弐・第七章 第二話
「もう一遍、言ってみろっ!」
翌朝。
俺の寝泊りする家から少し離れた路地裏に、そんな俺の叫びが響き渡っていた。
……いや、気付けばそんな叫びが零れ出ていた、というのが正しいのだろう。
それほどまでに、早朝から俺をこんな場所へ連れ出した眼前の男……『最強』という二つ名を持つコイツの吐いた「事実」が受け入れ難い代物だったのだ。
「ぐっ?」
怒りに震える俺の右手は、知らず知らずの内にアルベルトの胸ぐらを掴み……その成年男子の身体を軽々と持ち上げていた。
その所為でアルベルトの口からはうめき声が上がるものの……
それでもアルベルトのヤツは俺に怒りを向けるでもなく、ただ痛ましい視線を向けながら、さっきと同じ言葉を口にする。
「……ここ最近の暗殺者、『機師殺し』の正体が判明した。
黒機師団所属の、テテニス。
……兄弟が住んでいる家の、あの女だ」
「~~~~っ?」
聞き間違いであってくれという俺の祈りは、残念ながら天には通じなかったらしい。
静かな、だけど確かな声でアルベルトの口から吐き出されたのは、そんな冷酷極まりない事実だった。
俺は苛立ち紛れに胸ぐらを掴んだままの腕を、そのまま家の壁に叩きつけようと力を込め……思い留まる。
ここでアルベルトを殺しても、ただの八つ当たりに過ぎず……何にもなりやしないのだから。
そんな俺の葛藤を意に介すことなく、アルベルトのヤツは先を続ける。
「今、彼女は貴族街にいる。
長老派のトップと言われていたベルネルデス卿を殺し、その家に立て籠り……抵抗を続けている。
白機師たちも迂闊に近づけない有様なんだ」
最強の赤機師が語るその言葉に、俺は首をただ左右に振るだけだった。
暗殺を繰り返していたというテテニスが未だに生きている……その事実に喜ぶ余裕すらないままで。
──どうして、そんなことになってんだ?
だって彼女はただエロとお人好しだけが取り柄の、ただの娼婦で……
事実、俺がこの世界にたどり着いてから、衣食住であまり困らなかったのは、彼女のお人好しのお蔭と言っても過言ではない。
──だけど……彼女はただの一般人でしかない、筈。
確かに黒機師になった時には、妙に高い適合値を叩き出していた記憶があるが、それも所詮は機甲鎧を操るだけの能力で……
このアルベルトと同じ、緋鉱石がちょっとばかり良く適合するだけの、普通の娼婦に過ぎないのだから。
と、そんなことを考えていた所為だろうか?
──そう言えば。
記憶を辿っていた俺の脳裏に……不意に一つの違和感が浮かび上がる。
それは本当にちょっとした違和感。
……以前に感じた『背中の痛み』だった。
──確かに、あの夜は……
考えてみれば、レネーテを権能の巻き添えにしたあの日……アルベルトが拳を痛めるほどの力で俺の顔面を殴った時でさえ、俺は痛みすら感じなかった。
だと言うのに彼女は……いつかの夜、彼女に背中を叩かれた時に、俺は確かに痛みを感じていたのだ。
馴れ馴れしい態度に戸惑うばかりで、そんなこと、気にもしていなかったが……
──いや、その前にも……
他にも思い返してみれば、夜中に帰ってきた彼女に、俺は泥棒と間違えて拳を叩きつけた時があった。
あの夜……テテニスは、俺の拳を軽く受け止めていた記憶がある。
……軽くぶん殴るだけで、人間の頭蓋を叩き潰す、俺の拳を、だ。
あの時は力加減を間違えたのだと思っていたが……そう考えると……
「……いや、バカな」
首を振ってその事実を振り払おうとすればするほど……俺の脳裏に色々な心当たりが浮かんでくる。
深夜、彼女が「商売」を続けていたのは、何故だ?
──俺が蟲を狩ったお蔭で、当面の間には困らない金を得ていた筈なのに。
……蟲を狩った報酬に比べれば、娼婦が稼げる一晩の金なんざ、大した金額でもなく……毎晩外へ出ていく必要があるとは思えない。
──他にも、思い当たる節はある。
過去の英雄は身体に緋鉱石を埋め込み、そのお蔭で凄まじい膂力を手にしていたと聞いたことがある。
もしも、俺の乗っていた緋鉱石のない機甲鎧が……真っ当に動く筈の黒機師団の所持する機体から緋鉱石が盗まれていたのが、彼女の仕業であったのなら。
もしも、彼女の腕に巻かれた包帯が怪我などではなく、埋め込まれた緋鉱石を隠すためのものだったなら。
──いや、そんなバカな……
そうやって彼女を怪しめば怪しむほど、思い当たる節が山ほど浮かんでくる。
俺はもう一度その事実を否定しようと軽く首を振るものの、そんな行動に意味がある訳もなく……
首を振る俺を見て、俺がようやく事実を受け入れたと判断したのだろう。
非情にもアルベルトは更に言葉を続けやがった。
「既に白を含め十名以上の機師が犠牲になっている。
このまま突入すれば、まだその倍以上の犠牲が出るだろう」
そう告げると……アルベルトは軽く息を吐き、俺から視線を逸らすと、三度ほど咽喉を鳴らし、よほど言いたくなかったのだろうその言葉を俺に告げる。
「そこで白の連中は一つの命令を下してきた。
……彼女の縁者を連れて、降伏を促せ、と。
多少の強硬手段は容認するとまで告げて」
「まて、それは……」
『最強』という二つ名を持つ赤機師から放たれたとは思えない、最悪のその言葉を聞いた俺は……一瞬、その意味を認識出来なかった。
要するに、コイツは……いや、白機師団はあの子供たちを……
──人質に、使おう、ってのか?
俺の身体が静かな怒りに、いや、殺意に震え始めても、アルベルトはただ俺から視線を逸らしたままだった。
「てめぇはっ!
てめぇらはっ!
……それでも人間かぁっ!」
怒りに任せた俺の拳はそのまま、アルベルトの顔面を……いや、顔面近くの家の壁を捉え、軽々と貫き通していた。
幾ら激怒していても、まだその怒りをアルベルトに叩きつけない程度の理性を、幸いにして俺は持ち合わせていたらしい。
そんな俺の激怒を見てもアルベルトのヤツは怯んだ様子すら見せず、その怒りを当然だと言わんばかりの態度で、更に口を開く。
「だから、兄弟。
……お前しか、いないんだ。
子供を人質として使わず、これ以上の犠牲を出さず、彼女を制圧できる人間は、お前しか……」
アルベルトは最善の選択肢のようにそう告げたものの……
──それは、紛れもない脅迫だった。
餓鬼共を人質にしたくなければ……俺が、この手で、彼女を殺せ、という。
突きつけられたその選択肢に俺は答えを出さざるを得ない。
──十人以上の無力な子供の命か。
──それとも、機師を次々と殺したテテニスの命か。
その選択肢に俺が内心で決断を下した、その時だった。
「待ってくださいっ!」
「リリっ?」
後をついていて、話を聞いていたのだろう。
家の影から片足のない、杖を突いた少女が顔を出す。
その表情は、俺が今まで見たこともないほど、悲壮極まりない、鬼気迫るもので……
「私が、その、人質になりますっ!
ですから、こんな私じゃなく、テテを、彼女を……助けて……」
そう言うとリリスは目を伏せる。
足元のレンガに零れ落ちた水滴が弾け……彼女は泣いているのだろう。
……だけど。
──ちく、しょうっ!
俺には他に選択肢などありはしない。
リリスや餓鬼共の命と、テテニス一人の命。
さっき決断した通り、どっちを優先するかなんて、数を考えれば分かり切っていて……
──そう、だよな。
──例え、それしかなかったとしても……
とは言え、そんな辛い現実を……こんな少女に突きつけて何になるのだろう?
せめて絶望だけじゃなく、僅かな時間だけでも構わないから、一縷の望みくらいは抱かせてやろう。
そう心に決めた瞬間、俺は自然と少女の身体を抱き寄せていた。
「がる、でぃあ、さま?」
「……大丈夫だ。
何もかも、上手くやってみせる。
だから、安心して、家で待っていろ、な?」
そんな俺の下手くそな嘘を、彼女は信じてくれたのだろうか?
それとも嘘を嘘だと分かった上で、それでも信じたふりをしてくれたのだろうか?
俺としては、彼女の泣き顔を見たくない……少なくとも彼女が身内を亡くして絶望する瞬間をただ後回しにしたくて吐いただけの嘘だったのだが……
その俺の嘘を聞いたリリスは、泣き腫らした顔で無理やりの笑みを浮かべると……
「テテを、彼女を、お願い、します。
……ガルディア、さま」
俺に向けてそう告げたのだった。
「本当に、良かったのか、兄弟?」
「……うっせ。
他に何を言えってんだ」
車の中、アルベルトの問いに対して俺はただそう悪態をつくことしか出来なかった。
……現実問題、どうしようもないことは分かっている。
俺が暴れることで長老とやらの屋敷からテテニスを逃がすことは出来ても……餓鬼共全員を助けるなんて真似、幾ら俺でも出来る筈がない。
そして……彼女が今まで面倒を見てきた餓鬼共を、見捨てられる筈もない。
いつの日か、今日のように餓鬼共が人質にされ、彼女は命を落とすだろう。
──だから、仕方ない。
……そう。
俺が彼女を助けたところで結局は無駄になるのだ。
それに、俺自身も出世の夢を……あのマリアフローゼ姫をこの手で抱く野望を捨てきれない。
である以上、娼婦でしかない彼女のために、この世界で築き上げた何もかもを捨てることなど、俺に出来る訳もなく。
だからこそ俺はもう……これから向かう先で、彼女を殺すしか、他に選択肢など、存在しない。
──畜生。
──前に、進むなよ。
アルベルトの運転する車に揺られながら、俺はただ、祈るように車の窓を睨みつけていた。
……せめて、その場所に着かなければと。
そうすれば、俺が彼女を殺すなんて、最悪の事態は訪れないからと……ただ一心不乱に嫌な時間を遠ざけるように。
とは言え……そんな願いが叶う筈もない。
無情にも車輪は煉瓦造りの道路を鳴らし続け、景色はただただ後ろへと流れ続けていく。
──くそったれ。
──せめて、出来るだけ、後にしてくれ。
一級市民街の壁を超えたところで、俺の祈りはそう変わる。
せめて、その最悪の瞬間を先に延ばしてくれと、祈る。
だけど……俺の祈りに答えるような神など、存在する筈もなく。
──畜生。
──あの夜……テテニスを追いかけていれば。
──もしかしたら……
そう俺が後悔している間にも、アルベルトの操縦する車は無情にも工房の奥にある巨大な壁を通り抜け、その先の貴族街を奥へ奥へと進み……
王城の手前にある、森の中の。
その先にある巨大な屋敷へとたどり着いてしまう。
「着いたぞ、大丈夫か、兄弟?」
「……あ、ああ。
分かってる、分かってるさ、畜生っ!」
テテニスの死刑を宣告する、そんなアルベルトの声に……俺はやけくそ気味にそう叫ぶと、車から飛び降りたのだった。