猫の死体 ①
どうか、お楽しみください。
その甲高い音は、月も出ていない夜空に悲鳴のように響いた。
日向向日葵はその叫びに思わず足を止め振り返る。三十メートル程後方、オレンジ色の光を放つ田舎道の街灯の下。安っぽい光に照らされたそこには、数秒前にすれ違った、真っ赤なスポーツカーが見えた。スポットライトと羽虫の下で、慌ててエンジンが回され、法定速度を無視した速度で発進していってしまった。
どうやら悲鳴は急ブレーキの音だったらしい。
先日、神知教の研究街でトラックに轢かれ死亡した父親を思い出し、向日葵は何事もなかったように春の夜の闇に消えていった車体を睨み付けるように鋭い目つきを見せる。自動車が事故を起こさない日が、この世にいつか訪れる事があるのだろうか? そんなことを考えて、向日葵は視線を正面に戻す。黄色いリボンで括ったツインテールが動きに合わせてゆっくりと揺れた。
嫌な物を見てしまったし、今日の散歩はここが止め時だろうと、ズボンのポケットから契約したばかりの携帯電話を取り出して時刻を確認する。九時を僅かに回った所で、時間的にもキリが良かった。携帯電話をしまい、一時停止していた足を、先週引っ越してきたばかりの祖母の家に向ける。
「え?」
が。一歩を踏み出そうとした向日葵の右足をその場に下ろして、向日葵は今一度進んできた道を振り返る。
振り返った理由はまたしても悲鳴。車のブレーキ音とはまるで違う、生命を持った声。
それは、猫の鳴き声だった。今度こそ正真正銘の悲鳴なのだろう。猫の言語がわかるわけもないが、少なくとも向日葵には悲鳴にしか聞こえなかった。
「ひどい」
目を凝らしてスポーツカーが急停止したであろう地点を見ると、そこには二匹の猫が無造作に転がっていた。
向日葵は間を置かず、猫の場所まで駆け出した。父親と重なったのか、無意識の行動なのか、迷いのない走り方だった。
そして駆け寄ってみれば、一介の高校生である向日葵がどうにか出来る状況ではなかった。
ゴムが焼けた悪臭のする道路の真ん中で、猫は倒れ、猫は死んでいた。
大きさで言えば、親子ほどの差がある二匹の猫の内、大きい方の猫からは目玉や骨が飛び出していて、誰が見ても死んでいるわかる有様だった。もう一方の子猫は大きな猫の下敷きになるように潰れて、漏れるような悲鳴を発しながら、吐血していた。死んでないというだけで、別に生きているわけでもない。後数分もすれば死んでしまう。そんな様子だった。
急ブレーキの理由は、これか。
声なんて聞こえなかった事にして、帰った方がまだ寝付きが良かったと思える光景を前に、向日葵は唇を噛んで涙を堪える。手の施しようなんて微塵もなく、死を待つしかない、この時間がただ悔しかった。
だから、足掻いてやろうと向日葵は咄嗟に考えた。
あんな鉄の塊のせいで死ぬ事はない。そんな考えが頭を過ぎる。
そして何より、
「私が助けて見せます」
父親が轢かれた時は、神知教の医師が出来る限りの処置をしてくれたし、両親を失った向日葵を祖母は快く自分を引き取ってくれた。自分もそう言った存在になりたかった。
この新天地では、何も失わずに生きていたかった。
向日葵は決意を固めて大きな猫の下から、息のある子猫を引っ張り出す。それを両手で抱えて、強く頷く。
「私が助けて見せます」