弐・第五章 第四話
「あっはっはっは。
しかし、迷子とはね~~。
あの『最強』と互角に戦ったと今話題の機師様も、可愛いところがあるもんだ」
事情を話した俺を待っていたのは、マントとフードという防寒着に身を包んだテテニスによる……厭味ったらしい笑みだった。
同じ屋根の下で数日間暮らした所為か、馴れ馴れしいことこの上ない。
それどころか、どうも酔っているらしく、俺の肩をバシバシと叩いてくる。
……ちょっと痛い。
「……うっせ」
……だけど。
そんな気安いやり取りに慣れていない俺は唇を尖らせはするものの……この娼婦の頭蓋を叩き割りたいと思うほどに腹を立ててはいなかった。
勿論、彼女に衣食住を世話して貰っているということもあるが、それ以上に……
──何と言うか……友人を持てばこういう感じじゃないだろうか?
そう内心で呟きつつも俺は、結局入れなかった同級生たちの笑いの輪に何となく思いを馳せてみる。
……思い出せたのは、この世界へ来る前の、集団で俺を追い立てる狂気じみた連中の顔ばかりだったが。
「……で、お前はまた「仕事」、か?」
「……まぁね。
こうして『上』に来ても、やっぱりこういう……『汚れ仕事』ってのは需要があるからね」
俺の問いに答えたテテニスは軽く肩を竦めてみせる。
そんな慣れない仕草をした所為だろう。
彼女の羽織った外套の合間から、彼女の右腕が見えた。
いや……彼女の腕を覆う白い包帯が。
「その怪我も、仕事だったか?
まだ……治らないんだな」
「あはは。
貴族様ってのは、まぁ、色んな趣味がいるから……名誉の負傷ってもんさ」
俺の視線に気付いたのだろう。
テテニスは恥ずかしいものを見られたかのように右手をマントの影に隠してしまう。
──普段、下着同然の癖に、なぁ。
ま、恥ずかしいかどうかなんて人それぞれで……俺が何かを言うほどのこともないだろう。
彼女の仕草についての言葉を、俺は脱力と共に飲み込んでいた。
大体、俺としてはこうして……娼婦相手に「仕事」の話を交わす、それ自体が恥ずかしくて仕方なかったりする。
幾ら破壊と殺戮に特化したとは言え、俺自身はまだ彼女の一人すら出来たことのないただの高校生で……つい彼女の行っている「仕事」を具体的に想像してしまうのだ。
だと言うのに肝心のテテニスは「仕事」について平然と話すから……俺はこうして平静を保つのも一苦労という有様である。
「人目に付きたくないなんて要望も叶えなきゃならないし……
金払いが良くなきゃやってられないわよ、ホント」
そうして愚痴を聞き流していたところ、テテニスが話の〆にそう呟く。
その言葉を聞いて、俺はようやく気付く。
──ああ、だからか。
だからこそ彼女は毎晩毎晩、人気を避けるように夜中家を抜け出し……今もこうして人気のない裏道をこそこそ歩き回っているのだろう。
と、彼女の愚痴を聞いた所為だろう。
「……なぁ、そんなに金に困っているのか?」
俺の口からは自然とそんな問いが零れ出ていた。
「……は?」
「いや、そんなに「仕事」をしなきゃならないほど、苦労しているんだったら……。
だったら、その……毎日の食事を、あんなに豪華にしなくても、だな」
俺の口から家計を心配する言葉が放たれたことが、そんなに不思議だったのだろうか?
テテニスはまるで信じられない化け物を見るかのような視線を俺に向けて来て……何となく俺は悪いことを聞いたのかと口を窄めてしまう。
そのままテテニスはじっと俺の顔を眺めていたが、ふと何かを思いついたのか、少しだけ恐々とした口調で……
「リリの料理は……口に合わない?」
そう尋ねてきた。
「いや、美味い……とまでは言わないが。
それでもこっちの食事では最高級だよな?
かなり金がかかってるんじゃないか?」
俺は彼女の問いに対し、首を横に振る。
脅えたかのように震えるその声と、テテニスの向けてくる視線の真剣さが……俺に嘘を許さなかったのだ。
「だったら、食べてあげてよ。
あの娘の、必死のアピールなんだから、さ」
「……いや、そうじゃなくて、だな。
金はあるのかと……」
何となく話がこんがらがっている気がした俺は、取りあえず話を元の金銭の話題へと修正することにする。
……と言うか、あんなヤるのを躊躇ってしまうほど幼い少女の、必死のアピールなんて言われても、その……正直、困ってしまう。
俺はリリが一生暮らせるくらいの金を稼いでやる程度の義理は果たすつもりはあるが……はっきり言って、一生あの少女を側に侍らすつもりなんてないし、成長するまで見守ってやるつもりすらない。
……そう。
他人の人生を丸ごと背負えと言われても……俺にはそんな覚悟もつもりも端っからないのだ。
蟲皇を狩って頂こうとする姫様ですら、一発もしくは飽きるまでヤれればそれで十分なのであって……
そんな俺の思案顔をどう思ったのだろう。
「まぁ、アンタが稼いでくれたお蔭でお金は十分にあるから心配することないって。
ただ、あの娘の料理をちゃんと食べてあげてくれれば……」
俺の心配を吹き飛ばすかのように、テテニスはそう笑う。
ついでに思いっきり背中を引っ叩かれて痛かったが……まぁ、全く違うことを考えていた俺としては、この話の流れは悪くない。
ただ、そうすると一つだけ疑問が残る。
「つーか、だったら何でまだ「仕事」なんてしてるんだよ?」
「そう言われてもねぇ。
アタシは『下』じゃ毎晩客を取ってたんだし。
何もせずいたら、流石に身体も持て余すって」
だけど、その俺の問いは……完全に藪蛇だったらしい。
あっけらかんとそう告げるテテニスの顔は、いつものような子供たちの母役のガサツな女性ではなく、妖艶なお姉さんという感じの雰囲気で。
思わず生唾を呑んだ俺は……気付けば必死に彼女から視線を逸らしていた。
……正直、顔が赤い自信がある。
「何だったら、ガル。
あんたが相手してくれるかい?
だったら、アタシだって客なんて取らなくても……」
そう言いながらもテテニスは、俺の腕に身体を預けてきた。
柔らかく、温かい、女性の肌という……久々に触れる感触に俺の心臓は凄まじい速度で打ち始める。
香水らしき匂いと軽い汗の匂い、更に女性独特の匂い。
そしてマントから漂う、砂と……暖炉のものらしき煤けた匂い。
どっかで彼女が食べて来たのか、肉の脂の匂い。
そういう匂いが生々しく……彼女がそこに存在し、「生きている」ことを雄弁に伝えて来るのだ。
──思考がまとまらない。
──落ち着かない。
──ヤバい汗が背中や首の後ろ、額から噴き出してくる。
はっきり言って、たったのそれだけで俺の理性は崩壊寸前だった。
このまま彼女を押し倒し、此処で一発ヤってしまっても……と言う誘惑が、俺の身体の奥から吹き上がって来る。
だけど……
──こんな娼婦の誘惑に負けて、なる、ものかっ!
必死に理性を総動員してその動悸を抑え込む。
大体、彼女は客を取ったばかり、という話である。
そんな誰とも分からない野郎の唾液やら精液やら汗やらがこびりついているかもしれない身体に触るなんざ、俺の矜持が許さない。
「やめろっつーに。ったく」
俺は彼女の方へと視線を向けることもなく、彼女の身体を振り払う。
「……あら、残念」
尤も、彼女もそう本気ではなかったのだろう。
俺がそう力を入れる必要もなく、ただ軽く圧し除けただけで、テテニスはもう俺から離れていたのだから。
「良いから、さっさと帰るぞ。
いい加減、夜も遅いんだ」
「……だねぇ。
ま、気が向いたらいつでも言って。
アンタだったら、いつだって……ただで構わないからさ」
背中からかけられたその声に、俺はただ肩を竦めるだけだった。
と言うか……そんな誘惑に対して、俺が何かを言える訳がない。
ただでさえ……こうして彼女から離れた今だって、動悸が早い自覚があるのだ。
ちょっと彼女の存在を意識するだけで、俺の脳裏は彼女の裸身に触れている自分を連想するだろう。
……振り返ってテテニスの顔を見るなんて、冗談じゃない。
「ったく。
だったらあのおっさんでも相手にすりゃ良いだろうに……」
「ん?
ああ、ゼグ……ゼルグムのことかい?
昔は一緒に暮らしていたこともあって気安いんだけど……やっぱ金払いも良くないとねぇ。
お金ってのは、あって困るモノじゃないし」
気を紛らわせるための小言は、また地雷だったらしい。
こう、顔見知りの二人が、その……そういう関係にあったと知らされるのは、テテニスが売春をヤっていることを思い浮かべる以上に、キツいモノがある。
結局その妙な気分を誤魔化すために俺が取った策は……
「つーか、そんなに稼いでどうするつもりなんだか」
……そんなぼやきでまた話題を転換することだった。
自分でも情けないとは思うが……俺は「人を殺す術」には長けている自信があるが、生憎と「会話で人を楽しませるような術」は全く心得ていない。
と言うか、その手の技術があれば、俺には友人もいて学校生活を楽しんでいて……あの時、あの黒い魔方陣に触れることもなかっただろう。
あの時、魔方陣に触れさえしなければ、こうして破壊と殺戮の神ンディアナガルとしての力を手に入れることも……
そんなことを考えている間にも、テテニスは俺の問いへの答えを返してくる。
「ん~?
だってうちの両親は、友人を助けた挙句、自分の税金が払えなくて『下』に叩き落されたんだからねぇ。
自分たちのお人よしに、娘まで巻き添えにして、さ」
俺が受け止めるには重過ぎる……彼女が娼婦という人生を歩むことになった答えを。
尤も、彼女の声はそんな両親を恨む様子もなく、自身の人生を嘆く様子もなく……ただ単にあったことを口にしているだけ、だったのだが。
と言うよりも、そうして彼女が両親の生き方を忌み嫌っていたのなら……彼女自身、ああして『下』に堕ちた子供たちを育てたりはしないだろう。
「だからさ……お金って、あればあるだけ、有り難いものじゃないか」
結論のように放たれたその言葉に……彼女の万感の思いが込められたその言葉に、俺は何も返す言葉を持たなかった。
……いや、何が言えると言うのだろう。
ひょんなことで無敵の力を手に入れただけの、ただの高校生でしかない俺に。
親元で衣食住の苦労なく、適当に暮らしてきたこの俺に。
だけど……
──お金だけが、全てじゃない。
せめてどっかで聞いたことのあるその一言だけでも反論しようと……俺は口を開こうとする。
だけど、俺よりも人生経験豊富な彼女は、当然のことながらその程度のことくらい、承知しているらしい。
「ああ、勿論、お金が全てとは思ってないさ。
お金じゃ買えないモノもあるし……幾ら貯め込んでいても、強大な「力」にはあっさりと潰されてしまうのが世の中ってのも分かってる」
俺が口を開くよりも早く、彼女はそう呟いていたのだ。
……俺に聞かせるためと言うよりも、自分自身に言い聞かせるかのように告げられたその言葉に、俺は口を挟めない。
実際……『下』で金貸しをやっていたという名前も知らないあの豚を、あっさりと駆逐したのはこの俺である。
……用心棒を叩き殺し、機甲鎧をも叩き壊し、あの豚が財産で築き上げたその全てを、二本の腕だけで叩き壊したのは、他ならぬこの俺なのだから。
「だから……何よりも「力」が必要なんだ。
機師になって、そして、成り上がって……」
「……そうだ、な」
テテニスのその声に結局、俺はただ頷くことしか出来なかった。
……彼女の告げる「力こそ全て」という生き方を実際に歩んできたこの俺には、何一つ反論する術すら思いつかない。
「あの時も……リリを攫われたあの時。
必死に神様に祈ったあの時。
何もかもを解決してくれたのは……アンタだ。
アンタの「力」、なんだ。
だから……アタシは……アタシも……」
だからこそ、背後から聞こえて来たその祈りのような言葉にも、俺は何一つ言葉を返せなかった。
ただ、黙ってまっすぐに歩く。
……俺たちの暮らしている家へと。
そうして煉瓦造りの路地を歩く、俺たち二人の靴音だけが周囲に響き渡る、酷く息苦しい道のりが続き……
その重苦しさに耐えかねた頃、ようやく俺たちの暮らす少し大きめのあの家へと、俺たちはたどり着いたのだった。