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神知教 ①

「うーん。嫌いな人だったけど、事故となると気の毒ですね」


 持参の弁当からウインナーを箸で摘み上げ、口の中に放り込みながら、向日葵は戦争地帯の子供達を思う程度の感想を呟く。「可哀想だな」とは思うが、「助けなきゃ!」とは思わない。怪我をした本人や、無残な死体を見ればまた別の感慨も沸くだろうが、どうしても聞いた話だけでは事実として実感しづらい。


そんな向日葵とは逆に、


「そう? 私はあいつの授業がなくなって嬉しいけど?」


 涼は快活に断言する。別に死んだわけじゃないし、そもそも自分の怪我じゃない。薄情とも

思える言い方だった。ただ、鬼頭教諭に特別な感情を抱いているわけでもないので、当たり前といえば当たり前な、普通な反応とも思えた。


「それもそうですけど。やっぱり手放しでは喜べないです」


 腕を組んで深刻そうに言う向日葵。涼は完全に手放しで「真面目だねー」と他人事にサンドイッチをすこし齧る。


「…………」


 そんな二人に一瞥もくれることなく黙々と購買印のパンを詰め込む忍。片手にはやはり携帯ゲーム機が握られていて、器用に片方の指を動かしていた。


 場所は昼の教室。食堂は数年前の食中毒が流行った頃に撤去され、基本的に全員が教室で昼食を取るため、教室は喧しい。


そんな教室で一際静かな机が一つ。面子は向日葵と涼、そして机の所有者である忍。


この組み合わせで昼食を取るのは初めてだった。向日葵と涼はいつも二人で机を囲み、忍はゲームの世界に一人熱中しながら食事、世界に至っては昼休みに教室で見た事がない。


 そんな三人が一つの机で食事を取る理由は一つ。


 世界がまだ教室に姿を見せていないのだ。涼が言うには、月に一回くらいは自主的に休んでいるとの事だが、その詳細までは知らないらしい。どうしても気になって仕方がない向日葵を見かねた涼の「忍なら知ってるんじゃない?」というアドバイスの元、向日葵は詳しい話を訊くために幼馴染だという涼を連れ、忍の机に向かった次第だ。


 しかし忍も何も知らないらしく、だからと言って一人で栄養補給以外の付加価値のない昼食を取っている忍を放って置くことも出来ず、一緒に昼食をとる流れになった。


 話題はなんとなく三日前に交通事故を起こした鬼頭教諭について。向日葵や世界の家から程近い、あの墓地の近くの道路でタイヤがパンクし、胸の骨を数本折る怪我をしてしまったらしい。あんな何もない所で事故を起こすなんて、やはり自動車は危険だなと認識を強める向日葵だった。


「てかさ、忍」

 

 これ以上鬼頭ネタで間が持たないと判断した涼は、「ああ」「さあ」以外の発言をしない忍に会話の矛先を向ける。


「あんたさ、最近何やってんの? それ」


 人差し指で忍が持つゲーム機を指す。まるでゲームに恨みでもあるような言い方で、非情に棘があった。向日葵にしてみれば、忍が携帯ゲーム機を持っていると言うのは、青い猫型ロボットの腹にポケットがあるのと同じくらい当然なことなのだが、どうやら涼にとっては違うらしい。


 その問いに、案の定、忍は質問には答えず、いち早く昼食を取り終えると、ゲーム機を両手に持ち直して自分の世界へ入り込む。


「ゲーム好きだったっけ? 最近道場にも顔見せないしさ」

「…………」

「聴いてるかな? 私の声届いてるかな? 何やってんだって訊いてんだよ」

「りょ、涼ちゃん?」


 まじめで利発そうな外見で、実際まじめに学級委員長をこなす彼女の口から飛び出した語気の強さに少しだけ危機を感じる。今にも忍の顔面を机に叩きつけてもおかしくなさそうだった。


「答える必要はない。津田川」


 そんな剣呑な空気の中、忍は短く感情の籠っていない言葉を返す。あくまでゲームのついでに会話をしているだけのようだ。


「ふーん。そう。私はさ、別にあんたが何しようが構わないんだけど、お父さんがあんたのことを心配してるから聞いてるんだから別にいいんだけどね? でもさ、やってるゲームくらい教えてくれてもいいじゃん。私たちの間に秘密なんてあったけ? 高校に入る前はいつも一緒につるんでたじゃん? まあ、別にいいんだけどね。あんたが話す気がないならね?」


 必要以上に「別に」と言い、自分の意見じゃあない事をアピールしながら、大口でサンドイッチを貪ると、返事を待つように頬杖を付ついて忍の答えを待つ涼。突けば破裂しそうなまでに張り詰めた雰囲気を一人で勝手に作り出している。


 しかし、その瞳はダンボールに入れられ新たな主人を待つ子猫のよう。


(おお、ここにもツンデレが)


 その表情に向日葵は心中で呟く。突然距離を置き始めた幼馴染に対して、そっけない対応を取りながらも、気になって仕方がない。なるほど、ツンデレだ。そしてツンデレ同士だから世界とも仲が良いのか、と一人納得する。類が友を呼ぶように、同じ羽根の模様の鳥が群れるように、ツンデレはお互いを引き寄せるのだろうか。


 自分だったら間違いなく、この涼になら何でも喋る自信がある。そう思ったのは向日葵だけではなかったようで、


「ゲームじゃない」


 ゲームきから目線を僅かだけずらし、涼のふくれっ面をみると、観念したように返事をする忍。先程よりも遙かに温もりのある声で、明らかに「じゃあなに?」と返ってくるのを期待する様な言い方だった。


「じゃあなによ」


 目論見どおりの言葉に向日葵は食べていたミートボールを噴出しそうになる。言い方こそは不機嫌そうだったが、犬なら尻尾を振っていそうなくらいに上機嫌なのがわかった。


「ネットだ」

「ネットってインターネットですか?」


 空気を読まずに二人の会話に口を出してみる向日葵。なんだか、一緒に昼食を取っているのを忘れ去られそうだったから。


 忍は首を縦に振ることで肯定。言葉は発しない。


 返事をしてくれたことから、もう不機嫌を装うのを辞めたらしい涼が画面を覗き込もうと身体を忍に寄せる。もう、向日葵はこの席にいないような距離感にしか見えない。なんだろう? 罰ゲーム? そんな心境だった。あれが、幼馴染の距離なのか……。


「一日中ネットしてんの? てかさ、そんなおもちゃで出来るものなの?」

「コレはおもちゃじゃない」


 ついにゲーム機を手から離し、二人に見えるように机の上に置く。私には無言で涼ちゃんには台詞付かよ。と思わなくもない向日葵。まだ信頼度が足りないのだろうか? ただ、こんな対応の差を見せ付けられると、これからどんなイベントがあっても信頼を築くことが出来るとは思えない。ちまちまと千切りのキャベツを口に運ぶ機械と化す向日葵を尻目に(被害妄想が多少入っています)会話は流れるように続く。


「一一から譲ってもらった。神知教の小型パソコンだ」

「へー。一さんって言えば、新里君のマンションの?」


 神知教の物は持ち出し厳禁のはずなのに! と驚きの声を上げたいが向日葵はマヨネーズの味しかしない千切りの野菜と共に台詞を呑み込む。次、無言の相槌をされたら死にそうだった。

 疎外感に苦しみつつも、今更席を立つのも負けた気がしてならない向日葵は意地でその場に居続ける。意外と負けず嫌いな一面もあるようだ。


「あいつのマンションに行った時に会って、パソコンの話をしたら譲ってくれた」

「なんでパソコンが欲しかったのさ。だいたい、そんなキャラだったけ?」

「新里世界と一緒に戦う為だ」


 今までにない迫力を込めたその声に、拗ねていた向日葵も驚愕を顕にする。まさか忍がコレほどまでにはっきりと自分の意思を言うとは思いもしなかった。涼もその回答は以外だったらしく、言葉を失っている。そして、『新里世界と一緒に戦う』。そんな少年漫画みたいな原動力的動機が何故にハイテクパソコンに熱中することになるのだろう? 二人はほぼ同時に訊ねる。


「…………それは」


 すると、忍はここで始めて発言を躊躇した。もう一度無言で無視するには喋りすぎたし、簡単に喋るわけにもいかない。落ち着きをなくした眼球が小型パソコンらしいそれと、涼の瞳を往復する。見て取れる動揺は、忍のこの『無口クール』な性格は作られたもので在ることを如実に語っていた。本当は隠し事が出来ない程素直なのだろう。今思えば、同じ机でご飯を食べるのを許可した時点でその性格がわかった。


「あの、別に私は……ムグウ」

気まずい空気を払拭しようと開いた向日葵の口に、涼の食べかけのハムカツサンドが突っ込まれ、


「向日葵ちゃんも知りたいって! なに? どゆこと? 新里君と戦うとか、パソコンやり続けるとか」


 絶対に逃がさないと目を輝かせる涼。包囲網のようなその瞳は、おそらく忍がトイレに逃げ込んでも追ってくるだろう。実際、そんな幼い日々の記憶があった。


「……俺は、もう剣道はやらない。そういうことだ」


 首を横に振りながら、忍は弱弱しく答える。


「何度私が謝っても無視したくせに、やっぱりそれが原因なんだ」


 対して、涼の声は平坦。しかしそれが嵐の前の静けさに過ぎないと向日葵は感じ取る。そんな様子に気がついたのか、先程から熱い会話が繰り広げられる教室の一角……つまり向日葵達三人に視線が集まり始め、向日葵の我慢は限界を迎えた。


「私はちょっと席を外しますよ」


 弁当箱を持ち上げ、席を立って逃げようと決心した。気まずい。今更だが、涼が忍に世界の欠席の理由を聞けば? そんなアドバイスをくれた理由がわかった。一人じゃ声をかけられなかったのだ。突然距離を開けた幼馴染に近付くのが怖かったのだ。メールアドレスの話もそうだ。結局、涼は話しかけるきっかけが欲しかったのだ、他人を理由にして。


 そんなラブコメ模様には付き合いきれない向日葵の肩を、


「いいって。一緒にこの男がどんな事を言うか訊かない? いや、私は別に全然興味ないけどさ。一年ぶりぐらいのまともな会話だからさ、レアだよ? レア。もしかしたら私は又一年くらい無視されるかもじゃん? パソコンの方が大事みたいだし」


 涼ががっちりと掴む。華奢な肩が悲鳴を上げそうになるほど、その力は強かった。流石剣道部部長。無理やり席に戻され向日葵が「聴かせていただきます」と言うまでその手が外れる事はなかった。


「ほら、言え。じゃあないと、あの事をばらすぞ」

「も、もう言ったじゃあないか」


 もう寡黙キャラは何処へ。完璧に素で答えたとしか思えない声色に涼はますます強く出る。小学生の頃の竹刀で叩いていたあの忍を垣間見たのだ。


「だーかーら。何で新里君に助けられたのがそんな話に繋がるかって聞いてんの」


 語気を一層強め、いつ胸倉を掴んでもおかしくない雰囲気の涼に対して、


「…………」


 口を開いたら負けると判断した忍は口を閉じ、机の上に置きっ放しだった神知教製らしいパソコンを掴むと、ゆっくりと席を立つ。昼食をとる前の何者も寄せ付けない雰囲気をかもし出しながら律儀に椅子を綺麗にしまい、目線をディスプレイに固定すると、無言で二人に背を向ける。


「どこ行く気?」


 慌てて涼も立ち上がり、何処にも行かせないと、目じりを上げる。が、忍はゆっくりと教室の出入り口に向かって歩いていく。涼の台詞など聞こえていないみたいに、その足取りには迷いがなかった。その背中を追いかけて無理やり引き止めるのだと向日葵は思ったが、涼は動けなかった。呆然と姿が見えなくなるまでその背中を見送っているだけだった。


「ふざけんなよ……」


 今にも泣き出しそうな声に、教室の野次馬していた連中は一気に三人の話に興味をなくし、逃げるに逃げられない向日葵を無視してそれぞれ席についた。が、あんな失恋? 現場みたいなモノを見た直後に、明るく会話するような猛者はおらず、教室の空気が自然と重くなる。


「涼ちゃん? あの、ほら、あれですよ」


 どれだよ。心の中で自分の言葉に突っ込みを入れながら、どうにかこの場を丸く治められないかを必死に考えた。まだ転校してきて二週間程度だと言うのに、なんでこんな複雑っぽい事情の収集をしなければいけないのかも考えた。


 答えが見つからないまま、向日葵はとにかく言葉にならない思いを言葉にしようと何かを口から吐き出しまくるが、涼は未だに放心状態から復帰しない。更に質が悪いことに、時間が一向に進んでいない。無駄にはなっているが、まだ昼休みが三十分程も残っている。時間の進みが遅くなった錯覚すらある。ただ単に向日葵の時計を見る回数が増えただけに過ぎないのだろうが。


「おい。今、忍とすれ違ったんだけどよ、何があったんだ? 見るからに凹んでたぞ」


 そんなギクシャクした空気を換える、一陣の風が吹いた。


 彼は教室中で唯一話題についていけず、薄っぺらい通学用の鞄から薄い水色の包みを取り出す。それを二人が座る席に置き、忍が先程まで座っていた席に腰を下ろす。


「あー! 世界君遅刻ですよ! 駄目じゃないですか! 目指せ皆勤賞!」


 その風の名前は新里世界。いつもよりも数段だるそうな……いや、コレが標準だっただろうか? 眉間に皺を寄せ、唇を歪めながら包みを解いていく。


「うるさいな。なんでそんな元気なんだよ。俺は疲れてんだよ」


 呆れたように向日葵に相槌を打つ世界。目線は青い包みに固定されていて、向日葵が中身を訊ねると、自慢するように「弁当箱」とだけ答える。


 その答えに、向日葵の口が止まる。何故、わざわざ他人の席である忍の机で弁当箱を広げるのだろう? それに、世界が食事をしているのを見るのは初めてで、何か違和感のようなものがあった。世界が食事を取る。それだけの事が不自然で仕方がなかった。


「一緒に食うんだろ」


 わざわざ言わせるな。と言外に含む言い方で世界は二人を見る。


 向日葵はその提案に一も二もなく同意する。世界と昼食を取れるだけで十全だが、事情を知らない世界が席に着けば、涼も気を取り戻すかもしれない。そうなれば十全どころか万全の方法だ。


「良いですよね、涼ちゃん」

「……うん。大丈夫よ」


 生気のない返事に困惑しつつも、二人の同意を一応聞いた後に、世界は弁当箱の蓋を開ける。一体世界はどんな弁当なのかと二人が覗き込むと、


「おお……」


 二人分の驚きの声が上がる。


「世界君、その弁当は誰製ですか? 滅茶苦茶プロの香りがしますよ?」

「本当だ。おいしそう」


 それは、お弁当だった。日本人なら間違いなく誰もが想像しうる『お弁当』を具現化したようなそれは、どう贔屓目に見ても店頭販売していると言われても信じてしまえる。これで不味いのならそれは詐欺だろう。


 そんな椅子から立ち上がるほど感銘を受けた女子二人の反応に、世界は不服そうに答える。


「おいし『そう』じゃあねーよ。俺が作ったんだから間違いなくうまい」

「…………」「…………」

「なんだその沈黙」

「疑いの目です」


 プチトマトを素手で掴んで口の中で転がしながら、二人前に弁当を差し出す。


「まあいいや。何なら食っても良いぞ。作りすぎたくらいだからな」


 躊躇なくエビフライに箸を突き刺したのが向日葵で、迷いながら卵焼きを爪楊枝で拾い上げたのが涼。二人は同じタイミングでそれを少しだけ齧り、「うまま」「なにコレ?」称賛の言葉を同時に世界に送ると、それぞれ食べかけの料理を急いで口に運んだ。涼に至っては二個目の卵焼きに手を伸ばしている。


 そんな様子を世界は相変わらずの無愛想面で見ていたが、決して機嫌が悪いわけではなさそうで、自分の料理が褒められている事に喜んでいるようにも見えた。


「いつも以上に世界君は優しいですね」


 尻尾まで美味しく海老を食べつくした向日葵はようやく世界の方をしっかりと向く。弁当に夢中になるのも良いが、せっかく一緒に昼食をとっているのだから、何か話をしようと思った。


「ってかさ、びっくりしたよ。いきなりこんな美味しいご飯を食べさせてくれるなんて」


 料理であっさり精神が復帰した涼は、平然と会話に加わる。なにか釈然としない向日葵だが、世界はお構いなしに話を進めていく。


「まあ、下心ありだがな」


 訊きたいことがあるんだよ。と、腕を組んで椅子の背もたれに体重を預け、例の二本足状態になる。どうみても頼みごとをする人間には見えなかった。


 が、その態度を二人が注意することはない。世界が頭を下げるなんて頭突き以外の用途が思いつかない。授業の挨拶でも頭を下げないような奴なのだ。


「まあ、いいですよ。私も奇遇な事にあるのですよ。質問が」


 図々しく向日葵は笑って、あくまで対等の対場を崩さない。


「こないだ早退した時だが」

「こないだ早退した時の事なのですけど」


 タイミングは同時、台詞も同じ。ただし「っち」と舌打ちをしたのは銀髪の男のみ。


「先に言わせて貰うぞ」


 台詞と一緒に弁当箱から卵焼きを一つ箸で摘み上げると、何かを言おうとしていた向日葵の口内にそのまま突っ込む。それは相手を慈しむ気持ちなどなく、喉の奥に無理やり押し込まれていた。思わず戻しそうになりながらも、向日葵はそれを何とか嚥下する。


「何でこの町に越してきたんだ?」その間に、世界は疑問を口にする。「もしかして、父親の話が関係するのか?」


 その問いに、真っ先に答えたのは涼だった。


「あ、それは……」


 と、チラチラと未だに咽る向日葵を見て、どうしたものかと困惑の表情を浮かべる。


「いいですよ。涼ちゃん。私の中では終わっちゃっている事ですから」


 対して、向日葵は極めて明るく答える。いつも通りの、裏表のない無防備な笑みで。


「半年前の話です。お父さんが、交通事故で死んじゃったんですよ」

「神知教のお偉いさんだったって言う?」


 間を置かずに世界が問う。顔色も声色も変えずに、相手の気持ち等何も気にしていないような言い草だった。が、なるべく腫れ物を扱いをぃないようにする、彼なりの人の死に対する対処法なのかもしれない。


「お偉いさんってわけでもないですけど。確かに神知教の研究員さんでしたね。第六研究街のです」

「神知教内で死ぬってのは、言葉は悪いが不運に他ならないな」

「確かに、第二研究街だったら助けられたかもしれない。なんてお医者様は言っていましたね」

「あの」


 申し訳なさそうに涼が小さく手を上げて、発言の意を示す。当たり前に自分を置いてきぼりにする会話だったので、盛り上がる前に自分もその環に入らなければと少し必死だ。


「はい、涼ちゃん!」


 先程の自分と同じ境遇の友達の為に持っていた箸で指し、発言の許可をする。


「いつからお前の仕切りなんだよ」


 世界はぼやくと、すっかり魅力のなくなった弁当箱から再びプチトマトを摘む。確かに彩りで入れただけだが、こんな露骨に避けなくても。同情を禁じえない世界。


「『神知教』も今一わからないし、『研究街』ってなんなの?」

「簡単に言えば、『世界最大の研究開発機関』が『神知教』。『神知教の大きな研究所』の名前が『研究街』です。私は生まれが第七研究街で、三年くらい前から第六研究街に住んでました」


 全然簡単じゃあない説明の補足を世界が繋ぐ。


「戦後の日本で出来た、研究組織って事は知ってるだろ?」


 涼は曖昧に頷く。一般人にとってはその程度の認識だよな。と、世界は呟く。

 前世紀。地球上で最も人が死んだとされる二十世紀。アメリカの力を見せ付けたあの戦争。唯一核爆弾が使われたあの大戦。その最悪の兵器の一つ目が落ちた町。その焦土と化した町の一人の教師。その教師――木神友が変わり果てた、愛する町を見て創り上げた、『神知教』。


 あの、圧倒的なまでに敗北を下した核の力をその目に焼き付けた彼は、復讐を誓ったのだ。


 アメリカに……ではなく『神』に。


 彼が求めたのは、絶対の平和。神の園から追放された人間は、神以上に世界のシステムを知らなければ、きっとこのまま殺しあう。そう考えた彼は、広島に小さな部屋を借り世界中から全ての知識を集めた。神の全てを超える為に。


 そんな彼の元には様々な人間が集まった。彼の考えに同意して、一緒に神を超えようとするもの。超越しすぎた為に、居場所のない科学者。常識を無視した超能力者。まだ見ぬ技術を求める青年。彼らの作り出すであろう利益に目をつけた企業。


「そうやって、はみ出した人間たちの集まりが神知教」


 『神』を『知』識を超える『教』え。


 木神友はその教えをどんな神よりも即物的に周囲に与えた。まずは、自分の愛する町、そして敗北した我が国家。その再生に尽力した。当時の最先端技術や思想を駆使し、戦後の日本復興を支え、早いうちの日本の自立を促した。日本の平均寿命が世界一なのも、神知教のおかげと考える有識者も少なくない。


 そして国内が安定し始めてからの神知教の発展は目を見張るものがあった。


 異常。その一言で片付けてしまえるほどの成長速度。


 研究の成果が出れば、スポンサーが付き、より良い研究が可能になり、研究の成果も上がる。環境が整えば人材も集まり、その知名度も大きくなり、また人が集まる。押し上げるような善の循環。


「それで、二十世紀が終わる頃には、大きな研究団体になったのですよ」

「へー、凄い団体なんだね」本当に理解したのか、適当な相槌を打つ涼。「でもさ、そんなに凄いならなんで私……てか、普通の人は知らないの?」

「簡単に言えば、興味がない事は知らないだろ? アメリカの野球『メジャー』っていう舞台は知っててもよ、その球団だとか選手だとか、その記録なんて知らないだろ?」


 投げやりな説明に涼は「ああ」と、この話になって初めて顔が明るくなる。やっぱり、理解していなかったらしい。ただ、ならば何故、世界がそんな事を知っているのかが疑問に思う。


「うーん。常識レベルの話ですよ。少なくとも、神知教の研究街に行ったことが有れば知っているお話です」

「その、研究街ってのは?」


 言葉のあや……と言うか、悪気はないのだろうが「常識がない」と言われ若干へこみながら、もう一つの固有名詞について訊ねる。


「日本に本社を含めて七つの大きな神知教の研究施設があるのですよ。そうですね、少なくともこの市内程度の大きさはありますかね。その中に、研究施設や、生活に必要なお店を詰め込んだ場所の総称を『研究街』と呼びます。ただ、広島にある第一研究街は本社のビル一棟だけですが、例外的に研究街と言われますね」

「それは確かに街ね。やっぱり人も多いの?」

「人口で言えば第六で三万人程です。一番大きい第二研究街だと十万人を超す人がいるみたいですよ」

「世界最大とは言ったもんだね。そんなに研究者がいるの。そりゃあ、鬼頭も落ちるわけだ」


 驚きついでに世界の弁当箱からポテトサラダを掬う。プチトマトは残り二個だ。


「研究者、技術者はその十分の一以下ですよ。ただ、神知教で研究したい人はその何倍もいますから、家のお父さんも良く『運が良かった』っていっていましたよ」


 それは謙遜じゃあないのか? と世界は思ったが口には出さない。研究室を預かると言うのは運がどうこうと言うよりも、完全に実力の話しだ。


「その千人を超す人達の住居……寮を研究所の横に作ったのが起源らしいですね」


 最初に出来た研究街である第二研究街は、研究や作業の際に発生する音や煙対策のため、群馬県の山奥に立てられていた。当然、人里は遠い。朝の通勤に二時間も三時間もかけられないという悪条件に耐えかね、最初に出来たのが研究者用の住居であった。その後、工場等の作業者用の物も建ち、清掃員達も住み込みとなり、実験施設や製造ラインを随時追加するうちに人は益々増え、食品店や銭湯に娯楽施設、既婚者用の住宅、その子供たちの学校まで作られるに至った。


「へー、そのまま街なわけ。すごいお金持ち集団って事を理解したわ」


 涼はどちらかと言うと、街を作った資金振りに驚いているようで、向日葵は少し残念そうに苦笑する。研究の特許やら、企業の援助を含め、世界の三分の一の金融を握っているとまで言われる団体なので、その認識は間違いでは全然ないのだが。


 それでも、どうせなら街を作り上げる研究者の情熱について感動を覚えてもらいたい研究街での向日葵は自分の弁当箱を保冷機能付だと謳う袋に片付ける。


「研究街は本当にいいところですよ? 神知教の最新技術が至る所にあって、まるで漫画の世界みたいでおもしろいですよ」

「俺が見た中じゃあ、チューブ上の電車がびっくりしたな」


 結局プチトマトを全て一人で食べた世界が相槌を打つ。その言い方から察するに、一度ならず研究街を訪ねた事があるようだ。が、チューブの電車で驚いていると言う事は、一般向けに公開される街の一部を歩いた程度であろう、その程度ではまだまだ甘い。


「あの程度普通ですよ。第六だと、小型の精密機械系統に偏っていますから、サイボーグや機械の義手なんて良く見るくらいですよ」


 流石にサイボーグは一度しか見たことはないが、機械制御の四肢はそれほど珍しいものではなかった。機械のほうが素手よりも性能が良いとわかると、効率優先の研究者たちはこぞって機械の腕やら足やらを手術で取り付け、その性能を競っていた。


 その話には涼ばかりか世界までも微妙な表情を作る。効率を優先してまでも機械の義手をつけると言う発想が今一納得しかねるようだった。あれ? と首を捻る向日葵。やはりこういった考え方の違いが世間に浸透しない理由なのだろうか?


「えっと、ですね。もっと凄いところだと、前にいた第七研究街では、超能力者とかもいましたよ」


 コレならどうだと、向日葵は妖しげに指を動かし不可視の光線を二人にばら撒く。

 その反応は、


「ああ?」が世界で、

「はあ」が向日葵。


「あ、信じてないですね、二人とも。信じてないばかりか、私の事を可哀想な目で見てません?」


 一人必死になる向日葵を二人は別々に見つめる。涼は頭を気遣うように、世界は頭を疑うように。完璧に信じていない眼差しかった。


「むう。神知教の中でもマイナーですけど、幽霊は存在する事は何通りか証明されているみたいですよ? 超能力者も、漫画みたいな人達が数人確認されていて、第七では《野生制裁》って言うよく分からない呼び名の女の人がいました。なんかハリウッドスターみたいなドレスを着て街中を練り歩いていましたね」


 力説をする向日葵だが、二人の顔色は変わらない。


「うーん? なんだか半信半疑。機械の腕ならまだ現実的だけど」

「だな。そいつは何が出来るんだよ。目からビームでも出すのか?」


 話がどうこうではなく、二人は真っ向から信じる気はなさそうだった。結局は機械仕掛けの義手と同じで、馴染まないのだ。海を見たことがない砂漠の子供が『大量の水がある』海を信じる事が出来ないように、世間の常識で育った人間に、神知教の常識はやはり馴染まないと言う事か。


 向日葵は諦めたようにツインテールの頭を振り、短い溜息をつく。


「地動説も進化論も最初は批判に次ぐ批判だったそうですから、仕方ないですね」

「じゃあ、後何年もすれば、幽霊と一緒に授業を受けるわけ?」


 こちらの常識が遅れている。間違っていると言われたようで、涼は少しムッとして答える。世界はもう話に興味がなくなったのか、椅子でバランスを取る例の遊びを始めていた。今回は一本足に挑戦するべく、顔つきが少し真剣だ。


「どうでしょうか。何でも幽霊と呼ばれる現象は特殊な人しか見られないようですよ」


 涼の口調に対して特に告げることもなく、向日葵は相変わらずのペースで答える。涼は大人気なかった事に反省したのか、恥ずかしそうに頭をかく。


「超能力者の《野生制裁》さんも見えたそうですよ。なんでも超能力も幽霊も同じものなのだとか言う話ですけど」

「詳しいんだな」

「割と有名なお話ですよ? それにお父さんが、その幽霊を見る研究をしていたのもありますけど」


 片手を伸ばしバランスを取る世界が「なるほど」と首を振る。


「最後に良いか?」


 まるでこうやって話すのが「最後」のような言い方に戸惑う向日葵。が、時計を確認すれば、昼休み終了まで後五分となかった。


「親父さんが死んでから半年、何をしてたんだ?」

「そういえばそうね。半年間何してたの?」


 今更になって涼も疑問に思う。交通事故で亡くなったのが半年前なら、その半年の間は研究街にいた事になる。半年は振り返れば短い期間でしかないが、高校一年生の半年間は長い時間に違いない。向日葵の性格からすると、半年間抜け殻のように泣いていたとは思いづらいし、一年過ごした学校を転向するのも嫌がりそうなものだが。


「機密主義ですよ。半年間、私が神知教の不利になるような情報や、神知教の最新技術を外に持ち出す可能性がないかチェック受けていたのですよ」


 ある時期を境に神知教は外への情報提供を厳しく取り締まり始めた。そして時期を同じくして、スポンサーたちが満足するような製品や結果を上げる事に変わりはないが、外に出しても他の企業ががんばれば出来そうなレベルのものしか出さなくなる。これを実力の頭打ちが始まった、と取る者もいれば、凄すぎて発表できないのでは? と考える者もいた。


 それにしても町を出るだけで半年もかかるとは、隣町のコンサートに行きたいときはどうするのだろうか?


「申請すれば、普通は一週間くらいで外に出られますよ。私の場合は完全に研究街から名前を消す為ですからね、重みが違いますよ。後は、心理にある種の発言が出来ないように催眠術をかけますね」

「催眠術?」

「はい。変なメガネみたいなのをかて、十秒ぐらいそのメガネに変な映像が映るのですよ。それだけです」


 深層心理に働きかけ、発言を制御する。心理学と機械工学の技術を複合した神知教のアイテム。当然、研究街意外ではお目にかかれない道具であり、研究街から外に出る為には絶対にかけなければならないメガネである。


「それに私が半年かかった理由はお父さんも関係していますかね。お父さんは結構な働き者でしたから、家財道具の小さな傷とかまで何かの情報が隠されていないかって、調査員の人達が念入りに調べていたのですよ。流石に研究室長の持つ情報となると漏洩したら大変ですからね。結局、メモリーカードとかそれに順ずる物は全部持ち出し禁止でしたね」


 結局、向日葵が研究街から持ち出す事が出来たのは、三冊のアルバムにくらいだった。後は潔く諦めた。まさか、外から取り寄せたCDまで駄目だとは意外だった。


「向日葵ちゃん、お父さんが好きだったんだね」


 他の話よりも数倍楽しそうに語る声に、涼が呆れ気味に笑う。自分も結構なファザコンだと思っていたが、向日葵も同等なくらいに父親を尊敬しているようだった。


「はい」


力強く頷く。その気持ちは紛れもない本物なのだとわかる笑顔で向日葵は笑う。


「それに、もしかしたらお父さんは今も幽霊になって護ってくれているかもしれないです」

「ふっ」その台詞を嘲笑うかのように、小さな笑いが一つ。「……そうかもな」大きな音を立てて三本の椅子の足が床に着く。


 裁判官の鳴らす木槌の如く、それだけで事業前の浮き足立った教室が静まり返る。


「幽霊。超能力。神知教……ねえ」


 椅子とは逆に世界は音もなく立ち上がり、鞄を掴み上げる。


「なんですか? 信じられないですか? やっぱり」


 皮肉の混じった言い方にもやはり向日葵は動じない。真っ直ぐに世界と会話を試みる。


「いや、信じたよ」


 肩を竦めて外人のような大袈裟なポーズを取りながら、世界は教室の出入り口に向かっていく。その姿に取り残された女子二人は首を捻る。次の授業は数学で、開始まで後二分。教室を出る理由は何処にもない。


「もう授業始まっちゃいますよ?」

「いいんだよ。体調悪いし、理系は得意だから」

「保健室ですか?」

「帰る」


 足を止めて答える世界の顔色は、相変わらず死人染みた白色だった。が、それは体調云々ではなく、単純な体質でしかないと言う考えがこの学校全体の意見なのだが、「体調が悪い」と本人が言うならば、本当に体調が悪いのかもしれない。「サボタージュは駄目です」なんて流石の向日葵も言えない。本当に、いつ吐血してもおかしくなさそうな色をしていて、多分小学生が暗闇で世界に会ったらトラウマになる。


 委員長の涼も「何しに来たの?」と笑い、止めようとも咎めようとも思っていないようだ。当然、他の生徒は見送る考えで完全一致。世界は右手をポケットに突っ込んで、教室を出て行く。


 しかし十秒も立たないうちに世界は再び教室に白髪を掻き混ぜながら戻ってきた。既に全員が席に付いた教室の中、真っ直ぐに向日葵の席に向かっていく。


 何事かとクラス中が見守る中、世界はポケットから一枚の小さな紙切れを取り出し、向日葵の机の上に置く。


「何ですか? コレ」


 記されているのは十一桁の数字と、『やらなければそれですむ』と書かれた英文。英文の尻には白い犬が宣伝に使われている携帯電話会社の名前。


「俺のアドレスと電話番号だ」

「本当ですか?」


 その場で飛び跳ねそうな向日葵の旋毛を見ながら、世界は苦笑する。


「なんかあったら連絡しろ。物騒な時代だからよ」


 それだけを言うと、今度こそ世界は教室を出て行った。


「あの、新里君? 私の授業がもうすぐ始まるんだけど……」


 教室を出ると、今年教師になったばかりの臼井教諭の泣き出しそうな声が世界を控えめに呼び止める。が、教室に入ってきたのは自分の教育手腕に自信をなくし意気消沈する臼井教諭、それに何食わぬ顔で例の小型過ぎるパソコンを持った忍だけであった。


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