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【完結済】ンディアナガル殲記  作者: 馬頭鬼
弐・第七章 ~『機師殺し』~
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弐・第七章 第五話


 ──怨む、なよ?


 俺は心の中で軽くそう呟くと、両手で握りしめた斧槍を、眼下で伏したテテニスの首筋へと直下に振り下ろし……

 ……いや。

 振り、下ろそうとした、その瞬間。


 ──「こんな私じゃなく、テテを、彼女を……助けて……」


 俺の脳裏には、そんな少女の言葉が過っていた。

 そして、思い出す。

 ……家で待っているあの片足の少女と、口先だけとは言え「何もかも、上手くやってみせる」という大言壮語を吐いてしまったことを。


 ──くっ。


 そして、もしテテニスを殺してしまえば、彼女を殺した事実を同じ家に暮らす片足の少女に……さっき連れて帰ると約束を交わしたばかりのリリスに告げなければならない、ということを。

 その躊躇いが、俺の両腕をその場に縫い止めていた。

 もし今夜家に帰って、その話をあの少女に向けて告げると思うだけで、今から胃がキリキリと痛み始める始末である。

 ……だけど。


 ──だけど、救いようがない。

 ──仕方が、ないんだっ!


 この状況で、今さらテテニスを……『機師殺し』を救える筈がない。

 俺は首を左右に振ってリリスの涙を振り払うと、再度、伏したままのテテニスの首筋へと斧槍を振り下ろ……

 振り下ろそうとするものの……やはり俺の両腕は動かない。


 ──何故、だ?


 その事実に、俺は首を傾げていた。

 今さら俺に……人を殺すことへの躊躇いなんざ、ある訳がない。

 ……そんな感傷なんざ、あの塩の砂漠に召喚され、べリア族との最前線に立たされ、数十人を殺す羽目になったあの日、とっくに失ってしまっている。

 女子供を殺すことを躊躇うタイプでもない。

 ……俺と敵対したべリア族も、俺を裏切ったサーズ族も、どちらも一人残らずこの手で殺し尽くしたのだから。

 ……いや。

 そんなことを考えることすら、まさに今さら、だろう。


「……く、くそっ!

 何をやってんだ、俺はっ!」


 ……だと言うのに、俺の両手は動かない。

 殺した方が俺にとって得ばかりだと分かっているのに。

 その上、テテニスが救われる道なんざ、もうないと分かっているのに。

 彼女自身がもう生を諦め、抵抗すらしていないというのに。


 ……それでも、俺の両手は、動かない。

 

 そんな俺を不審に思ったのだろう。

 周囲を取り囲んでいた機師たちがざわめき始める。

 ……だけど。

 幾ら力を込めても、幾ら意気込んでも……俺の両手はただ震えるばかりで、斧槍が彼女の首筋へと振り下ろされることもなく……


「……ガル?」


 死の覚悟をしていた筈のテテニスまでもが閉じていた目を開き、不審そうな声を零す始末である。


 ──畜生、何故、だ?


 幾ら念じても動かない自分の腕に、俺は歯噛みするばかりだった。

 周囲からの訝しげな視線が増し続け、俺は焦り手に力を込めるが……やはり俺の両手は言うことを聞いてくれなかった。


 ──躊躇っている、のか?


 ……この、俺が?


 ──たかがちょっと一緒に暮らしただけの、一山幾らの娼婦一人を殺すことに?


 その事実を前に俺は首を左右に振るものの……やはり俺の手が動かないというその現実は変わらない。

 そんな時、ふと俺は、二日前に殺した少女のことを思い出す。

 マリアフローゼ姫を暗殺しようとし、俺がこの手にかけた青機師……その処女を頂く約束をしていたレナータのことを。

 そして昨日、……彼女をこの手で貫いた後悔に半日以上もの間、気が滅入っていたことを。

 この手が動かないのは……どうやら、あの後悔が今でも尾を引いている所為なのだろう。


 ──ああ、そうか。


 その事実を前に、気付く。

 色々な言い訳を並べたものの、つまり……俺は、『彼女を殺したくない』らしい。


 ──だからと言って、どうすれば良い?


 現実問題として……俺がその内心を認めたところで、この場から彼女を逃がすことなど出来やしない。

 いや、周囲の連中を肉塊へと変えれば出来ないこともないが……どうせ彼女が詰んでいるのは目に見えている。

 流石の俺でも、この巨島全ての機師たちを相手に、子供たち全員を助けることなど不可能なのだから。


 ──くそ、何か、手は……


 時間が経過するごとに自分の立場が悪くなり続けていることを自覚しながら、俺は救いを求めて周囲に視線を向ける。

 青赤白の色とりどりの機師たちの群れ、白い色の機甲鎧、アルベルトのヤツに、何とかって爺と、王様が一人。

 特にその中でもアルベルトのヤツは悲壮な形相を浮かべたまま、剣の柄に手をかけ……こちらへと飛び出す寸前だった。

 恐らく……アイツのことだ。

 武器を振り下ろせない俺の代わりに、テテニスを討とうとしているのだろう。

 ……俺がレナータを殺した時の、あの言い訳をそのまま信じて、俺の手を汚させず自分の手を汚そうなんて考えているに違いない。

 と、その時だった。


 ──そうだっ!


 その面子を見渡した俺の脳裏に、突如として名案が浮かび上がる。

 テテニスを殺さず、子供たちを人質にせず、この場を切り抜けるばかりか、上手くいけばマリアフローゼ姫をもこの手に抱けるという、まさに一発逆転の名案が。

 そんな素晴らしい案がまさに天から舞い降りた、その瞬間……俺の唇の端は知らず知らずの内に吊り上っていた。


「ガル、どうしたってんだい?

 早く、アタシを……」


「……黙って俺に任せろ。

 何もかも、上手く運んでやる」


 テテニスの訝しげな声に俺はそう小さく呟くと、そのまま彼女の首根っこを掴んで持ち上げ……

 彼女を手荷物のように小脇に抱えたまま、走る。

 武器を手にした機師たちの囲みを突破し、機甲鎧の足元を抜け、ただまっすぐに国王のところへと。


「兄弟っ?」


「貴様っ!」


 アルベルトのヤツや白機師団の団長とかいう爺、二人とも剣を抜き放ち、何かを叫ぼうとしたが、俺は意にも介さない。


「恐れながら、申し上げますっ!」


「みぎゃっ?」


 そのまま国王の近くの、石畳へとテテニス顔面を叩きつけ、手にしていた斧槍をその首へと押し当て、叫ぶ。

 石畳に叩きつけられたテテニスが悲鳴を上げていたが、取りあえずは無視する。


「この者の戦闘力は、この惨状で見せた通り。

 ここで殺せば、機師数十名に値する損失になることでしょうっ!

 であればこそ、私はこの者を連れて蟲皇ンを狩りに砂漠へ向かいたいと思いますっ!」


 敬語という慣れない言葉に、少しだけ呂律が回っていない自覚がある。

 その上、自分でも分の悪い賭けをしているという自覚もある。

 何しろ、こんな娼婦一人を必死に生かしたところで、俺にとって何の利益も得られないのだから。

 だけど……引けない。

 頭の中で昔、親父が見ていた時代劇の一シーンを思い浮かべながら、その配役になったつもりで言葉を続ける。


「そして、見事我々が蟲皇ンを討伐した暁には、この者に与えられるであろう死一等の免除と、財産と爵位をっ!

 そして、この私とマリアフローゼ姫との婚姻を認めて頂きたくっ!」


 ただ勢いに任せて叫ぶ。

 敬語とか言葉の意味とか、色々と間違っている気もするが……その辺りも時代劇を思い浮かべつつ、勢い任せに押し切る。

 とは言え正直なところ、少し要求し過ぎな気もしたが……話を聞く限り、蟲皇『ン』と言えばこの世界が荒廃している元凶とも言うべき存在である。


 ──後は、国王が頷いてくれさえ、すればっ!


 ……そう。

 これこそが土壇場で俺が思いついた「名案」だった。

 以前、アルベルトとレナータ・レネーテ姉妹と話をしていた時……「蟲皇『ン』討伐は、死刑の代名詞ともなっている」という話をしていた記憶がある。

 一昨日、レナータを殺した後悔に悩み続けていたからこそ、そして「何か他の選択肢はなかったのか?」と悔やみ続けていからこそ思いついた……まさに、土壇場での起死回生の神の一手。

 ……それに。


「兄弟、お前……」


 ──悪いな、アルベルト。

 ──先を越させて貰う。


 ……俺の方を見ている「最強」という二つ名を持つ赤機師……アルベルトのヤツが、蟲皇の居場所を見つけたと言っていたのを俺は覚えている。

 居場所が分かっているならば、後は簡単だ。

 他の人なら躊躇うだろう『蟲皇』という強大な存在だとしても……破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能を持つ俺であれば。


「くっくっく。

 あの馬鹿、粋がりやがって」


「……自殺行為だぞ、若造が」


 事実、俺の言葉を聞いた周囲の機師たちからは、失笑が零れ出ていた。

 それほどまでに蟲皇という存在は、この世界の人間にとって絶対的で絶望的な存在なのだろう。

 だけど……感触としては悪くない。

 蟲皇が絶対的であればあるほど、『機師殺し』の罪を討伐報酬で相殺するという……無茶苦茶な要求を受け入れて貰える確率が上がるのだから。


「馬鹿なっ!

 この女はベルネルデスを殺害しているっ!

 それに、それにっ!

 こんな下賤の者が、マリアフローゼ姫を、などとっ!」


 とは言え案の定、白機師団長の……権威を重んじる細くて弱そうな爺が唾を飛ばして抗議してきた。

 反対意見があるのも承知の上である。


 ──それでも……


 それでも俺は、今はこの一手に懸けるしかない。

 この世界が危機と隣にあり、誰もが蟲の襲撃に苦しめられている……そんな世界であるからこそ、この提案が成功する確率はそんなに低くはない、筈で。

 そんな勝算があったにも関わらず……俺の声を聞いた筈の国王は、何を考えているのかずっと黙り込んだままで。

 頭を下げたままの俺が、上手くいくかどうか分からない不安による胃の痛みに耐え切れなくなってきた頃。

 再度、口を開いたのは白機師団長の爺だった。


「陛下っ!

 何を考え込んでおられますかっ!

 この者の戯言など無視して下さいっ!」


 糞爺が口汚く叫ぶ。

 いい加減、この爺の頭蓋を叩き割って、人様の足を引っ張ることしか考えていない、皺のなさそうなその脳みそを眺めてみたい衝動に襲われる。

 ……が、今暴れれば全てが台無しになるだろう。

 俺は歯を食いしばったまま、爺の暴言を聞き流していた、その時。


「陛下も戯れに興じる、その悪い癖をお止めくださいませっ!

 そもそも……蟲皇を倒すなどっ!」


「……良いだろう」


 爺の叫びを遮って口を開いたのは、今まで口を閉ざしていた国王陛下その人だった。


「そこまでの大言壮語を吐くのだ。

 その方、『機師殺し』を伴い、蟲皇『ン』を見事討伐して参れ。

 そして、ヤツの脳内にある『皇玉』を持ち帰ったならば、我が娘をそなたにくれてやる」


「陛下っ!」


 爺の抗議すらも片手で制し、国王は言葉を続ける。


「そなたたち二人には最高の機甲鎧を授けよう。

 道中の食料と、残された家族への保障も約束しよう。

 後顧の憂いなく、そなたたちはこの王国の民と土地を害するあの蟲皇に鉄槌を下せ」


「ははっ!」


 ──通ったっ!

 ──計算通りっ!


 その国王の声を聞いたその時、俺は俯いたままで笑みを浮かべていた。

 ……とは言え、常人が考える限り、俺の策は無謀極まりない代物なのだろう。

 他の機師たちは自殺志願者を見るような目で俺を見つめているし、俺が組み敷いたままのテテニスも、無意味に死地へと飛び込んできた、哀れな同行者を見つめるような視線を向けてくる有様である。

 ……だけど。


「陛下っ! お待ちくださいっ!」


 俺の蟲皇討伐を信じる馬鹿が、この場に一人いやがったのだ。


「この私、赤機師団のアルベルトを、その討伐隊へと加えて頂きたくっ!

 そして、この私めが蟲皇を討伐した暁には、何卒、マリアフローゼ姫との婚儀をっ!」


 ……そう。

 完全に俺の計算外……アルベルトのヤツが、死刑の同義語とまで言われるこの蟲皇討伐に名乗りを上げやがったのだ。

 俺は計算違いに歯ぎしりするが……もう遅い。


「……その方か。

 お前も、この国のため、蟲皇を討とうと言うのか?」


「はっ!

 既に蟲皇『ン』の居場所は突き止めておりますっ!」


 その上、アルベルトのヤツは「十分な勝算がある」とばかりにその情報を追加しやがったのだ。

 そして『最強』の機師が放った自信に満ちたその一言は、この場の空気を払拭するのに十分な響きがあったようだ。


「おい、『最強』が行くってんなら……」


「ああ、上手くいけば、こりゃ……」


「蟲皇さえ倒せば、俺たちもこんな仕事からは……」


 どうやらアイツの『最強』という二つ名はそれなりに大きなものらしい。

 さっきまで自殺志願者を見るようだった俺たちへ向けられた視線が、いつの間にか英雄を見るような視線へと変化している。


「よかろう。

 赤機師団最強と謳われるその方が名乗りを上げるならば、これも良い機会と考えよう。

 一大討伐隊を結成することとするっ!」


 その挙句、国王までもがその気になったのか、そんなことを口にする始末だった。

 当の俺が何か口を挟む暇すらなく、話はトントン拍子に進み……気付けば、百体以上の機甲鎧が蟲皇ンを討伐するために外へと向かうことになってしまっていた。

 ……だけど。


「ガル、済まない。

 あんたまで巻き込んで……」


 多少の計算違いはあれど俺は、そう呟く『機師殺し』ことテテニスを、この土壇場から救い出すことには成功したのだ。

 家で待つ片足の少女との、舌先三寸とは言え交わした約束を、何とか果たせたその事実に、俺は安堵のため息を吐くのだった。


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