弐・第九章 第一話
蟲皇の死骸を後にした俺は、熱砂の中で延々と機甲鎧を操り、ただ来た道をまっすぐに戻っていた。
正確には、来た道だと『思われる』方角を、だけど。
何しろ……周囲はただ一面の砂漠でしかなく、目印になるものなんて何もないのだから、勘に頼るしかない。
唯一の目印だった紅の尖塔は、蟲皇の倒壊に巻き込まれた所為か、すでに影も形もなくなっている。
──冗談じゃねぇぞ、おい。
そうして歩けど歩けど、一面砂だらけの景色は変わることもなく……
そうして一歩前へ踏み出す度に「この方角で正しいのか?」という不安は、胸の奥から止めどなく吹き上がってくるばかりで。
──折角、蟲皇を倒したってのに。
──このまま、野垂れ死になんざ、冗談じゃないっ!
胸中から吹き上がってくる不安を必死に押さえつつ、俺は機甲鎧を前へと歩ませる。
俺の乗っている機甲鎧が一歩前へ進む度、機体のどこかからにヤバい感じの音が響くことも、俺の不安を煽る元凶の一つだった。
──もって、くれよ?
直射日光と熱風を遮るばかりか、水と食料を運び、歩く労力までも節約してくれるこの機甲鎧が、こんな砂漠のど真ん中で壊れるという最悪の未来を想像した俺は、必死にそう神に祈っていた。
その祈りが通じた訳でもないだろうが……
「あれ……は?」
不意に俺は、何もない砂の凸部の辺りに、半ば埋もれた赤い機甲鎧の残骸を発見する。
慌てた俺がその残骸のところへと近づいてみると……どうやら砂に突き刺さった機甲鎧の腕、らしい。
千切れた傷口は新しく……ここ数日の内に出来たものだと断言できる。
「と、なると……」
その腕の残骸を発見したことで、歩いてきた方角が間違ってなかったことを確信した俺は、近くに見える小高い丘へと機甲鎧を走らせていた。
「……これ、は」
そこから下を見下ろした俺は……思わず絶句していた。
さっきまでは死角になっていたから何一つ見えなかったものの、丘の向こう側に広がっていた惨状を一言で言い表すならば……まさしく「死屍累々」以外はないだろう。
上体が見当たらない機甲鎧の残骸。
潰された機甲鎧の残骸。
酸の体液で溶かされた機甲鎧の残骸と……数えきれないほど横たわる機甲鎧は、一目見ただけで無事な機師など一人もいないと分かる有様である。
そんな機師の残骸の中に転がっている、身体を切り刻まれて死んだらしき蟲の残骸は……周囲に臓物や皮膚が飛び散り、それが熱砂によって乾き切って、スケールの大きなミミズの干物が並んでいるようにも思える。
それが、ぱっと見るだけで三十余り……身体を真っ二つに切り裂かれて重複して数えているだろう死骸もあるから、はっきりしたことは言えないが。
どうやらこの黒い蟲共は、あの時現れた十二匹だけではなかったらしい。
そして……
当然のことながら、周囲を幾ら見渡しても……生きている人間は一人も見当たらなかった。
「おいおい、全滅かよ?
生きているヤツは……」
俺はその残骸の中を、周囲に転がっている残骸に勝るとも劣らずのボロボロの自機を操って進む。
……機甲鎧の残骸を踏みつけないように、蟲の死骸に触れないように、なるべく気を使いながら。
──ひでぇな、こりゃ。
近づいて見てみると、あちこちに潰されて動かなくなった機師の死体や、酸で溶けたのか原型すら留めていない人間の死体や、もう人間とすら判別出来そうにない死体など、数多もの死体が転がっている。
「……ま、安らかに眠れ」
俺が蟲皇を屠ったことで、コイツらは自らの役目……雑魚蟲の足止めという役割をしっかりと果たしていたことになる。
つまり……コイツらの死は決して無駄ではなかったというだ。
俺は、この死んだ機師たち全員を捨て駒として利用しようとした後ろめたさ故か、ついそんな言葉を呟いていた。
そうして俺が右へ左へと機甲鎧の残骸と蟲の死骸と、そして遺体を眺めながら進み続けていくと……
一段と目のつく死骸の山があった。
「これ、は……」
その死体の山は、他の場所と違い……蟲の死骸しか存在していなかった。
どの蟲も、とんでもない刃物で一刀両断したのか、胴が千切れていたり、頭が縦に割られていたりと……ほとんど原型を留めていない。
その中心部には……右足を失い、左腕を失い、右腕は肘関節が逆に捻じ曲がりながら、それでも長剣を握りしめたままの、赤い機甲鎧の姿があった。
「……エルンスト、か?」
その赤い機甲鎧は手足の損傷だけではなく、胸甲も歪み凹み、全身に酸で焼かれたような跡が残っていたものの……
何とか胴体部……機師が乗っている場所は無事そうに見えた。
「おいっ!
生きているのか?」
俺は機甲鎧から飛び降りると、そのまま蟲の死骸を踏み越え、その残骸寸前の機甲鎧へと歩み寄る。
テテニスの時を思い出し、胸甲の中の惨状を想像した俺は、開くのを一瞬だけ躊躇ったものの……
──此処で顔見知りの死体を見せられるより……
──助けられなかった方が……ずっと後味悪いよな。
そう思い直し、すぐに力づくで胸甲をこじ開ける。
「……おい?」
こじ開けた胸甲の中身は……ほとんどが砂だらけ、だった。
とは言え、『狂剣』のヤツは真っ当な機師である。
蟲皇の憑代によって俺との接続を断たれたテテニスほど急激に崩壊はしないらしく、まだ随分と原型を留めていた。
尤も……四肢はもう砂と化し、身体も半ば砂と化していて……どう見ても助かりそうになかったが。
と、そんな俺に気が付いたのだろう。
エルンストは目を開くと……心底楽しそうな笑みを浮かべやがった。
「はははっ、てめぇ、かぁ。
見たか、俺の雄姿を……活躍を。
あの蟲共、逃げて、行きやがったんだぜぇええ?」
砂と化した身体を動かしながら、身体を次々に崩しながら……エルンストはそう楽しげに笑う。
俺はただその『狂剣』の笑いを、静かに聞くことしか出来なかった。
「ひゃははははっ!
見たかぁっ! 俺は、こうして最強になったんだっ!
蟲を蹴散らし、みんなを守る、最強の機師に、なぁああああっ!
これで、誰も俺を止められねぇええっ!
これで、誰も俺を笑えねぇええええっ!
これで、誰も俺を馬鹿にしねぇええええっ!」
狂ったように笑い続けるエルンストの身体は……もはや肺すらも砂と化しているように見える。
そうしてひとしきり笑ったことで気が済んだのだろう。
『狂剣』という二つ名を持つ赤機師は、不意に笑うのを止めたかと思うと……
「……だから、ボクを無視しないで、父さん。
ボクは、強く……」
「お、おいっ?」
小さくそう呟いたかと思うと、その一言を呟いたことで全てを使い果たしたかのように砂となり……そのまま崩れ去り、散ってしまう。
──何だよ、それは……
──お前は、何のためにこんな……
赤機師の最期の呟きを聞かされた俺は、手の上に零れた砂を握りしめながら、内心でそう呟いていた。
恐らく……最期に見せたあの姿こそ、『狂剣』と呼ばれていたエルンストの、本当の姿。
父親に存在すら認められなかった少年が、必死に力を求めた結果、ああして緋鉱石に呑まれ……
「……ま、今さらどうでも良いか」
例えあの『狂剣』にどんなドラマがあったにしろ、死んでしまえばそれで終わりなのだ。
俺は手の上の砂を払うと、そのまま欠片の未練も感傷もなく立ち上がる。
「さて、と」
蟲の死骸を再び踏み越えた俺は、自らの機甲鎧へと乗り込むと……再び歩き始めた。
「アイツが生きていたんだから、多分……」
何となく予感を抱きながら、俺は自らの機甲鎧を、残骸と死骸と遺体の中を歩かせ続ける。
そうして五分も歩かない内に……蟲の死骸に囲まれるようにした、一機の赤い機甲鎧を見つけ出すことに成功する。
その赤い機甲鎧……『最強』の二つ名を持つ機師が乗っていたのだろうその機体は、エルンストの機体に勝るとも劣らない有様だった。
左腕をもぎ取られ、右足首から先は食いちぎられ、左脚は太ももから下が存在していない。
その上、身体中のあちこちに酸の焼け跡や牙の痕跡が残っていて、胸甲までもが吹っ飛んでなくなっているその機体は……周囲に散らばっている残骸とそう変わりないように見える。
だけど……胸甲がなくなってくれているお蔭で分かる。
その中に乗っている、血まみれの男が……まだ辛うじて生きているということが。
「おい、アルベルトっ!
生きているかっ!」
「ああ……兄弟、やって、くれた、らしいな。
蟲共が、退いていって、助かった、よ」
俺の声に、アルベルトは顔を上げると……そう笑う。
どうやらコイツは『狂剣』のヤツのように緋鉱石によって砂化している様子はなく、ただ疲労と出血でボロボロになっているだけらしい。
一応、包帯を巻いて止血は済ませているようだが……負傷したのが戦闘中だった所為か、止血処置が遅かったのだろう。
出血多量の影響か、アルベルトの顔色は血の気がなく青ざめていて……正直、いつ死んでもおかしくないようにも見える。
「……動ける、か?」
俺は機甲鎧を近づけてそう尋ねるが……アルベルトは軽く首を横に振る。
「いや……手を、貸してくれ。
もう、この機体は、指一本動かせそうにない。
……悪いな、兄弟」
その声を聞いた俺は、アルベルトの腕を掴むと機甲鎧から身体ごと引きずり出して、俺の機体へと……操縦席の足元へと座らせる。
食料や水を乗せる僅かなスペースに押し込む形にはなるが……元々機甲鎧は一人乗りである以上、仕方ないだろう。
と言うか……。
──コイツ、臭っ!
よほどの激戦、だったのだろう。
血と汗と……激しい運動と衝撃により反吐をまき散らし、休む間もなく戦い続けた所為で小便も垂れ流しだったのだろう。
アルベルトの身体からはそれら全てをブレンドした、とんでもない匂いが立ち込めていた。
──ま、仕方ないか。
ウザいほど演出過剰のコイツが、体裁を取り繕う余裕すらない……それほどの激戦だったということである。
俺はせめてもの情けとばかりに近くの毛布を引っ張り出すと、アルベルトの身体に被せてやる。
「……何から、何まで。
悪いな……兄弟」
「良いから、黙ってろ。
今から、帰るからな。
そのままで、方向を、教えろ」
力なく笑うアルベルトに俺は冷たくそう呟くと……
両脚が壊れかけの、ポンコツに命を託し……巨島へと向かいゆっくりと歩き始めたのだった。
巨島へと戻る旅は、御世辞にも楽しい旅とは言えなかった。
アルベルトのお蔭で帰る方角こそ分かるものの、俺たち二人を乗せたボロボロの機甲鎧は、やはり一歩を前に踏み出すだけで軋む音を上げて俺を不安に陥れ続け。
凄まじい異臭を放つ同乗者は、よほど疲れ切っていたのか大鼾を上げて寝入っている。
その挙句……
──熱いっ!
──臭いっ!
──蒸せるっ!
操縦席の劣悪さに、俺は内心で悲鳴を上げていた。
……そう。
外は炎天下。
陽光を受け続けた機甲鎧内部はサウナにも等しくなっていた。
その挙句、この辺りは砂嵐が吹き荒れていて……胸甲を開くことも出来やしない。
結果、汗と尿と血の匂いが蒸し暑い機甲鎧内部に蔓延していて……息をするだけでもしんどいザマである。
「……いい気なもんだよな、コイツ」
その中でも平然と鼾をかき続けるアホの所為で、俺の忍耐力は既に限界近くまで削り取られていた。
──いっそ、叩き殺すか?
いや、追い出すだけでも随分と違うだろう。
……そもそも、蟲皇を倒した時点で、このアホはもう用済みなのだ。
自分の手を汚さずとも……今、軽く砂漠の中に蹴り出すだけで、コイツは帰還する術を失い、勝手に野垂れ死ぬ筈である。
俺はそう考えるものの……姫を取り合ったライバルである俺の前でさえ、平然と大鼾をかくこの馬鹿の前では、流石の俺でも殺意を保つことなんざ出来やしない。
必死に殺意を保とうにも、この間抜け面を目の当たりにしてしまえば……殺そうという気すら抜けてしまう。
──畜生。
俺は間の抜けた寝顔を晒す馬鹿を前に、拳から力を抜いてため息を一つ吐いていた。
「……ったく、いい気なもんだな、くそったれ」
俺は肩を竦めてそう呟くと……砂の中をひたすら前へと進み続ける。
幸いにして、俺の権能から逃げているのか、それとも蟲皇を殺した所為で黒い蟲たちは消え去ってくれたのか……歩けども歩けども蟲が襲ってくる気配はなく。
「……やっと、半分か」
そうして休みも取らず、ひたすら機体を歩ませていたお蔭だろう。
俺たちを乗せた機甲鎧は日が暮れる前に、昨晩休憩したあの塩の平原までたどり着いたのだった。