弐・第六章 第一話
「ガルディア様。
あっちの服なんかは如何でしょうか?」
俺の右腕を抱いたままの……いや、俺の腕にしがみついたリリスがそう尋ねてくるのを、俺は上の空で聞き流しつつ……
残った左手で、一日前、渾身の力で殴られた左頬に触れていた。
痛みは、ない。
この俺が殴られた程度で痛みを感じるわけがない。
……だけど。
──痛かった、よな……
俺はそう内心で呟き……左手で傷一つない頬に触れ続ける。
……そう。
あれは昨日……老蟲を屠った俺が機甲鎧から下りた時のことだった。
「どうしようどうしようどうしよう。
レネの声が、声が、声が、聞こえない聞こえない聞こえない」
俺が老蟲を屠った後の、一面が白く染まった塩の結晶の中。
両手を真っ赤に染めた少女が一人、機甲鎧の残骸の前に座り込み、気が狂ったようにそう呟き続けていた。
両手で片割れの乗る機甲鎧を掘り起こそうと、必死に塩の結晶を除けようと力を込め……その手を赤く染め続けている。
「レナ。
彼女は……もう……」
少女の隣に立ち、そう慰めているのは『最強』アルベルトのヤツで……流石のアイツでもこういう場面は慣れないらしい。
酷く憔悴した顔でそう呟く有様は、さっきまで老蟲に一歩も退かず、この老蟲戦を指揮していた人間とは思えないほど、覇気のない有様だった。
その所為か……両の手を深紅に染めるレナータを止めることすら出来ていない。
二人の嘆きを聞いた俺は、今さらながら一つの事実を理解していた。
──レネーテ、だったのか。
……俺の権能によって塩と化した少女が……双子の妹であるレネーテだったことを。
そして……手を血まみれにして片割れを探し続ける少女を、このままには出来ないことも。
「……どいて、ろ」
少女への哀悼を聞いていられなくなった俺は、そう告げると……塩に埋もれた機甲鎧へと歩み寄る。
……そう。
俺はただ、聞いてられなかったのだ。
自分が殺した……いや、自分の凄まじ過ぎる権能の巻き添えにしてしまった少女への哀悼の嘆きを。
……だからだろう。
せめてもの償いに、少女の亡骸を機甲鎧から引きずり出し……弔ってやろうなんて柄にもないことを考えたのは。
「よ、っと」
幸いにしてンディアナガルの権能を有する俺の膂力は、少女の腕力とは桁が違う。
手のひらを深紅に染め続ける少女に代わり、俺は機甲鎧の胸甲をこじ開けていた。
……こじ開けて、しまった。
「~~~っ?」
レネーテの亡骸を見た俺は……いや、レナータも、そしてアルベルトも……声一つ出せずに固まっていた。
……そして、後悔する。
──何故俺は、彼女の亡骸を弔おうなんて、柄にもないことを考えたんだ?
殺人にも虐殺にも慣れた俺がそう後悔してしまうほど……かつて美少女だったその残骸は凄まじい有様だった。
俺の持つ塩の権能は、彼女の身体をゆっくりと蝕んだのだろう。
まず、コクピット内は血まみれだった。
そして彼女は、最初に塩と化したのだろう両脚が千切れ、次に塩化したらしき左腕が千切れ……そこから噴き出したのだろう血が周囲一帯を染め上げている。
これは……何故か流血だけは塩化しない俺の権能の弊害だろう。
──う、ぐ。
それよりも遥かに見てられないのは……右手だった。
必死にコクピットを開こうとしたのか……
──彼女の右手には、指が、残って、いなかった。
その血まみれの指のない右手は……顔に添えられている。
恐らくは……指のなくなったその手で必死に生き延びようと、塩と変わり始めた、目や鼻や顔から塩をはぎ取ろうとしたために。
……その所為か、彼女の顔には、皮膚が残っていなかった。
目は潰れ、鼻は削げ、唇は痕跡すらない。
歯も頬骨も塩の結晶となり……
「ねぇ、「これ」……なに?
私の、レネ、は?」
レナータがそう呟くのも無理はない。
俺だって信じられない。
……信じたくない。
──俺の所為で、こんな……
俺が、そう自責の念に囚われた、その次の瞬間だった。
「この、やろうっ!」
突然の叫びと共に、俺の左頬に衝撃が走る。
痛みを感じるほどではないその衝撃に、俺が驚いて振り返ってみると……そこにはアルベルトのヤツが拳を突き出したままの姿勢で固まっていた。
「てめぇのっ!
てめぇの、所為でっ!」
そう叫ぶアルベルトの顔は悲痛に歪み……俺を憎むというよりは、ただ向かう場所のなくなった怒りと悲しみをどう処理して良いか分からないだけに思える。
俺の頬を殴りつけたその拳は変な形に歪んでいて、恐らくは骨が折れているのだろう。
だけど……コイツはその痛みすら感じていないらしい。
単純に、義理の妹を失った心の痛みが強すぎて、拳の痛みを感じる余裕すらないのか。
その証拠にアルベルトは、その潰れた右手で俺の胸ぐらへと掴みかかって来やがった。
──コイツ……ウザいな。
──いい加減、黙らせるか?
そんな、あまりにも鬱陶しいアルベルトの態度に、俺が右拳でその頭蓋を叩き割る決断を下す。
そして、俺がコイツの脳漿をぶちまけるべく右拳を握りしめた、その瞬間だった。
「いや、済まない。
……お前は、彼女を、助けようと、してくれたんだよな。
畜生、分かってはいるんだ、よ」
……どうやらアルベルトのヤツは、一時的にとは言え家族だった義妹の死に直面した所為で、情緒不安定になっているらしい。
そう告げた『最強』は、俺の胸ぐらを掴んだまま、直下に崩れ落ち……
「ちくしょうっ!
どうして、こう、なっちまうんだよぉおおおおっ!」
足元に広がっている塩の結晶に爪を立てながら、心の痛みを吐き出すかのように叫ぶ。
──く、くそっ!
──そんな顔、するなっ!
その慟哭を目の当たりにした俺は、殴られた怒りすら覚えることもなく、さっき感じていた殺意すら忘れ……ただ立ち尽くしていた。
もしアルベルトのヤツが俺への殺意を剥き出しにしてくれれば……容赦なく殴り殺すことも出来ただろう。
俺は、敵意を向けてくる相手には容赦するつもりなどないのだから。
だけど……こうして眼前で嘆き悲しむ人間に対しては……何をして良いかすら分からない。
所詮俺は、人生経験などろくに積んでもいない、ただの高校生でしかないのだから。
「……っ!」
そして俺はかける言葉もなく、ただ立ち尽くすばかりで……
折角の勝利を喜ぶことすら出来なかったのだった。
「ガルディア様。
これなんか如何でしょう?」
ふと、そんなリリスの声によって回想から引き戻された俺は、すぐに意識を現実に戻す。
眼前では片足の少女が、奇妙な革の黒いズボンを向けてきている。
──ああ、そうだ。
その少女の顔を見て、俺は首を左右に振って昨日の出来事を頭から放り出す。
昨日は昨日、今日は今日。
大体、幾ら悲しもうが幾ら悔もうが……一度やらかした失敗は取り繕えないし、一度死んでしまった人間は生き返らない。
そうして彼女の死を悼むよりは、眼前の少女の笑みを曇らせない方が遥かに重要だろう。
そう考えた俺は、彼女の問いに返事をしようと、リリスの差し出してきたズボンに視線を向け……
「……そうだな。
まぁ、良いんじゃないか?」
だけど結局……そんな風に言葉を濁すことしか出来なかった。
そもそも俺は、親元で暮らし続け、衣食住に困ったことも拘ったこともない、ただの高校生である。
……そんな俺には、衣服の良し悪しなんざ、全くもって理解の範疇だった。
さらに付け加えるならば……この世界の服なんざ、その辺りの量販店で売っている安物と比べても遥かに着心地で劣るゴミ以外の何物でしかない。
「もうっ!
そればっかり。
……ガルディア様の戦勝祝いなんですからね」
──戦勝祝い、ね。
リリスが唇を尖らせるのを横目で見ながら……俺はその事実に大きく嘆息していた。
確かにこの世界の住人にとっては、それは大きな出来事なのだろう。
この巨島の周辺において、たったの五匹しか確認できていない老蟲の一匹を屠ることに成功したのだから。
王宮に黒機師までもが招かれての戦勝祝いなどこの巨島でも前代未聞らしく、俺は名目上愛人ということになっているリリスにこうして手を引かれ、祝賀会の服を買いに来たところである。
この三級市民街もいつになく活気に溢れていて、周囲は人でいっぱいだった。
彼らも老蟲が一匹減ったことを口実に、飲めや歌えの乱痴気騒ぎに興じようと言うのだろう。
……だけど、俺はその勝利を素直に喜ぶことが出来なかった。
──犠牲が大き過ぎた。
事実……あの老蟲戦の被害は凄まじいものだった。
五十機いた黒機師は三十近くが大破し、乗組員も十五人余りが散っている。
速度が速い「青」は上手く逃れられたのか、三十機いた中の十機が大破、七人が犠牲となり。
前線に出ず怯えるばかりだった二十機の「赤」は、四機が大破、三人が帰らぬ人となっていた。
とは言え、そんな有象無象なんざ俺にとってはどうでもよくて……
──畜生。
権能によって殺してしまったレネーテを思うと、つい拳に力が入る。
つまり、双子との3Pという俺の夢が……この世界での生きる目的の一つが失われたのだ。
である以上……あの戦いは俺にとっては「負け」と言っても過言ではなく……
と、そうして俺が久々に感じる「敗北の味」に歯噛みしていた、その時だった。
「あ、あの。
私は、ガルディア様がご無事で、うれしかったです」
黙り込んだ俺を見て、何を勘違いしたのか、リリスがそう告げてくる。
必死に右腕に身体を押し付けてきて……相変わらず平坦で嬉しくも何ともないが、まぁ、彼女なりに俺を励まそうとしているのだろう。
……励まし方が「女」を使う娼婦流なのは、テテニスの教育の所為だとしても。
──そう、だな。
犠牲が幾ら大きくても……それでも、勝ちは勝ちなのだ。
今は俯くも嘆くのを止め、失われた3Pのことは忘れて……
次の目標をまっすぐに見つめるべき時だろう。
──王宮で祝賀会ってことは、姫様の姿を拝めるかも、な。
……そう。
王宮に出向けば……あの双子を見慣れている『最強』アルベルトが懸想しているマリアフローゼ姫の美貌を確認出来るだろう。
美少女で高貴な処女とあれば、俺の初体験の相手に相応しいに違いない。
俺は脳裏から双子との3Pを放り出し……絶世の美少女である姫様が一目で俺に惚れ、ベッドの上で股を開く光景や、衛兵を虐殺して姫様を強奪する光景などを次々と脳裏に浮かべながら、のんびりと歩く。
「これなんてどうでしょう?
ほら、白のラインが似合うと思います」
「……ああ、そうだな」
俺は脳裏で白い肌の少女を汚し続けながらも、同居人であるリリスへと上辺だけの笑みを浮かべ、少女の買い物に付き合ってやったのだった。
リリスとの買い物を終えた俺は、次は工房へと足を運んでいた。
老蟲戦でぶっ壊れた機甲鎧の修復を頼むためである。
「……よくもまぁ、この機体をここまで壊したもんだ」
工房へと乗り入れた俺の機甲鎧を一目見たラズル技師の感想は……たったその一言だった。
と言うよりも、「それ以上の声を出せない」というのが正しかったのだろう。
事実、他の作業員からは一言すらも上がっていない。
……それほどまでに、俺の機体の損耗は激しかったのだ。
右腕は消し飛び、胸甲は爪痕と俺の蹴りによってグチャグチャに歪み凹みたわみ。
戦斧は砕け散り、残っていた左腕や両脚にも凄まじい負荷がかかっている。
ここまで機体を乗ってくるだけでも一苦労という有様だったから、そのダメージは推して知るべし、というところだろう。
「そりゃ三日もあれば、何とか直してやるが……
あの頑丈な機体をどう扱えば、こうなるんだ?
しかも、この傷、外部からと言うより……」
ラズル技師は俺の機体をしげしげと眺めながら、訝しげな視線を俺へと向けてくる。
その問いに……俺が答えられる訳もない。
老蟲の一撃を食らってひしゃげた胸甲を蹴り剥がしたとか、老蟲の巨体を受け止めたとか、内側から右腕ごと敵を吹っ飛ばしたとか……
正直に口にしたところで……とても信じて貰えないだろう。
まぁ、俺が口をつぐんだところで工房には先の戦闘の情報は伝わっているらしく……作業員たちの俺を見る視線は前回に比して恐怖が三割増しという有様になっていたが。
──ま、いいけどな。
俺としては、幾ら畏怖の視線を向けられようが、幾ら殺意や憎悪を向けられようが……機甲鎧を使って姫様を手に入れれば、それ以外のことなんてどうでも良いのだ。
正直、有象無象の作業員たちの心象まで気を使ってはいられない。
実際、作業員たちは早くも俺の機体修復に取り掛かっていて、俺と無駄話に興じる余裕などあるとは思えなかったが。
「……ん?」
……と、その時だった。
俺が帰ろうと踵を返した、その視界の隅……工房の片隅に一人の少女が映る。
──あれは、レナータ、か?
立ち尽くしたまま動かない彼女の眼前には、塩の結晶によって浸食されボロボロになった機体が一機鎮座している。
……妹であるレネーテを悼んでいるのか、それとも……
彼女の隣には貴族のような恰好をした、赤いマントを羽織った中年のおっさんが立っていて……彼女に何かを語りかけている。
俺は、そんな彼女に声をかけようと口を開き……
──何を、言えってんだ?
すぐに、固まってしまう。
……そう。
結果はどうあれ、彼女の妹を殺したのは……俺の権能に他ならない。
そんな傷心の最中にある彼女に対し、殺した当の本人が何を言えるというのだろう?
結局、俺は少女から視線を強引に外すと……眼前の変人であるラズル技師の方へと視線を戻す。
「何か、希望はあるか?
武器の一つ二つくらいなら、都合つけられるぞ?」
そんな俺の視線に気づいたらしい爺さんは、機甲鎧からこちらへと振り向くと、偏屈そうなしかめ面のまま、そう尋ねて来た。
そして……ボロボロになった機体を再度一瞥した俺は、少しだけ考え込むと。
「……そう、だな。
出来れば、もう少し頑丈にしてくれれば……」
自分の身体より遥かに軟弱なその機甲鎧についての感想を……つい、そう呟いていた。
「あほか、てめぇっ!
これでももう限界なんだっ!
後は貴様が上手く扱うことを覚えやがれっ!」
そんな俺の正直な要望に返ってきたのは、偏屈爺の口から飛び出た、工房中に響き渡る怒鳴り声だった。
「っと、とと」
その怒鳴り声を真正面から浴びた俺は、軽く首を竦めながら工房を後にする。
……もうこんな場所に用なんざないからである。
そもそも俺は、無駄に怒鳴られて気分を害すると分かっている場所に長居するつもりなんざない。
──大体、レナータに見つかりでもしたら……
……そう。
老人の剣幕なんざ、ただの言い訳に過ぎない。
怒ろうが怨もうが殺意を抱こうが、ソイツがどれだけ強かろうが権力を持っていようが……所詮、俺を害することすら出来やしないのだから。
だけど……そんな俺でも、耐えられなかったのだ。
……俺を咎めるかもしれない、俺が殺した少女の片割れと相対することには。
「……ふぅ」
工房から出た俺は、軽くため息を吐いて後ろ暗さを吐き出すと、背後へと視線を向ける。
今もまだ工房にいるだろう少女が追いかけていないことを確認するかのように。
だけど、すぐにその事実からも目を背けるかのように、俺は視線を上へと向けていた。
工房の遥か上。
……そこには巨大な王城が見えている。
傾いた巨島の、上の端……一番安全な場所。
「祝賀会は夕方から、だったな」
そう口に出して確認した俺は、工房にそれ以上の用はないとばかりに……三級市民街の方へとさっさと足を踏み出したのだった。