴った。


「ぐっ」


 その音からすぐ、気道を押さえていた力が霧散する。枯渇していた酸素を求め、体が勝手にむせ返る。ほんの少しの間だけ摂取していなかった筈の空気の冷たさが、肺に染み渡る。


 死んでいないことを、確認する必要もなく、向日葵は生きていた。


 何故?


 向日葵は真っ先にそう思った。世界が自分を殺せないはずがないのだ。体力差。体格差。世界の持っていたあの殺気。先週、親七巧兵に見せたあの笑みすら児戯に思える、漆黒の意思。わざわざ、黒天を使って呼出し。一に頼んで連れて来ておいて。上りきるのに五分かかる階段の上で待っておきながら、殺せないわけがない。


 殺せないわけがない?


 その言葉が持った、小さな違和感がどんどんと頭の中を駆け巡り始める。

 

 本当に、殺せないのだろうか? 自分は本当に、世界に殺されていたのだろうか? と。

 

 地面に倒れこむのを左手で耐え、右手で喉を探りながら、そんなことを考える。


 こんな墓地で首を絞めるくらいなら、もっと手っ取り早く殺す方法があったのでは?


 例えば、ナイフを凶器に使うのも良いだろう。首を掴める距離なら、鋭利な刃物の方が確実な気がする。それに世界ならわざわざ黒天や一に頼らずとも、向日葵だけを呼出して殺害することだって出来たはず。むしろ、初対面の人間に警戒心を抱いて出て来ない確立の方が高い。


 そもそも、なぜ殺さなければならなかったのか。今朝のやり取りで、世界が四人を襲った理由は向日葵を助けるためであり、それが向日葵を襲う理由にはなり得ない。


 そして、さっきの乾いた音はなんだったのか。


「痛ぇーー! 畜生っ! が、捕らえたぜ! 通り魔野郎!」


 未だに痺れる首を捻り、壮快な叫びをあげる世界の右手を見ると同時に、その答えだけは明白となった。


 ただ、俄かには信じられなかった。


 疑わずにはいられない事実だった。


 それでもそれは、紛れもなく現実だった。

 

 純白の鱗の顔面に、赤く光る相貌を埋め込んだ大蛇が。


 向日葵の腕の倍は有ろうかという太い胴体を持った大蛇が。


 燃えるような下をちらつかせた、悪魔の化身のごとき大蛇が。


 世界を蛇にしたと言われてしまえば信じてしまえる大蛇が、世界の右腕に巻き付き、その手首の骨を砕いた音だなんて、すんなりと信じられるわけがなかった。

 

 喉の痛みを忘れて、ポツリと口から「何これ」とこぼれる。


 その声が聞こえたのか、世界は蛇の頭のすぐ下(どこからが首で、どこまでが胴体で、何が尻尾なのだろう?)を掴み、ゆっくりと息を吸う。その表情には向日葵に対する悪意や害意と言ったモノはなく、死人に思えた迫力さえ霧散してしまい、サッカーボールを買ってもらえた少年のように綻んでいた。


「蛇以外に見えるんなら、眼科にいけぇぇぇっ!」


 向日葵への説明の語尾を雄叫びへと変え、蛇の首を左手の方に力ずくで引っ張る。


 なるほど、あの服の裾はああやって破れたのか。向日葵の頭の中で、謎が一つ氷解する。


 世界の腕力と、蛇の締め付ける力に真っ先に耐えられなくなった詰襟の裾が、肩から綺麗に破れる。蟹の身を取り出すように世界の白い死人の右腕が見え、左手には抜け殻となった真っ黒な服の裾に絡みつく白い大蛇。


 自分の左手が持つ獲物を目にして、世界の口角がますます吊り上る。やっと、捕まえたのだ。みすみす離す手はない。左手を高々と上げ、そこら中にある薄汚れ、所々が削れた墓石を視界に収める。


 復讐その一だっ!


「制服って高いんだぞぉぉぉ!」


 未だかつて見たことがないような高調感に包まれた、ロックシンガーのなりそこない見たいな世界が、掴んだままの蛇を一番近い墓石に叩きつける――


「っち」「え?」


 ――ことはできなかった。


 墓石に触れたのは、世界の詰襟の一部だった物体だけで、世界が手を離したわけでもないのに、大蛇は一瞬で手の中から消えていた。突如として現れたわけだから、いきなり消えても不思議はないが、予想外には違いなかった。


 舌打ちの後、世界は墓石から後ろに大きく一歩跳び、ようやく立ち上がった向日葵のセーラーのスカーフを引っ掴んで自分の方に寄せる。


「向日葵。あいつが何処にいるかわかるか?」

「ひいぃ」


 いきなり息のかかる距離に現れた想い人の顔面に、向日葵は悲鳴を上げる。喉を掴まれたことを思い出したのも有るが、髪の毛も鼻の下も口の端からも、まだぬめり気を持った血液が蒼白の顔面を彩っていたことがその理由だった。これは、モザイクがいる。


「答えろ。あいつの位置がわかるか? それとも、あれはお前の能力か?」

「な、なんの話ですか? 大体、あの蛇はなんなのですか?」


 自分の顔面が少女のトラウマ化しつつ有ることを知る由もない世界は、向日葵の両肩に手を置き、瞳を見透かすように見つめる。


「本当に、知らないんだな」

「……はい」


 それだけで人の嘘が見抜けるとは思えないが、世界は向日葵の言葉にあっさりと「そうか」と呟き、両の手を掴んだ肩から離す。


「じゃあ、この状況もわかっていない。そう言うことで良いな」

「はい、あれが蛇だと言うことはわかっていますけど」

「はあ? あれが蛇に見えるのか? 脳外科へ行け」


 早々に前言撤回をする世界。先程と進められる病院が変わっているのもポイントだろうか?


「ありゃ、お前の言葉……神知教の言葉で言うと幽霊だな。最も、自然物じゃあない。誰かに無理やり作られた、低級な奴だ」

「はい?」


 性質の悪い冗談としか思えない、メルヘンやファンタジーの世界の台詞に、向日葵の思考がフリーズする。『幽霊』。『誰かに作られた』。『低級』。


「お前が言っていたんじゃあないか。幽霊の存在は科学的に証明されたとか、超能力者が確認されたとかよ」


 呆然とする向日葵を見て恥ずかしくなったのか、世界は言い訳のように早口で喋りながら、向日葵を背中の後ろに隠す。


「とにかく、アレがここ数週間の事件の犯人だ。誰かが、お前を守るために作り出した蛇のイメージを模した思念だ」

「私を、守るため?」

「ああ」半信半疑の向日葵に、世界は力強い首肯を返す。「何で蛇かは知らんし、お前との関係もわからん。が、とにかくだ。あの蛇はお前を傷つけることだけはしないはずだ」

「私を、守るのが使命だからですか?」

「飲み込みが早いな。ただ、死んだ命に対して『使命』ってのは、戴けないが」


 片方の眉を上げて、世界は振り向かずに右手の親指で向日葵が上って来た階段を指す。


「もう、帰っていいぞ。一兄さんに言えば家に帰れる。後、夜兄に上に来て、と頼んどいといてくれ」

「『帰っていいぞ』って、あんなお化けを見て私が一人で薄暗い階段を下りられると思っているんですか? それに、十分な説明も……」


 出来ていないじゃないですか。と更に事情を聞こうとしたその時、世界の背中が、向日葵の視界から一瞬にして消え去った。


「ム ス メ ニ フ レ ル ナ」


 大蛇の囁きと、ビタンと言う音を夜の墓場に残して。

 

 尻尾ビンタ。技名をつけるならば、そんな感じだろう。


 空中に再び現れた白い大蛇の、太く長いしなやかなその尻尾が、鞭のように世界の側頭部を打ち抜いたのだ。


 攻撃を受けて世界が吹き飛んだと言う事実に向日葵が到達した頃、世界は墓石が倒れるほどの衝撃で頭からぶつかり、向日葵から十メートル以上はなれた場所の石造りの地面に臥していた。卒塔婆が左腕に突き刺さって血を流しているというのに、指の一本も動いてはいないし、呻き声一つ挙げていない。


 死人は、痛がらない。冷徹な印象から向日葵はそんなことを思いもした。しかし世界は生きていたはずだ。血を流しながらも立っていたし、痛々しい傷跡について喋ってもいた。


 しかしその世界はいまや、闇と同化し、ただの背景と化している。


「世界君……?」

「…………」


 重すぎる沈黙を破ろうと、向日葵はその名を呼ぶ。「なんてな」とおどけて立ち上がる世界が浮かぶが、そんな奇跡は起こらず、


「ダ イ ジョ ウ ブ ? ヒ マ ワ リ 」


あの大蛇の声が鼓膜を叩いた。ガラスを擦り合せたような、おぞましい声だった。


「ひゃあ!」


 それを理解した瞬間、ぞくりと背筋に冷たいものが走り、叫びと同時に全身が硬直する。あの、荒事の噂が絶えない――武器を持った十人の不良を一人で相手取り、無傷で勝利したとまで聴かされた世界を、一瞬で吹っ飛ばした大蛇が、今、自分の名を呼んだのだ。


(殺される…………)


 自らの思考が恐怖を呼び、足元から力が抜けていく。がくん。と一瞬で膝が折れ、正面から地面に倒れる。


 が、すんでの所でそれは免れた。


「ア ブ ナ イ ヨ 。 ヒ マ ワ リ 」


 向日葵の身体に大蛇がグルグルと巻きつき、長い尻尾を使い向日葵の変わりにバランスを取っていたのだ。いっそ地面に顔面からダイブした方が、彼女にとってはましだっただろう。その小さな体躯は、満員電車の中のように身体の自由が利かない。


「マ モ ッ テ ア ゲ ル 」


 まったく重さを感じさせないくせに、その存在はしっかりと肌で感じ取れた。その事実が、この生き物には常識が通じないという事を如実に語っている。


 蛇は器用にバランスを取りつつも、向日葵の耳に息がかかる距離で赤い舌をちらつかせ、聞くに堪えない声を出し耳元で囁き続ける。


「ヒ マ ワ リ 。 マ モ ッ テ ア ゲ ル 」


 と。


「嫌あ!」


 向日葵は震えながら叫んだ。

 何で蛇の化け物が自分の名前を知っているか、とか。何故蛇に守ってもらわねばならないのか、とか。疑問は探せばいくらでもでも出てきそうだった。そんなもの、いくらでも後に回しても微塵の問題もなかった。今は、とにかくこの現実から逃れたかった。

 

 涙を堪えて、向日葵は息を吸い、助けを叫ぶ。ここからならば、下で待つ二人にも聞こえるかもしれない。そんな淡い期待を込めて。


『ワ カ ラ ナ イ ノ カ 』


 涙を流しながら叫ぶ向日葵を見て、蛇がゆっくりと喋る。その声は、何故かさびしさが含まれていた。


 蛇は何度も何度もその台詞を繰り返し、向日葵に呼びかける。


 わかるわけがない。知るわけがない。思い当たる節すらない。巨大な白い蛇に守ってもらう理由なんて微塵も……


 否、どこかで、聴いた覚えがある。『蛇』に『守って』もらう、だなんて。たしかアレは、十年以上前の、季節すら覚えていないほど昔の話だ。


『お墓を作ろうか。たしか、白い蛇ってなんかの守り神とか言われない?』

『なんかって何?』

『何でもいいの。あ、そうだ向日葵の守り神にしよう!』


 白い蛇を埋めたときの会話だ。あの時埋めた蛇は間違いなく、真っ白な奇形の蛇だった。


「うそ……」


 そして、この無機質な声にも覚えがある。


「ワ カ ル カ イ ? ヒ マ ワ リ 」


 この声は、嫌悪感そのものとも言える声の奥底には、常に聴いていたくなる温かみがある。忘れることは絶対にありえない。それでいて、もう聴くことができないはずのその声。


 絶対に認めたくはない人物が頭に浮かぶ。


「……お父さん?」


 向日葵の答えに、蛇はきいきい、と不快な音を耳元で連呼する、どうやら歓喜に震えているらしい。


「ソ ウ ダ ヨ 。 ヒ マ ワ リ 」


 ノイズ塗れの父親の声が、耳元で囁く。


「うそ……」

「ホ ン ト ウ ダ ヨ 。ヒ マ ワ リ ガ シ ン パ イ デ シ ン パ イ デ 、 キ ガ ツ イ タ ラ コ ノ カ ラ ダ ダ 。 ケ ン キュ ウ ノ オ カ ゲ カ ナ ? 」

「あ、アバウト……」


 いい加減な発言だが、父親が生前研究していたのはまさに、『見えないもの』だ。この蛇は消えては現れを繰り返しているし、本当に死んだ父親だというのなら、それは二度と目にすることの出来ない存在そのもの。


 そしてなにより自分自身が、この大蛇のことを父親だと認めてしまっている。姿を見れば見るほど、声を聴けば聴くほど、似ても似つかないその容姿も声色も、その全てが父親そのものに見えてくる。『見えない』父親の姿が『見えてくる』。


 見えないものを見ようとした父親の成れの果てが、不可視の存在の研究の果てが、この境地?


「じゃあ、全部、お父さんが……」


 この大蛇が父親だとすれば、世界の台詞から考えられるこの事件の真相は、そういうことだったのだろうか? 世界が先程向日葵を逃がそうとしたのも、そういうことだろうか? 親七功兵の足を折り、鬼頭教諭の車を壊し、堀田雪根の腕を砕き、馬台冬馬を襲った犯人は、新里世界でもなく、海月黒天も一一も関係なく、向日葵の父親、日向天方だった?


 そんな事実が漠然と頭の中に浮かぶと同時に、今現在最後の犠牲者である世界の事を思い出す。大蛇によって打ち倒され、未だに立ち上がることも出来ない、白髪の彼を。


「私のせいだ」


 被害者の共通点である向日葵が犯人。その通りだった。結果を見ればほぼ同義だ。


 日向向日葵に害する存在を、日向天方が罰する。


 思い返せば、世界は毎日のように体調不良を訴えていた。あれも父親としての意識が、世界を襲っていたのかもしれない。


「私のせいで……皆が」

「ヒ マ ワ リ イ ツ モ ミ タ イ ニ ワ ラ ッ テ ク レ 」


 蛇は向日葵の意思を無視して、そんな事を言う。


 優しかった父親は、影もないのに、その口調だけはどうにも父親そのものだった。それが、父親を尊敬していた少女には何よりも耐えがたかった。


「世界君が」


 父親だった蛇からの、何度も何度も笑顔を要求されるのを無視して、倒れる世界に目を向ける。あれから、ピクリとも動いていない。頭を強くぶつけたことを考えれば、十分に最悪の展開もありえるだろう。


その為には、まずはこの蛇から離れてもらわなければならない。何とか自立で立ててはいるが、拘束は緩まず、自由はない。


まずは、この拘束を解かなければ。


「お父さん」


 覚悟を決めてその蛇を父と認め、向日葵は無理やり顔面の筋肉を使って笑顔をつくる。出来損ないの粗悪品だっただろうと自分でも実感できる笑みだったが、蛇はきいきいと鳴いて喜んだ。


「お父さん、放してください」


 笑顔を維持したまま、落ち着いた声が口から吐き出される。すると、拘束が尻尾の方から徐々に解放されていく。自分を理解してくれたことがよほど嬉しかったのか、きいきいと不快な音を鳴らし続けている。


 十秒もかからず向日葵の身体からそれは離れ、舌を動かしながら饒舌に語る。


「カ エ ル カ ? ソ レ ト モ シ タ ノ オ ト コ タ チ モ … … 」


 深く裂けた口端を上げて、剣呑なことを危機と語る。その姿に唇を噛んで耐える。


「世界君! 大丈夫ですか?」


 父親だったものを無視して、向日葵は世界の元へと駆け寄る。


 世界が、父親のせいで死にかけている。一刻も早く世界を病院に運ぶ必要がある。


 たった今、最も真剣になるべきはここだ。


 向日葵が一番怒るべき所は、そこだ。


制服は見る影もないし、髪の毛は血で汚れ、右手が折れ、卒塔婆が深々と突き刺さっているということだけだ。


「きゃあ!」


 そんな向日葵の焦燥を無視するように、世界の元まで五・六メートルといった所で向日葵の身体に再び蛇が絡みつく。何故、拘束を解くときは時間をかけるくせに、現れるのは一瞬。いかなる理由からだろうか。


「邪魔です! 放して下さい!」

「ナ ゼ 。 ア イ ツ ハ オ マ エ ヲ コ ロ ス キ ダ ゾ 」

「お父さんは世界君を殺す気ですか!」


 先程よりも拘束が弱いのか、向日葵は顔を赤くして身体を捻り何とか脱出を試みるが、うまくはいかない。いっそ転がって行こうとも考えたが、意図的にこけることもできない。


「オ マ エ ヲ マ モ ル 」

「いらないって言っているのですよ! この馬鹿親父!」


 『親父』も『馬鹿』も初めて父親に向かって使ったが、意外なのか当然なのか、特別な感情は一切生まれなかった。ただただ、憎しみを込めただけだった。


 が、父親である大蛇はそうでもないらしい。その言葉を聴いた途端、ずるりと拘束が解け、白い大蛇は赤い瞳で娘と世界の頭を交互にせわしなく視線を送り、明らかに動揺を見せた。


「ナ ゼ ナ ゼ ナ ゼ ナ ゼ ナ ゼ ナ ゼ ナ ゼ ナ ゼ ナ ゼ ナ ? 」


 壊れたスピーカーの方がましと思えるノイズを撒き散らしながら、大蛇は、父親だったらしいそれは、娘に向き直る。その醜悪な声と目に見える狂気に、向日葵は思わず顔をそむけてしまう。が、一瞬も待たない内にそれは視界に再び現れる。向日葵の身体を長い胴体で拘束し、今回は首もしっかりと固定され、世界に対して顔だけ右を向いた姿勢で、白い大蛇と向日葵の瞳がぶつかりあっていた。


「ワ タ シ ハ 、 ヒ マ ワ リ ヲ マ モ ル 。 オ マ エ ヲ キ ズ ツケ ル モ ノ ハ 、 タ ト エ ダ レ ダ ロ ウ ト バ ツ ヲ ア タ エ ネ バ ナ ラ ナ イ ノ ダ 。 ア ラ ユ ル ザ ン コ ク サ カ ラ マ モ ッ テ ア ゲ ル カ ラ 、 ア ン シ ン シ テ 」

「そんな理屈知りません! 世界君は、私の……」

「ア イ ツ ハ テ キ ダ ! コ ロ サ ナ ケ レ バ 」

「殺させません!」


 向日葵が吼えたその刹那、大蛇の締め付けが強まる。否、強まるという段階ではなく、すでにそれは攻撃とも言えた。骨が折れたことはないが、間違いなく折れてしまうと確信しできてしまう圧力。肺の中の空気も全て吐き出され、締め付けによって水中でもないのに息が吸えない。必死に口を動かし、この事態を大蛇に伝えようともしたが、


「チ ガ ウ チ ガ ウ チ ガ ウ チ ガ ウ チ ガ ウ チ ガ ウ 」


 発狂したように否定の言葉を咆え続け、すでに向日葵の事など眼中にない。


 蛇にとって守るべき向日葵とは、手の離せない娘のことであって、親の言分に逆らうこの少女は、娘等ではない。この身体になった代償なのか、それとも、人間とは元々こういった生き物なのだろうか? 利己的な愛情の塊。それが大蛇の正体だった・


 変貌した様子を眺めながら、痛みと酸素補給への要求を受け続ける向日葵の脳は、



「うらやましいな、向日葵」



 愉快そうな声を聴いた。


「ナ ニ ? 」


 その有り得ないはずの声に、大蛇が首を凄まじいスピードでそちらに向ける。同時に向日葵に対する締め付けが緩む。自由になった首を蛇と同じ方向に曲げる。


 向きは、身体に対する正面。そこにいる人物は、彼しかいない。


「いいねえ。俺は親父に抱きしめてもらったことなんてないぜ?」

「うそ…………」


 そういえば、大きな謎が一つ残っていた。


「お袋にも、当然ない。俺は忌み子だったからな」


 世界の怪我だ。今夜初めて顔を合わせた時、目は片方潰れていた。顔には青痣があり、右手の親指は折れていたはずだ。しかし、折れた指で、人の首を絞めることなど出来るのだろうか? その右手の手首を粉々に砕かれた直後に、笑いながら、大蛇を腕から引き剥がし、墓石に叩きつけることなんてできるだろうか?


「もっとも、向日葵親父。今は、あんたが嫌われているみたいだがな」


 そんな大怪我を負ったはずの人間が、向日葵と大蛇の目の前で立ち上がり、笑っていた。


「せ、世界君?」

「ナ ゼ タ テ ル ? 」


 思い返せば先程顔を合わせたときには、既に両目とも緋色が灯っていた。当たり前のように顔は真っ白な病人色。両腕も破れた学生服から健常なその姿をのぞかせている。


「なるほどね。父親の魂……夜兄の言葉を使わせてもらえば、イデアだっけ? を利用したわけか。日向向日葵という人間を守る役目に、これ以上打って付けの人物もいないだろう。蛇ってのも、歪んだ愛情に相応しい」


 破れた衣服や身体中に砂や土が付着し、卒塔婆が刺さっている事を除けば、新里世界に異状は見えなかった。


「…………」


 そう言えば、そんな噂があったことを向日葵は思い出す。


 例えば、「ナイフが刺さったのに笑っていた」


 例えば、「潰れた右目が直っている」

 

 思い返せば、そんなことを言っていた事もあった。


 例えば、「俺は、本当に死ねるか心配なんだよ」


 だから、願っていた。

 

 たしか、「無事に死ねますように」と。


「もしかして……」


 向日葵が目の前で起こっている事象の答えに到ると同時、

 

「キ サ マ 、 マ サ カ ! 」


 神知教第七・第六研究街二つの研究室の室長を勤めた日向天方の記憶が、そう叫んだ。


 見えないものを見る研究で、その種類の人間の協力を得たことがあった。ある一人は自在に空気を操り、中空を歩いて見せた。ある者は信号機を素手で引き抜き、百メートルの投擲をして見せた。極め付けには雷雲を纏い、研究施設を丸まる一つ消滅させたものまでいた。


 異状な力を持った異端者たち。


 全員が全員、どこかが破綻していて、何もかもが狂った人外。


 新里世界が目の前で放つ気配は、決して社会に馴染むことのない彼らに酷似していた。


 そう言った、人間の能力を超えた能力を持った人間のことを、神知教では単純明快にこう呼ぶ。


「…………死なない人間?」

「フ シ ノ ノ ウ リョ ク シャ カ !」


 超能力者と。


 親子の驚愕の声を聴き、世界は左腕から卒塔婆を抜き取る。鮮血が噴出すが、その刹那。卒塔婆が突き刺さっていた孔は一瞬も待たずに塞がり、白髪の悪鬼の右手の中で卒塔婆が粉々に握り砕かれる!


「その通り! 新里家の忌み子。墓場生まれの地獄育ち。百万回死ねない男。不死に不老に不滅の矛盾。《地獄期間》の新里世界さんだ」


 さあ、覚悟は出来たかい?


 世界の顔から笑顔が消える。憤怒も、愉悦も、同情もない、まっさらな表情。


「まずは、向日葵から放れろ。親馬鹿」


 言うが早いか、世界は五メートルの距離を一足跳びに縮め、再び大蛇の首の下を握り絞める。


「ム ダ ダ ! ノ ウ リョ ク シャ ! 」


 が、それだけでは何の意味もない。大蛇は余裕たっぷりにそう呟くと、自らの姿を消すことで世界の魔手から逃れる。どうやら、現れるのも消えるのも自由自在のようで、向日葵から離れる時の動きはただのイミテーションだったようだ。


「確かにな」


 大蛇の台詞にニヤリと笑うと、世界はその場で飛び跳ね、荒々しい廻し蹴りを背後に放つ。と、打ち合わせたようなタイミングで、大蛇の顔が現れる。空を轟と震わせ、その蹴りはそのまま大蛇の首を薙ぎ、墓石へと蹴り飛ばす。


「グ ガ ア !」

「消えようが消えまいが、無駄だったみたいだな」


 とんとん。と、右、左の順で着地を決めると、世界は右手の人差し指を突き上げる。


「ッ ! ? バ カ ナ !」


 墓石にぶつかったダメージに頭を振りながら、大蛇の姿が闇に溶ける。


「わかってないな。人間の『能力』を『超』えているから『超能力』だ。後ろだろ?」


 懲りずに背後に回った大蛇の顔面に、世界の肘が炸裂する。相手の攻撃を察知していなければ出来ないカウンター。


「~ ~ ~ ~ ッ ! 」


 せめてもの抵抗と言うわけではないだろうが、悲鳴をあげずに蛇は地面にのたうちまわる。


 その隙だらけの時間を、世界が逃すはずがなかった。

 

 容赦なく蛇の顔の付け根を右足が踏みつける。その衝撃に足元の石畳は抉れ、礫が飛び散る。小さなミサイルが落ちたと向日葵に錯覚させる一撃は、大蛇に悲鳴すらもあげさせない。更に、尻尾を使った抵抗が出来ないようにと、胴の中心も抜け目なく左足で押える世界。蛇の口からはただただ真っ赤な舌のみが零れ落ちている。


「俺を殺そうとして実体を持ってシャシャリ出てきたのが失敗だったな。現実に存在するんなら、姿を消そうが現そうが、俺には関係ない。」


 蛇を踏む足に更なる力を籠める。大蛇は何度も何度も消えて距離を取り、体制を立て直そうとするが、それがなせない。台詞とは裏腹に、世界にはもう姿を消させる気もないようだった。


「もう、この世から消えるんだからな」


 そんな事を平然と言うと、ゆっくりとした動作で蛇の尾を掴み、


「ぶっちーぃぃぃっ!」


 力任せにそれを引っ張りあげる。ぶちぶちと繊維が一つずつ千切れる音が周囲に響き、その音の終焉とともに、向日葵の目の前で、父親の胴体から尻尾が切り離される。


「GUWWAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!」


 大蛇の引き裂かれた口をさらに引き裂くように大蛇の咆哮が夜空を揺らす。どうやら、幽霊も痛みを感じるらしい。否、魂そのものを千切られた痛みとなれば、霊魂以外では体験し得ない究極の激痛だろう。質量すら持っていそうな叫びに、向日葵は思わず目を瞑る。その時に見えた、世界の手の中でビチビチと跳ね回る尻尾の、無理やり作られた切断面からの出血はまったくなかった。それこそが、それをこの世のものではない証明に思え、瞼に入る力を更に強める。


「まだ死なないのか……あんた、本当は蜥蜴じゃあないのか?」


 叫びは、目を閉じて数秒もしない内に終了し、直後に世界の驚嘆が上がる。半分に千切られた身体を左右に振り、誇張のない必死さで世界の足の裏から逃げ出そうと躍起になっているのだ。そんな様子を見て、銀髪はニヤリと笑みを深くする。


「人間以外の退治の仕方は知らねーからな。動かなくなるまで、ぶつ切りにしてみるか」


右手の大蛇だった尻尾を墓石の向こうに放り投げた世界は、足元のもう半分の大蛇の頭を鷲掴みにして、目線まで持ち上げる。そして、ゆっくりとした動作で、大蛇の下顎を、親指と人差し指の腹で挟み込み、それを引き抜いた。


「GUWWAAAAAAAAAAA「やかましい!」


 下顎を失ってもなお、痛みに叫びを上げる手の中の大蛇に一括すると、世界は力任せにそれを叩きつけ、自らの掌と地面で挟み込む。力任せな動きで繰り出すそれは、誰が見ても決定打だった。蛇を踏み砕いた蹴撃がミサイルならば、今回の一撃は流星を思わせた。人知を超えた存在が成す、極上の一撃。世界の手の中にはもう、大蛇の感触はなく、冷たい地面の温度だけが掌の感覚を全て埋め尽くしていた。


「相手が悪かったな、向日葵親父。あんたを、無期限の『地獄期間』に招待するぜ」


 静寂に包み込まれた墓地に世界の決め台詞が響き、


「いやあぁぁぁっ!」


 絹を裂くような悲鳴がそれを上書きした。


「って、まだ体力あるのな」


 勝利の余韻に浸ろうとしていた世界は、それをぶち壊した声の主の事を思い出す。帰れと言ったのに、何でいるんだよ。しかし、自分を心配して残ってくれたのだろうから、そこを責めるわけにもいかない。しかも、目の前で父親だった大蛇を蹴り飛ばしたり、踏みつけたり、引きちぎったりしたのだ、悲鳴ぐらいあげても仕方がないと言えば仕方がない。と、言うか一体この状況をどうしようと頭を抱える。何から説明すればいいのかも検討がつかない。


 そんな事を考えながら振り向いた世界は、向日葵の姿を見て苦笑する。


「ム ス メ ハ ワ タ サ ナ イ ィ ィ ィ ッ ! 」


 そこには、千切れた尻尾で愛娘の首に巻きつく親父がいたのだから。


「ったく、子離れできない父親ってのは、こうもしぶといかね」


 マフラーより短い千切れた身体で、大蛇は低い唸りをあげる。どうやって声を出しているのだろうか? 理由や原理はわからないが、その姿は滑稽で、一枚の絵画のようなシュールさを放っていた。


「タ チ サ レ ! 」


 その異質なモノが世界に向かって吼える。赤い瞳があれば、突き刺さるような視線を感じただろう。


「この世から立ち去れよ、あんた」


 絵面が間抜けすぎて、今一真剣にはなれない世界は軽口を叩く。もう既に、全身の三割も残っていない尻尾だけの存在には、とてもじゃあないが負ける理由が見つからない。さっさと止めを刺して、ちゃっちゃっと帰ろうと一歩を踏み出したその時、


「ぎゃう」


 向日葵の口から小さな悲鳴が漏れる。


「タ チ サ レ ! サ モ ナ ク バ 、 ム ス メ ヲ コ ロ ス 」


 大蛇は自分の守ろうとする者の首を締め付け、人質に取ったのだ。その予想外な行動に、


「くっくっく。最高だよあんた! はっはっはー! そう来るか親父さんよ」


 世界は身をよじって、顔を抑えながらこれ以上面白いモノを見たことがないと言わんばかりに大口を開けて笑い声をあげた。


 哄笑と呼ぶにふさわしい、明確に笑っているとわかる笑い方は、きっと彼の姉や近しいものが見ても珍しいものだっただろう。当然、向日葵にとっても、声をあげて破顔する世界は印象深いものだった。


「その、世界……君?」


 だったが、その希少とすら取れる笑顔よりも、向日葵はどうしても足元に目がいってしまっていた。


「なんで……こっち、に、歩いて……くるの、で……すかね?」


 世界の足は、ゆっくりと自分に向かって歩いてきているのだ。ガチガチと歯の根もかみ合わない向日葵は、自らの首を絞める父親の切れ端を指差す。


「わ、たし。殺しゃれそ、うなんですけど」


 意味が正確に伝わるか不安になる、抑揚が付きすぎた涙交じりの言葉に、


「安心しろ。その前に俺がそのクソッ垂れを成仏させてやるよ」


 目の前の青年は湖面のように平坦な声で答えた。先程までの高揚した雰囲気は霧散し、何事かと目線を上げると、白髪の青年が怒に顔を歪めていた。


「娘を守るために娘を殺そうだなんて、最高の冗談だ」


 全く笑えないことを冗談と揶揄しながらも、絶対の憤怒を纏いながら世界は向日葵の首に巻きつく白蛇の成れの果てを鋭く睨みつける。その視線に溜まらず向日葵は目線を下げる。定まらない視線を動かしているうちに、世界の右足に靴がないことに気が付いた。先程の攻撃の際に吹き飛んだのだろう。ズボンの裾もボロボロになっていた。


「見ろよ。向日葵。お前を守るために幽霊になったって言うのによ、今じゃあ、我が身可愛さにお前を殺そうとしてんだぜ? 笑っちまう」


 最後にそれを吹き飛ばすように鼻で笑い、世界は両の拳を一旦強く握り締め、それをゆっくりと開く。


「俺は、そういうのが絶対に許せない」


 平坦な声のまま、世界が一番近い墓石に蹴りをぶち込む。蹴撃を受けた墓石の上半分はそれだけで原型を留めることができなくなり、バラバラに砕け散った。


 目の前の出来事に驚く向日葵の首元で、ぶるりと白蛇がおののく。


 世界の声の平坦さは、湖に喩えるほど穏やかなものではなかった。それは表面張力とでも嵐の前の静かさとも取れる。水が溢れる寸前、惨劇の前兆、必死に怒りを抑えているだけに他ない。きっと、彼の過去に原因があるのだろうが、そんなことを向日葵が考えるも早く、


 世界は動いた。


「え?」


 動いたと思った時には、先程まで正面にいたはずの世界が真横に無表情で立ち、その手の中には蛇の尻尾が握られている。それを見て、首元から蛇がなくなったという事実に遅れて気が付く。


「残念だったな。親父さん」


 一つもそんな気持ちを込めずに、世界は邪悪に笑う。


 向日葵の父親だった元凶を真上に放り投げる。


「あんたは、もう父親でもなんでもない」


 宙に投げた大蛇の尻尾が重力に引っ張られるのを確認しながら、自らの長い足を世界は真っ直ぐに天に向かって伸ばす。


「俺と同じ、バケモンだ」


 踵と尻尾の位置が重なったとき、世界の健脚がギロチンの無骨な刃と化す。


 カカト落とし。


 その名を耳にしただけで、どのような技かわかってしまう単純な技名。


 が、超能力者としての異端した膂力と、不死として衰えることのない筋力。二つが合わされば、『振り上げて下ろす』それだけの動作が一撃必殺。


 世界の踵が白蛇を撃ち、そのまま地面めがけて振り下ろす。


 地上百八十センチから地面までの距離を、白髪緋眼の悪鬼の足と共に急降下。恐らく、刹那にも満たない時間で、それは墓地の冷たい地面と共に砕かれ、この世を去るだろう。


「二度と現れるな、


「向日葵……幸せにおなり」


 クソ……親父?」


 その一瞬にも満たない時間に、そんな声が確かに聴こえた。ノイズもない、聴く者に安らぎを与える穏やかな暖かい声を。


 だが、世界の足は言葉では最早止まらない。彼の意思ですら止めることなど不可能だった。


 踵と、蛇と、地面が同じ座標に重なる。


 轟。と足元が爆ぜ、礫が風を切りながら四散し、真っ白な肉片が爆心地でさらさらと空気に溶け出す。


 そこまでが一瞬だった。


「…………」「…………」


 敷石の破片が二人を襲うが、両人とも声も出ない。


 最後の台詞は、幻聴でもなんでもないことが理解できたのだ。


 阿呆みたいに口を開けて、世界は消えていく向日葵の父親の尻尾を眺める。これでは、まるで自分が加害者の気がして、後味が凄まじく悪かった。


 最後の一瞬になって、父親としての理性が戻ったのだろうか? それとも、最初から最後までずっと正気だったのだろうか? 冷静になって見れば、向日葵を守るための存在なのだから、向日葵を殺せるわけがない。あれは、世界を退かせるための演技だったのだろうか。


 きっと、後数十秒も、あの蛇は存在できなかったのだろう。命を賭けた、白蛇の行為に対して自分は勘違いをし、おまけに昔と重ねて激昂してしまった。挙句、『クソ親父』と暴言まで。時を置けば置くほど、あの大蛇の行動の真偽と、自分の拙い発言が頭の中を羊の群れのように駆け回る。どうせなら、罵倒して消えていってくれたほうが良かった。嵐ならこんな気持ちにはならないだろう。下の二人ならどうだろうか。自分の行動は正しかったのか。後悔とも言い訳とも取れるような事を考える横で、


「……お父さん」


 日向向日葵は静かに泣いていた。


 父を二度失った悲しみか、父に殺されかけた恐怖か、それとも最後の言葉か。もしかしたら脛に当たった礫が痛かったのかもしれない。


 世界が彼女の泣く理由を知ろうとしない限り、その涙の意味はわからないだろう。


 そんな情けない世界にわかることはたった一つの事実だけ。


「あーあ。俺が悪役みたいじゃないかよ」


 白蛇に対する様々な推察。自分が犯したミス。ちょっとした後悔。罪悪感から逃れる言い訳。


 そんな考えは、有象無象だった。


 隣の小さな少女の涙よりも遙かに価値がない。


 最初の最初、自分は誰のために傷つこうと決めて、何の為に戦おうと思ったのか。


「はあ、正義の味方も楽じゃあない」


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