弐・第九章 第二話
「……今日は、ここまで、だな」
塩の平原のど真ん中辺りに横たわる、足のない青の機甲鎧を発見した俺は、そう呟くと操珠から手を放す。
周囲はまだ明るいものの……太陽の位置から考えて、そう遠くない内に日が暮れるのは確実だろう。
夜の砂漠は危険だとして、この場所で野営を取った記憶がある。
「さて、飯くらい、食うか」
流石の俺も、蟲皇の憑代だったあの名前も知らない男と戦った所為か、かなり腹が減っている。
そう考えた俺が、せめて換気をと胸甲を開いた、その瞬間だった。
「っと、兄弟、済まない。
ちょっと離れるっ!」
さっきまで大鼾をかいていた筈のアルベルトは、急に起き上がってそう叫ぶと、近くに倒れてあった、片足のない機甲鎧へと潜り込んでいた。
そのあまりにも素早い行動に、俺は反応すら出来ず、ただ茫然と立ち尽くしていた。
──まさかっ!
慌てて懐を探るものの、皇玉は依然、俺の懐の中に転がったままである。
流石のアルベルトも、こんな誰もいない場所で俺の手柄をスるほど馬鹿じゃないだろう。
──そうすると、どうしたんだ?
俺がそう首を傾げていると……アルベルトのヤツはすぐに倒れた機甲鎧から這い出てきた。
……気付けば、血と汗と尿にまみれた服を着替えている。
どうやら今朝、出発前に俺が殺したあの青機師の、もう使う者もいなくなった着替えを失敬したらしい。
アイツとしても、汗と尿と血まみれの服が気になっていたのだろう。
……しかし。
──コイツ、意外に手癖悪いな。
アルベルトの見せた、死者の着替えを横取りするというその生活力溢れる行動に、俺は思わず開いた口が塞がらなかった。
赤機師は貴族扱いと聞かされていただけに、貴族という肩書きとコイツの行動のギャップが大きすぎる。
──そう言えば、コイツは庶民出身って言っていたっけか。
その事実に俺は軽く肩を竦めると……操珠によって機甲鎧を大地に座らせると、塩の平原へと飛び降りた。
そんな俺の目の前に、アルベルトのヤツは服と同じように掠め取ったらしい食料を掲げると……
「よぉ、兄弟。
飯にしようぜ」
そう、告げたのだった。
……だけど。
「おい、アルベルト。
コレ、食い物か?」
「……食い物だろうっ!
食い物の範疇には収まっているだろうっ!」
俺の問いに返ってきたのは、何かを誤魔化すようなアルベルトの叫びだった。
とは言え、アルベルト自身の視線は眼前の炭化物質……火を通した筈の保存食を直視しないように逸らされている。
「で、兄弟の作ったこのスープ。
……食えるのか?」
「……多分、な」
逆に返ってきたアルベルトの問いに、俺は視線を逸らしながらも頷く。
……そう。
戦闘一本に特化しているアルベルトのヤツにも、実家で親の脛を齧り続けている俺にも……料理スキルというものは存在していなかったのだ。
そんな二人が、せめて美味い物を考え、昨夜のように保存食を調理すると思い立ったのが運の尽き。
俺が担当したスープは、テテニスが作った味気ないスープを見様見真似で同じように調理した筈なのに……何故かドロドロの異物と化していたし、皿の中には味付けと思って入れた塩の結晶がゴロゴロ転がっている。
アルベルトのヤツが担当した、火を通すだけの干し肉は……何故か黒炭へとクラスチェンジを果たしていたのだ。
「……おかしい、な?」
「どうして、こうなるんだろうな?」
俺たち二人はお互いの惨状故にお互いを責めることも出来ず、ただ首をひねるばかりだった。
とは言え……これ以外に食料品がある訳もなく。
「……不味い、ぞ」
「良いから、食え、兄弟。
明日からは真っ当なものが食える。
そうだろう?」
飢えに耐えかねていた俺たちは、泣く泣くその黒炭と塩の浮かんだ臭いスープを口に含む。
──ああ、くそ。
──テテニス、お前がいてくれたら、な。
その塩辛いというか塩の味しかしないスープを口に含みながら、俺は今さらながらに同居人の死を悔む。
だが……幾ら悼んだところで、死んだ人間が戻ってくる筈もない。
──馬鹿馬鹿しい。
俺はあっさりと思考を切り替えると、眼前のスープを口に運び、腹を膨らませる作業へと戻ることにしたのだった。
その夜は疲れ切っていた所為だろう。
目を閉じただけで、俺はあっさりと眠りに落ちていたのだった。
翌日。
同じように砂だらけの平野を歩く度は……思っていたよりも遥かに順調だった。
ポンコツ機甲鎧の操縦に慣れた所為もあるし、朝方故に日差しがキツくないこともその理由の一つだろう。
そして、何よりも……
「静か、だな。
蟲が、湧いてこない」
「……確かに、そろそろ蟲の生息域の筈なんだが。
一体、これは……?」
あまりにも変化のない道のりに飽きてきた俺の呟きに、アルベルトのヤツもまた首を傾げていた。
昨日……巨島から出て以来、延々と俺たちを悩ませ続けたあの赤い蟲共が、今はもう影も形も見えやしない。
「……もしかして、蟲皇を倒した所為か?」
「いや、兄弟。
幾らなんでもそんな訳ないだろう。
老蟲を殺しても、幼蟲は湧いてきたんだ
親を殺したところで蟲が死に絶える筈もない」
「……だよな」
何となく口に出て来た俺の呟きに、アルベルトは静かにそう言葉を返してくる。
……そう。
俺の慣れ親しんでいるゲームじゃあるまいし、ボスを倒したからって雑魚全てが消えていなくなるなんてこと、ある訳がない。
しかも相手は蟲なのだ。
連中は悪意をもって俺たち機師に襲い掛かってきた訳じゃなく……ただ餌を求めて喰らいついてきただけである。
そんなのがボスを殺した程度で、消えてなくなる訳がない。
──もしかして、俺の所為、かもな。
前々から俺は、蟲たちに相手にされない傾向にあった。
そうすると……
──もしかして、俺一人で行けば、蟲皇まで一直線だった、のか?
不意にそんな疑問が胸中に浮かぶものの……生憎とそれを証明する術もなければ、今さらそれが事実でも何の意味もないだろう。
既に俺たち蟲皇討伐隊は旅立ち、戦い、俺と『最強』アルベルトの二人を除く全員が斃れてしまったのだから。
……彼らの死が本当の意味で無意味だったかもしれないなんて可能性、検討する価値すらない。
「けど、これならそろそろ……」
「ああ、そうだな」
とは言え、旅路が順調なことはありがたい話である。
一歩歩くごとに蟲が湧いてきた行きと違い……何の障害もない今を歓迎こそすれ、拒否する理由なんて何一つもないのだから。
そうして前へ前へと俺たちを乗せた機甲鎧は歩き続ける。
本当に歩くだけで何もない、ただ機甲鎧の歩く金属音と砂の音が響く……そんな静けさに耐えかねたのだろう。
「そう言えば、兄弟。
蟲皇との戦いは、どうだったんだ?」
突然、アルベルトのヤツがそんなことを尋ねて来た。
「……何だよ、いきなり」
「いや、純粋な好奇心、なんだけどな。
……俺は、蟲皇の姿さえ、見えなかったんだから」
そういうアルベルトの顔には、何処となく悔しそうに歪んでいた。
蟲皇と対峙出来なかった悔しさか、それともマリアフローゼ姫を横合いから出て来た俺に攫われることとなった悔しさか。
コイツの胸中なんざ、俺には知る由もなかったが……
「凄まじく、デカかったぞ。
……あの老蟲の、何倍もあって、な」
……何故だろう。
俺は何故か、あの……紅の槍に貫かれた、巨大な蟲の死骸のことを無意識の内に伏せていた。
そして……蟲皇の死骸という牢獄に囚われていたという、あの名前も知らない一人の英雄のことも。
「よく、倒したな……そんな、化け物を」
「……ギリギリだったさ。
テテニスが……彼女がいなければ、倒せなかっただろう」
俺の嘘に気付いた様子もなく、アルベルトは感心した声を上げていた。
俺は嘘に嘘を重ねるように、蟲皇との戦いで散った同居人の名前を上げていた。
「そう言えば、彼女も、か?」
「……ああ、俺を庇って、な」
嘘を吐くという後ろめたさに、俺はアルベルトから視線を逸らしていた。
勿論、『機師殺し』と呼ばれた彼女の死を、子供たちが将来、誇れるようになれば……なんて気持ちも多少はあったのだが。
「……そうか。
なら、俺たちが助かったのは、彼女のお蔭、だな」
「……ああ」
俺の視線が虚空を彷徨ったことを、同居人の死を悼む行動と考えたらしく……アルベルトはそう気を利かせて告げる。
その『最強』の赤機師の言葉に、俺はただ静かに頷くことしか出来ない。
「俺たちの方も、酷い有様だったんだぞ?
大型の蟲が次から次へと湧いてきて。
……三十から先は数えるのも止めたくらいだ」
手柄を競うと言うよりは、ただ語りたいだけなのだろう。
操縦席の隅っこに座り込んだままのアルベルトは一人勝手に語り始めやがった。
もしかしたら……蟲皇との戦いで散った彼女の話題から話を逸らしたかったのかもしれない。
「……ああ。
酷い、有様、だったな」
だけど、そう告げるコイツの言葉が嘘じゃないことを……あの機師の墓場を目の当たりにしていた俺は、無意識の内に軽く相槌を打っていた。
「もう死ぬかと何度思ったことか。
もう終わりだと何度思ったことか。
でも……兄弟がいるからな。
お前なら、必ずやってくれると信じていたから、あの絶望的な状況でも必死に戦い抜けた」
「……あ、ああ。
だが、戦いは終わった訳じゃないだろう?
これからは、逃げた蟲を狩らないと、な」
アルベルトのヤツが口にする「賞賛」という感情がくすぐったく、耐えがたかった俺は、必死に話を逸らす。
だけど……俺が口にした言葉は、別に嘘じゃない。
最期にテテニスが告げた通り……俺は、この世界を……子供たちを託されたんだ。
重荷だとも思うし、そんな何の利もないことを、と考える自分がいるのも確かだったが……それでも、俺は彼女の遺志を無下にするつもりなんて、ない。
──そうだった、な。
今さらながらに思い出したのだが……
──俺は、この世界に、誰かを救いに来たんだった。
だから……今からでも、彼女の、テテニスの遺志を汲んで、それなりに馴染んできたこの世界を救っても、悪くはない、だろう。
……姫様も、頂くことだし。
「ま、蟲皇を討伐したんだから、あとは簡単だ。
何にせよ、兄弟のお蔭で、俺たちは助かったんだ」
「……そうだな」
世界が救えるビジョンが見えているのだろう。
希望に瞳を輝かせるアルベルトから、気付けば俺は視線を逸らしていた。
何しろ……俺は知っている。
蟲皇が既に死んでいたことを。
つまり、蟲皇を討伐したとしても、今までと何も変わる訳じゃないということを。
──いや、もしかしたら……
確か以前、アルベルトから前に聞かされたことがある。
……蟲皇がいるからこそ、蟲たちは統率の取れた動きをするのだと。
つまり、蟲皇がいなくなった今、例え蟲の数に変わりがなくても、蟲たちは統率もなくただ餌に群がるばかりになり……討伐も楽になるに違いない。
──そうして蟲さえいなくなれば……
蟲さえいなくなれば、あの島の中で……あの巨大な塀に守られた中で細々と暮らしている人間も、もっと遠くへ行けるようになって……
俺がそう考えたのと同じことを、アルベルトのヤツも考えていたらしい。
「そうさっ!
蟲さえいなくなれば、俺たちはもっと遠くまで行けるんだっ!
この砂だらけの世界も、蟲がいなくなれば……神話にあるような、緑溢れる世界に戻るだろう。
俺たちは……俺たち討伐隊は、世界を、みんなを助けたんだっ!」
アルベルトが希望にそう言葉を荒げた、その瞬間だった。
突如、視界の端の方にある砂が盛り上がったかと思うと……巨大な赤い老蟲らしき物体が、砂から頭を持ち上げ……
弧を描き、とんでもない轟音と砂塵を巻き上げながら、またしても砂に潜る。
それ自体は、別に不思議な光景じゃないだろう。
ただ一つ……その赤い巨体の各所に、黒い蟲が喰らいついていなければ。
「おい、今の、見たか?」
「……ああ。
アレは……共食い、してるのか?」
そのあり得ない光景に、俺たちは思わず顔を見合わせていた。
だって、今まで聞いたこともない。
……蟲が、蟲を喰らう、なんて。
「もしかしたら。
蟲皇が死んだことで、統率がなくなり……」
「蟲同士での共食いを始めた、のか?」
周囲に散らばった酸の血液が煙を噴き上げるのを見ながら、俺たちは再び顔を見合わせる。
ただし、同乗者の顔色はさっきよりも遥かに明るくなっている。
「だったら……今後の蟲討伐は、かなり楽になるだろうな」
「ああっ!
希望が見えてきたっ!」
俺の呟きに、アルベルトはウィンクをしながらそう叫ぶ。
狭い機甲鎧の中で大声を出す馬鹿の愚行に、しかも野郎にウィンクをされるという事態に、俺は思わず眉を顰めていた。
が、しかし……この馬鹿のウザさにはもういい加減慣れてきている。
俺は軽く肩を竦めると操珠を軽く握りしめ……再び機甲鎧を前へと進めることにした。
「気を付けろ?
いつ、蟲がまた頭を出すか分からない」
「……分かっている、さ」
……アルベルトのヤツの忠告に従い、さっきよりも若干、足元に注意しながら。
言われてみれば確かに……老蟲の姿が見えたということは、この近くは既に蟲の縄張りの中ということなのだから。
どうも俺は破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能によって身体を守られている所為か、警戒心が足りない傾向にある気がする。
──くそ、この機体でどうやって戦う?
よくよく考えてみれば、怪我一つしていない俺本体は兎も角……この壊れかけの機甲鎧は、武器なんざ持っていない。
そもそも武器どころか……左腕は槍に貫かれた所為で動かないし、右腕は半ば切り落とされ、左足だって大穴を開けられていて、右脚は引きずりっぱなしという有様である。
……とてもじゃないが、蟲と戦える状態じゃない。
──もし、出くわしたら、俺が外へ出るしかないな。
俺はそう決意を固めると、操珠を握りしめる右手に少しばかり力を込める。
……とは言え、俺の心配はどうやら杞憂だったらしい。
「……来ない、な」
百歩ほどそろそろと歩いたというのに、砂漠はただ風によって砂を巻き上げるばかりで、蟲が頭を出す様子はなかった。
結局、アルベルトのその呟きを聞いた俺は、軽く息を吐き出すと共に警戒を解き、再び前へと機甲鎧を進め始める。
そうして五十歩ほど進めた頃。
「しかし、やっぱり俺の予感は正しかったんだな」
「……何だ、いきなり」
突然、アルベルトのヤツがそんなことを呟き始めやがった。
ウザいコイツの奇行にもいい加減慣れ始めた俺は、同乗者に視線を向けることなく、ただ機甲鎧の操縦を続けることにした。
「以前……兄弟と手合わせをした時に気付いたんだ。
お前なら必ず……蟲皇を倒す、ってな」
「……それ、は」
それは即ち、あの時からコイツは……マリアフローゼ姫を俺によって横合いから掻っ攫われることを、予期していた、ということじゃないのだろうか?
──それを承知の上で、コイツは俺に近づいてきていた?
そう考えた俺は知らず知らずの内に、懐の中にある皇玉へと手を伸ばし、その存在を確かめていた。
そんな俺の行動に、アルベルトのヤツは苦笑をして見せる。
「……気にするな。
俺の、ただの、勘ってだけだ。
どの道……俺一人じゃ、生き延びることさえ無理だったんだから、な」
「……そう、か」
「ああ、そうだ。
それだけの話だ」
結局。
アルベルトの会話は本当にそれだけでしかなく……そして俺もコイツにかける言葉なんて持ち合わせていなかった。
ただ静かに前へ前へと進む機甲鎧の音が響き渡り、風と共に吹き付ける砂が機甲鎧の装甲を叩く音がそれに続く。
そんな沈黙を一時間ほど続けた頃、だろうか。
俺たちの視界の先に、ようやく……あの巨島が見え始めたのだった。