弐・第七章 第一話
「これなんか如何ですか?
美味しそうだと思うんです。
今晩、仕事を終えてテテが帰ってきたら、美味しいって言ってくれると思うんですけれど……」
「……ああ、良いんじゃないか?」
祝賀会の翌日。
三級市民街の上の方にある市場へと買い物に来た俺は、左手に張り付いたままのリリスの問いに適当な相槌を打ちつつ、自分の右手を眺めていた。
その手には未だにべっとりと血と肉の感触が残っているようで……
──畜生、後味悪い。
胃の上がどんよりと重くなる感覚に、俺は知らず知らずの内に歯を食いしばっていた。
……今さらなのは分かっている。
──何十人も何百人も何千人も殺したこの俺が、たった一人の少女を殺したくらいで。
俺は内心でそんな言い訳を組み立てるものの……手に残ったレナータの血と内臓の温もりは未だに消えていなかった。
……そう。
今まで俺が殺した連中は、基本的に武器を手に殺意を向けてくる連中ばかりだった。
いや、勢いに任せて命乞いする連中や武器を持たない女子供や赤子を殺したこともあるが、それは殺す時に初めて顔を見る程度の……言わば赤の他人。
昨日、レナータを殺したのは、それとは全く違う。
顔見知りの、飲食を共にし、言葉を交わし、この手で抱く約束までしていた相手を、殺したのだ。
……自分自身の都合だけで。
──何で、こんなっ。
後味の悪さと、「もっと上手くやっていれば」という後悔に、俺はただただ歯噛みするしかない。
破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能を手にしてから、暴力を振るうのには慣れた。
殺すことにも慣れたし、殺意や悪意を向けられるのにも慣れた。
そして、塩の権能を使いこなすことも出来るようになってきたと思う。
……だけど。
──後悔を消す術だけは、未だ習得していない。
その後味悪さに俺は、あの時、マリアフローゼ姫とレナータのどちらかを選ぶだけじゃなく……何か他の選択肢が選べたんじゃないかと、未だに考え続けていたのだ。
「……王女様の暗殺未遂ですって」
「この国も物騒になったもんですねぇ。
今まで、蟲はいても人が人を殺すことなんて……」
「そういえば、今日は機師の方々が走り回っていて……」
後悔の最中にある俺にとって……道を行く人々のそんな喧騒は、鬱陶しくて仕方ない。
他人事だと思いレナータについてあれこれと口にするクズ共を片っ端から叩き潰したい衝動に襲われる。
──死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね。
──ウザい連中共め。
──どいつもこいつも、死んでしまえ。
人混みの中、俺は内心でそう繰り返す。
大昔……まだ俺がこうなる前に、何度も何度も何度も何度も繰り返した言葉を、あの頃と同じ、何もかも思い通りにならないこの懊悩とした気分のままに。
……いや、違う。
──今の俺の手には、何もかもを薙ぎ払う力が備わっている。
ほんの少し権能を込めてこの右手を……「爪」を振るうだけで、この市場にうじゃうじゃと群れる猿共なんざ、全て一掃するくらいは簡単だろう。
と、俺が拳を固めたその瞬間。
俺の怒りに水を差すかのように、服の裾が少しだけ引っ張られる。
「もう、聞いてますかっ!
ガルディアさまっ!」
その感触に意識を右隣に向けると……リリスが俺に向かって頬を膨らませていた。
どうやら周囲の連中に殺意を向けるのに勤しむ余り、彼女の言葉を聞き流してしまったらしい。
俺は慌てて拳を解くと、寝室を共にし続けている少女の方へと視線を向ける。
「こっちとこっちのお肉、どっちが好きですかと聞いたんです!」
「……いや、変わらないんじゃないか、それ?」
俺の意識が戻ってきたのを悟り、リリスが再びそう尋ねてくるが……その問いを聞いたところで、やはり俺には答えられそうになかった。
──と言うか、何の肉なんだ?
この世界にたどり着いてから幾度となく口にしただろうソレは、スーパーに並んでいる牛肉でも豚肉でも鶏肉でもない。
その肉は、脂肪と赤身のバランスが何処となく不自然で、そして保存状態が悪くて少し腐りかけているのか……若干茶色がかっていた。
その肉の正体に思い当たらなかった俺は、何となくソレを胡乱げな視線で見つめてみる。
とは言え、俺は親の脛を齧って生きるだけのただの高校生で、自炊をした経験すらない。
結局、見ただけで肉を語れるほど料理の知識など俺にある筈もなく、本当にただ見つめただけに過ぎなかったが。
「いつもそればっかり。
もう少しリクエストして貰わないと……」
「……お前に任せる。
どうせ俺には料理は分からないんだ。
大体、今のままでも、そう悪くない」
「~~~~~っ!」
俺のその適当な相槌は、何故か片足の少女にとって変なツボに入ったらしい。
リリスはいきなり顔を真っ赤にして涙を流し始めて……俺はどうしたら良いか分からずにただ右往左往してしまう。
周囲の人たちが俺たちの方へと好奇の視線を向けてくるが……それに対して怒鳴り散らす余裕すら、今の俺には存在していなかった。
──ど、どう答えりゃ良かったんだ?
──人肉の砕き方とかなら語れるんだが。
生憎と小学生高学年程度のリリスにそういう話題を振る訳にもいかず。
俺は話題を必死に探そうと右へ左へと視線を向け……
「……ん?」
……不意に、その人物に気付く。
ソイツは黒焦げの布を身にまとい、動かないのか左手をだらりと下げ、左足を引きずり……ゆっくりと俺たちの方へと歩いてくる。
周囲の連中もその異様な雰囲気に気付いたのか、面倒事は御免とばかりにソイツから距離を取っていた。
「……あの、ガルディアさま」
目を赤く腫らしたままのリリスもその異様な人影に気付いたのか、俺の袖を引いて不審人物から離れようと促してくる。
だけど、俺は逃げる訳にはいかなかった。
……そのボロボロの人影に、その焼け焦げた顔に見覚えがあったからだ。
「……おっさん?」
……そう。
そのボロボロの人影は、何度か機師としての生活を教えてくれた、あのゼルグムのおっさんだったのだ。
おっさんは顔が半分ほど炭化し……恐らくは焼け焦げた服の内側も同じ状況で、明らかに致命傷と思われる怪我を負いながら。
それでもその焼け焦げた身体を無理やり動かし、まっすぐに俺の方へと歩いてくる。
「おっさん、アンタ……」
「やっと見つけたぞ、てめぇ」
重症の彼を心配した俺に返ってきたのは、明らかな憎悪と殺意だった。
瀕死の顔見知りから放たれる、悪意の塊に俺は思わず拳を握るものの……
「……くっ?」
レナータを殺したときの……顔見知りを殺した時の後味悪さを思い出し、その拳を突き出すのを自重した。
そうして俺が躊躇っている間にも、おっさんは俺の目前まで迫ってきていて……そのまま黒く炭化したその腕で俺の胸ぐらを掴んでくる。
「てめぇさえっ!
てめぇさえ、いなけりゃ、テテのヤツも、こんなっ!」
「……何の、話、だ?」
明らかに焦点の合ってない目で、俺に向けて放たれる憎悪の叫びに、俺はただ困惑するしか出来なかった。
何しろ俺には……このおっさんからは、怨まれる覚えなんて欠片もないのだから。
「ああ、そうだ。
こんなことをしてないで……俺が、アイツを守らないと。
あの時、俺が、ブタンから借金なんざしたばかりに。
だからこそ、今度はお前を、俺が……」
「……おい?」
怒鳴りつけたことで気が済んだのか、おっさんの視線はいつの間にか俺から外れ……明後日の方向を向いて、訳の分からないことを呟き始めていた。
その呟きはさっきまでの俺への憎悪とは何の脈略もないもので……どうやらこの男の意識は朦朧として、まっとうな思考回路すら保てない状態らしい。
恐らく、怪我と言い、うわ言と言い……おっさんは、もう、長くないのだろう。
何がどうしてこのおっさんが瀕死の重傷を負ったのかはさっぱり分からないが……
──まぁ、多少は世話になったおっさんだ。
──せめて、遺言くらいは聞き遂げてやるか。
俺がそう思い、おっさんの口元に耳を近づけた途端。
俺の胸ぐらを掴んだままだったおっさんの腕が、いきなり力強くなったかと思うと……
「てめぇはテテを……彼女を救え。
それが、アイツをあんなにしちまった、てめぇの責務、だ。
ああ、畜生。
せめて、アイツに、一言……あぃ」
ゼルグムという名の男は、そう呟き……
その一言を呟くことに全ての力を使い果たしたかのように、崩れ落ちて動かなくなる。
「お、おい、おっさんっ?」
慌てて俺はその炭化しかけた男を揺さぶるものの……生憎と俺の膂力というものはあまり人助けには適していないらしい。
ちょっと揺すっただけで、炭化していた左手が取れてしまう。
──見なかったことにしよう。
そうして俺が倒れたおっさんの処理に困り果てていると、その黒焦げの亡骸を見つけたのか、白い制服を着た機師……治安維持を担当しているという白機師が集まってくる。
「ああ、こんなところにいたのか。
逃げ出しやがってな、この黒くずれが」
「貴様も、関係者か?
隠し立てをしてもろくなことにならんぞ?」
白機師の連中は貴族上がりという話を聞いたことがあったが……どうやらかなり横柄な連中が揃っているらしい。
その高圧的な口のきき方に、おっさんの死体を蹴飛ばすゲスっぷりに、思わず俺は眼前の白機師を殴り殺そうと拳を固めたが……背中にはリリスが張り付いている。
……この娘の前で、人殺しをする訳にもいかないだろう。
俺は拳を解き、肩から力を抜いて頭を垂れる。
とは言え、コイツらにはその低姿勢が正解だったらしい。
「あの赤機師団長までをも殺す凶悪な『機師殺し』が、こんな真昼間から片足の餓鬼なんざ連れてる訳がないだろう?
無駄なことをしてないで、とっとと探せ」
「ああ、そうだな。
また団長にどやされちまうな、畜生。
ったく、『機師殺し』の野郎が、要らん仕事増やしやがって」
そんな俺を見て白機師共はそう告げると、そのままゼルグムのおっさんの亡骸をゴミのように引きずりながら去っていく。
どうにも気に食わない連中だが……まぁ、機会があればその内叩き殺すことにしよう。
それよりも今は……あんなクズ共よりも、俺の背後で震える少女の方が、遥かに優先度が高い。
「その人、確か、テテの……
そういえば、テテは、昨夜から……」
「い、いや、大丈夫だろう。
おっさんがヘマをしたってだけで……
大体、何かがあれば、うちに連絡が来るだろう」
不安に顔を青くする少女を慰めるように、俺はそう気休めの言葉を吐いていた。
「……そ、そう、です、ね」
そんな俺の舌先三寸に納得したのか、それとも納得したふりをしてくれたのか、リリスは頷くとそれ以上、テテニスの話題を口にしようとはしなかった。
俺はそんな少女の頭から目を離すと、少し遠くに見える壁を、いや、その向こう側へと視線を向ける。
その方角をまっすぐ、壁を三つほど隔てた向こう側には昨日足を踏み入れたばかりの王城があり……その大広間には昨夜確かにテテニスがいた筈なのだ。
記憶を辿った俺は、テテニスが赤いマントを来た貴族と、そして……今し方息絶えたゼルグムのおっさんと一緒に歩いていく姿を思い出す。
──ったく、あの馬鹿、一体何をやってるんだか。
どうやら昨夜の変態プレイが昂じた所為か、何か変なことに巻き込まれたらしい。
──手間、取らせやがって、畜生。
俺はそう内心で呟くと……リリスを家へと送り届けた後、何とかして彼女を探し出す決意をしたのだった。
……だけど。
テテニスとリリスと餓鬼ども、そしてさっきくたばったゼルグムのおっさん、アルベルトとレナータ・レネーテの双子姉妹と、あとラズル技師……その程度しか知り合いがいなかった俺に、人探しなんざ出来る筈もない。
しかもその内の数名は既にこの世にいないと来たものだ。
……そう。
探そうにも、尋ねようにも、そもそもの伝手が俺には存在しなかったのだ。
虱潰しにあちこちをあたってみたものの……白機師団には胡乱な目で見られ、工房では邪魔者扱いされて追い払われ、町の人からは要らぬものを売りつけられ、黒機師団では化け物扱いされ、青機師団からは疫病神扱いされ……
結局、日が暮れるまで探し回っても、俺はテテニスの痕跡一つすら探し出すことも叶わなかった。
「畜生、どうすりゃいいんだよ、こんなの……」
夕闇の中俺は、俺に嘘情報を押し付けようとしてきた町のチンピラを……いや、チンピラだった肉塊を放り捨てながらそうため息を吐く。
肋骨を一本ずつ外側に開いても情報を吐かなかったから、コイツが情報を隠し持っているということもあり得ないだろう。
「あ~あ。
……『下』なら、この後で色々と出て来たんだがなぁ」
手に飛び散った血を近くの家の壁になすりつけながら、俺はため息を吐く。
チンピラ一匹を「開いた」時に結構な悲鳴を上げていたから、雑魚が雑魚を呼んで何らかの情報を得られるかと期待したものの、残念ながら他の雑魚は湧いてこなかった。
……どうやらこの巨島の治安は本当に良いらしい。
──と、なると……
残念ながら、俺にはもうこれ以上の捜索は不可能だった。
そもそも、もう日も暮れてしまい、聞きこむ相手すら見つけられそうにない。
ついでに言えば、夕方辺りから治安維持を担当している白機師たちの姿すら見かけなくなっていて……情報どころではないのが現実である。
「……はぁ。
また、明日、か」
俺は再度、大きくため息を吐き出す。
リリスへの言い訳を考えた所為か、胃の辺りに重苦しい異物感を感じつつも……それでも他に帰る家がある訳でもなく。
俺は肩を落としたまま、暗くなった夜道をゆっくりと家へ向かって歩き出したのだった。
 




