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【完結済】ンディアナガル殲記  作者: 馬頭鬼
弐・第八章 ~蟲皇~
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弐・第八章 第二話

 熱砂と蟲の襲撃で遅々として進まなかった進軍がようやく一段落を迎えたのは……日が随分と傾いてきた頃だった。


「……何、だ?」


「蟲たちが、退いていく?」


 激戦を耐え抜きボロボロになった機師たちが、そんな安堵のため息を吐き出すのも無理はないだろう。

 それほどまでに延々と蟲の襲撃を受け続けたのだから。


「しかし、何で蟲が退いて行ったのかねぇ?」


 未だに傷一つないものの、そう尋ねてくるテテニスの声からは……やはり重い疲労が伺える。

 雑魚の殲滅戦に慣れている俺や、アルベルトやエルンストといった歴戦の戦士たちと違い、彼女はまだまだ娼婦から戦士になり立てである。

 ……こんな連戦は、流石にまだ慣れていないのだろう。


「……さぁな」


 俺は彼女の問いに生返事を返したが……俺の口から放たれたその声も、流石に覇気がなかった。

 疲れているのが自分でも分かる。

 実際のところ、俺としては戦いの疲労よりも……この熱砂の中、機甲鎧から出ることも許されず、蒸し風呂の中で耐え続けたそのダメージの方が大きかったのだが。


 ──くそ、せめて水があれば。


 そもそも水に限りがあるこの状況で、好き勝手に水を飲むことなど出来る訳もなく。

 そうして戦い続けた結果、咽喉は干乾び身体は汗だく、座りっぱなしでケツは痛いし、中途半端に操珠を握りっぱなしだった手の感覚は既にない。

 ……何度、この機甲鎧から飛び降りて素手で蟲共を引き裂きたいと思ったことか。

 俺でさえこうなっているのだから、他の連中は言わずもがな。

 とは言え、ここまで全員が疲弊をしたのは、アルベルトのヤツが無茶な指揮をした所為……ではなく。

 ただ単純に、蟲による襲撃が絶え間なく続いたため、仕方なく延々と戦い続けたというだけなのだが。


 ──流石に、もうこれ以上の進軍は無理だろうな。


 周囲を見て俺はそう内心で呟く。

 尤も、俺が見ても分かるようなことを、この『最強』アルベルトのヤツが理解していない訳もない。


「……やっと、中間地点についた。

 みんな、もう少し進んだところで野営をすることにしよう。

 この辺り一帯は蟲が襲ってこないらしい」


 アルベルトのその言葉を聞いて、機師たちの張りつめていた緊張が緩んでしまう。

 それでも「もう少し」という言葉が利いたのだろう。

 いつ倒れてもおかしくなさそうな機師たちは、それでも必死にアルベルトの歩みに合わせて前へ前へと歩き続ける。


 ──今、狙われるとヤバいかも、な。


 その弛緩してしまった機師たちの中、まだ余裕のあった俺は周囲を警戒し続けていた。

 だが、そんな俺の心配はどうやら杞憂だったらしい。

 そこから先は一匹も蟲は現れず……ただただ砂が広がるばかりだった。

 ……いや、違う。


「何だ、これは……」


「白い、結晶?」


 そうして歩いていく内に、前方の機師たちの口からはそんな困惑の声が零れ始めていた。

 その声に俺がよくよく周囲を見回してみると……地面から真っ白な結晶がポツポツと生えているのが目に入ってくる。

 それは進めば進むほど少しずつ多く、大きくなってきて……


 ──これ、は……


 俺は記憶の何処かに引っかかるものを感じながらも、ただ前へ前へと歩く。


「これは、一体……」


「この世の、終わりか?」


 最前列を歩いていた機甲鎧が、小高い丘の頂上に達した途端、そう呟いたかと思うと立ち止まり、動かなくなる。

 その後続の連中も、全く同じ反応をし……立ち止まったまま動かない。


「くっ?」


 心の何処かに予感を感じながらも、俺はその横を追い越し、走る。

 そうして小高い丘を越えてその向こう側を見たとき……俺の疑念は確信へと変わっていた。


「……ここ、は?」


 そこから先は、一面が真っ白に染まった……まるで別世界のような景色が数百メートル周囲に広がっていた。

 この辺り一帯は風もが死んでしまうのか、砂塵すらも吹き込んでこない。

 ……本当に、まるで世界が異なったかのような、そんな場所で。


「何だよ、コレは。

 空から死神でも降ってきたってのか、おい」


「……創造神よ、我々を救いたまえ」


 意外にも、機師たちと言うのは迷信深いらしい。

 さっきまで蟲の襲撃に四苦八苦していた時にも出てこなかった、神への祈りが零れ出て来たのだから。

 尤も……この塩の世界に、創造神の加護なんざ通じるとは思えなかったが。


「ガル、あんた……コレ……」


 テテニスのその呟きに……赤や青の数名が、俺の方へと視線を向ける。

 彼らにはこの塩の満ちた世界に、心当たりがあったのだろう。

 ……そう。

 俺は、コレを、知っている。


 ──コレは、俺がこの世界へやってきた時の……


 俺を受け止めた、破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能、そのものである。

 周辺の地形に見覚えがないのは、砂漠を彷徨った所為で変な角度から入って来たためか、それとも風すらも吹き込まないこの一帯が出来てしまったことで、周辺の地形が変わってしまった所為か。


「取りあえず、この辺りで野営を取る。

 幸い、コレは俺たちに害はなく……蟲は、この塩の塊には近づかない」


 アルベルトのその声に、討伐隊の面々は半信半疑だったものの……それでも疲労した身体はどうしようもなかったらしい。

 次から次へと機甲鎧が膝を突き……中から機師たちが零れ落ちてくる。


「死ぬかと、思ったぜ、畜生っ!」


「取りあえず、飯だ、飯っ!」


「俺は小便だっ!

 ヤバかったからなっ!」


 緊張感が解けた所為だろう。

 機師たちは隊ごとに群がることすらなく、各自適当に野営の準備を始めていた。


「おい、お前たちっ!

 各部隊の所属と名前を確認するから、おい、こらっ!」


 そのダラけた連中の統率に、指揮官であるアルベルトのヤツは何やら苦労しているようだったが……

 ……ま、俺の知ったことではない。

 俺はただ疲れ切った身体を、一面に広がった塩の結晶の上に横たえるだけで精一杯だった。

 太陽はそろそろ地平線の彼方に沈むのか、徐々に空は暗くなってきていて……そろそろこの辺りも寒くなってくるのだろう。


「さ、ガル。

 ご飯にしよっか。

 軽く火を使えば、保存食でもそれなりに食べられるから、さ」


「……頼む」


 横たわる俺の隣に降り立ったテテニスは、いつものようにそう世話を焼いてくる。

 そんな彼女に俺は、ただそう告げるだけだった。

 いつも通りと言うか、何というか……そうして貰うのが、既に生活の一部となっていると言うか。

 まぁ、彼女自身が好きでやってくれている訳だから、変に仕事を取り上げるのも何だろう。

 と、そうしてテテニスのヤツが料理を始めた時だった。

 赤い機甲鎧が近くへと跪くと、胸甲から金髪の男が飛び降りてくる。

 ……エルンストのヤツだった。

 コイツが俺の近くに寄ってきたのは……さっき気に入られた所為だろうか?


「ひゃひゃひゃっ、俺にも頼むぜぇっ、おいっ。

 こういうの、苦手なんでなぁっ」


「……誰だい、アンタ?」


 エルンストのイカれた笑い声に、テテニスが冷たい声を放つ。

 ……まぁ、無理もない。

 正直、この『狂剣』のヤツは、あまりお近づきになりたくないタイプを通り越して、何としてでも関わりたくないタイプの人間である。

 そして……その冷たい態度は、『狂剣』の癇に障ったらしい。


「このエルンスト様を知らねぇってのかぁ、このビッチがぁああっ!」


 このイカれ野郎はたったそれだけのことで、テテニスに向かって殴りかかりやがった。


「お、おいっ?」


 俺が止める隙すらありゃしない。

 ……だけど。


「……ったぁ。

 何だい、このイカれは?」


 テテニスは緋鉱石で強化されているだろうエルンストの拳をあっさりと頬で受け止めると、そのまま腕を力づくで捻り上げる。


「いだだだだだっ!

 気をつけやがれっ!

 緋鉱石で身体を強化していても、肉体的には普通の人間なんだからなっ!」


「ああ、そうかいそうかい。

 だったら口をつぐみな、この馬鹿っ!」


「ぐぉおおおおおっ!

 折れる、折れるっ!」


 『狂剣』の悲鳴と『機師殺し』の怒鳴り声は、周囲に思いっきり響き渡っていた。

 俺はその周囲からの奇異の目から逃れるように顔を下げると、ゆっくりと燃える固形燃料へと視線を落としていた。


 ──ん?


 ふと、二人の会話に何か聞き捨てならない個所があった気がして、俺は顔を上げる。

 だけど、俺の脳がその違和感の原因に気付く前に、俺たちのところへと歩いてきた一人の男が目に入ってきた。


「騒がしいな、兄弟。

 俺もここで食事をして構わないか?」




 食事といっても、はっきり言ってしまえば保存食である。

 テテニスが火を起こしてくれたお蔭で、干し肉がちょっとだけ温かく、柔らかくなったのと……妙にどろっとしたスープが追加されたこと。

 そして……干した酸っぱい果物を齧る、これだけである。

 相変わらず糞不味い食材しかないが……今夜だけは味付けに関する苦情を口にするつもりはなかった。


 ──幸い、塩には困らないしな。


 俺は近くの白い結晶を少しだけ削り取ると、それを手元の料理に振りかけ、口に入れる。

 家でよく作ってくれたリリスの料理の如く、ただ塩味で誤魔化しただけという味付けでしかないが……


 ──染み入る、なぁ。


 この塩味が、疲れ切った身体に、染み渡るのだ。

 スープも、訳の分からない肉の脂が上に浮かび、どろっとした嫌な食感と肉の臭みが漂う、非常に不味いだろう液体だったが。

 そのスープでさえも、温かさと水気と、そして塩分が……身体に染み渡るほど、美味い。

 ただ、所詮は保存食でしかなく……


「ちぃっ、たったのこれだけ、かよぉおおおっ!」


「だから、いちいち騒ぐな、この馬鹿っ!」


 俺と同じように塩を料理に大量に投下していたエルンストが、そんな悲鳴を上げたように……保存食の一食分ってのは、そう大した量がある訳もない。

 尤も、食えばそれなりに腹は膨れるのが保存食というもので……俺はあんなに騒いでテテニスに耳を引っ張られるほど、切羽詰っている訳でもなかったが。


 ──と、切羽詰っていると言えば……


 俺はふと、隣で深刻な表情を隠そうともしないアルベルトのヤツへと視線を向ける。

 その表情を見る限り……状況が芳しくないことくらい、俺にでも理解できる。


「……そんなに、損害が出たのか?」


「……あ、ああ。

 二十六機が死亡もしくは行方不明、十二機が重大な損傷を受けた、というところだな」


 俺の問いにアルベルトは取り繕ったような笑みを浮かべ……その笑みの下手くそさに、俺は事態の深刻さを理解する。


 ──四割近くも、かよ。


 約百機の機甲鎧が出陣したこの討伐隊で、四十機ほどの損害が出たのだから、ざっとした計算でも被害が如何に大きいかが分かる。


「しかも、各員の疲労は限界に達している。

 このまま、明日の進軍に耐えられるかどうか……」


「なら、一日休むってのはどうだい?」


 アルベルトの深刻そうな声にそう突っ込みを入れたのは、テテニスだった。

 『最強』という二つ名を持つアルベルト相手にも気後れすることなく平然とした態度を取れるのは、彼女の職業故、だろうか。


「いや、それも難しい。

 このままここに居続けると……」


「出発する気がなくなるんだよなぁあああああっ!

 臆病者どもってのは、これだからよぉおおおおおっ!」


 言葉を濁したようなアルベルトの声を引き継いで、大声で何もかも台無しにしやがったのは『狂剣』エルンストのヤツだった。

 と言うか、コイツ、もう黙らした方が良いかもしれない。

 事実……さきの叫びの所為で、周囲の機師たちから悪意に満ちた視線が飛んできているのが分かる。

 勿論、この連中に夜襲を受けたところで、俺は傷一つ負うこともないだろうが……


 ──これ以上、手駒を減らすのもなぁ。


 折角の手勢なのだ。

 上手く運用して、雑魚の足止めや弾除けに使えば……俺が楽を出来るだろう。

 まぁ、周囲を見渡してみても、エルンストに敵意を向ける連中はいても……同様に『狂剣』の恐ろしさも知っているらしく、直接の殺意を向けてくる連中はいなかった。

 どうやらこの様子では……今夜すぐに夜襲されることはないだろう。


「……そろそろ、冷えて来たな」


 結局。

 アルベルトのヤツがその場を取り繕うかのようにそう呟いたのが合図となり、機師たちはそれぞれ機甲鎧の中へと入っていった。

 あの狭苦しい中で毛布に包まって寝るらしい。

 寒さと風を防ぐのと……

 

 ──蟲避け、か。


 周囲が塩に覆われ、蟲が近寄ってこないと聞かされていても、蟲の脅威に晒され続けた彼ら機師たちは、こんな巨島の外の、何も遮るものがない空の下で寝るなんて真似……出来やしないのだろう。

 正直なところ、俺も蟲がいつ地面を割って出てくるか分からないところで眠れるとは思えない。


「ねぇ、ガル。

 寒いなら、アタシと温めあっても……」


 何かテテニスがブツブツと呟いているのを敢えて無視すると、俺はとっとと自分の機甲鎧へと乗り込むことにする。


 ──テテニス、一人だけが相手じゃなぁ……


 そういう打算があったのと……あと、昼間の激戦の所為で、疲れ切っていて「そういう気分」じゃなかったのだ。

 結局、俺はよほど疲れていたのだろう。

 狭苦しい機甲鎧の操縦席の中で、薄っぺらい毛布一枚しかない劣悪な環境だったと言うのに……

 目を閉じたその次の瞬間から、俺の意識は闇の中へと飲み込まれていったのだった。


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