表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/35

赤い瞳の噂 ③

 最初にそのミスに気が付いたのは誰だろう? 少なくとも世界は教科書を流し読みして黒板なんか見ていなかったし、忍は携帯ゲームに忙しそうだったので、この二人だと言うことはまずないだろう。


 黒板の板書にミスがあった。


 鬼頭教諭の授業は楽しく雑学や余談を交えて進む物ではない。黙々と黒板に文字を書き連ね、ぼそぼそとその内容を解説する。生徒の睡魔を呼び寄せる典型的な授業だった。


 その最初の方にミスがあったのだ。ミスと指摘するのも馬鹿馬鹿しいくらいの、書き間違いだ。他の教師だったらそのミスだって暇な授業の息抜きくらいにはなったかもしれないが、無愛想部門の担当である鬼頭そんなものは望めない。


「誰か突っ込めよ」「嫌だよ。嫌味言われるし」


 教室では密かにそんな会話が行われ、最終的に「自分で気が付くまで待とう」と言う物に落ち着いた。もし、説明時に気が付かなかったら……無視すれば良い。


 と。


「あの。板書、間違っていますよ」


 恐る恐る手を上げた向日葵が、鬼頭が振り向くと同時に問題の板書を指差す。教室の意見とは違い、向日葵は意味の分からない鬼頭の態度が気に食わず、嫌味のつもりで指摘をしてやった。意外と彼女は負けず嫌いだった。


「炎色反応の所の元素記号が……」


 教室中がその様子を見守り、


「……ご指摘ありがとうございます。日向向日葵さん」


 返事は大方の予想通りに、嫌味ったらしい、棘の有るそれだった。向日葵でなくとも神経を逆撫でされる、人を小馬鹿にした物言い。


「流石、神知教の研究室を任される、日向博士の御息女で。博識ですね……」


 続けて出てきた台詞に、教室の人間は首を捻る。世界一有名な研究所言った所で、その知名度は世間一般ではあまり浸透はしていない。ボクシングに興味のない人間が、世界チャンピオンの名前を知らないように、「神知教の研究室を任される」なんて説明を受けたところで、その凄さは一般人には伝わらない。これは神知教事態が閉鎖的で秘密主義な団体である事も手伝っていると言えるだろう。公明正大を良しとする日本人には、その守秘義務があまり受けていないのだ。


 だから、鬼頭の嫌味にすぐに反応できたのは、二人だけだった。


(本当に私があそこの出身者というだけで、あの態度を取っているのですか?)


 まずは向日葵。声にこそ出さないが、その場で思いっきりずっこけたかった。これはプライドが高いなんて話じゃない、単純に狭量だ。後二年はこの学校で勉学に励むつもりなのだが、気が重い。頼むから生徒指導の先生にだけはならないでくれと祈るばかりの向日葵だった。


「本当か?」


 そして二人目。何故か当事者の向日葵以上に大きなリアクションを取ったのは、


 窓際最前席。銀髪緋眼。新里世界。


 机を倒す勢いで立ち上がり、黒板のミスを指差す向日葵と白衣に両の手を突っ込む鬼頭教諭を交互に眺める。鋭い瞳は二人を怯ませる。


「本当に、日向博士って言う神知教の親父さんがいるんだな?」


 いつになく不機嫌そうに、真剣な世界の声が教室に広がり、教室中が震える。


「ああ、いるね」


 その問いに答えたのは鬼頭教諭。突然立ち上がった問題児に驚きつつも、顎を撫でながらニヤリと笑う余裕を見せる。そして、まるでその事が自慢のように、負い目のない目で笑う。


「そうだ。お前みたいなごろつきは知らんだろうが、それは高名で私と同じ大学の男がいたんだよ。あいつは本当に……」

「どうも、鬼先生」


 長くなりそうな昔話を始めた鬼頭に右腕を向ける。驚いた鬼頭教諭はその口の動きを止める。世界はそれだけで十分だとばかりに、例の捕食者のような笑みを作り出し、「なるほど」と漏らす。そういう話も有りうるか。


「…………ちょっと早退する」

「はあ?」


 何かを考えるように沈黙していた世界は、目を開けるとそう宣言した。流石の鬼頭も間抜けな声を出す。鬼頭だけでなく、教室中の全員がクエスチョンマークを頭に浮かべ、突然のエスケープ発言の意味を模索する。「何故?」と。


が、その間にも時間は悠然と動き、世界はそうであることが当たり前のように鞄を掴むと教室の窓を開けえてサッシに長い足を乗せ、「じゃ」右手の人差し指と中指だけで、敬う気持ちが感じられない敬礼をし、世界はそのまま窓から飛び降りた。


「ちょ……」


 誰かの声が世界に届く事はなく、猫のように身軽に花壇へと着地を決める。二年生の教室は三階。校舎の天井は普通の家屋よりも若干高くなっていて、三階は優に七メートルを超える高さで、下がプールになっていても躊躇なく飛び降りられる人間は少ないだろう。しかし世界は花壇からすぐさま立ち上がり、軽く肩を回すと、校門に向かって走り出す。遅れて反応した鬼頭教諭が何かしら叫んでいたが、聞こえないフリでやり過ごすことに決めた。


 騒がし自分の教室を後ろにしながら、詰襟の胸ポケットから携帯電話を取り出す。こういった時、世界が電話をかける相手は決まっている。多忙な男なので電話に出るかどうか心配だったが、コール音が三回もしない内に、


『ああ? 珍しいな世界。お前から電話してくるなんて。おじさん嬉しいなー』


 盃嵐は電話に出た。二週間ぶり聴く声は相変わらず。ただ、だからといって電話の向こうで横になっているわけではないだろう。もしかしたら外国で銃口に狙われているかもしれないし、古代の遺跡を散策しているかもしれない。それでも平常心で電話に出る事が出来る人間が、盃嵐だと言う事を、世界は嫌と言うほど知っていた。


「ふざけろ。そんなことよりお前、『ひまわり』って言う床屋知ってるだろ?」


 世界は単刀直入に切り出す。この男相手に雑談でもしようと思ったら携帯のバッテリーが満タンでも足りない。こちらから時間を取ってもらった形なので、その辺の考慮も当然あるが。


 それに時間的余裕があるかどうかも分からない。出来れば早い内に新しい情報が必要だった。


『当たり前だろ。あそこは俺の地元だぜ? 市長選に出たら間違いなく現役市長を蹴落として当選するくらい、俺はあの町を愛してるぜ?』


 床屋を知っているだけで当選できるなら、立候補者はもう少し金をかけずに選挙を出来ることであろう。世界は大股で坂道を下りながら携帯電話の向こうの嵐に頭を下げる。


「じゃあ、あそこの日向向日葵の親父さんが何者か教えてくれ」

『お、アレですか? 向日葵ちゃん狙いか? 良いんじゃないか? 素直で。可愛らしい、間向日葵ってよりは蒲公英って感じだな。てっきりお前はあの馬鹿の如く鈴音みたいな性根の曲がったような女が好きと思ってたけど』

「人の姉を性悪呼ばわりするな。後、俺の質問に答えろ」


 この命の恩人は、一々迂回をしなければ真実に辿り着けないのだろうか?


『ああ、なんだったけか?』


「切るぞ」短く言い放つ。


『短気だな、おい。確か親父さんだったな、あんま詳しくはないな。婆さんの方はガキの頃良く散髪してもらったよ。こないだも黒天の奴を連れてったらよ、『あんたは良い子だから、隅っこで漫画でも呼んでいろ』なんて言われちまった。俺も図々しく《人生不敗》なんて名乗っちゃっているが、アレには敵わないね」

「知らないんだな? 切るぞ」


 流石《人生不敗》を名乗るだけはある。「わからない」と言えない大人にはなりたくない。


『待てって、死刑執行人は最後に出てくるものだろ? ばあさんの息子は割と有名な研究員だ。神知教の第六研究街の……細かい事は忘れたが、見えないものを形にする研究が専門だ』


「なるほど」


 なら、今の自分の症状も納得が出来る。『見えないものを形にする研究』つまり、神知教の目指すモノの一つ。到達点としての目標の一つ。


『一人で納得するなよ。俺にも詳しく教えろよ』


 一人で納得し黙り込む世界の耳元で嵐は電話越しに不満を隠さない大声を挙げる。その声量に一度電話を落としかけ、慌てて耳に当てなおす。


「毎度ながら、厄介な事態になっているんだよ」


 忌々しい。髪質の硬い白髪をかき混ぜ、呪詛を吐いていると勘違いされ手も仕方がない形相で事の成り行きを説明する。


 喋る事がギリギリ可能な位のスピードで疾走しながら世界が簡単に状況を説明すると、世界は聞く前のイライラとした雰囲気が消えた、遠足前の小学生のような弾んだ声で会話を締めくくる。


『くっくっく。毎度ながら楽しそうな事になっているみたいだな』


 一方的に電話は切られ、通話が切れた音だけが耳に届く。「…………」その事に腹を立てる素振りもなく、世界は「やれやれ」と楽しそうに溜息をついた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ