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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

復讐とは何故虚しいのか。

作者: Scarecrow

弱者と強者、なんと憎い言葉だろう。


今日も僕を殴るのは、近所に住んでる「篠原」。

彼が僕の体に付けた傷はいざ知らず、壊した僕の物は数え切れない。

憎くて仕方なかろうと、反逆する事も許されない。


空手をやってる僕が

彼より身長の高い僕が

彼より体重の重い僕が


一体どうして、僕は彼に逆らえないのだろうか。

それは皆が彼を強者とし、皆が僕を弱者とするからだ。

僕が苛められるのは当然。逆らうのは悪。

そんな空気に逆らえず、僕はいつも悔しかった。














「たく、もう…

次壊したら怒るわよー!」


母はそう言って僕にコンパスを渡した。

学校で配られる、皆が使う青いコンパスでは無い。

市販の、真っ黒なコンパスである。

他人と違うというのは少しカッコよくて、少し恥ずかしくて、でも大好きな母が選んでくれた物だったから、凄く嬉しかった。






それは今、目の前でバラバラされている。


体が動かない。

心までバラバラにされてしまっては、喋る事も出来なくなるのだと思い知らされた。


周りの誰も、動かない。

なにせその光景は、特別日常を逸脱している訳でもなく、特に興味を引く程度のモノでも無いからだ。



彼はケタケタと嗤って立ち去っていった。



僕は、久しぶりに涙が出てしまった。声を噛み締めて鼻をすすり、心の中で泣くようにした。










先生は、慰めのつもりか自腹を切って新しいのを買ってくれると言った。

どうやら親を巻き込みたくないという事に関しては先生と考えが一致した様だ。


でも先生は篠原を怒らなかった。







それ故では無い。

誰も僕を助けなかったとか、誰も彼を咎めなかったとか、そういう感情では無い。



ただ、彼だけが憎い訳ではない。

みんなが憎い、この世の全ての人間が憎い。

これ程に僕を苦しめる世界を壊したい。


然れど、こんな弱者の僕に与えられた復讐の権利は、恐らく彼一人分であろう。



だから



この怒り、この恨み、この哀しみ、それら全てを彼に押し付けよう。


この膨らんでしまった憎しみを、彼全部にぶつけよう。



泣き止まない心の中で、僕は静かに決意した。









翌日、僕は1人で登校した。

次の日も、次の週も、僕はずっと1人でいた。

1人で憎しみを鍛え、1人で殺意を研ぎ澄まし、1人で彼に復讐しようとした。

決してそんな素振りを他人に見せない為に。


先生は、僕が忘れたと思ったのかコンパスの話題を振らない。

篠原は、何処か勘の鋭いようで僕を遠ざけ始めた。

他のクラスメイトも、僕の方から距離を取ってやった。

















今日も、気が付いたら夕日は沈んでいた。

電柱に打ち付けた掌は、真っ赤に染まっていた。





「殺してやる」

心の中は、いつもそれで満ちていた。

心の中で、彼の顔を、否、人の顔を見るたびに、顔に己の拳を埋めてやった。

心の中の、殺意。それ以外の一切を排除した。






「次、僕に手を出したら、殺そう」

たった1人で誓った。

他の人には、決して聞かせる事の出来ない誓い。



僕は弱者である。

弱者が強者と戦う時、それは復讐の時以外は許されないのだ。





然れどその考えが、僕が弱者たらしめる理由だったのだが。










或る日、今日も俺は1人で登校していた。

学校に近くなっていくにつれて、自分の中の殺意が腑の中で沸騰しているように感じた。


そうして溢れそうな殺意なんとか隠しつつ、自分のクラスへと入る。


「よお。」



篠原が、こちらを嘲るような表情で立っていた。

何故だか彼の顔を見るのは久しぶりな気がした。



「…」



生まれて初めて彼を無視した。

彼に怒りを抱かせるためだ。

正直、僕自身の殺意を抑える事は限界であった。

もう復讐など、本当はどうでもいい。


彼を倒したい。


彼を泣かせたい。


彼を殺してしまいたい。





「おい。

返事ねーのか。」


篠原は少し意外そうに返した。


僕は静かに右手を拡げて力をこめる。


この数日、電柱などを殴って分かった事は、殴るという行為は想像以上に激しい痛みを伴うという事だ。

拳の骨が痛み出し、追撃する事が難しくなってしまう。

一撃だけであるなら拳で充分なのだが、僕が求めるのは単に威力だけでない。

強力な打撃を、何度も奴の顔面に叩き込まなければ気が晴れないのだ。


そこで代案として発見したのが、鉄砂掌という暗殺拳であった。

漫画のような話であるが、鉄の砂の袋を手で叩くだけで、叩いた手の箇所が鉄の様に硬くなり、やがては人を殺せる程に至るという、仇討ちのための暗殺拳である。


勿論僕の手が鉄の様に硬くはならなかったが、この暗殺拳の本来の意味は「全力の打撃を可能とする」という事である、と鍛える内に僕は気付いた。

痛みで一打一打の威力が落ちぬように、前もって痛みに慣れておく。そうする事で、相手を殺すまで、何度も同じ威力で殴る事が出来るということである。

実際、拳ではないが数度の全力の張り手を電柱に叩きこめられる程度には成長した。

張り手と言っても、週一の空手で試した時は拳の威力を遥かに凌駕したものである。






ーーーこれで殺せる!



既に右手の用意は出来てある。

即座に左手で距離を測り、野球ボールを投げる様に振りかぶって叩き込む!


何度もイメージトレーニングを繰り返す。

目からは自然と殺意が漏れ出すのを感じる。

じっと睨んで篠原との距離を一定の位置に保とうとする。








すると篠原はニカっと笑った。


「如何した?今日は機嫌悪いな?

…大丈夫か?」



篠原が初めて僕を心配した。

彼の優しさと僕の殺意とが矛盾しあい、僕はヘドロを呑まされたような胸焼けを感じた。


その混乱の最中、彼は一気に僕との距離を詰めた。

ひょっとして本当に心配してくれているのか、そういった希望が僕の心を照らした。

先程迄の殺意は嘘のようになりを潜めた。






ーーー僕は単純な人間だなぁ。

思わず心の中で呟いた。

しかし、少し晴れやかな気持ちだった。









「なんて、な。」


彼は僕の腹を抉った。

鳩尾への強力な一撃に、力が一気に抜けていく。

混乱する頭の中に響くのは、篠原の笑い声だけである。




ーーーこのパターンは、初めてだな。




僕は意外にも冷静であった。

しかし、さっき迄の希望は消え失せ、感情も次いで消え失せた様であった。


なぜか、立ち上がろうとしても脚が震えて動かない。

それが、奴の一撃の所為ではない。

殺意が強すぎて、力が入らないのだ。


感情は消え失せていなかった。

ただ、感情の全てが殺意となっただけであった。

(次、が!

次が絶対ある!

次は…絶対殺す!)



僕は再び誓った。


されど、これはもう復讐ではない。

復讐の動機さえも忘れてしまった。

今の僕には、殺意しかない。

最早他の何も無い。


その日から、僕は篠原を殺す事しか考えなくなった。











再戦の機会は思いの外、先の事であった。

あれ以降中々奴は僕に絡んでこない。

然れど、時が過ぎていく度に僕の殺人拳の威力は増していく。

自分で自分の鳩尾に一撃を入れ、耐える練習をした。

如何なる場合でも、冷静になる練習をした。

1人になれば、出来るだけ硬い物を掌で叩くようにした。






日が経過する度に、僕の精神は安定していた。

以前のように、沸騰したような熱い殺意はもう無い。



奴が手を出した瞬間、殺す。

冷静に、それだけをこなす。

なんの気持ちも、鬱憤も込めない。

静かな殺意というのだろうか、まるで家に入ってきた虫を潰すような、そんな気持ちで奴を殺すイメージトレーニングを重ねる。








今日も陰鬱な学校が始まる。

1人でいられる時間が少ない学校では、暗殺拳を鍛えられる時間が無いにも等しい。

然れど焦燥は禁物である。

常に、冷静でなければならない。

チャンスは必ず巡ってくる。

心の中で、自分に何度も言い聞かせながら今日も登校した。



クラスに入ると、篠原が立っていた。

そこは、皮肉にもこの前僕が敗北したの時いた場所と、殆ど同じ場所であった。

やっとチャンスが来たと一瞬歓喜したが、直ぐに冷静を取り戻す。


「どけよ。」


煽る。

兎に角、今度のチャンスは逃してはいけない。


「…あぁ?」


奴は露骨に嫌そうな顔をした。

僕の思惑通りの行動に思わずほくそ笑む。


僕はそんな顔を見せないように下を急いで見つつ、嗜虐心を煽るような、弱々しい態度で返答とする。


奴はゆっくりと僕に歩み寄ると、僕の腹に握った拳を一撃を加えた。

少し後ろに後退して打撃の威力を軽減させつつも、彼が喜んでくれるように鈍い声を吐く。





奴は満足そうに背中を見せて立ち去った。

僕はそれをうずくまるフリをしながら確認すると、直ぐさま立ち上がり、大きく振りかぶって奴の背中に一撃を食らわせた。




ドンッ!




鈍い音が響く。されど僕のイメージを遥かに下回る威力しか出なかった。


少し驚いたような顔で奴はこちらを振り向いて、僕の目を見た。



目が合った瞬間、僕は恐怖した。

奴の目は憎しみで満ちていた。

初めて見る目であった。

其処には微かな殺意さえあるような気がした。

あの日の痛みが、あの日の暴力が、僕の冷静を奪っていく。


ーーーひょっとして、僕は取り返しのつかない事をしたのだろうか。




後悔してももう遅い。

このままでは僕は無事ではいられなくなるだろう。

痛い思いを嫌となるほど味わうだろう。

ならば、と自然に体は動いていた。


二撃目は単なる恐怖によって繰り出されたものであった。


三撃目も、四撃目も、己の安全を守る為のものであった。




ただ、奴が怖かった。

仕返しが、怖かった。



奴に一撃を加えていく度に、彼の仕返しがより酷くなる気がした。







「こら!何やってんの!」

ふと突然響いたのは先生の声。

誰もが沈黙していたからなのか、普段よりもよく聞こえた気がした。

怒られ慣れている僕は、それか僕の事を言っているのだと気付き、思わず追撃を止めた。

しかし目の前の篠原を見て現実に立ち返り、反撃されないよう、大きく腕を構え直した直後である。




ゴホッ!ゴホッ!




篠原は大きくむせていた。

そんな彼は僕に怯えたような目を向けて、追撃が止んだことを確認すると、

たった1人で、足もヨロヨロになりながら、ゆっくり保健室へと向かっていった。




先生のヒステリックな声の中で、僕は何故だか、彼にありえない感情を抱いていた。





彼が先に手を出してきた、と先生に向かって端的に述べると、僕は無表情のまま自分の席に座った。








本当に篠原だったのか…。

そう疑ってしまう程、拍子抜けな結果であった。


感じたのは恐怖から逃れた安心感でもない、復讐の達成感でもない、彼に勝った優越感でもない。


確かに恐怖は感じた。復讐もある意味達成した。彼はもう僕を見下せず、僕はむしろ彼を見下すことも出来るかもしれない。


それなのに、殺意さえ抱いた相手の弱々しい姿を見た途端、湧いてきた感情は憐れみであった。




自分でも自分の感情を理解出来ず、結局何もかもどうでもよくなってしまった。














あれから6年、今ではお互い何処にいるのかも知らず、といったところである。

結局あの事件以降、彼の暴力は減りはしたものの、最後まで止むことは無かった。しかし、その暴力には何処か遠慮が存在していたし、私がやり返そうとすると彼は途端に怯えた表情を見せるようになった。





私はあの復讐を後悔していない。

あの事件以降の私を取り巻く環境の変化は、殆どは私にとってプラスな事だったからだ。


然れど、私のあの衝動ーーー

あの尋常でない殺意は何処に行ってしまったのか。


憐れみによって消されてしまったのか、それとも元々殺意など無かったのか。


殺意はあったと自分に言っていたが、凶器などを持ち出さない辺り、潜在的な殺人の忌避感があった事は確かであろう。

だが、あの時確かに私は彼を殺す事を想像し、妄想し、願っていた。



あの復讐の衝動を完全に塗り潰したのは殺意であった。

その姿は当に臥薪嘗胆、常に彼への殺意で頭が埋まっていた。



なのに、たった哀れな表情一つで、私のあれ程の殺意は消え失せたのか。



結局のところ、復讐は彼を憐れんだ…つまり彼を弱者に堕とした時点で終わっていたのだろうか。

となると、復讐の衝動は残っていたという事なのか。





あの時の、なんとも言えない不思議な感覚を、私はまだ理解する事が出来ない。


ただ一つ言えるのは、復讐は無駄では無かったし、徒労でもあったのかもしれないという事だろうか。









あれ以降、私があれ程の殺意を抱く事は未だ無い。

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― 新着の感想 ―
[一言] はじめまして。 斜志野九星と言う者です。 すごく共感できる話でした。 私もやったことがあるので分かるのですが、 復讐は、やろうやろうと思っていても何かしらの理由を付けたり、いざやっても自分…
[一言] とても重いですね。 緊張感がすごかったです。
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