神知教 ③
「私達さ、不良だったのよ」
剣道部の練習をサボって向かったのは駅前の某ドーナッツ屋だった。向日葵はカフェオレとお勧めの新作を購入し、涼はミルクティとフレンチクールーラーを机において、二人は向かい合っていた。
話題は、堀田雪根や井戸忍と津田川涼に新里世界を混ぜた関係だった。
「はい?」
突拍子もない発言に向日葵は自分の耳を疑う。
不良? いかにも真面目そうな目の前の彼女が、不良?
「そうなのよ、一年前の五月十五日まで不良だったのよ」
細かい日日まで添えて懺悔をする在任のように涼は頭を抱える。
「私と雪根と忍はね、私のお父さんがやってる剣道の道場に通ってて仲良くなったんだ。あの二人は凄い才能があって、あっという間に強くなっちゃってさ、二人とも県下じゃ無敵。忍に至っては全国で優勝したこともあった」
自慢するように寂しげな瞳で涼は話を続ける。
「でさ、私ってば、やさぐれてちゃってさ。道場の一人娘の癖に、仲間内で一番弱いなんてさ、かっこ悪いじゃない。雪根も一緒の理由だね。最初は互角だったのに、次第に忍に勝てなくなる。忍は暗いし、友達も私達ぐらいしかいない寂しい奴なのに、勝てない。どんなに努力しても敵わない。根本的にレベルが違ったんだよ。で、二人そろって高校デビューって言うの? 丁度バスケ部が不良の溜り場になってたみたいだから、高校に入ったら先輩方を全員のして混ぜてもらったのよ」
顔面を両手で覆いながら、悲痛そうな声を絞り出す涼。この年で大きなトラウマを抱えているようだが、向日葵にはどうすることもできない。
「そのせいで今も若干クラスで浮いてる。ちなみに雪根とは別に仲が悪いわけじゃあないから安心しといて。アレが私たちの挨拶だから」
暖かいカフェオレを口に運び、そう言われれば忍や世界の周りだけでなく涼の周りにも人があまり集まっていない事に気が付く。朝は漫画を読みながら向日葵達を待っているし、昼もいつも二人だった。涼も、友達が少ない人間の一人らしい。
おそらく、転校生の向日葵になにかと世話を焼いてくれたのも、不良だという事実を知らないからだろう。
実に人間的に寂しい友達ばかり作る向日葵だった。
「で、不良になったのは良いんだけど、退屈なのよ。タバコ吸ってみたり、飲酒してみたり、原付乗り回したり。田舎のチンピラごっこしたんだけど、超詰まんないの。なんにも面白くない。大体、忍を見返すつもりだったんだけど、当の忍は完全に無視を決め込んでくれちゃうの。会話どころか、目も合わせてくれない。で、雪根と話し合って抜けようと思った矢先……それが起こったわけ」
その日が五月十五日。時間は六時前。場所はヤコブ。
「いや、ヤコブって何ですか? 皆さんご存知なのですか?」
「二人して拉致られたのよ」
向日葵の疑問の声を無視して話が進む。どうにも話が(一人で)盛り上がって来たのでこれ以上口を挟むのも無粋と思い、大人しく口を閉じる。
「結構無茶苦茶してたからさ、竹刀持ってないトイレで三年の先輩に襲われてさ」
「それは、犯罪じゃあないんですか?」
まるで竹刀を日常的に持っていたような言い方は無視して、剣呑な後半の台詞に焦点を置く。
「犯罪よ。出てきた所を無理やり確保。まあ、二人でそれなりに暴れたから変な事はされなかったけど」
にやり。と自虐的に笑うと、大口を開けてフレンチクルーラーを口の中に押し込む。ミルクティでそれを流し込み、涼は口元を紙ナプキンで拭う。
「で、数人に囲まれてヤコブへ連れ込まれて、絶体絶命大ピンチ!」
「だからヤコブって何ですか?」
「そこにいたのは謎の少女楽園祭花!」
「ヤコブから謎なのですけど」
「そこへ颯爽と駆けつける忍!」
「おお! かっこいい!」
「しかし、これは生意気な一年正の忍と新里君に制裁を加えるための卑劣な罠だったのだ!」
「うわあ! 二十一世紀の話ですか? それ?」
「あ、ちなみに祭花ちゃんは世界君のマンションに住んでいる人の娘さんね。今小学一年生」
「ヤコブは教えてくれないんですね……」
「で、忍は善戦するんだけど、多勢に無勢で負けちゃうんだよ」
数字にすれば十三対一の対決だった。いくら剣道が上手かろうが、剣道をどれだけつきつめても一対一の戦闘を念頭にした格闘技。囲まれればそれまでだ。
それでも流石と言うべきなのか、忍は握り締めた木刀で二人の不良の手首を砕き、再起不能に追い込んだ。十分に快進撃と言えるだろう。
その後は見るにも耐えないリンチ。遠巻きに投げられた網に捕まった忍はじわじわと包囲網を縮められ、一体どこで拾ってきたのか分からない鉄パイプの餌食となった。
「悪質ですね」
投げやりな相槌を打っていた向日葵も信じられない、と表情を曇らせる。フェアじゃないというのは、どうしても許せない。絶対に勝てる不良たちが、真っ向に戦わないのが何よりも腹が立った。
「泣きながら、『やめて!』って叫ぶんだけどさ、忍も抵抗し続けるし、先輩も暴力を止めないし。本当に地獄だと思った」
でも、と涼は言葉を繋げる。
「一緒に捕まってた祭花ちゃんは、そんな私たちに向かってこう笑ったの、
『泣かないでお姉ちゃん。銀君が全員倒しちゃうんだから』
その後すぐに、ヤコブの扉がぶち破られて一人の男の子が入って来た」
サングラスの男を片手に、白髪が燃えるように風に揺らすのは、語るまでもなく新里世界だった。
「『よ、春嬢』だったかな初めての台詞は。正直、頼りなかったわね。私の印象は『病弱な男』だったから。いつもだるそうだし、顔色真っ青だし。だから、すぐにやられちゃうと思った」
しかしそれは全くの誤解だった。
ナビゲータに使った功兵を投げ捨てると、散歩をするような当たり前の足取りでヤコブに入る世界。大きな声で祭花と和やかに会話をするのも忘れない。
それを見て、興奮した一人が大きく鉄パイプを振り上げ、手ぶらの世界に襲い掛かった。
「でも、新里君は動じないわけ。だって散歩だもん」
が、焦ることもなく、世界は右足を突き出し男の股間を蹴り飛ばしたらしい。一対一ならば忍だって反撃できただろう。間合いも考えずに大きく振りかぶる、そんな行為はただ隙を作るだけに他ならない。
蹴りで狂った歩調を微調節するように、左足だけで二歩進み、散歩を再開する世界。
それでも、不良達は勝てると信じていた。まだ十人の味方がいるし、人質もある。それに引き換え相手は一人、徒手空拳。負ける原因が見当たらないと、信じ込むには十分な戦力差があったはずだった。
だから、次に世界を襲った二人はあっさりと退場をする破目となる。馬鹿正直に正面から二人で鉄パイプを叩きつけようとしたのが失敗だった。世界は後ろに小さく跳んで攻撃をかわすと、すぐさま前進して二人の顔面に拳を叩きつける。
ようやく、残された不良達は世界の実力を理解し始める。
「そっからは凄かったわね。背中に目が付いてるのかと疑いたくなるぐらいに不良達の攻撃をかわしていったわ」
網は一枚しかなく、忍が絡まっているので使えなかったのも幸いしたかもしれない。全員で世界を囲むのも作戦上のミスだろう。長い鉄パイプを持っていたため、同士討ちを恐れて誰も踏み出せないでいた。たまに痺れを切らして突撃する者もいたが、それらは全てかわされ、あるいはいなされ、世界に傷をつけることは適わなかった。
そんなやり取りの最中でさえ、世界の足取りは乱れない。淡々と散歩を続けながら、遂に人質の少女三人の眼前まで辿り着く。
「当然、私たちの見張りがいたんだけど、ビビッてあっさり私達の傍から離れていっちゃたわ」
ポケットからカッターナイフを取り出して、世界はまず祭花の手首を拘束していたガムテープを切断する。そのカッターナイフを祭花に渡すと、
「『さて、かかってこいよ』って目を細めて幸せそうに笑ったのよ。今までは、勝負ですらなかったんだって、私はそこでようやく気が付いたわ」
その笑みは、先週向日葵に見せたそれよりも、数倍獰猛なものであったと言う。
以降は、語るにも馬鹿馬鹿しい一方的な戦い…………否、戦いと言うよりは搾取であった。蹂躙する側とされる側。攻める側と攻められる側。
あらかじめ勝ち負けが手の届かない場所で決まっているような、そんな予定調和な展開が数分続いた。
「そりゃもう、目を覆いたくなる光景だったね。さっきまで流れる水みたいに飄々と攻撃をかわしていた人間が、防御も忘れて荒れ狂う暴風雨に変わってしまったんだから」
「暴風雨ですか?」
大袈裟な涼の発言に細い首を捻る向日葵。
「あんたは新里君が暴れているところを見たことがないでしょう?」
残りのミルクティを一気に飲み下し、涼は真剣な表情で、
「彼、人間じゃあないかも」
そんな冗談を口にする。