真実の蛇 ③
迎えの車は、オープンカーだった。日が落ちてしまい、電灯の明かりで車体の色はわからないが、無駄のない流線型のデザインはシャープで、左側の運転席に座る男の顔から受けた印象にピッタリだった。
男の顔は、先程頭に浮かんだ顔そのもの。十中八九の人間が一目ぼれしてしまいそうな、反則的な造形。
「君が向日葵ちゃんだね? 僕が一一だよ。さあ、乗って乗って!」
その端正な顔立ちに似合わず、間延びした物言いが、若干以上に、凶悪なくまと同じくらいに、その容姿の美点を台無しにしていた。イメージ的には、立ち姿がシュッとする英国紳士みたいな人かと思っていたのだが、着ているシャツはしわが目立ち、何故か白衣を着ている。顔だけで見るのと、全体を見るのでここまで印象に差がある人間も珍しいだろう。
そのチグハクさに曖昧に頷きながら、助手席に座り、シートベルトを締める。初対面の人間が運転する車に乗るなんて自分は不注意だなと思う反面、運転する一を疑う気持ちは起きない。
「ふふ。君は、素直でいい娘だと言われないかい?」
アクセルを踏んで、車が進み始めて暫くすると、一が向日葵の方を向いてそんな事を言った。横目で、などと言うレベルでなく、完全に正面から目を離し、ティータイムでもはじめそうな気の抜けようだ。
「ちょっよ、前見てください! 三叉路ですよ!」
「その反応、やっぱり。君はいい娘なんだろうね」
慌てて叫ぶ向日葵を楽しそうにながめ、前を見ずにハンドルを左に切る一。車は、教習所で習うお手本のように三叉路を左に曲がる。
「脅かす甲斐があるよ。君みたいな娘はね」
車二台分の幅のある車道だとは言え、一は一切前を見ることなく、車を走らせる。スピードはどんどん上がっていき、レースゲームの最短ラップを目指すようにコーナーを鋭く曲がる。対向車が来ても、正面を見ることもなく、危なげなく、問題なく道の端に寄っていく。
「……この車、神知教製ですか?」
たった今、自分が体験している事象の説明が一番つきそうな答えがそれだった。あまりにもありえない状況は、一の技術ではなく、この車そのものの性能だろう。精密な地図をカーナビにインプットし、コンピュータで走らせる。向日葵は聴いたこともない技術だが、荒唐無稽と言う程でもない。
「おお? そうだったね。君の御父上は、あの日向さんだったね。確かに、口元が似ているね」
腕を組んで、自分の足元に視線を落とす一に向日葵は焦りを覚える。前方の信号機が黄色い点滅を繰り返しているのに気が付く様子がない。
「前!」と短く向日葵が叫ぶや否や、オープンカーは更にスピードを上げる。
「大丈夫、あそこ、車は滅多に通らないから」
そんなことを、未だに前も見ない一が横で呟く。悪いが、台詞に説得力は微塵もない。ついでに、信号は完全に赤に変わり、いつ車が走りだしてもおかしくない状況にお膳立てされている。
「イヤー! 死ぬぅ!」
高速道路でしか出してはいけない領域まで速度を上げた車は、信号を完全に無視して交差点を過ぎ去る。もう、信号無視云々よりも、オープンカー故の、身体で感じる風に向日葵は泣きそうになる。
対する一は手の平を叩き、満面の笑みを浮かべる。美しい顔に狂気が混じっているのを見た。
「お願いします! スピードを落として下さい!」
「いやいや、それはできないよ。世界君の為にも、なるべく早くしなきゃ」
その言葉に、向日葵は喉を詰まらせる。
「何処に行くのですか?」
「秘密。でも、後、三分一七秒で着くよ。誤差は五秒以内かな? あと、これは確かに神知教のものだけど、単純に水を燃料に動くポンコツだよ。でも、デザインも気に入ってるし、いざとなったら簡単に飛び降りられるでしょ? だから好きなんだよねー。良いでしょ?」
あっさりと車の出自をばらす一。飛び降りる発言は冗談だろうが、今言った台詞が本当なら、一が前を見ない理由や、一体どうやってこの車を持ち出したのかも謎に包まれる。
「確かにぼくはあそこの研究員だけどね」
両手を挙げて、シートに持たれ、目線はやや曇りがちの夜空へ。
「せめてハンドルは握っていて下さい! お願いします」
運転を舐めているとしか思えない運転手に、心の底から懇願すると、ハンドルの上に右手の人差し指と中指だけが乗った。これで十分らしい。良い子は真似しないでね。架空のテロップを一に教えてやれ。
「向日葵ちゃんのご要望に答えられるほど、ぼくは凄い人間じゃあないよ。ぶらぶらと色んな研究街に飛ばされる、下っ端の中の下っ端さ」
そんなわけはない。神知教は専門分野事に分けて工場や施設を集め、街を作り上げるような先端技術を追い続ける異端者の集まりだ。ちょっと齧った程度の知識など役に立たない。そのため、研究所に入ってから、部署を移動するだけでもかなりの珍事になる。そして情報網も整備され、大抵の資料はネット上で取り寄せられる。リモートコントロールで操作できるアームを使って複雑な手術すらこなす。物理的な距離なんて、意味をなさないのが常識だ。そんな中、街を移動するなんて、トップクラスの実力を持っていなければあり得ない。
その事を言っても、「お茶を淹れるのが上手いからね、ぼくは」と嘯き、真実を語る気配はない。あくまで、黒天に頼まれたから迎えに来た一般人だと言い張りたいらしい。白衣を私服のように着ている時点で、それは無理だと言ってやりたい。
「そんな事より、もうすぐ着くよ」
追求と悲鳴をしつこくあげる向日葵に、そう言って強引に話を打ち切る。車のスピードがドンドン落ちていくのを目と肌で感じながら、向日葵は目的地をようやく理解する。話に夢中になっていたので気がつかなかったが、改めて通ってきた道を思い返せば、ここしかない。
初めて世界と会った日に猫を埋めたあの墓地だ。あのボロボロな東屋も当然健在で、星空のようなスーツを着た男が腕を組み、その中で二人の到着を迎えてくれていた。
「早かったな」
「そう? 誤差の内だけど二秒くらい遅く着いちゃったみたいだけど」
運転席に座ったまま、腕時計を叩く。それを見ると黒天が目を大きく開いて、ポケットから懐中時計を取り出し、呆れたように呟く。
「出発前に言った到着時間は、冗談じゃあなかったのか」
「ぼくは、嘘も言うし、他人を騙すけど、冗談は口にしないよ」
それ自体が冗談としか思えないことを口にして、一はニヤリと笑う。
車内の時計を見れば、一が言った通り、三分の時間が経過していた。流石に秒数まではわからないが、間違いなくアレから三分一九秒経過した時に到着したのだろう。
「適当に言っただけだったけど、案外いい線だね」
シートを後ろに倒しながら、それが当然だと言わんばかりに一は、未だに助手席に座る向日葵にウインクをする。身長に対して長目の足を組み、子猫を追い払うように掌を動かす。
「ぼくの出番はここまで。後は、向日葵ちゃんが一人で上の墓地に行って、世界君と話して帰ってくる。それだけだよ。」
帰りは、二人で降りてくること。
向日葵は小さく頷き、ゆっくりとオープンカーのドアを開け、「ありがとうございます」と一に一礼する。
「ふふふ。どういたしまして」
「後、黒天さんもありがとうございます」
「私に礼は不要だ。暇だから付いてきただけだから」
先日切ったはずの髪の毛がもう瞼の辺りまで伸びた黒天にも頭を下げると、そんな返事が返ってきた。冗談でも言って欲しくなかった。
「いやいや、黒天君がいなかったら多分、向日葵ちゃんは来なかったよ」
一もその発言は不謹慎だと思ったのか、シートから上半身だけを起こして、笑いながら黒天を労う。確かに、この一から電話があったとしても、事の重大さが伝わってこず、妖しさだけが顕著になりそうだな、そんな失礼なことを思った。
「黒天君の声だから、向日葵ちゃんは電話に興味を持ったし、ぼくに対する警戒を解いた。ぼくこそおまけさ。何なら歩いてでもこられない距離じゃあない」
お互いに自分はただのおまけだと言い張る。
その意味は、向日葵にも簡単に理解できた。
「それにコレは世界君と向日葵ちゃんの物語だから」
つまり、それだけのこと。
「そうだな。私たちはエキストラにもなれない裏方だ」
コレは、私と世界君の問題であって、二人はたまたま居合わせただけだ。瞼を一度落とし、ゆっくりと開いて覚悟を決める。
「行ってきます」
声は震えていたし、膝も笑っている。今朝の傷は確かに残っているし、直し方もわからない。
それでも、向日葵はぶれる事なく真っ直ぐに走り出した。小さな身長で、階段を一段飛ばしに、駆け上がる。
「いってらっしゃい」
「武運を」
階段を上っていく背中に、二人は笑顔を向ける。全てを知っていて、何も話さない、言いたくて仕方がないのに、驚く顔を見るために黙っている。そんな、意地の悪い笑顔だったことに、階段をかけ上る向日葵が気づくことはなかった。




