弐・第九章 第十話
「何故なら人はその感情を……
……同族嫌悪、と呼ぶのだから」
「……ち、が、う」
リリスの身体を操る創造神ランウェリーゼラルミアの放ったその言葉に……俺はただ首を左右に振ることしか出来なかった。
認める訳には、いかない。
あのクズ共と……この俺自身が同じだなんて。
……そんな訳がない。
そんなこと……認められる、筈がない。
──絶対に、違う。
俺はもう一度首を左右に振るが……創造神の言葉を否定する声は、俺の口からは出てこない。
言い返すための言葉が、ない。
そうして口ごもる俺に向けて、リリスの身体は、なおも言葉を続ける。
「……何が違う?
貴様は、自分が今までやってきたことも覚えていないのかい?」
リリスのその言葉を合図に、またしても周囲の子供たちが口を開く。
「突然与えられた」
「神の力で慢心し」
「人の有害を」
「勝手に区別し」
「自分勝手な判断で救い」
「殺し」
「彼らの死を」
「無力を」
「努力を」
「あざ笑う」
「貴様は」
「それが」
「気に入らないのだろう?」
子供たちの声が、一度は聞いたその声が……
俺の胸に突き刺さる。
否定をしたくても、否定をしようとしても……言葉が出ない。
出る、訳がない。
「さぁ、一体貴様が今までやってきたことと、何が違うと言うんだい?」
そんな俺に向けて、創造神は更に言葉を続ける。
「例えば、この十余りの身体を育てていたあの娼婦を救い、無惨にも姫を手にかけたのは何故だい?
あれだけ姫を欲しがっていたのは、貴様自身だと言うのに」
リリスの身体を操り、身を削ってリリスを……子供たちを育ててきた彼女を冒涜するような言葉を。
「違う、だろうがっ!
テテニスと、あの傲慢な豚が、同じ訳っ!」
その一言を聞いて……俺は黙っていられる訳がない。
餓鬼共の言葉をかき消すような大声で、そう叫ぶ。
とは言え……一度放たれた言葉をかき消すような真似なんて、破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能を使ったところで出来る筈もなく。
そして、俺の怒鳴り声を聞いたところで、創造神が口を紡ぐ訳もない。
「……そうかな?
その足りない頭で必死に使ってみると良い」
「ふざけるなっ!
テテニスは、アイツは……あんな傲慢な理屈で、命を弄ぶようなっ!」
挑発するような創造神の言葉に、俺は怒声で答えていた。
だけど、俺の声を聞いたリリスの身体は、ただ軽く肩を竦め、首を左右に振って呆れたような声を放つ。
「貴様には記憶力がないのかい?
緋鉱石を自らの身体に埋め込み、『機師殺し』として人々の……機師たちの命を奪っていたのはどこの誰だったのかな?」
そう告げたのは首を抱えた子供だったが……
俺はリリスの身体を睨みつけたまま、その言葉を否定する。
「それはっ!
生きるためでっ!
子供たちを、育てるためでっ!
愉悦に浸って、命を弄ぶようなっ!」
「あの娼婦に、力を振るう愉悦がなかったと?
貴様は覚えている筈だ。
彼女が……力に酔っていたその姿を」
……だけど。
俺の言葉を、やはり創造神はあっさりと否定する。
そして……その言葉に嘘がないことを、その言葉を否定する材料がないことを、俺が一番理解していた。
何しろ、テテニスを……『機師殺し』を食い止めたのは俺自身なのだから。
テテニスと相争ったあの貴族の屋敷で見た……焼き殺され潰された死体を、そして彼らを弱者と嘲笑うテテニスを、俺はこの目で、確かに見たのだから。
それでも……頷ける訳がない。
テテニスとあの豚が同じだなんて、コイツらの主張を、認める訳にはいかない。
「アルベルトがっ!
姫を想い続けた、アイツが死んでも、あの豚は眉一つっ!」
「で、あの娼婦を必死に守っていた中年の男が死んだ時、あの娼婦はどうしていたと?」
必死に口にした俺の反論を、胸に大穴が開いた子供の死体が易々と封じ込める。
……そう。
テテニスは、ゼルグムのおっさんの死を聞いても、「ま、仕方ないか」というたった一言で済ませていた。
誰が死んでも……弱ければ、死んで当然だと言わんばかりの口ぶりで。
俺は首を振ってその記憶を必死に追い出し、反論を口にする。
「あの豚は、土壇場で股を開いてまで、自分だけでも助かろうとっ!」
「……貴様は娼婦という商売の、何を理解しているんだい?
あの島から追い出され、土壇場に追い込まれた彼女は、男たちに股を開いて生き延びたのだろう?」
次に口を開いたのは、頭蓋を割られ脳みそが潰れている様子まで目の当たりに出来る子供だった。
その呆れ返った口調に……まさに子供に諭されるその声に、俺は歯を食いしばるだけで、何も言い返せない。
出来たことと言えば……別の反論を探すこと、だけだった。
「……テテニスは、子供を……弱者を助けていた。
……あの豚とは……違う」
「ちなみに貴様は知らないだろうが……あの姫も、慈悲深いと評判だった。
貴族の叱責からメイドや庭師の命を守ったことも数度ではない。
ま、少々蟲を応援し過ぎるきらいがあったものだけどね」
やっと見つけ出したその言葉も、真正面に立つリリスによってあっさりと意味を失ってしまう。
……知っている、筈がない。
あのマリアフローゼ姫が、どんな少女だったか、なんて。
俺は、彼女の美貌ばかりを見て、あの少女を自らのモノにしたいと願い……それ以外のことなんて、どうでも良いと断じ、知ろうとすらしなかったのだから。
そんな俺に向けて、創造神は……リリスの身体は、トドメのように俺に言葉を突きつけて来た。
「もう一度聞くが……二人の何が違う?
片方を助け、片方を殺すほどの大きな差が二人にはあるのか?」
創造神の次々と放たれる問いに、俺はもう答えを返す気力すら起こらず、ただ項垂れるばかりだった。
「一つだけ差異があるとすれば、死が迫った時の差か。
娼婦は死を受け入れ、周りを貴様に託した。
姫はなりふり構わず死と恐怖に抗い、生きるための方策を模索した」
それでも、創造神は言葉を止めはしなかった。
「さて、貴様は……人の生きようとする姿が魅力的だとか何とか考えていたっけな?
何か反論はあるのかな?」
そんな俺にも欠片の容赦すらなく、創造神ランウェリーゼラルミアは言葉を続ける。
……俺を、俺の内心を嘲笑うかのように。
そうして、巨島を滅ぼした、あの怒りと憎悪の感情が……ただの同族嫌悪だったという『事実』を突きつけられた所為か。
あれだけ欲しがっていた……テテニスとリリス、あの双子達とを天秤にかけてまで欲した筈のマリアフローゼ姫を切り捨て、この手にかけた……その判断すらもおかしいという『事実』を突きつけられた所為か。
徒労感に襲われた俺の身体から……一切の力が抜ける。
俺はただ砂の中に膝を突き、呆然と項垂れることしか出来ない。
「……もう終わりにしたら、どうだ?」
そんな俺に向けて、優しげな声でリリスは呟く。
「神の力を持ちながら」
「中途半端な感情だけで動き」
「中途半端な知識だけで判断し」
「中途半端な善意で人を助け」
「中途半端な同情を振りまき」
「中途半端な正義で人を罰し」
「中途半端な決意故に、見たくないモノを突きつけられると……」
「何もかもを……欲しがっていたものすら、あっさりと放棄する」
膝を突き気力を失った俺に向け、子供たちは言葉を突きつける。
否定の言葉すら浮かばない、『事実』という名の刃を持った、その言葉を。
「貴様の正義そのものが害悪だ」
頭をかち割られた子供が、俺の正義を否定する。
「貴様の行動そのものが害悪だ」
胸に穴の開いた子供が、俺の行動を否定する。
「貴様の存在そのものが害悪だ」
首を抱えた子供が、俺の存在を否定する。
──違う。
──違う、違う、違う。
──違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う。
膝を突いたまま俺は、内心でただ否定の言葉を呟くことしか出来ない。
だって、認められる訳がない。
この世界に来てから、俺が正義と信じた救済が、俺が行動した何もかもが……いや、俺の存在何もかもが害悪だ、なんて。
「もう消えてくれ」
「貴様がいなければ」
「他の世界の人間たちも」
「死なずに済むだろう」
……だけど、否定の言葉は浮かばない。
ただ突きつけられた事実から目を逸らし……「違う」と内心で繰り返すことで、創造神の突きつけた言葉への思考を放棄することが、俺に出来る精いっぱいの抵抗だった。
「ああ、そうだ」
「貴様は何かをすればするほどに」
「死と破壊をまき散らす」
「……まさに災厄そのものなのだから」
そうして反論すらもなくなった俺を見届けたのだろう。
リリスが、子供たちが、紅の槍を構え……
「では、消えるが良い。
我が末妹の命を奪いし貴様を、苦痛もなく葬ってやろうというのだ。
私の慈悲に感謝しながら、その存在ごと消え去れ」
死刑を宣告するかのように、創造神ランウェリーゼラルミアの憑代たる、十数名の子供たちはそう告げると。
各々がその手に持った紅の槍を、俺に向けて一斉に構え、突き出し……
──死ぬ、のか、ここで?
その迫りくる槍を、俺はゆっくりと見つめていた。
ただ、この十本余りの槍に貫かれれば、全てが終わるのが分かる。
このまま……人生が、何もかも終わる。
死ねば……夢も希望も未来も将来も、何もかもが水泡と帰すのだ。
──でも、それでも、良いかも、な。
俺の正義は害悪だと……俺の行動は害悪だと……
……俺の存在は害悪だと。
創造神が、いや、彼女が……リリスが言うのなら、それは事実なのだろう。
俺は何かをすればするほど、周囲に死と破壊をまき散らす、災厄なのだ。
……だったら、いない方がマシ、なのだろう。
俺が殺した、全ての人たちのように。