世界の世界 ③
「よ! 向日葵ちゃーん。帰ろうぜ!」
「なんで私が……」
「…………」
結局何事もなく過ぎ去ってしまった一日の放課後。帰りのホームルームが終わると同時に教室を飛び出した涼が引っ張ってきたのは、渦中の人物である堀田雪根と井戸忍だった。
背の高い順に右から忍、雪根、涼と並んでおり、涼の右手がしっかりと雪根の肩を抱いて、逃げ出さないようにしている。雪根の右腕は肩から布で吊るされており、「ああ、骨折しているな」と一目でわかった。
「大丈夫ですか、それ?」
大丈夫でないに決まっているのだが、儀礼的に訊ねる向日葵。
「平気よ。あんたに心配されるほど柔じゃあないわよ」
「俺が見つけたときは泣き叫んでいたじゃあないか」
「ほんと? 見たかったな」
雪根が挑発的に、忍が少し呆れたように、涼が冗談めかして笑う。
この三人を並んで見るのが初めての向日葵には、どうにも奇妙な三人組な気がしてならない。が、全員が幼馴染という事を考慮すれば、三人に取ってはそう珍しい事でもないのだろう。少なくとも、普通の人間関係だったら、二日前に殴り合った人に誘われたとしてもほいほい教室まで来ないだろう。
「それで、三人はどう言った関係なんだっけ?」
何か、重大な用があるに違いないと、身構えるようにして向日葵が訊ねる。
「世界君に頼まれたんだよね。四人で帰れって」
「私も、師匠に頼まれたから」
「俺もだ」
すると、三者一様に同じ答えが返って来た。
「世界君が? 私は何も聞いてないんですが……」
朝の約束通り、今日一日、向日葵は世界と口を一切聞いていない。メールも無視されてしまった。徹底して向日葵と距離を置きに来ているようだ。この三人と帰るのも、世界と仲が良かったと言うイメージを払拭するためなのだろうか?
ぶっちゃけ、この三人も三人で悪目立ちしているので、効果が未知数過ぎる。
「でも、まあ。物騒な世の中ですからね。襲われると危ないですし」
「それは嫌味?」
向日葵の台詞に青筋を立てて雪根が何か呟くが、そんな言葉聞こえないとばかりに向日葵は通学用の鞄を手に取り、立ち上がる。まだ雪根は謝っていないのだから、これくらいは許される範囲だろう。
中々に険悪なムードを「まあまま」と二人の肩をポンポンと二度叩く涼。
「私も雪根も忍も友達少ないんだからさ。こうやってちょっとずつ友達の輪を広げてこうよ」
かなり心の痛くなる発言をにこやかな声でする涼の表情は、向日葵には直視できなかった。
その後、世界がいないなら一人で帰る! と喚く雪根をなだめた後、四人は教室をぞろぞろと出て行った。
「って、何で横に広がらないのですか!」
国民的人気ゲームのごとく、ぞろぞろと何故か縦一列で廊下を進むパーティーに向日葵が突っ込みを入れる。先頭の涼は「ああ」と恥ずかしそうに笑い、二番目の雪根は「うるさいな」と仲良くする気ゼロ。最後尾の忍は当然無言だ。
「いや、雪根と向日葵ちゃんが会話しやすいようにと」
「間に入ってくださいよ。この人と私は人間一人挟んでようやく成立するのですから」
「そうだぞ、涼。私とあなたの会話にこいつが偶に入るくらいのペースから始めないと無理よ」
「…………」
社交性のなさが災いするパーティー。村人に話しかけるところでゲームが詰みそうだ。
それでも女子が三人寄れば姦しくなるのは必然らしく、靴を履きかえる頃にはそこそこ会話も盛り上がりを見せるまでにはなっていた。完全に忍が空気となっていたが、それは、まあ、しょうがないだろう。女子グループの男子等、無視されるかパシリにされるかのどちらかしかないのだ。
流行りのクレープ屋の話しで盛り上がりながら、運動場の隅を歩いていると、『カキーン』と突き抜けるような快音が響いた。誰が聞いても、金属バットでボールを打った音にしか聞こえない、そんな音だった。なんとも言えない開放感があり、ストレス解消にバッティングセンターに行く人間の気持ちがわかる一瞬だった。
「ホームランですかね?」
少し遠い練習風景を、全員で足を止めて眺める。丁度、巧兵に絡まれた場所のあたりだった。
バッティングの練習中だったのか、大きな歓声が湧いている。空を探すが、偉大な空からたった一球を見つけ出すのは困難そうで、どこまで飛んだのかはわからない。
「ぎゃう!」
短い悲痛な悲鳴を上げた向日葵以外の三人が、揃えて口を丸くし、ようやくボールの位置を認識する。
向日葵の予想通り見事ホームランとなった打球は、山形に落ちる過程で何を思ったのか、向日葵の鼻を着地地点と決めてしまったのだ。
バッティングの練習をしていた場所から向日葵たちの立ち尽くす場所まで、軽く見積もっても百五十メートルはある。高校生がそんな特大ホームランを打つなんて誰が想像できようか。そして、そんな奇跡の本塁打が鼻にぶつかるなんて釈迦でも思うまい。故にフェンスなんて気の利いたものはなかったことが悲劇を招いた。
「大丈夫? 向日葵ちゃん?」
「うわ、今度はあんたが鼻血?」
「…………」
その場にしゃがみ込みながら、ボタボタと鼻血を流す向日葵。心配そうな声がいくつか聞こえたが、それに答える余裕はない。脈打つように痛みが波状に鼻を襲い、涙が浮き出て来るほどだった。
「保健室へ行く?」
「あたしの時はぶん殴られて担がれたんだけどね」
「…………」
三者三様の対応を述べる。向日葵は涼の意見を是非参考にしたいと思った。どれかは言わずもがなだろう。
「よしよし。じゃあ忍は担いで保健室に連れてきな」
「了解した」
それだけを言うと、ひょいと向日葵のセーラー服の襟元を掴み、猫のように引き上げる。
「歩けるな?」その質問に無言で首を揺らす。
「雪根、私たちは何するわけ?」
本当なら向日葵について保健室に行くつもりだったのだが、グラウンドの土を蹴飛ばして血痕を隠しながら涼はよろよろと歩いていく背中を見守る。
「決まっているわ」
「あんたの脳みそでの規定事項を私が知るわけがないでしょうが」
あまりうまく隠蔽工作できなかった血痕に眉を顰める。多分、これは暫く消えないだろう。
「事情聴取? って奴。ほら、何人かこっちに走ってきている。謝罪の一つでもしてもらわないと」
左手を振って小走りしながら、雪根は高校球児の注意を惹く。二日前にあれだけの事をしておいて、さらっとそんな事を言うのだから、やはり不良には向かない。やれやれと呟きながら、白球を拾い上げる。昔から、細かい事を気にしない、さっぱりした奴だった。後は、ぷっつんと二日前のように切れない事を祈るのみだ。
野球部からは三人の人間がこちらに走って来ていた。一つ年上とは思えないほど老けた部長に、ホームランを打った一年生の仮入部員。こんな弱小チームに必要とは思えない女子マネージャー。顧問の教師はまだ着ていないらしい。監理不届きと訴えられてもおかしくない状況だ。
忍が向日葵を保健室に連れて行った旨を、涼が報告をする。雪根はあれだけ格好つけて出て行った癖に、いざ話すとなると偉そうに腰に手を当てているだけだった。役に立たない奴だ。
「そ、そうか、すまなかった」
まずは部長が頭を下げ、それに合わせるように一年生とマネージャーが頭を下げる。
「向日葵ちゃん……ボールぶつかった子なんだけど、今は鼻血で放送禁止な顔面だから、また後で誤りに行って下さいよ」
「わかりました」
何故か敬語で返事をする部長と必死に謝るマネージャーに、一年生だけが首を傾げる。マネージャーなんて、頭を下げたままの姿勢で何度も二人の顔色を窺っている。どうやら「あの」涼と雪根だと気が付いているようだった。
「あはは」
と乾いた笑い声を上げ、未だに自分達の悪評が生きている事に驚く。ほんの一ヶ月も不良ごっこはやっていなかったと言うのに、この始末だ。一年前の自分を殴りたかった。
「わざとじゃないなら許してあげようよ」
普段は使わない甘ったるい言い方で、雪根が涼の肩に手を置く。これでは涼のいちゃもんを雪根が止めているようではないか。多分、自分だけ世間の評価を上げようとしている。この馬鹿も涼は殴りたくなった。
その言葉に表情を険しくしたのを勘違いされ、部長の手が地面に付きそうになるのを必死に止めていると、
「何があった?」
焦りが濃い声が涼の肩を掴んだ。
「あれ? 新里君?」
首だけで振り返ると、そこには涼が言った通りに新里世界が立っていた。誰もが、いつの間に? と疑問に思わずにはいられないタイミングだったが、そんな事を聞ける人間は誰もいない。
世界は明らかに余裕がなかった。イライラと右足のつま先を何度も何度もグラウンドに付けたり離したりしながら、鋭い目つきで落ち着きのない子供のように、その場にいる全員の顔を窺っていた。
「……どうしたの?」
大量の不良に囲まれた時でさえ崩れなかった余裕が、何もない平日の午後にあっさり崩れるとは思いがたく、涼は気遣うが、
「それは俺が聞いている」
そんな短い声が返って来るだけであった。それは声量こそ普通だが、表面張力でぎりぎり溢れていないコップの水面と同じ危うさを持っていた。
その剣幕に、野球部のメンバーは黙って下を向き、本当に土下座を決意し始め、涼と雪根は顔を見合わせる。一年ちょっとの付き合いしかないが、どれだけ雪根がストーカースレスレの事をしても苦笑するだけだった世界が、明確に怒っている理由に全然検討が付かなかった。
「ぼ、ボールを先輩にぶつけてしまったんです」
気まずい沈黙を破ったのは、ホームランを打った張本人だった。
一年生ゆえに去年の出来事は知らないが、先輩二人の怯えようから事態をなんとなく察し始めていた。きっと不良なのだろう。女子二人はそんな気配は微塵も感じさせない、コレを気にお近付きなれないかとすら思っていたが、後から出てきた男にその目論見はぶっ壊された。
この田舎町で、銀髪が目立たないわけがない。彼も十分に目の前の男の恐ろしさを知っていた。ナイフで刺されても平気だとか、不良をミンチにしたとか、緋色の瞳に睨まれると意識が跳ぶとか。冗談だと思っていたが、実物を目の前に納得した。
「すいませんでした」
そして、自分が犯したミスにも。故意でなくとも、恐ろしい先輩の友達にボールをぶつけてしまったのだ。きっと、難癖を付けて脅す気だろう。何故、不良って孤高っぽいくせに友達を大切にするんだろう?
「悪いのは僕なんです!」
誠意よ伝われ! 木製バットを頭突きで割る気持ちで頭を勢いよく下げる。
頭を起こさずに、二秒、三秒と時間が経過するに連れ、彼の心臓も早鐘のように打ちまわる。無言に泣き出しそうになった頃になってようやく、
「顔を上げろ」
世界が口を開いた。苛立ちを隠さない声に従い、彼は顔を上げる。その瞳には薄っすらと涙が滲んでいて、世界はバツが悪そうに唇を歪ませる。
「悪いな。別に俺はあいつの為にお前に制裁を加えに来たわけじゃあねえ。質問に答えてさえくれれば、すぐに消える」
両手を上に伸ばし、敵意がないことも合わせて伝える。その言葉に野球部のトリオは胸を撫で下ろす。
「部活を邪魔しちゃあ悪いしな、さっそく質問していいか」
無害さを出す試みなのか、ホームラン少年の横に立って肩に手を回しながら顔を近づける。
「お前家は?」
「う、うちわ? ですか。今は持っていません」
急に馴れ馴れしい世界に怯えつつ、必死に質問に答える。
「そんなつまらない事言うんじゃあねえ。住所だよ、住所。答えろ」
ピントの外れた回答に、世界はすこしムッとする。お笑いに厳しいのだろうか?
下らないジョークを言ったつもりはない青年は、慌てて自分の住所を答える。世界は何度か「もっと詳しく」と肩に回した手の力を強め、正確な住所を確認する。
その行為だけでホームラン少年は自分の未来がなんとなく想像できた。当然、周りの人間もその未来が想像できた。
そして、世界が最後に口にした言葉を聞いて、自分の平穏がなくなった事を理解した。
「そうか、夜道に気をつけろよ」




