弐・第四章 第一話
初仕事を終えた俺たちは、家に戻って束の間の休息を楽しむ……
その前に、やることが一つあった。
──給金の受け取りである。
当たり前ではあるが、機師という存在は……いや、俺たちの所属する黒機師団というところは半ば雇われ兵のような扱いである。
建前上、通常の市民よりは高い階級を与えられているが、それも納税してこそ。
その生活費などは給金で支払われることとなる。
勿論、前にゼルグムのおっさんから聞いた話だと、黒機師団に所属しているだけでも雀の涙のような基本給は貰えるらしいが、それで生活出来る訳もなく。
……蟲と戦い、命を晒した者には基本給とは別に報酬が与えられるらしい。
だからこそ、俺とテテニスとゼルグムのおっさんの三人は、こうして黒機師団本部とやらに出向き、他の黒機師たち混じって報酬を受けとろうとしていた。
──その日払い、か。
大昔のアルバイトのようなそのシステムは……戦闘の後遺症で報酬を受け取れずにくたばることもある機師たちにとっては、当然の権利らしい。
事実、戦う前には十人いただろう黒機師たちは、既に八人になっている。
一人は蟲に砂へと引きずり込まれ、一人は吹っ飛ばされた衝撃で死んでしまったらしい。
死んだ一人と同様に吹っ飛ばされたらしい、もう一人の男は……大怪我をしながらも報酬にありつこうと、明らかに危険な顔色をしたまま部屋の片隅に座り込んでいる。
ただ、その呼吸音は明らかにおかしく……もう長くない、かもしれない。
「幾ら、貰えるのかな?」
「あんまり期待するなよ?
黒機師の給金なんて、安いものだ」
ヤバそうな怪我人から顔を逸らしつつのテテニスの呟きに、ゼルグムのおっさんは肩を竦めながら答える。
そう告げたおっさんの顔は、怪我人に視線を向けないように……喜びを顔に出さないように無表情を装ってはいるが、それでも何処となく嬉しそうだった。
いや、周囲にいる黒機師団の誰もが、怪我人から視線を逸らしつつも……笑みを隠そうとしていない。
……恐らく、ここにいる全員が、他人に同情する余裕なんて欠片もないのだろう。
特に古参の連中っぽい三人組の男たちは、あからさまに厭らしい笑みを浮かべながら、テテニスの身体を眺めている。
──ま、一歩間違えればああなってた訳だからな。
俺は今にも死にそうな怪我人に視線を向けつつ、内心でため息を吐いていた。
死ぬ寸前の戦場に出ていた以上……生存本能の所為でそういう気分になっても仕方ないのだろう。
……『下』から上がって来た女が、一体どういう職業をしているかなんて、同じ『下』出身の黒機師団の輩なら知っているだろうし。
そういう事情がなくても、テテニスの身体は出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいて……娼婦を選択肢から外している俺の目から見ても、かなり魅力的だと思えてしまうほどである。
──それでも、コイツら、あからさま過ぎるぞ。
あまりに無遠慮な視線をテテニスに向ける連中が気に障った俺は、せめて一発くらいはぶん殴ってやろうと拳を握りしめた。
その時だった。
「皆のもの、待たせたな。
報酬を持ってきてやったぞ」
何か偉そうな口調をしたちょび髭のおっさんと、剣を腰に差した男二人が部屋に入って来る。
壁のところで喚いていたこの今一つ威厳のない、偉そうなだけのそのおっさんは……黒機師団団長とか名乗っていたヤツである。
……要は、俺たちの雇い主らしい。
ならば、隣にいる二人の剣を差した男たちは、護衛だろうか?
「今日もお前たちの労働によって蟲を駆逐できた。
一匹は我々黒機師団の手でトドメを刺したとも聞く。
よって、二千八百ダカットを授ける。
皆で分配するように」
「ははっ。
感謝いたしますっ!」
護衛の一人が軽々と差し出した革袋を、一番前に立っていた黒機師団の一人……ベテランっぽい雰囲気の中年が受け取る。
しかし、その革袋は思っている以上に中身が詰まっているらしく、古参らしきおっさんはその重みに身体を傾かせていた。
──あれ?
そう考えると……護衛らしき男が軽々と持っていたのがおかしくなる。
両者の体格はほぼ同じで……幾ら護衛の人間が鍛えているにしても、単純な膂力はそう変わる訳がないのだが。
と、俺の怪訝そうな視線に気付いたのだろう。
護衛の男は袖を伸ばすことで、その腕に巻かれていた銀色の腕輪を俺の視線から隠そうとしていた。
その銀の腕輪に埋め込まれていたのは、紅に輝く宝石で……
──緋鉱石、か。
どうやら意思の力を現実に反映させるという緋鉱石の力で、自らの膂力を増幅しているらしい。
もしくは、革袋の重量を減らしていたのか。
兎に角、そういうイカサマを、あの護衛の男は行っているのだろう。
──そういう使い方もあるのか。
どうやら緋鉱石という道具は、この世界では俺が思っている以上の、色々な使われ方をしているらしい。
とは言え、護衛の男が隠していたように……あまり大っぴらに出来ない使い方ではあるみたいだけど。
……イメージ的には、ドーピングみたいな感じだろうか?
便利だけど、社会的には良い目で見られない、ってな感じの。
「では、我々は多忙であるので、これにて。
また蟲襲来の折には、君たちの活躍に期待する」
黒機師団の団長は偉そうな口調でそれだけを告げると、二人の護衛を引き連れてとっとと部屋を出て行ってしまう。
……どうやら彼は俺たち『下』から上がって来た連中とあまり一緒にいたくないらしい。
団長の俺たちへ向けられる視線はあからさまに侮蔑が含まれていて……貴族のお偉いさまとしては、俺たち下賤の者とは同じ空気すら吸いたくないのだろう。
「……ま、どうでも良いか」
俺としては、正直、これから貰える報酬すらもどうでも構わないから、とっとと帰って水を飲みたいところなのだ。
お偉いさんの態度一つでイチイチ怒っていたら、帰るのが夜になってしまうだろう。
そういう意味では、簡潔に話をまとめてくれた団長という存在は……くそ長い無駄話を延々と話すうちの高校の校長と比べると、遥かに有り難い存在だと言える。
──そう言えば、学校、サボってるんだよな。
不意に。
俺は自分の通っている高校のことを思い出し……すぐに首を左右に振ってその思考を追い出す。
こうして学校をサボってまでも、異世界へ出向いているのだ。
勿論、破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能の一つ……『空間をも切り裂く破壊の爪』を使えばいつでも帰ることは出来る。
だけど、何の成果もあげないままじゃ……具体的には良い女の一人や二人くらいヤらないと、帰れるものじゃない。
今までの苦労や費やした時間が水の泡になってしまうなんて……それこそ、耐えられない。
それに……もう失踪はコレで二度目だし。
「では、お前たちに金を分配することにする。
さぁ、みんな、こっちへ来いっ!」
俺が決意を新たにしている間に、一人の男が大声で叫びを上げる。
ソイツはテテニスに厭らしい視線を向けていた三人の内の一人で……団長から金の入った革袋を受け取った中年である。
……どうやら取り仕切るタイプらしい。
「ほい、お前たち。
次からも励むように」
「……うす」
団長よりも遥かに偉そうに金を渡してくるその中年に、同じおっさんであるゼルグムは一瞬だけ不快そうな顔をしたものの、すぐに大人しく頭を垂れて金を受け取った。
もめ事を起こすことを嫌ったのだろう。
「良し、貴様もコレだ。
俺と一発ヤるんだったら、もうちょっと色を付けてやろうか?」
「そりゃ、ありがたいねぇ。
……ま、その内に」
次に貰ったのはテテニスだった。
セクハラ紛いと言うよりセクハラそのものの声にも、眉一つ上げずに受け流す辺り、彼女はそういう言葉に慣れているのだろう。
「ほい、ガキ。
生きていることに感謝するんだな」
「……ああ」
次に貰ったのは俺だった。
愛想を振りまくつもりもない俺は、適当に貰った金貨を受け取る。
「……ガル、あんた。
せめて、もうちょっと嬉しそうにしたら」
「細かいことは気にするな」
別に金を貰ったところで嬉しくも何ともないから喜びようもない。
……何しろ俺は、この世界の文字すら読めないのだから。
そう、思ってはいたんだが……
「しかし、一回で七十か。
……まぁ普通ってところだな」
「……は?」
ゼルグムのおっさんがそう呟いたのを聞いてしまった以上、黙ってはいられなかった。
「ちょっと待て。
二千八百貰った金が……何故一人頭で七十になるんだ?」
「ちょ、ガル。
一体何を?」
「いや、この場にいるのは八人だろ?
……二千八百を八人で割ると、一人頭三百くらいにはなるぞ?」
小学生でも出来る程度の計算を披露した俺を待っていたのは……テテニスから向けられる称賛の眼差しと、ゼルグムからの「やっちまった」とかいう視線。
そして……古参の連中からの殺意混じりの視線だった。
「おい、てめぇ。
俺たちの配分がおかしいってのか?」
「ああ、おとなしく「ボクが間違ってました」って言えば、今回はタダ働きってくらいで許してやるぜ?」
「ひゃはははっ。
お優しいよなぁ、俺たちっ」
三人組の男たちは厭らしい笑みを浮かべたまま、口々にそう告げてくる。
だけど、その笑みとは裏腹に……三人とも小脇に手を入れ、恐らくは刃物を出そうとしているのだろう。
「大体、てめぇら新参と俺たちの報酬が同じだと思ってるのか?」
「そうそう。
ちょっとばかり効率よく金を稼いでいるだけだよなぁ」
黙っている俺を見て、ビビッていると勘違いしているらしい男たちは、語るに落ちるという様子で好き放題喋ってくれている。
視線を脇に向ければ……さっき俺たちと同じ戦場を駆けたコイツら以外の黒機師たちが、怒りに顔を歪ませてこちらを睨みつけている。
いや、俺にではなく、この三人組を、だろう。
……だけど。
「おいおい。
別にこの場で「名誉の戦死」にしてやっても良いんだぜ?」
「そうそう。
一人二人欠けたところで、あの団長様は気にもかけないさ」
「もう一人くらい、戦死者が増えても良いとは思わないか?」
同僚である筈の黒機師たちを、三人組は恫喝であっさりと黙らせてしまう。
ちなみに三人組の視線を辿ると……重傷を負っていた男はもう動かなくなっていて、哀れにも報酬にありつけなかったらしい。
そして、それを誰一人として悼みもしない。
これくらい、『下』から這い上がって来た彼らには日常茶飯事なのだろう。
──だから、かもな。
同じように上前を撥ねられている連中と協力すれば、こんな三人組なんてあっさりと砂の下に埋めてしまえるってのに……彼らの横暴は成立してしまっている。
つまり、黒機師たちは全く協力するという考えすら持っていないのだろう。
「良いから、さっさと頭を下げな、小僧っ!
寛大な俺たちが大人しくしている内になっ!」
それに、この三人組の口調からして、こういう恫喝が明らかに手慣れているのが分かる。
正直、この無敵の権能を持つ俺でさえ……こうして間近で聞いているだけで、少し不安になってくるくらいである。
普通に刺されたら死ぬ人間だと怖くて動けないに違いない。
とは言え……いい加減もう聞き飽きた。
つーか、息が臭いし、中年のおっさんの顔が間近にあっても鬱陶しいだけだ。
それに……そろそろテテニスの堪忍袋の緒がぶち切れそうになっているのが分かる。
「ちょ、あんたらっ」
「止せ、テテっ!」
幸い、ゼルグムのおっさんが激昂して我を忘れているらしきテテニスを必死に止めてくれているようだし。
──ま、言質は取ったしな。
……なら、もう俺の行動を妨げるものなんて、何もない。
「いやいや、もっと分け前の良い儲け話があるんだけど」
「……ほぉ」
俺の呟きに、案の定、三人組の一人が食らいついた。
仲間から上前を撥ねようって輩である。
……儲け話には弱いと思っていた通りである。
だから、俺はその圧倒的優位にいると勘違いして厭らしい笑みを浮かべる中年オヤジの肩に軽く手を置くと。
「……こうするんだよ」
そう微笑みながら、指に軽く力を込めて……
「ひぃぎゃああああああああああああああああっ!」
……鎖骨を、むしり取る。
俺の指先が皮膚を抉り、中の骨を砕き……そのまま大胸筋ごと皮膚と骨を引き千切ったのだ。
男は盛大な悲鳴を上げて、まるで陸揚げされた魚のようにのたうち回り始めた。
俺はその哀れな中年に軽く微笑むと……
「てめぇらが消えれば、俺の分け前が増えるんだよ」
その顔面を踏み潰すべく、足を振り下ろす。
──おっと。
とは言え、じたばたと跳ね回る人間の身体を……顔面を踏みつけるなんて器用な真似が、この俺に出来る訳もなく。
俺の右足は暴れ続ける男の……腹を思いっ切り踏みつけてしまったらしい。
ブチュと言うか、ベチャと言うか、あまり気持ちよくない破裂音がして、ジタバタと暴れ回っていた男の動きは、ただピクンピクンと痙攣するのみへと変化していた。
咽喉から血と胃袋らしき塊が、そしてズボンの股間辺りが何やら膨れ上がり、血に染まっているのは……踏みつけた腹の中身が上下に広がった所為、だろうか?
「て、てめぇっ!」
一匹にトドメを刺したことで、激昂したのか、一人の男が、手にした刃物で俺を刺そうと突っ込んできた。
ソイツは人様の報酬の上前を撥ねようというクズの癖に、友情を重んじるという人間らしい感情が残っていたらしい。
その事実に驚いた所為で……俺は腹部へと突き刺さろうとしている刃物をモロに喰らってしまう。
「ど、どうだっ!
俺たちを甘く見るから……」
「はい、ご苦労さん」
とは言え、そんな刃物一切れで俺がどうにかなる訳もない。
俺はソイツの顔面に手を添えると、軽く引き千切る。
指先に懐かしい血と皮の感覚が広がったかと思うと……
「うぉあああああああああああああっ?
顔がっ! 顔がぁあああああああっ!」
怪奇・顔面不気味人間の出来上がりである。
まぁ、顔面の皮膚を引き千切っただけなので、命に別状はないだろう。
仲間を大事にする心意気に免じて、顔の皮一枚だけで許してやることに……
「うごぁああああああっ!
いてぇええええええええっ!
いてぇえよぉおおおおおおおおおおおおおっ!」
「五月蠅い、黙れっ!」
……あ、つい。
悲鳴があまりにもやかましかった所為で、気付けば俺は……蹲ったままのソイツの頭蓋を踏み砕いていた。
まぁ、結果的に静かになったので、問題ないだろう。
「て、てめぇっ!
俺たちにこんなことをして、ただで済むと思っているのか?
団長に言いつければ、てめぇなんざ、あっさりと『下』に舞い戻るんだぜ?」
最後の一人の口から飛び出たのは、そんな……脅迫にしてはヌルい叫びだった。
先生に言いつけてやるって感じのその台詞に、俺は思わず脱力してしまう。
……だけど。
「……ガルっ」
テテニスはソイツの脅しを情けない捨て台詞とは取らなかったらしく、俺に心配そうな視線を向けて来ていた。
その眼には涙が浮かんでいて……『下』に舞い戻ることを「死と同義」と捉えているのだろう。
──俺としては、この馬鹿の生死なんざどうでも良いんだが……
それでも、俺の同居人であるテテニスを泣かせたことは許せない。
「……口が利けたら、な」
俺は脅しているつもりらしい男にそう笑うと、ソイツの顎へと手を伸ばす。
口の中に親指を突っ込まれた男は、必死に手を引き剥がそうと噛み付いてくるが……俺はンディアナガルの権能に守られている。
……正直、小さいトカゲに噛まれたよりも痛くない。
「……あ、がっ?」
後は簡単だった。
親指に力を込める。
前歯辺りが数本折れるような、妙な感触があった。
人差し指から小指までの四指にも力を込める。
「ぐ、ぉぉおおおおおおおおぁああ」
ちょっと力加減を間違えたのか、何かが砕ける鈍い音が部屋に響き渡る。
それと同時に男は暴れ始めるが……まぁ、知ったことではない。
そのまま、手に掴んだソレを思いっ切り自分の方へと引っ張る。
俺は手にそう大した力を入れることなくソレを……男の顎を、男の顔面から引き剥がすことが出来た。
「は、ほぁ、ほぉおおおおおおっ?」
顎が無くなったことで、言葉も話せなくなったのだろう。
男は間の抜けた呼吸音を必死に上げつつ激痛に暴れるが……何を言っているのかすらもう分からない。
それに……俺はソイツを助けてやる義理がある訳でもない。
「大体、一人二人欠けたところで、団長様は気にもかけないんだろ?」
俺はそう軽く告げ、男の目に絶望が映るのを見届けた後……
その顔面を横薙ぎに蹴り、頸椎を破壊することで、ソイツの苦痛に終止符を打ってやったのだった。