弐・第八章 第三話
「やってられるかよ、こんなのっ!」
翌朝。
砂漠での早朝という、極寒の地獄に耐えながらも食事を終え、何とか出発の準備を整えた俺たちを待っていたのは……そんなヒステリックな叫び声だった。
足を失った赤い機甲鎧に乗るその男の声に、いざ出発をしようとしていた全員の動きが止まる。
「おい、やめろっ!
バルデノンっ!」
「てめぇも止めるなよ、パプテナスっ!
分かっているだろう、蟲皇討伐なんざ、夢物語なんだとっ!」
隣にいた同僚が止めるが、その赤機師……バルデノンとかいう青年の叫びが止まることはなかった。
騒ぎを聞きつけて近づいてきた隊長であるアルベルトの姿を見ても、その叫びは続く。
「てめぇも、分かっているんだろうが、アルベルトっ!
この討伐隊が、ただの邪魔者排除だってことくらいっ!」
その赤機師の叫びに……アルベルトは何も答えなかった。
そして、周囲の赤機師たちも、その声に異を唱えることすらない。
ただ静かに俯いて耐えるだけだった。
「……どういうこと、だい?」
そんな中、一人だけ政治に疎いテテニスの呟きが響き渡る。
俺の背後にいた彼女は、実のところ俺に囁きかけたつもりなのだろう。
だけど……機甲鎧に設けられた拡声器は、彼女の呟きをこの場にいる全員へと届けてしまう。
そして……
「てめぇは知っているだろうが、『機師殺し』っ!
ここにいる赤機師全員……いや、このアルベルトの馬鹿を除く全員が、『長老派』だったってことくらいなぁっ!」
その叫び声はこの場にいた全員の耳に届いていた。
──言われてみれば……
……こんな俺でも、少しくらいはおかしいと思っていたのだ。
幾ら『機師殺し』がいたとは言え、出征の準備にたったの一日しか与えられなかったこととか。
通常の蟲討伐だと、黒が一〇機に対して赤が一機くらいの割合で導入されるというのに、この討伐隊は赤機師の比重が桁違いに大きかったこととか。
見送りのメンバーが、討伐隊よりも大勢で、しかも装備が豪華な白機師たち中心で編成されていたこととか。
尤も……そんな違和感の全てを俺は、ただ「姫様を手に入れたい」という欲求を優先させる余り、見て見ぬふりをしていた訳だが。
「この場にいる青機師だって、罪を犯して放逐寸前の奴らで……
黒の連中にいたっては、借金まみれで「下」へ叩き落とされる寸前のヤツらばかりじゃねぇかっ!
俺たちは、あの島にはもう要らないと捨てられたんだよっ!」
その赤機師の声に、全員を率いている筈のアルベルトは何も答えない。
……何も言えないのだろう。
俺と同じように……マリアフローゼ姫の魅力の前に、それらの違和感をねじ伏せていたコイツには……
そして、王家の人間が「邪魔者を放逐する」などという邪悪を行うことを認められないコイツには……
──仕方ない、か。
このまま討伐隊が瓦解してしまうのは、俺としても流石に惜しい。
俺としてもこの捨て駒共は捨て駒なりに上手く使いたいのだから。
あっさりと決断した俺は、前へと進み出る。
「何だ、てめぇ。
老蟲討伐の勇者様が、何か言いたいってのか?」
「……ああ、一つだけな。
そんなに進むのが嫌なら……
……ここで死ね」
「……ぁっ?」
俺は静かにそう呟くと、機甲鎧の右拳をバルデノンの開いた胸甲へと叩きつける。
俺の行動を予期すらしていなかったのだろう。
さっきまで叫びを上げていた赤機師は、悲鳴の一つすら上げることなく、ただの赤い液体と肉塊へと変わり果てていた。
「て、てめぇ、何しやがるんだっ!」
「おい、バルデノンっ!
おいぃいいいっ?」
「くそがっ!
こんな「下」から来たような餓鬼に舐められてたまるかよっ!」
俺の拳が同僚を肉片へと変えたことに、驚きを隠せない赤機師たちの口から悲鳴が上がる。
二十機あまりの機甲鎧に至っては、手に槍や剣を持って殺気立ち……俺を殺そうとするほどだった。
「ひゃははははははぁっ!
殺しやがったっ!
何の躊躇いもなく、仲間を殺しやがったっ!
最高だぜ、てめぇっ!
コイツらも、殺すんだろっ!
殺していいんだろうぉおおおおおぁああああっ!」
俺の暴挙に『狂剣』のヤツ一人だけが喜んでいたが……その馬鹿を俺は左手を上げることで制する。
そもそも、機甲鎧の足を失った挙句、臆病風に吹かれた、あの役立たず一匹を潰したのは、ただのデモンストレーションでしかない。
……コイツらにはまだ利用価値があるのだ。
そして、俺の中にあるあの塩の砂漠での経験が……この手の馬鹿どもを統率する方法を教えてくれる。
俺は近くの塩に突き刺していた戦斧を握ると、俺に殺気を向けてくる連中目がけて振りかぶり……
ただ思いっきり、虚空へと振るう。
「黙れっ!
この負け犬共がっ!」
右手の戦斧を大きく振り回しながらの、俺のその怒鳴り声は……風一つない塩の平原に見事に響き渡っていた。
激昂を隠せなかった赤機師たちも、騒ぎに巻き込まれたくないのだろう青機師の連中も、何もかもを諦めていて我関せずという雰囲気の真鍮部隊の連中も、その俺の怒鳴り声を聞いて静まり返る。
「てめぇらには三つの道があるっ!
ここから逃げ出して、あの蟲共に食われて死ぬかっ!」
俺は背後の……俺たちが出て来た巨島の方を指さしながら怒鳴る。
その俺の叫びに昨夜の地獄の行軍を思い出したのだろう。
あの中をもう一度帰ることを想像したのか、赤機師たちの何名かは手に持っていた武器を静かに下ろし始める。
「水と食料の限りこの場に留まり、干乾びて死ぬかっ!」
塩の平原を蹴って轟音を響かせながらの俺の叫びに、また数名の赤機師たちが武器を下ろしていた。
……実際、コイツらにも分かっていたのだろう。
俺たちには帰る道なんて、もう残されていないことくらい。
「そして……このまま突き進んで蟲皇を討ち倒して英雄になるかっ!
さぁ、てめぇらっ!
どうするってんだっ!」
そんな俺の叫びとほぼ時を同じくして、さっき俺に潰されたクズの肉片が、ゆっくりと塩へと変わっていく。
俺にとっては見慣れたその光景だったが……コイツらにとってはそうではなかったらしい。
「お、おい、アレ……」
「ここも、長居すると……ヤバいんじゃないか?」
「嫌だぜ、生きたまま塩漬けなんざ」
結局。
俺の叫びよりも、死体が塩へと変化する光景の方が決め手となったらしく。
蟲皇討伐隊の全員は、それからすぐに先へと進むこととなったのだった。
幸いにして、そこから先の進軍は酷く楽な行程だった。
何しろ……塩に覆われたあの一帯を通り過ぎて以降、蟲が全く湧いてこなかったのだ。
本当にあの一晩を境に、幼蟲は影も形もなくなっていた。
「……おい、どうなってんだ、コレ」
「知るかよ、楽で良いじゃねぇか」
機師たちは困惑の呟きを上げていたが……足止めを喰らわない方が遥かに良いに決まっている。
決死の特攻隊の様相を見せていた出発時の緊張感はすっかり鳴りを潜めてしまったものの……それでもポツポツと上る軽口が、そう長く続くことはなかった。
全員が、何となく気付いているのだろう。
この静けさが……ただの嵐の前の静けさでしかない、ということに。
真鍮部隊を中心にした、菱形の陣形を取ったまま、機師たちはただまっすぐに砂の中を歩き続ける。
「さっきは済まなかったな、兄弟」
そんな中。
先導していた筈のアルベルトが、いつの間にやら俺のところまで近寄ってきて、そう話しかけてくる。
ちなみに俺の歩いていた位置は左中央辺りだったが……まぁ、所詮は六十機あまりの軍勢である。
この程度なら先導を誰か他の者に任せてもそう大した問題にならないと判断したのだろう。
「お前の手を、汚させてしまった。
アレは……本当ならば俺がやるべきだったのに、な」
この討伐隊を率いる者としての言葉なのだろう。
アルベルトがそう呟くのを……俺は聞かないふりをしてやった。
事実、あんなのは俺にとって大したことでもないのだ。
……誰かを殺すことも。
……誰かを武器で脅して言うことを聞かせることも。
……舌先三寸で扇動して、誰かを死地へと向かわせることさえも。
「と言うか、この道であってんのか、おい。
さっきから砂しか見えないんだが」
「ああ、間違いないさ、兄弟。
報告にある通りだからな」
それでも……誰かに褒められるなんざ、慣れてない俺としては居心地悪くて仕方ない。
そう考えて話を変えようとした俺の意図に気付いたのだろう。
アルベルトは少しだけ苦笑すると……その話題に乗って来てくれた。
「巨島と蟲皇の棲家。
その二つを直線で結んだちょうど中間点に、あの塩の平原があるそうだ」
アルベルトの言葉に、俺は何となくこの世界に召喚されたばかりのことを思い出す。
確かあの時……とんでもない上空に吐き出されたあの時、眼下には巨大な島と、何らかの構造物がふと目に入った、ような……
「つーか、棲家って、なんだよ。
蟲だから、動き回るんじゃないか?」
「それが、そうでもないらしい。
手の者の話では、紅い尖塔の下に蟲皇が……」
俺たちがそんな会話を交わしていた所為だろうか?
噂をすれば何とやらという格言が、この異世界でも通用するのかは知らないが……ちょうどそのタイミングで、部隊最前線から叫びが上がる。
「アルベルト隊長っ!
言葉通り……紅い尖塔を発見しましたっ!」
「分かった、すぐ行くっ!
兄弟も、来てくれ」
「……ああ」
その叫びにアルベルトと顔を見合わせた俺は、すぐに機甲鎧を駆り、討伐隊の最先端へと向かう。
そうして視線を向けた先……脈打った砂漠の彼方、砂塵の奥に霞んで、確かに真紅の尖塔が目に入ってくる。
「あそこに、蟲皇『ン』が存在している、んだな?」
「……ああ、間違いない。
俺の放った手の者が語った通りだ」
俺の問いに、アルベルトは震える声でそう言葉を返してくる。
コイツが緊張しているのも無理はないだろう。
何しろ今まで聞いた範囲では……この蟲皇という存在は、この世界を砂漠に変え、蟲を操りあの巨島を苦しめてきた、この世界における諸悪の根源そのものなのだから。
……他ならぬ自分の手で世界を変える。
真っ当な男ならば、そんなシチュエーションで興奮しない訳がない。
「で、どうする?
一気に突っ込むか?」
「いや、慎重に近づこう。
……これ以上は蟲に阻まれ近づけなかったと報告にあったからな。
各員、戦闘態勢に入れっ!
ここから先は、激戦が予想されるっ!」
そんなアルベルトの号令により、俺たちは再び隊列を整え直すと、そのまま慎重に前進を開始した。
ただし、俺やテテニス、エルンスト、そしてアルベルトのヤツが最前列へと移動になっっている。
この一行は蟲皇討伐隊。
……最大の攻撃力を持つ機師こそが、蟲皇の咽喉元へと食らいつかなければ意味がないのだから。
そうして慎重に慎重に慎重に近づいていくものの、何一つとして変化はない。
霞んで見えた尖塔がそろそろくっきりと視界に映り始めたというのに……蟲の一匹も出てくる気配すらないのだ。
「おい、どうなってるんだ?」
「……知るか。
蟲なんざ出ない方がマシ、だろう」
緊張感に耐えかねたのだろう。
機師たちの間からポツポツと私語が零れ始めてきた。
それもまぁ、当然だろう。
戦闘態勢に入ってから既に三十分あまりも過ぎ去ったというのに、何一つとして起こらないのだから。
「おい、どうなってるんだよぉ、隊長さんよぉ?
蟲なんざ、一匹たりともいねぇじゃねぇかぁっ?」
「おかしいな、こんなことは……」
アルベルトが呟いた、その瞬間だった。
突然、眼前の砂が盛り上がったかと思うと、巨大な蟲の頭が砂から生えてくる。
それも一体だけではなく……まるで俺たちを囲うかのように、次々と。
成蟲よりは明らかに大きく、あの時戦った老蟲よりは確実に小さい……そういうまともに正面からぶつかりあうと、一匹でも手こずりそうな相手が、十二匹も、だ。
──しかもっ、こいつら……
それらの蟲たちはタイミングを同じくして姿を現したことと言い、獲物にすぐ跳びかかろうとせず、むしろ逃げ場を塞ぐかのように存在を誇示していることと言い……
どう見ても、それら十二匹の蟲たちの間には、今までの蟲と違い、明らかな連携行動が見て取れたのだ。
「おい、何だよ、これは……
何の冗談だよ、畜生っ!」
「と言うか、何だよ、この蟲。
黒いじゃねぇか……」
討伐隊の機師たちが困惑の声を上げたのは、他にも理由があった。
……その蟲の色である。
俺の記憶にある限り、あの巨島の周囲に群れていた蟲たちは、赤色だったにも関わらず……コイツらは明らかに黒い。
まるで別種の生き物のようなその蟲の姿に、討伐隊の面々は少し戸惑いながら……それでも武器を構え、攻撃のタイミングを計っていた。
そんな中……この討伐隊の隊長であるアルベルトが覚悟を決めたかのようにゆっくりと剣を抜き、号令を……
「ひゃぁはぁああああああああああっ!
選り取り見取りだなぁあああああああぁっ、おいぃぃいいいいっ!」
アルベルトのヤツが号令をかけようと口を開いたその瞬間に、『狂剣』エルンストのアホが単機で飛び出しやがった。
その赤い機甲鎧は、とんでもない速度で真正面にいた蟲へと肉薄すると、そのまま長剣を叩きつける。
……だけど。
「……ぁああっ?」
幾らなんでも彼我のサイズが違い過ぎた。
エルンストの長剣は黒い蟲の肉へと見事に突き刺さるものの……その長剣であっても、蟲の胴を真っ二つに切り裂くことは叶わない。
そして切り裂かれた痛みに蟲が暴れた所為で、エルンストの駆る機甲鎧はあっさりと吹っ飛ばされ……砂の上へと転がり落ちる。
「ぐ、がっ?」
「……おい?」
あっさりとやられた『狂剣』の不甲斐なさに、俺は思わずそう呟いていた。
尤も、エルンストはまだ生きているらしく、起き上がろうともがいているものの……ダメージが大きいのか、僅かに機体が揺らぐだけだった。
──何なんだよ、この蟲はっ!
『狂剣』エルンストのヤツは、態度はアレでも……赤機師団ではアルベルトに次いで強いと聞いている。
──それを……たった一撃でここまでのダメージを与えるとは……
どうやらこの黒い蟲共は、今までの赤い成蟲とはまるで『別物』と言っても過言ではないらしい。
そして……あの馬鹿を少し冷めた目で見ていた俺よりも、ヤツの強さを知っていた「赤」の連中の方が遥かに衝撃が大きかったらしい。
「おいおいおいっ!
あの『狂剣』があんなにあっさりやられるのかよっ!」
「コイツら、洒落になってないぞっ!」
討伐隊の間に走ったその動揺を、如何なる手段で蟲共は知覚し、そして意思疎通をしたのだろうか?
何らかの合図もないまま、十二体の……いや、一体はエルンストの一撃でのたうちまわっていたから、残り十一体の蟲が一気に襲いかかって来たのだ。
「くそっ!
全員、散開しろ~~~~っ!
……荷物はもう捨てて構わないっ!
何としても、生き延びてあの尖塔を目指せ~~~っ!」
蟲の攻撃により、包囲が広がったのを見たのだろう。
アルベルトがそんな叫びを上げていた。
だが、俺には返事を返すような余裕すら存在しない。
既に俺の眼前には巨大な蟲が大きな口を広げて迫って来ていたのだから。
「ははっ!
死ね、この虫けらがっ!」
とは言え、蟲の方から狙ってきてくれるなら、それは俺にとっては好機でしかない。
タイミングを計り、口が俺を飲み込もうとするその瞬間を狙って、渾身の戦斧を叩きつけようと、振りかぶり……
そのまま、動きを止めた黒い蟲の所為で、俺の戦斧はただ空を切る。
「……しまっ?」
蟲がフェイントをかけてくるなんて想像すらしていなかった俺は、大きく戦斧を振り切った後で……完全に隙だらけだった。
だと言うのに、蟲は俺に襲いかかろうともしない。
それどころか……俺に対しての興味を失ったのか、そのまま右へと首をもたげ、近くにいた青い機甲鎧へと襲い掛かる始末である。
「この、くそがぁああああああああああああっ!」
蟲相手に馬鹿にされた。
その怒りに俺は渾身の力を右腕に込める。
──空間を切り裂くンディアナガルの爪。
機甲鎧の右腕が吹っ飛んでしまうとしても、蟲の分際でこの俺をバカにしやがったコイツだけは生かしてはおけない。
と、俺が右腕から権能を発動しようとした、ちょうどその時だった。
「兄弟っ!
お前は蟲皇のところへと向かえっ!」
アルベルトの叫びが周囲に木霊する。
その声に振り向いてみると……『最強』の二つ名を持つ赤機師は、蟲二匹を相手に見事な立ち回りを見せているところだった。
さっき吹っ飛ばされた『狂剣』のように一撃必殺を狙うことなく、冷静に蟲の突進を捌きつつも、蟲への痛打を与え続けている。
「何故か蟲に狙われないお前なら、蟲皇へとたどり着ける筈だっ!
人間の力を、俺たち機師の存在を、蟲皇へと見せつけてやってくれっ!
ガラムサルっ! 周囲のフォローを忘れるなっ!」
そうして蟲二匹を相手にしつつも、赤機師への指示をこなすコイツは、やはり『最強』という二つ名が相応しいのだろう。
「お前は、どうするんだっ!」
「隊長が、部下を、放って行ける訳、ないだろうっ!
ただ、隊長の、役割を果たすだけさっ!
お前は、人間の……俺たちの未来を頼むっ!」
『最強』の二つ名を持つ赤機師はそう叫ぶと、近くの蟲へと斬りかかる。
流石にアルベルトはあの『狂剣』のヤツとは違い、自分が被害を受けないギリギリの踏み込みを保ち、蟲へとダメージを与え続ける。
と、その横合いから、突然長槍と大盾を手にした黒い機甲鎧が走り抜けてきた。
「……くっ、コイツらっ?
ふざけてるのかいっ!」
……いや、違う。
どうやら蟲が彼女の……テテニスの黒い機体を相手にしようとしない所為で、狙いを外した彼女の機体は、意味もなく戦場を右往左往しているらしい。
……さっきの、この俺と同じように。
──何故だ?
確か、砂漠の……赤い蟲共だと彼女は普通に狙われていた記憶がある。
……赤と黒の蟲とで、何かが違うのだろうか?
と、俺が抱いたその疑問を、アルベルトのヤツも瞬時に見抜いたらしい。
「お前もか、『機師殺し』っ!
なら、お前は兄弟……ガルディアのフォローをするんだっ!
とっとと、蟲皇の咽喉元へ、行きやがれぇええええっ!」
討伐隊の隊長であるアルベルトはそう叫ぶと、近くの蟲へと斬り込み……そのまま、その赤い機甲鎧の姿は蟲の影に隠れ、見えなくなってしまう。
俺は『最強』の赤機師を助けるべきか、それともこのまま蟲皇のところへと向かうべきかを悩んでいた。
正直、アルベルトのヤツにもう用はない。
こうして何も言わなくても……蟲皇のところへの道を切り開いてくれたのだ。
……俺が企んでいた通りに。
損得だけを考えれば、もう此処で死んでくれた方が、後腐れなくてありがたいくらいである。
──だけど……。
だからこそ……企んだ通りに上手く行ってくれたからこそ、このままコイツを放って前へ進むことに、僅かばかりの抵抗が残る。
俺の思惑はどうあれ、あれだけ色々と手を尽くしてくれたコイツを、捨て駒のように放り捨てていくってのは、流石に目覚めが悪いと言うか。
そんな要らぬことを考えて立ち尽くす俺の隣に、黒い機甲鎧が近づいてきた。
「ガル……さっさと行くよっ。
アイツの言うとおり、蟲皇のところへさ」
その黒い機甲鎧……『機師殺し』のテテニスの声に、俺はさっき蟲の影に消えた赤い機甲鎧の残像から視線を逸らす。
俺には、要らぬことを考え続けている時間もないのだ。
……コイツらが戦い続けている時間だけ、俺たち二人の安全が確保されるのだから。
他に餌がなくなった蟲共が、俺たち二人を前にして大人しくお預けしていてくれるなんて保証、ある筈がない。
「……くっ!
死ぬなよ、兄弟っ!」
俺はせめてもの手向けとして、『最強』の赤機師へ向けてただそれだけを叫ぶと……
そのまま俺とテテニスの二人は蟲の囲いを突破して、赤い尖塔へと砂を蹴り始めたのだった。
「何か、不思議な話じゃないか」
そうして後ろ髪を引かれる思いで俺が機甲鎧を走らせている最中に、ふいにテテニスが語りかけてきた。
「……何がだ?」
背後で死地に残ったアルベルトに報いるためにと、必死に先を急ごうとしていた俺は、彼女のその呑気な声を聞いた所為か、声色がこわばるのを止めることが出来なかった。
俺のそんな心境を知ってか知らずか、テテニスはそのまま言葉を続けてくる。
「いや、こうして蟲皇のところに向かうのが……
赤でも青でも、白でもない。
ただの「下」の住人だった、あんたとアタシの二人だけ、ってのが、さ」
「……まぁ、な」
彼女の呟きに、俺は頷かざるを得ない。
俺は少し前にこの世界に降り立っただけの、無関係な存在でしかなく。
そう呟くテテニス自身も、機師になることすら叶わなかった、ただの娼婦に過ぎないのだから。
そんな二人があの巨島の命運を握る討伐隊に入り、蟲皇を討つための先陣を切っているのだから……世の中、分からないものである。
「ま、世の中なんざそんなものだろ」
「……そんなもんかねぇ」
何となく日本のゲームを思い浮かべながら呟いた俺の声に、今一つ納得がいかなかったのか、テテニスが適当な返事を呟く。
そうして俺たちが特に妨害も受けず、前へ前へと進んでいくと……
──なん、だ?
……不意に。
──何かの境界を越えた、気がした。
気のせい……ではない証拠に、さっきと明らかに空気が違う。
いや、実際の話、さっきまで周囲に舞い散っていた砂塵が、一切、消えていたのだ。
……昨晩に休息を取った、あの塩の一帯のように。
「どうなってるんだい、こりゃ?」
「……知るか」
俺と同じことに気付いたのだろう。
テテニスの困惑した声に、適当な返事を返すと……俺はまっすぐに前へと歩く。
今は、それどころではないのだから。
俺たち二人はそのまま、小さな丘を登り……
ついに、その真紅の尖塔の……その根元を目の当たりにしたのだった。
……だけど。
「ねぇ、ガル。
……アタシの頭、おかしくなったのかな?」
「……どういう、ことだ?」
だけど……その尖塔の下にあるモノが目に入ったその瞬間。
俺とテテニスの口からほぼ同時に、そんな困惑の声が上がっていたのだった。




