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【完結済】ンディアナガル殲記  作者: 馬頭鬼
弐・第八章 ~蟲皇~
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弐・第八章 第六話

「あはっ、あははははははははははっ!

 そう、そうなんだ、そうなのか、そうなんだ、そうだとおもった、そうかなと思っていた、あははははっ、あははははははははははははっ!」


「……何だ、これ、は?」


 変わり果てた……いや、変わり続けているテテニスの腕に、その虚空を見て笑い続けるテテニスの表情に俺は困惑を隠せない。

 だって、そうだろう?

 昨夜まで……いや、ほんの少し前まで、彼女はまともだった。

 多少「力」に溺れ、暗殺を繰り返していたにしろ……俺が見る限りでは、彼女はまともだった、筈なのだから。


 ──原因は……


 俺は少しだけ考え……すぐに思い当たる。

 さっきあの漆黒の機甲鎧が戦いの最中に見せた、虚空を斬るという意味もない仕草。

 あの瞬間、何かが変わったという確信が俺の中にあった。


「てめぇっ!

 テテに、彼女に、何をしやがったっ!」


「我は何もしておらぬ。

 ただ……『断ち切った』だけだ」


 俺の怒鳴り声を受けても、漆黒の機甲鎧の操縦者はただそう呟くだけだった。

 そうしている間にも、テテニスの腕は……徐々に砂へと変わっていく。

 ……いや、違う。

 砂と塩の結晶へと、変わり果て続けている。


「……どういう、ことだ、これはっ!」


「何をとぼけている。

 貴様が権能を手渡した所為で、その家畜は此処まで来たのだろう?

 我が目には、その権能のラインがしっかりと『視えて』いたぞ」


 蟲皇の憑代が放ったその言葉は、静かに俺の中へと浸透していく。


「だからこそ……そのただの家畜が緋鉱石を身体に埋め込む暴挙を行っても狂気に染まらず、生命力を使い果たすこともなく、今日まで生き続けられたのだ。

 ……そもそもアレは、創造神の欠片である紅石(こうせき)が人の欲望で劣化し、剥離したモノだ。

 適合出来ぬ家畜に埋め込むと、すぐに欲望に染まり、ただ狂気に呑まれ……生命力を使い果たして、我が権能に食われたが如く砂と化すだけだと言うのに」


 ──馬鹿、な?


 俺は首を左右に振るが……俺の記憶がその言葉を振り払うことを許さない。


 ──テテニスが機師になれたのは何故だ?


 今まで適合値九〇台後半しか出せなかったただの娼婦が、突然、人間ではありえないレベルの数値である四百以上を叩き出せた。

 そんな無茶苦茶、何かの要因がなければあり得ないだろうに。

 事実……あの試験の時、ゼルグムのおっさんも、周囲の連中も目を見開いて驚いていた。


 ──俺が放り投げても、俺がぶん殴ってもテテニスは無事だった。


 確か『狂剣』エルンストが言っていた。

 「緋鉱石で強化していても、肉体的にはただの人間に違いない」……と。

 だと言うのに、テテニスは俺の攻撃を何度か受けて、傷一つついていなかった。

 まるで、俺のこの出鱈目な耐久力を持つ身体になってしまったかのように。


 ──しかし、俺が権能を手渡した、だと?


 そのまま俺は記憶を辿る。

 ……テテニスに「力」を渡したような記憶なんて、ある筈がない。

 そう祈りながら。

 ……だけど。


「力を、貸してほしい。

 あたしが、いや、あの子たちがこの地獄から抜け出るために……」


 不意に俺の脳裏へと、あの時のテテニスの囁きが浮かんで来る。

 ……そう。

 確かに、俺は頷いた。

 あの時……彼女が「力」を貸してほしいと告げた、彼女と出会ったその日に。


「その家畜……どうやら貴様の巫女となる資質があったらしいな。

 だからこそ、力の譲渡が容易く行われたのだろう」


 崩れゆくテテニスの姿を呆然と見つめる俺に、蟲皇の憑代はそう告げる。


「もしかしたら、我が召喚に邪魔が入ったのも、その家畜の所為かもしれぬな。

 貴様が家畜の助けを求める声に呼ばれ、そちらへと引き寄せられた可能性もある」


 言われてみれば……テテニスとは初対面にも関わらず、何故か親近感があったものだ。

 コイツの言葉が事実なら、テテニスは破壊と殺戮の神ンディアナガルの巫女、もしくは聖女とも言うべき存在で……


 ──ああ、だから、か。


 俺が落ちてきた先が……塩の平原が、あの巨島とこの蟲皇の死骸、そのちょうど中間点にあった理由。

 召喚したコイツと、助けを求めたテテニスの二人が引き合った所為、なのだろう。

 そうしている間にもテテニスの身体は崩れ続け……俺にはそれを止めす術がない。


「……おい、てめぇっ!

 コイツを、助ける方法はっ!

 助けてくれたんなら、お前を此処から出してやっても……」


「……無理だな。

 我は家畜に差し伸べる手など持たぬし……そもそも、緋鉱石により生命力を使い果たした故に砂と化しているのだ。

 ……今さらどうこう出来るものでもない」


 必死の俺の叫びに返ってきたのは、そんな……非情極まりない男の声だった。

 俺は首を左右に振るうものの……何かが出来る訳もない。


「そもそも、貴様が家畜共に肩入れするからこうなるんだ。

 ほら、見てみるが良い」


 どうしようもない無力感に襲われている最中の俺に向け、蟲皇の憑代はそう告げると……機甲鎧の腕で近くに落ちていた透明な殻を引き起こす。

 恐らくソレは蟲皇の死骸の一部……甲殻の何処かだろう。

 と、ヤツがその殻に向けて何かを呟いた途端の出来事だった。


「……何、だと?」


 その殻が突如テレビのように、少しノイズ混じりの画像を映し出したのを見て、俺は思わず驚きの声を上げていた。


「別に驚くほどのことでもない。

 劣化したあれらの紅石(こうせき)は、一体誰が手渡していると思っている。

 あのクズ共がこの手の監視機能を用意してもおかしくはないだろう?

 故に、その機能を操る術さえ身につければ……この程度のことは造作もない」


 俺の驚きを前にしても、男は特に感情を動かすこともなく……軽くそう答えただけだった。

 その光景の向こう側では、数体の赤い機甲鎧が、次々と黒い蟲に食いつかれ、上半身を失って砂に伏していた。


「くそっ! ガラムサルまでやられたっ!

 おい、エルンスト。

 ……手を貸せっ!

 このままじゃ、全滅するっ!」


「ふっざけんなぁあああっ。

 こっちは、十分、手が、いっぱいだってのによぉおおおっ!」


 数体の機甲鎧の中でも桁外れの動きをしている二機が、そんな叫び声を交わす。

 どうやらあの二機は、『最強』アルベルトのヤツと、『狂剣』エルンストの二人が乗っている機体らしく……あの黒い蟲共に囲まれてもまだ健在のようだった。

 だけど……それも時間の問題だろう。

 既に六十近くいた筈の機師たちは両手で数えるほどになっている上に、蟲は次から次へと砂から頭を出して、砂の中に潜るを繰り返し……何匹残っているのかすら伺えない有様だった。

 ……いや。

 明らかに最初に姿を現した十二匹よりも数が増えている。


「おい、コレは……」


「ああ、我が領域へ足を踏み入れた家畜共の末路だ。

 巨島の近くで、玩具相手に遊んでいればよいものを……」


 動揺を隠せない俺の声を聞いても、漆黒の機甲鎧は冷たくそう告げるだけだった。


「てめぇっ!

 やめさせろ、おいっ!

 聞いているのかっ!」


「……何故だ?

 ただ家畜が潰れているだけではないか」


 そうしている間にも、次から次へと機甲鎧の姿は減っていく。

 腕の中ではテテニスが砂へと崩れ始め……

 何もかもが、俺の力ではどうしようもないところで零れ落ちていくような、俺はそんな気分に陥っていた。


 ──畜生、ンディアナガルっ!

 ──てめぇ、これを何とか……


 結局、この状況で俺に出来たのは、最後の頼みの綱であり、俺と共に在り続ける相棒……破壊と殺戮の神ンディアナガルに対して祈ることだけだった。

 ……だけど。


「……いいさ、ガル。

 これは、仕方ないこと、なんだ、から」


 当のテテニス自身が、そんな俺の祈りを止める。

 ……両腕が崩壊した所為で、腕に埋め込まれていた緋鉱石が零れ落ちた所為だろうか?

 いつの間にか彼女は狂ったような笑いを止め、静かないつも通りの瞳で俺の方を見つめている。

 その瞳に浮かんでいたのは……諦観そのものだった。

 

「アタシみたいな、ただの娼婦が……世界を、救う、なんて。

 大それた夢を、見れ、たんだ。

 悔いは、ない、よ」


「……お、おい?」


 俺の方を見ている筈の瞳の焦点が徐々に合わなくなって来ているのを理解した俺は、慌てて彼女の意識を取り戻そうと腕に力を込め……

 ……すぐに、腕の力を抜く。

 ゆっくりと崩れていく彼女はもう頬までもが乾き切っていて……俺が少し揺すっただけで、あっさりと崩れてしまいそうだったのだ。


「……だけどさ。

 あんたは、違う。

 あんたは、アタシみたいな、紛い物じゃない、ってのは……何となく分かる」


 そう呟くテテニスの瞳は、もう乾いてしまって何の光も映さなくなっていた。

 俺は必死に何か手立てを探し続けるものの……何かが浮かぶ訳もない。

 ただ彼女の……最期の言葉を黙って聞き続けることしか出来なかった。


「だから、あんたに頼む。

 この世界を……リリを、子供たちを……みんなを、助けて、おくれ。

 ……何も、出来ない、ただの、人でしかなかった、この、アタシの、代わりに……」


 結局。

 テテニスは……『機師殺し』という二つ名を手にした彼女の最期の言葉はそんな……子供たちの身を、世界を案じる声だった。

 そうしてテテニスは、テテニスだった砂と塩の塊へと変わり果て……まるで彼女の形を保つことを諦めたかのように、崩れ落ちてしまう。


 ──馬鹿、野郎……

 ──最期まで、他人の心配かよっ!


 その砂と塩の欠片を握りしめ、俺は歯を食いしばる。

 結局……テテニスという名の女性は、最期の瞬間まで他人の心配と気遣いばかりをするような、お人好しで……


 ──本当に、最期の最期までっ!


 俺はそう内心で叫ぶものの……もはや彼女が存在した痕跡は何一つ残っておらず……俺の手の中に散らばる砂と塩も、震える腕の上で徐々に零れ落ちて減っていく。

 そんな彼女の力を通していた所為か、テテニスが乗っていた機甲鎧も、彼女と同じ末路を辿るかのように、塩と砂へと姿を変え始めていた。


 ──リリスに、あの餓鬼共に……

 ──何て言えば、良いんだよ、畜生っ!


 俺はただ砂と塩を握りしめ、必死に歯を食いしばっていた。

 ……その時、だった。


「……大げさな。

 たかが家畜が一匹死んだ程度ではないか」


 背後からそんな声が響いてくる。

 その言葉に俺は拳を握りしめると、せめて一発ぶん殴ってやろうと立ち上がりかけた。

 そんな俺に向けて、蟲皇の憑代は更に言葉を投げかける。


「そもそも、その家畜は貴様が「力」を与え、こんな場所まで引っ張り出したのだ。

 貴様の所為で死んだようなものではないか」


 俺は蟲皇の憑代が何を言っているか、一瞬理解できずに固まってしまう。


 ──俺の、所為、なのか?


 テテニスは……俺が「力」を貸さなければ、ただの娼婦に過ぎなかった。

 あの掃き溜めのような巨島の外で、身体を売りながらも……それでも何とか生きていくことは出来ていたのだ。

 そんな彼女に「力」を貸し与えたのは、誰だ?

 そんな彼女に「力」を行使する自由を見せつけたのは、誰だ?

 そんな彼女に「力」による栄光へと導いたのは、誰だ?


 ──そんな、馬鹿な。


 その自問に対する答えを、俺は必死に首を左右に振って振り払う。

 俺が彼女に「力」を分け与えたからこそ、俺が彼女に「力」を見せつけたからこそ……テテニスは「力」に焦がれ、緋鉱石を埋め込み、機師を暗殺し……こうしてこの場で蟲皇の憑代に殺されてしまった……なんて。

 それだけは、認めたくない。

 ……いや、認める訳にはいかない。


「……違う。

 絶対に、違う」


「何が違うと言うのだ、小僧。

 貴様が、あの家畜を死に追いやったのだ。

 そして、ほら、あの連中も……」


 蟲皇の憑代の声を聞いた俺は、顔を上げる。

 そんな俺の目に映ったのは、さっきアルベルトたちを映していた映像だった。

 その映像……恐らくは赤機師の誰かが見ている光景は、既に一方的な殺戮しか映していなかった。

 黒い蟲共は次から次へと機甲鎧へと食らいつき、地中へと引きずり込んでしまう。

 そして……


「おい、パプテナスっ!

 後ろっ!」


 その叫びと共に、映像が右方向へと回転し……画面には大きな口を開いた巨大な蟲が映り……


「ひぃいいいいぎゃあああああああああああああああああああああああっ!」


 その叫びと共に、映像はただ砂と、赤い液体が飛び散るばかりになり……やがて完全に消え去ってしまう。

 それを見届けたのだろう。

 男は映像を映していた甲殻から手を放すと、俺の方へと軽く手を伸ばし……


「……さぁ、異界の神よ。

 さっさと我を此処から解き放て。

 その家畜も死に、あの様子では貴様が率いてきた家畜も死に絶えるのもそう遠くない。

 もはやあんな家畜共に未練などないだろう?」


 ……そう、告げる。

 その声を聞いた途端に、俺の胸中からはあっさりと悲しみが消え失せていた。

 後悔も、自責も、無力感も、何もかもが。


 ──ああ、そうだ。


 俺の中に渦巻いていた、幾つもの感情が全て消え失せる。

 この、怒りという業火の前に……何もかもが焼失しているのが分かる。


 ──コイツさえ、いなければ……


 コイツが、テテニスと俺を繋ぐ『何か』を断ち切りさえしなければ……

 例えテテニスが緋鉱石により蝕まれ助からない運命であったとしても、今此処で、こんな最期を迎えることはなかったのだ。


 ──コイツさえ……


 ……そう。

 コイツさえいなければ、アルベルトたちも、あんな風に蟲に食われて終わるような最期を迎えなくても……


 ──コイツ、さえ……


 俺はその感情に任せたまま、立ち上がり……

 背後をゆっくりと振り返る。


「……愚かな。

 まだやるつもりなのか?

 そもそも……機甲鎧すら失った貴様に、一体何が出来るというのだ?」


 蟲皇の憑代がそう呟くが、そんなことは関係ない。

 さっきまで恐ろしかったこの漆黒の機甲鎧も、その背後に視える蟲皇とやらも……怒りと殺意に支配された今なら、ただのちっぽけな鉄の人形と、醜くデカいだけの蟲にしか思えない。

 さっきまでは機甲鎧に乗っている方が強そうに思えていたが……今ではそんなの、ただの錯覚だという確信がある。

 ……だからだろう。

 俺は、この腸の奥から吹き上がる殺意に背を押され、機甲鎧に縋ることも、武器を手に取ることもなく……

 ただ生身のまま前へと歩く。


「愚かなっ!

 怒りで我を忘れたかっ!

 なら、動きを封じさせて貰うっ!」


 漆黒の機甲鎧からそんな叫びが零れ出たかと思うと、その左手から俺目がけて幼蟲の群れが跳びかかってくる。

 ……だけど、弱い。

 そんなゴミじゃ、今の俺の歩みを止めることなど叶う筈もない。


「……邪魔だ」


 俺はただ右手を横へと薙ぎ払う。

 それだけで先頭の蟲の頭が砕け散り、残った身体が散弾のように弾け飛んで他の蟲を巻き込み……遠くの方へとベチョリと落ちる。


「……ぁ?」


 その光景に、蟲皇の憑代たる男はそんな小さな声を上げる。

 だが、そんなこと俺の知ったことではない。

 ただ前へと歩く。


「流石は異界の神ということかっ!

 ならば、直接この手にてっ!」


 漆黒の機甲鎧はそう叫ぶと、生身の俺に向け、巨大な槍剣を放ってくる。

 その一撃は巨大で凄まじく早く……今までの俺なら恐怖に怯えて必死に逃げていただろう。

 ……だけど。

 今の俺は、ただ胸の奥から湧き上がる殺意のに突き動かされるだけだった。


 ──ウザい。


 ただその突き出された槍剣に向けて、真正面から右の拳を突き出す。

 グシャリという轟音が響いた直後……漆黒の機甲鎧が手にしていた槍剣は俺の拳による衝撃に負けたのか、ひしゃげ歪み、ただの金属片と化していた。


「……いてぇな、くそっ」


 尤も、そんな無茶をした俺自身もただでは済まなかった。

 思いっきり壁を殴りつけた時と同じような鈍い痛みが、右拳から腕の奥にかけて走っているのを、少し遠くに知覚する。

 ……そう。

 怒りに我を忘れている所為か、痛みの感覚がどうも鈍い。

 と言うよりも、そんなことよりも眼前に立つ漆黒の機甲鎧を叩き潰したくて仕方がなかったのだ。


「き、貴様っ!

 貴様は一体、何者だっ!」


 さっきの一撃で武器を持っていた右腕も壊れたのだろう。

 歪んだ右腕を庇いつつ、漆黒の機甲鎧はそんな困惑の叫びを上げていた。

 ゆっくりと近づいてくる俺から逃れようとしてか、左手からまたしても蟲の群れを放って来るが……そんなもの、今さら何かの役に立つ筈もない。

 ただ一番前の蟲を掴み、振り回すだけで他の蟲は全て臓物と黒ずんだ体液をまき散らしながら地に落ちていた。

 掴んだ一匹さえも、振り回した時に握り過ぎたのか、頭蓋が潰れて動かなくなっている。


「ちっ……汚ねぇ」


 そのゴミを遠くへと放り捨てると、俺はまた前へとゆっくり歩き始める。


「こんなこと、あり得んっ!

 あり得る筈がないっ!

 我と貴様は同格の筈っ!

 数千万の命を奪い、己が力と変えたンガルドゥムと貴様に、こんなに差がある筈が……」


 俺はただ前へと歩いていく。

 一歩一歩。

 走ることもなく、ただゆっくりと。


「……待て。

 待て待て待て。

 貴様は異界で一体、何を喰らった?

 ……いや、そもそも。

 何故あの家畜は貴様の……破壊の神の力を有しながら、創造神の欠片たる紅石(こうせき)を扱えていたのだ?

 我でさえ十年以上の研鑚を経て、ようやくンガルドゥムと紅石の力を両立出来るようになったと言うのにっ!」


 あと五歩というところに来た辺りで、蟲皇の憑代はそんな声を放ってきた。

 俺は前へ一歩踏み出しながら、その問いに答えてやる。


「……知るか。

 ただ俺は、あの塩の砂漠で……創造神とかいうのを殺しただけだ」


「ば、バカなっ!

 我々、創られし破壊の神々に、創造主を殺せる筈がっ?

 うぅぉおおおおおおおおおおおおおおおっ!」


 俺の答えを聞いて動揺したのか、漆黒の機甲鎧は叫び声を上げながら俺に蹴りを放ってきた。

 尤も……射程内にわざわざ入ってくれたのだから、俺にとってはただの的でしかなかったが。


「手間、かけさせんじゃねぇえええええっ!」


 俺は腹の奥から湧き上がる怒りに大声で吠えながら、飛んできた巨大な足に、ただ右拳を叩きつける。

 機甲鎧をあっさりと貫いた、その槍剣ですらへし折る俺の一撃に、ただの脚が耐えられる筈もない。

 膝から下が捻じ曲がり砕けて吹っ飛び……どっか遠くの方で金属塊が地に落ちる反響音が聞こえていた。


「馬鹿、馬鹿な。

 そんな、そんな筈が……」


 片足を失い、崩れ落ちた漆黒の機甲鎧からはそんな声が聞こえていた。

 まだ怒りが収まらない俺は、そのまま倒れた機甲鎧へとゆっくりと近づいていく。


「来るな、来るな、来るなぁああああああああああっ!」


 必死の抵抗のつもり、なのだろう。

 後ずさる漆黒の機甲鎧のあちこちから、黒い幼蟲が数十匹ほど生え、俺に向かって襲いかかてくる。

 ……流石にその匹数相手に両腕では防ぎ切れず、俺の身体は蟲に巻きつかれてしまう。


「は、ははっ、はははっ。

 蟲共よっ!

 そのまま、ソヤツを捻り潰せっ!

 動けぬままに生命力を食い尽くし、この地上と同じく砂にしてやれっ!」


「うぜぇってんだよっ!

 いい加減、観念しやがれっ、この、クズがっぁあああああああっ!」


 蟲は臭くてザラザラして気持ち悪いこと、この上ない。

 俺は両腕に少しだけ力を込めると、その蟲共を引き千切る。

 ブチブチブチという音と共に、とんでもない刺激臭が鼻を突くが……その酸の血液は俺の権能に遮られ、服に染み一つさえ作ることはなかった。

 ただ俺に近づくだけで塩の結晶となり、周囲にキラキラと輝いて散らばり落ちる。


「ひ、ひ、ひぃぃぃぃぃっ!」


 権能である蟲が何の効力も発揮しなかった所為だろう。

 蟲皇の憑代たる名前も知らない男は、必死に機甲鎧を操ると、足が一本千切れているにも関わらず、器用に這いずりながら、俺に背を向けて逃げ出す。

 ……だけど。

 蟲皇の死骸の中は、そう広い訳じゃない。

 漆黒の機甲鎧はすぐに巨大な壁に突き当たってしまう。


「手間をかけるな、雑魚が」


 逃げ場を失った漆黒の機甲鎧へ、俺は無雑作に近づくと、残った一本の足に拳を思いっきり叩きつけ……へし折る。

 へし折ると言うよりも、原型を留めない形で歪ませたという感じだったが……まぁ、逃げられないことに違いはない。


「う、うぉおおおおおっ?」


「だから、ウザいんだよっ!

 この、虫けらがぁっ!」


 最後の抵抗、なのだろう。

 蟲皇の憑代は残された左腕で俺を薙ぎ払おうとするが……俺の右手がその左腕を軽く払うだけで……漆黒の機甲鎧の肩から先はまるで雪で出来た人形のようにあっさりと崩れ落ち、白く舞い散って消える。

 ……何と言うか、徐々に徐々に、俺の権能が増している気がする。


 ──殺意が充満している所為、か?


 もしくは……テテニスに預けていた分が、帰ってきた所為かもしれない。

 今考えてみれば、テテニスの家に居着いた頃、力の加減がおかしくなっていたことが一時あった、ような。

 アレは……テテニスに力を預けたことで、権能のバランスが少し崩れていた所為なのだろう。

 兎に角、俺はその力を使うことで、漆黒の機甲の腰を踏み砕くと……そのまま、身体の上へと乗り、胸甲を力ずくで引き剥がす。


「さぁ、観念しやがれ、クズが」

 

 さっきまで俺を追い散らしてくれたゴミを見下しながら、俺はそう笑う。

 テテニスを殺してくれたこの糞には、命乞いも許しも与えず……ただ蟲のように四肢を砕いて地を這わせ、絶望を与えた後で潰してやろうと考えながら。

 だけど、蟲皇の憑代はこの期に及んでも、その顔に笑みを浮かべたままだったのだ。


「……何が、可笑しい?」


「いや、確信しただけだ。

 我がここで死んでも……我を殺した貴様は我が権能と呪いを背負い、必ずこの世界を滅ぼすだろう。

 つまり我が復讐は……貴様を召喚した時点で成っていたと、な」


 不思議に思った俺がそう問いかけても、男はただそう笑うだけだった。

 死が眼前に迫っているにも関わらず、まだ笑みを消さない男に、俺は少しだけ首を傾げてしまう。


「何を馬鹿なことを……

 俺は、テテニスの、彼女の意思を汲んで、この世界を……」


「くっくっく。

 ……だからこそ、我は確信したのだよ。

 必ず、貴様はこの世界を滅ぼす。

 この世界の真実を知ったのならば」


「……真実、だと?」


 男の口からこぼれ出たその言葉に、俺は握りしめていた拳を緩める。


 ──確か、以前にも、そんなことを……


 その聞き覚えのある言葉に、俺がふと記憶を辿り始めた、その瞬間だった。


「だが、我もンガルドゥムの憑代たる身っ!

 ただでは死なぬっ!」


「~~~っ!」


 せめて一矢を報いようとしたのだろうか?

 男は背に手を回したかと思うと、突如真紅に輝く剣を手に持ち、俺に向かって斬りかかってきやがった。


 ──聖剣っ?


 剣の放つ真紅の輝きには見覚えはなかったものの、その剣から漂う懐かしくも忌々しい気配に俺は驚きを隠せない。

 ……その所為、だろう。

 完全に不意を突かれた俺は、はっきり言って完全に硬直していた。

 どうやら、蟲皇の憑代が逃げ惑う素振りをして見せたのは、この一撃のための……油断を誘うための芝居だったらしい。


 ──くそ、ったれぇっ!


 だけど……俺の防衛本能は、俺が意識するよりも早く、右手でその剣を弾き飛ばしていた。

 その所為か、聖剣を払った右手に、ゾッとするような……皮膚がぱっくりと割れた感触が走る。


 ──斬られたっ!


 その斬られるというおぞましい感覚に、俺の理性は一瞬で激怒に埋め尽くされていた。

 尤も……斬られたのはほんの皮一枚というところだろうが。

 それでも、俺は自分の身体が傷つけられたという怒りを抑えられない。

 ……いや。

 抑える気すら、起こらない。


「くそがぁあっ!」


 ただ怒りの赴くままに俺は、左手で蟲皇の憑代へと殴りかかる。

 機甲鎧を砕くまでに権能が増大している今の俺の拳を、ただの生身で受けた以上……幾ら同類を称していた蟲皇の憑代と言えど、ただでは済まなかったらしい。

 グチャという鈍い音と共に、男の頭蓋は砕け、脳漿も眼球も髪も肉も周囲に飛び散り、蟲皇の憑代だった男は、物言わぬ肉塊へと姿を変えていた。

 真紅に輝く聖剣はそのまま地に落ち、周囲に乾いた音を響かせる。


「……ちっ」


 もう少し情報を引き出したかったというのに……ついカッとなって力を入れ過ぎてしまったらしい。

 俺は右手から流れ出る血を舐めとりながら、舌打ちをする。

 とは言え、これで蟲皇『ン』を……この世界に蟲の脅威をもたらしている元凶を討ったのだ。

 ……この、俺の手で。


「テテ……仇は、取ったぞ。

 これで、世界は平和になって……子供たちも幸せに暮らせるさ」


 俺は何となく目を閉じ……そう呟く。

 彼女が最期に願ったことを、この手で叶えることが出来たその事実に、何となく感慨深いものを感じながら。

 ……砂と塩と化し散っていた彼女に、自分なりの黙祷を捧げるかのように。


「おっと。

 ……コイツを頂いておかないとな」


 とは言え、世界の救済は世界の救済。

 ……姫の処女は姫の処女である。

 そしてその二つは……別に相反するものじゃない。

 初志貫徹とばかりに俺は、頭部を失ってピクピクと痙攣している死体の、血まみれの胸元に埋め込まれていた『皇玉』とかいう物質をもぎ取る。


 ──ん?


 さっきの一撃で宿主が死んだ所為だろうか?

 それとも宿主から力ずくでもぎ取った所為かもしれない。

 さっきまで漆黒だった筈の皇玉とやらが、こうして手の上で転がしてみると……俺の目には灰色っぽいだけの、安いガラス玉にしか見えなかった。


「……ま、いいか」


 細かいことがどうあれ……これさえ持っていけばマリアフローゼ姫が手に入るのだ。

 蟲皇を倒した今、俺は救国の英雄としてお姫様を美味しく頂けるだろう。


 ──そう言えば……


 蟲皇の憑代が何やら怨念じみたことを口にしたのを思い出す俺だったが……どう考えても、ただの負け惜しみの類に違いないだろう。

 数十年もこんな場所に閉じ込められたのだ。

 ……多少脳みそがボケていてもおかしくない。


「……最初はやっぱり正常位、だよなぁ。

 ドレスの脱がし方ってのは、どうやるんだ?

 帰るまでの間に、脳内シミュレートしておかないと……」


 と、俺が巨島に戻ってから始まる薔薇色の未来に唇の端を吊り上げ、懐に皇玉とやらを仕舞い込む。

 ……その時だった。


「……お?」


 蟲皇の憑代に向けて渾身の力で拳を叩きつけてしまった所為、だろうか?

 蟲皇の背後にあった壁に、亀裂が入っている。

 その亀裂は、徐々に徐々に白い塩の結晶と化して行き……

 一瞬だけヒビの間から真紅の輝きが見えたような気がしたが、それもほんの一瞬だけで、すぐに消え失せ……


「お、おいおい」


 そのヒビは柱から周囲へ……蟲皇の死骸全体に広がり始めていた。

 いや、既に柱の破片が崩れ落ちてきて、直下にあった蟲皇の漆黒の機体を押し潰している。


「……冗談じゃねぇぞ、おい?」


 俺の拳が原因か、それとも蟲皇の憑代を殴り潰したことが原因かははっきりしないものの……

 さっきまで漆黒の機甲鎧と戦っていた周囲が、徐々に徐々に崩壊を始めているのが分かる。


「くそったれっ!」


 俺は慌てて走り去ろうとするものの……破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能を得ていても、足の速さは昔のままでしかない俺が、この崩壊から逃げ出せる訳もない。

 そして……流石の俺でも、砂に埋もれてしまえば死にかねない。

 いや、死ななくとも砂の中で動けないままというのは、少し考えただけでも洒落にならない事態だと分かる。


 ──でも、機甲鎧、ならっ!


 機甲鎧ならば、俺が走るよりも遥かに早く……この崩壊からも抜け出せるだろう。

 そう考えた俺は周囲を見渡すものの……

 テテニスの機体は砂と塩の混合物と化して既に原型を留めておらず。

 蟲皇の機体も、さっき崩れた柱の欠片に潰されて、既にその影も見えやしない。

 結局、俺が使えそうなのは……両腕が使い物にならず、両脚を貫かれて放棄した自分の機体しか残っていなかった。

 俺は軽く舌打ちをすると、その機体へと飛び乗り、操珠へと両手を乗せ……


「うごけぇえええええええええええっ!」


 渾身の権能を込めながら、必死に叫ぶ。

 その叫びが聞こえたのか、それとも単純にこの機甲鎧はまだ死んでいなかったのか。

 機甲鎧は両脚で何とか立ち上がり、走り始める。

 それでも、蟲皇の憑代との激戦で傷ついた機甲鎧は……槍剣によって完全に貫かれた右足はまともに上がらず、左足も思うようには動かない有様で。

 どれだけ急いでも片足を引きずるような、おぼつかない歩き方になってしまっていたものの……コンパスの差か、そんな状態だとしても、俺が走るよりもまだ遥かに早い。


「間に合ぇええええええええええっ!」


 上から崩れ落ちてくる死骸の欠片に潰されないよう祈り叫びながら、俺はそのボロボロの機甲鎧を必死に操り、ただまっすぐ来た方角へと向かい続けた。




 ……結局。

 俺は機甲鎧に六度も瓦礫の直撃を受けたものの……それでも機甲鎧は壊れることなく、何とか崩れゆく蟲皇の死骸を後にしたのだった。


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