日常 ④
それは赤い瞳で闇夜を見ていた。視線の先には、二人の少年の姿がある。二人は頼りない街灯の下で足を止め、赤い顔で別れの挨拶を交わしていた。
「おい、気をつけて帰れよ。お前、去年も停学食らっていただろ。今、先週の事件で先公共がうろついているからよ」
こいつは、違う。
一人を見て、それは首を横に振る。その白い首は、既に日が落ちて数時間たった夜闇の中にはっきりと浮かび上がって見えた。もしそれを見た者がいたら、死者のような青白さに驚きの声を上げたことだろう。
「わかった、今日は奢ってもらって悪いね」
酒臭い息を吐きながら、もう一人の少年が笑う。
こいつだ。それは唇を裂かんばかりに微笑む。
少年の名前は親七功兵と言った。
「おごりじゃねーよ。返せ」
もう一人が、軽くなった財布を見せ付ける。しかしそれは興味を示さない。それが欲しいのは金などではない。
「ほーい」
絶対に返すことはないだろう酒代の薄っぺらな返事を聞くと、もう一人は舌打ちをした。そして、それっきり二度と振り向くことなく三叉路を左に進んでいった。
街灯の下には、功兵だけが取り残される。いつまでも道路の真ん中に突っ立っている必要もなく、少年は小さく欠伸をしながら右の道へと足を進めた。
それは静かに、夜道を行く功兵の背中を追いかけた。
四月になり、すっかり暖かくなった夜の空気を吸い、功兵が慣れた様子でタバコを取り出すとマッチで火をつける。マッチの燃えカスを土手に捨て、咥えたタバコの煙る先を見て、
「畜生。まさかあの世界の女だったなんてな」
小さく本日一番の不幸を嘆く。
それはその台詞を聞き逃さず、怒りを白い肌に蓄積させる。
「可愛かったのに」
高校性らしからぬリボンでまとめたツインテール。成熟しきらぬそのしなやかな肢体。遠くを見る大きな瞳と、小さな顎。何から何まで功兵のストライクゾーンだった。特に年齢が一つしか変わらないと言うのは魅力だった。
「合法ロリ……っち。ヤコブにさえ連れ込めば、やりたい放題だって……うお!」
下種な欲望を口にすると同時に、何かに足を引っ掛けた功兵がその場に倒れこむ。「いてて」と無駄な自己主張をしながら、尻を上げ、足元を見回す。「……」石ころ一つない、多少年季の入ったアスファルトは凹凸が酷いが、いくらなんでも足を取られるとは思えない。
「飲みすぎたか?」
自分の足に自分の足を引っ掛けた。間抜けだが、今自分は飲酒で酔っ払っている。そう考えるのが一番納得のいく答えだ。
今ので少し酔いも醒めた功兵は、気を取り直して家路を続けようとするが、
「え? 何で、足が動かない」
まるで誰かが自分の右足にしがみ付いている。そんな違和感。それを不気味に思い、恐る恐る自らの右足に視線を落とす。
ぼき。
突然動かなくなった、上がらない右足を見た功兵はそんな音を聞いた。
人体を支える、重要なそれはいとも容易く、小枝を踏むように小気味の良い音をあげる。
それだけで、右足の骨が折れていた。
間接が一つ増えたみたいに、不自然に、不必要に右足は曲がっていた。
「ぎゃああああああ!」
響くのは夜空を震わすような絶叫。痛みに倒れこんだ功兵は土手を転がり、田圃に落ちる。その間も痛みは引くことはせずに、右足が痛みを訴えて熱くなる。田植え前の田圃で泥まみれになった功兵は、ようやくそれに気がついた。
月明かりに照らされるそれを見た。
痛みを忘れさせる、全てを見透かす血眼。恐怖を思い出させる白い肌を。
それは、非情なまでに無表情で功兵を見下していた。何を考えているかなんてわからない。それでも、自分の末路だけははっきり自覚できる。まな板の上の鯉はこんな気分なのだろうか?猫を目の前にした鼠は何を思うのか。
捕食者の前に残された功兵の行く末は、わかりきったありふれたものでしかないだろう。