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地獄期間 ~地獄に咲くは向日葵~  作者: 安藤ナツ
【四月二十二日】

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真実の蛇 ②

 一週間に二度も学校をサボるのは初めてだった。


 制服のまま、髪を縛るゴムだけを外して布団から上半身だけ起こした向日葵は、祖母が再び買ってきたバナナの皮を剥きながら、眠っている間に止まった涙の後を、額に置いてあった濡れタオルで拭う。


 あの後、世界が悠然と教室を出て行くと、緊張の解けた向日葵の両足は言うことを利かなくなり、その場で情けなく泣き崩れた。嗚咽を繰り返す向日葵に何人かの女子生徒が近付き、必死に慰めようと言葉をかけ、寝坊したと言い張る涼が忍と共に登校する頃には、何とか会話を出来るレベルまでには泣き止んだ。異常事態発生に戸惑う委員長に、遠巻きで会話に聞き耳を立てていた野次馬がさわりを話し、涼はその話の信憑性を真っ先に疑った。あの新里君がそんな事をするわけがない。と言い張るが、向日葵が泣きながら話すのを聴いて、真実だと理解した。忍も口を間抜けに開け、この場の誰よりも驚愕を顕にしていた。


 余りにも酷い泣きっ面の向日葵は、適当に言い訳をでっち上げ早退してきたのだった。帰りの電車に乗っても涙は止まらず、人々の奇異な物を見る視線を無視して我が家に辿り着き、祖母に事情を話し、そのまま布団に入ったのが九時ごろ。時計を見れば今は十九時。実に十時間も寝てしまっていた。泣き疲れてぐっすり眠ったおかげか、頭の中はすっきりとしていて、赤ん坊と同じ、泣いて寝るだけの一日も悪くはないかもしれない。


 新里世界の件がなければだが。


 すっきりと晴れた頭の中で、あの時の事を思い出すが、特に感慨もわかない。多分それは、防衛本能なのだろう。きっと、心のどこかの回線が切れていて、今の自分なら何を見ても笑うことしかできないだろう。冷静にそう思える自分が滑稽に思えて、バナナを食べている口の隅が少しだけ上昇する。


 一本目のバナナを食べ終え、二本目に着手する。三口で食べきると喉が渇いたので、バナナの横に置かれたパック牛乳にストローを刺す。牛乳は栄養満点だからと渡されたものだ。生ぬるいし、一体何基準で満点なのかもわからないが、最低限喉は潤った。昼食を抜いた事も手伝って、まだ満腹には程遠いが、流石に三本も食べるのには抵抗があった。


 なんとなく深呼吸をして、


「うわーん」


 泣いた。

 

 そんな都合よく心が麻痺するか! 悲しいのじゃ! と一分前に笑っていた自分に向けて枕を投げつける。もちろん、過去の自分にぶつけられる程、向日葵は器用ではない。枕は襖に当たるだけだった。


 一通り泣き終わり、鼻をすすりながら、たった今、自分が抱いた感情に疑問符を浮かべる。


「悲しい?」


 朝、教室で泣いたときは、そんなことを考えもしなかった。世界の台詞は許せるものではなく、それを許した自分が許せない気持ちは当然あった。自分の信頼を裏切った行為には、怒りも怨みも覚えている。当然、裏切られた悲しみもあるだろう。公衆の面前で恥も外聞もなく泣き喚いたのだ、そんなこと、怒り恨みでは出来ない。悲しいからこそ、大泣きしたのだろう。


 だけど、おかしかった。


 どこか、違和感だった。


 涙と一緒に世界に対する怒りが消えたとは思えないし、裏切られたショックも癒えていない。それでも、自分は悲しんでいる場合じゃあない。今は何故か、そんな考えが頭にあった。


 では、自分はどうするべきか? 


 決まっている。


「会わなくちゃ」


 今すぐにでも世界に会って、確かめる必要がある。


 昼の言葉が本心から、嘘偽りない発言だったのか。


 馬鹿馬鹿しいだろう。向日葵の心のどこかでは、世界を信じているのだ。おめでたい頭をしていると我ながら思いもするが、世界は優しい人間だと疑わないのだ。


 濡れタオルで痛みを感じるくらいに顔を強く擦り、布団から抜け出し、部屋の明かりを付け、鏡台に座る。化粧はまだ必要ない(童顔で、身長も低いので背伸びしているようで嫌だった)と思っているので、使う機会は髪をツインテールに縛る時だけ。つまり、今だ。


「右よし! 左よし!」


 鏡に映る完成した頭部を指差し、お気に入りの髪形を確認する。父親が不器用に結んでくれた、思い出の髪型。母親は対抗して同じ髪型にして、『それはないよ、お嬢様』と言われて真剣にへこんでいた。自分が唯一、母親に勝てた思い出ででもある。


 大好きだった……今も尊敬する両親が、この髪型に宿っていると勝手に思い込み、縁を担いでいるのだ。


 携帯電話を手にし、出発の準備が完了する。完成したのだが、一つ問題がある。世界が住むマンションまでは山道を三十分以上歩く必要があり、もし世界は家にいないとなったら、自分の行動は徒労に終わる。つまり、事前に所在を確認する必要がある。つまり、電話かメールで連絡を取る必要がある。つまり、向日葵から連絡をしなければならない。


 手に握る携帯電話を見て、電話をかける自分を想像する。


「うわー、無理。絶対不可能。気まず過ぎる!」


 独り言は丁寧語じゃなくても良いらしく、割と若者っぽく、頭を抱えて叫ぶ。一体どんな面を下げて、何を言えば良いのか全然わからない。自分に非がないとは言え、『馬鹿野郎』発言もしてしまったし、生まれて始めてのビンタもある。アレだけの事をしておいて、「話をもっと聞かせて欲しいので、駅裏まで来てください」なんて絶対言えない。


 身を捩りながら、電話をかけるか、直接マンションに向かうかの葛藤を繰り広げている向日葵の手の中で、


『~~~~♪』


 携帯電話のスピーカーが鳴った。涼に勧められた若者向けのバンドの新譜。そのサビの部分だった。


 電話の相手は……


「電話……世界君?」


 ディスプレイに表示された番号と名前は、一回も電話に出ないことで有名な世界だった。それにしてもタイミングが良すぎる。今まで一回もかけてこなかったくせに、このタイミングだ。盗聴器でも仕掛けられているのでは? 思わず部屋の中を見回してしまう。


 盗聴器を見つける訓練を受けたことはないので、それも早々に諦め、手の中でサビのフレーズを繰り返す携帯電話の対処を考える。出るべきか、無視をするか。


 決まっている。


 通話ボタンを押して、耳元に携帯電話を当てる。


『日向向日葵だな? 私を覚えているか?』


 聞こえてきたのは、世界では有り得ない、聞き覚えのない声だった。常世離れした声、向日葵はそう感じた。とてもではないが、人間が声帯を震わせて喋っているとは思えない。


 知人の携帯から知らない人間の声が聞こえれば、普通は不信に思うはずだが、向日葵は少し考えた後、「わかりません、どなたですか?」この男と話をすることに決めた。


『喧しい男に連れられ、散髪に来ていた男。と言えばわかるか?』


 その人間なら知っている。世界との会話に出てくる名前の一つ。『夜兄』と呼ばれる、スーツ姿の青年。


『海月黒天と今は名乗っている』


 今は? 変な言葉使いの気もするが、結婚して苗字を変えたのかもしれないし、その珍しい苗字から、偽名と言う線も十分にある。どこに住めば『海月』が苗字になるのだ。


「わ、私は、日向向日葵です」


 名乗られたので、礼儀に従い電話の向こうに名乗る。


『そうか。ならば、簡潔に言おう。君は真実を知りたいか』


 そんな事を、黒天は極めて真面目な声色で言ってくるのだ。新手の宗教だろうか? 普段なら真っ先にそう思い、電話を切るのだが、その台詞は、その声色は、向日葵の心の深い部分に確実に喰い込み、到底無視できそうになかった。


「それは、どういった意味ですか?」


 何故か電話を持つ右手が振るえ、左腕はセーラー服の裾を確りと握り、黒天の返事を待つ。


『つまり、新里世界の真実だ』

「……それは、どういう意味ですか?」

『君達が通う学校で起きた事件の真実だ。新里世界の行動の真実でも当然ある。真実を事実として認識したいか?』

「はい」


 迷いない、即答。


『……決断が早いんだな』

「私は世界君を信じていますから」


 笑って答える向日葵。


『いい答えだ』電話越しに、黒天が頷く。『なら、今すぐ外に出ろ。迎えの者が行く』


 黒天が言うと同時、向日葵の脳裏に見たこともない人間の顔が浮かぶ。目の下のくまは酷いが、それを除けば『美人』その一言に尽きる、若い男の顔。


『その顔の男だ。名前は一一。間違えても、違う男の車に乗るなよ』

「今のは、なんでしょうか? と、言いますか、あなたは何者です?」


 図ったようなタイミングで携帯電話が鳴り、こちらの行動を見透かしているような言動。たった今、頭を過ぎったビジョン。


 数々の疑問点を嘲笑うように、黒天は口を開き、言いたくて仕方がなかった台詞を小声で囁く。


『私は、元願いを叶える魔人さ』


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