弐・第五章 第一話
『最強』アルベルトとの死闘を終えた後。
俺はその『最強』の二つ名を持つアルベルトによって車に乗せられ、運ばれていた。
……車、というのが正しいのだろう。
ソレの形状は馬車に近かったが、馬が曳いている訳でもなく……ただ御者の座る場所に緋鉱石が据えられていて……
馬車とも言えず、自動車とも違う……まさに車としか表現出来ない乗り物だったのだから。
「ははっ。
そう緊張するなよ、俺とお前の仲じゃないか」
そう俺に笑いかけてくるのは……さっきまで殺し合いをしていた筈の『最強』アルベルト本人である。
……そうなのだ。
あの戦いの後、何故かコイツは俺に対して妙に馴れ馴れしく接して来て……だからこそ俺も断るタイミングが掴めず、こうして車に揺られているという訳である。
「ったく。
何故アルベルトがこんなヤツを……」
「そうですわ。
こんな『黒』なんかと……」
何故か一緒に車に乗ってきたレナータ・レネーテ姉妹がそう小言を口にするのを聞いても、俺は苛立ちすら感じなかった。
それほどまでに、この男の俺に対する馴れ馴れしい態度は意味不明で……俺自身も戸惑うことしか出来なかったのだ。
「ははっ。
そういうな、二人とも。
やっと出会えた同類……『化け物』同士なんだからな」
そういうアルベルトの口調に、双子は黙り込む。
そして、その言葉を聞いて、俺自身もようやくコイツの考えが理解出来ていた。
──強すぎる、ってことか。
コイツ……『最強』という二つ名を持つアルベルトは、破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能を使った俺と互角だったほどである。
勿論、俺自身が機甲鎧の操縦に慣れてなかったことを差し引いても……恐らくその戦闘力は人類ではあり得ないレベルに達しているとも言える。
そんなヤツがどういう扱いを受けるかなんて、考えるまでもない。
……周囲からは脅えられ、奇異の視線を向けられ、ただその戦闘力を利用されるのみ。
あの塩の砂漠で俺が辿った生き方を、コイツも送ってきたに違いない。
──なるほど、な。
そう考えると、アルベルトの馴れ馴れしい態度も何となく理解出来る。
要するにコイツは……同類が、対等の立場でモノを言える友人が欲しかったのだろう。
──仕方ない、な。
アルベルトの心情を理解してしまった以上、俺は、コイツの好意を無碍には出来ない。
……いや、違う。
俺自身が世界で唯一無二の存在であり、誰一人として傷一つ付けられない最強の存在であり……世界で唯一の破壊と殺戮の神なのだ。
アルベルトの孤独は……理解出来ない、ことはない。
尤も、俺自身は力を手にする前から友人一人もいなかった所為か、それともこうなってまだ日が浅い所為か……孤独に耐えかねるようなことはないのだが。
「っと、着いた着いた。
ここだここ」
要らぬことを考えている間にも、アルベルトの操縦する車は目的地に到着したらしい。
俺はその木組みの、年季の入った建物を見て……
「……酒場?」
何となくそう呟いていた。
その建物は、西部劇なんかの映画で目にしたことのある……まさに酒場という雰囲気の建物だったのだ。
そして、俺のその感想は間違えていなかったようだ。
両開きの扉をくぐると……中には十人ほどの男たちが赤ら顔で、木製のジョッキを手にして騒いでいる最中だったのだから。
……まだ日も沈んでいないというのに、意外とこの世界は生活に余力があるらしい。
「確かに外見はボロいがな。
意外といけるんだぞ、ここ」
通い慣れているのだろう。
アルベルトはそう笑うと……平然とその酒場の中へと入って行く。
「よぉ、『最強』。
久しぶりじゃねぇかっ!」
「とうとう貴族様になったと聞いたが、元気そうだな。
活躍は聞いているぞっ!」
実際、酒場の中は『最強』という二つ名を持つ彼を疎むどころか、そんな暖かい声を向けられる始末である。
──別に孤独って訳でもないのか?
その歓迎っぷりに、俺は正直、さっきの同情を返せと叫びたくなっていた。
とは言え、アルベルトにはアルベルトなりの苦悩があるのだろう。
事実、彼に向けて男たちは暖かい声援を送るものの、常に彼とは一定の距離を保ち続けていて……決して彼に触れようとはしかったのだから。
「ったく、アルバったら、いつもこんな……」
「庶民だった癖が抜けないのよね、ホント」
そんな喧騒を前に、レナータ・レネーテ姉妹はそう毒づきつつも、アルベルトの背中に付き従って酒場の中へと入って行く。
酒場の中へと歩いて行った三人の背中を見送りながらも俺は……
──酒場、かぁ。
……そのまま酒場に入って行くのを、少し躊躇っていた。
情けないと言うなかれ。
俺自身、まだ二十歳未満の……未成年でしかない。
アルコールを口にした記憶がないとは言わないが……俺は酒場になんて入ったこともないのだ。
である以上……扉をくぐりはしたものの、そこから先へと進むのを気後れするのは、当然とも言えた。
だけど、いつまでもこうして立ち尽くしている訳にも……
そうして俺が入るのを躊躇っていた所為だろうか?
「ったく。
何やってんのよ、世話の焼ける」
レナータ・レネーテの双子の、どっちの方だろうか?
一人の少女が俺の手を引っ張り……そのまま酒場の中へと無理矢理に引き摺って行く。
「……お、おい?」
「良いから。
アルバ……アルベルト様を待たせないのっ」
俺の抗議を意にも介すことなく、少女はまっすぐに歩き続ける。
俺はその小さな手のひらを握り潰すことも引きちぎることも出来ず、ただ引っ張られるに任せて酒場の隅の丸テーブルへと引きずられていった。
「何だ?
酒場に入るの、初めてだったのか?」
「……まぁ、な」
そんな俺を迎えたのは、アルベルトのヤツの楽しそうな笑みだった。
その無邪気な笑みに俺は怒りすら湧かず……だけど、少しだけ抗議の意を込めて肩を竦めてみせる。
尤も、この楽しそうな笑顔の前では、そんなちっぽけな抗議なんて何の意味も持ちそうになかったが。
「酒は飲んだことくらいあるだろう?」
アルベルトは笑顔のままでそう問いつつ、俺に向けて木製の大ジョッキを差し出してくる。
中に入っているのは……何かは知らないが、アルコールが含まれている飲料というのは間違いないだろう。
「……あんまり良い思い出はないんだけどな」
『最強』の二つ名を持つ笑顔の青年から差し出された、そのジョッキを手に取りつつ……俺は以前に酒を呑んだ時のことを思い出していた。
あの塩の砂漠で、差し出されるがままに泥酔し……
そして、守るべきだと思っていた、仲間だと思っていたサーズ族に裏切られ、彼ら全員を血祭に上げた……あの苦い記憶を。
武器を手にした老人を、嫌悪と憎悪の視線を向けてくる女を、次から次へと叩き潰し、肉片へと変え、引き千切ったあの惨劇を。
「っ!」
その苦い記憶を、苦い酒と共に一気に飲み干す。
ジョッキに入っていた酒は、はっきり言ってしまえば消毒用アルコールを薄めたような、不気味な味で……
──不味いぞ、くそっ。
正直に言って、その程度の感想しか浮かばない。
だけど……
「ははっ。
酒もあんまり慣れてないんだな、お前」
そんな俺の態度をどう勘違いしたのか、アルベルトは愉快そうに笑うと……そのまま酒を口へと運んで、一気に飲み干す。
「あ~~~っ、この味、この味。
相変わらずの安酒だよ、畜生~~~っ!」
そして、そんな親父臭い叫びを零す。
……どうやらこのアルベルトという男、好青年という外見の割には、中身はおっさんっぽいらしい。
と言うか、このクソ不味い酒をここまで美味しそうに飲めるってのも……ある意味一つの才能だと感心してしまう。
「これさえ、なきゃ、ねぇ」
「……ホント、庶民の癖が抜けないんだから」
そんなアルベルトの様子を、レナータ・レネーテ姉妹はそうぼやきつつ半眼で睨み付けている。
どうやらこの双子は単純に彼のハーレム要員という訳ではないらしい。
その疑問に首を傾げた俺は、酒の勢いか素直に問いかけてみることにした。
「お前と、コイツら、どういう関係なんだ?」
俺のその、敬語も何も知らない、無礼極まりない態度に双子の姉妹は柳眉を逆立てていたものの……当のアルベルトは全く気にした様子もなく、軽く笑うと。
「義理の妹、だったんだよ。
当時二級市民だった俺が、青に引き取られた頃の間、な」
そう答えた。
「と言っても、……三年くらいだけどね」
「ええ。
次には赤の……貴族の家へと養子に出ちゃいましたし」
アルベルトの言葉に、双子の姉妹が情報を付け加える。
それを聞いて、ようやく理解した。
コイツは……庶民に生まれながら貴族へと出世した、いわば出世頭なのだろう。
──道理で人気がある訳だ。
美形で好青年、最強の機甲鎧乗り、そして出世頭で、明るく人懐っこく……
正直な話、一体どこの漫画の主人公だと突っ込みを入れたくなってくる。
そんな俺の視線に気付いたのだろう。
「……いや、本当に義理の妹だぞ?
実際、俺はマリアフローゼ姫に一筋だからな」
アルベルトはそう告げると頬を赤く染めて中空へと視線を這わせていた。
……見事に俺の半眼を勘違いしてくれたらしい。
──と言うか、気持ち悪いこと、この上ないな。
恋する男の視線なんて……見たくもない。
そんな俺の表情を見たレナータ・レネーテの双子のどちらか……恐らくは妹のレネーテの方は、少しだけ苦笑すると……
「まぁ、勘弁してあげて下さい。
子供の頃からの、その、初恋をこじらせちゃってるもので……」
俺にそう微笑んでくれた。
正直、その笑顔は少し入ったアルコールに紅潮していて、俺の鼓動を早めるほどには魅力的で……。
俺はこの場で彼女を押し倒したくて仕方なくなっていた。
……幾ら酔っぱらっていても、こんな場所で初体験を済ませるつもりなんて俺にはなく……流石に自制したが。
「ったく。
いつまでも姫様姫様って寝言ばっかり言っちゃってさ」
双子の片割れは流石にそこまで達観出来ないらしく……そう呟きながら唇を尖らせている。
どうやら彼女の方は……アルベルトの方に懸想をしているような、そんな雰囲気が見て取れる。
つまり……レナータを口説くには、この『最強』アルベルトを押しのけるか、消すかしなくてはならないらしい。
庶民から貴族へと成り上がった出世頭、美形で最強の機甲鎧乗り、そして……日本では友人の一人も出来なかった俺へも馴れ馴れしくするほどの、好青年。
殺すにしても超えるにしても……一筋縄ではいきそうにない。
──面倒臭いな、畜生。
俺は以前に理想の初体験と心に決めていた、双子との3Pの道のりが未だに遠そうなことにため息を吐くと、手元のクソ不味い酒をもう一度口へと運ぶ。
相変わらず消毒液っぽいその酒は不味い以外の感想を抱けないほどの代物だったが……それでも今の気分にはぴったりだった。
と、俺のそんな仏頂面に気付いたらしく、アルベルトは突然俺の肩へと馴れ馴れしく腕を回し……
「あ、お前も馬鹿にしているな?
あの姫様の可憐さと美しさを……ふひひひひひ」
突然、そんなことを話したかと思うと、不気味に笑い始める始末である。
酔っ払い独特の無軌道な行動に、俺は戸惑いを隠せない。
……何しろ、まだ学生の俺は、酔っ払いに触れる機会なんて今までなかったのだから。
そうして俺が戸惑っている間に、コイツはコイツなりに何らかの結論に達したらしい。
「ほら、これを見ろよ。
滅多に持つ者もいない、貴族にだけ許された肖像画なんだぞ?
美しいだろう?」
アルベルトは自慢げに語りながら胸のペンダントを開き、俺に見せつけてくる。
「~~~っ?」
その絵を見た途端、俺は酒に呑まれて馬鹿話を続けるコイツを馬鹿にしようとは思わなくなっていた。
──美しい。
──可憐。
──高貴。
──美少女。
たかが肖像画を眺めただけでも、それほどの感想が次々と脳裏をかすめて行く。
それほどに、美しい少女の姿がそこにあった。
艶やかな長い金色の髪に、純白の綺麗な肌。
優しげな青い瞳と芸術品の如く整った顔立ち。
ティアラやドレスなどの高貴な品も、その彼女には良く似合い、嫌味にすら思えない。
……その肖像画が当社比三〇〇%増しで描かれていたとしても、これ以上ないほどの美少女と断言できる、そんな少女の姿が描かれているのだ。
──これは、絶品だ。
その姿を見ると……アルベルトがレナータ・レネーテ姉妹をただの義理の妹と断言したのが分かる。
分かってしまう。
それほどまでにその美少女は、際立った美しさで描かれていた。
あの塩の砂漠で俺が一目惚れした、戦巫女のセレスですら、彼女の美しさには一歩劣るだろう。
……それほどの美少女である。
「ふっふっふ。
流石は兄弟。
分かるだろう、な?」
「……あ、ああ」
俺がその姫の肖像画に目を奪われたことを嗅ぎつけたらしく、アルベルトが勝ち誇った声を上げる。
その人を苛立たせるような声を聞いても……俺は怒る気すら起きなかった。
「ったく、男って連中はこれだから……」
「まぁ、御姫様って綺麗だし。
……しょうがないんじゃないかなぁ?」
さっきまで狙っていた筈のレナータ・レネーテ姉妹のため息混じりのその声を聞いても何も感じやしない。
……ただ一つだけ。
──この姫様を、モノにするには……・
それだけが頭の中に渦を巻いていたのである。