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【完結済】ンディアナガル殲記  作者: 馬頭鬼
弐 第三章 ~機師~
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弐・第三章 第五話


「……何だよ、これは……」


 階段を登り終え、金さえ払えば良いという、如何にもお役所仕事の入国審査を終えた俺たちを待っていたのは……


 ──まさに、別世界、だった。


 木がある。

 緑がある。

 道がある。

 砂がない。

 家の区画が規則正しく並んでいる。


 下の砂だらけの、殆どテントばかりが不規則に立ち並ぶ集落からしてみれば、まさに天と地である。

 ……とは言え、この辺りの道は誰も使わないのか、煉瓦敷きの道路からは雑草が生えていたり、家屋も壁周辺には打ち壊されたような廃屋が並んでいたりと、少々薄気味悪い雰囲気は拭えなかったのだが。

 あと一つ加えるならば……下の砂漠と違って、地面が若干傾いているのが分かる。

 尤も、巨島全体が凄まじい大きさだったから、傾いていると言ってもそう大した角度ではないのだろうけれど。


「……これが、『上』……」


 そんな中、テテは憧れの『上』の世界に感無量らしく、涙ぐんだまま動いていない。

 俺にしてみれは、それほど素晴らしい世界とは思えなかったが、彼女にはここにたどり着くまでの苦労とか、色々とあったのだろう。


「こら、あなたたち。

 あまり遠くへ行っちゃだめっ」


 そうしてテテが使い物にならない分、苦労はリリの小さな双肩へと圧し掛かっていた。

 何しろ子供は言うことを聞かない。

 珍しいのか雑草を引き抜いたり、煉瓦をほじくったり、廃屋を覗き込んだりと好き放題やらかしている。

 そうして大騒ぎしていた所為だろう。


「ったく。

 一気に喧しくなりやがった」


 近くから一人の中年男性がふらっと顔を出していた。

 その顔は見覚えがあった。


「……ゼグ、だったな?」


「いや、今はゼルグムって名前に戻った。

 ……名を取り戻すまで苦労したぜ、畜生」


 ……名前に戻った?

 ……名を取り戻す?

 この世界のルールなんぞには詳しくもない俺が、おっさんの言葉に首を傾げていると……


「おいおい。

 お前さんは何処の出身だよ。

 機師は四音名を名乗れるようになるってルールじゃないか」


 俺が本気で分かってないと気付いたのだろう。

 ゼグ……もといゼルグムという名のおっさんが説明してくれる。


「ちなみに市民は三音名……『下』の市民外住民は二音名までと決まっててね。

 ま、名前で人を判断できるようにって政策らしいね」


 そう話に加わったのは、ようやく我に返ったらしいテテだった。


 ──いや、この名前ももう変わるのか。

 

 そういう世界のルールとは言え、ややこしいことこの上ない。


「ま、その辺りはおいおい考えるとして……

 こら、あんたたちっ!

 集合~~~っ!」


 我に返ったテテの行動は早かった。

 大声を張り上げて手を打ち鳴らす。

 そして……子供たちは幾ら浮かれていてもその威厳には逆らえないらしい。

 リリが右往左往しつつもどうしようもなかった子供たちの統率を一気に掌握していたのだから、年季というものは凄まじい。


「取りあえず、住処を構えなきゃね。

 ……門のこっち側なら好きに使ってよい、だったっけ?」


「ああ。

 この区画……三級市民区画は人も少ないからな。

 空き家をどう使おうと勝手なんだとよ」


 テテの声におっさんは頷くと、手を広げて周囲の家々を示しつつ、そう語る。

 流石は元『上』の住人らしく、言葉には説得力があった。

 ……だけど。


「どう使おうとって……そんないい加減なものなのか?」


 家や土地が高くてガチガチの現代日本を知っている俺は、そうはいかない。

 思わずその常識外れの言葉を尋ね返していた。


「そりゃそうだろ。

 ここは蟲とは壁一枚しか隔てられてないからな。

 ……要は、最前線ってヤツだ。

 普通ならもっと大金を払ってでも、もう一枚向こう側……二級市民になろうとするんだよ。

 だから、こっちは空き家が多いって訳だ」


 そう言いながらゼグ……もとい、ゼルグムは近くに落ちていた木切れを拾うと、道ぶちに変な絵を描き始めた。

 ちょっと前に習ったような、ミトコンドリアの断面図みたいなその絵は……


「これが島の全景。

 ……ってぇと、こっちが正門かい?」


「ああ。

 で、こっちが王城、貴族区画、機甲鎧工場……そして一級市民区画、二級、三級と並んでいる訳だ」


 おっさんの話を聞いてみると、この島の構造は酷く簡単だった。

 斜めの突き刺さった巨島の、一番高く安全な場所から順に、王侯貴族が占拠し、そして蟲から狙われ難い順に一級、二級、三級と下がって行く。

 それぞれの区画は壁が仕切っていて、安全なところへ行けば行くほど金がかかるという寸法らしい。

 とは言え、流石に広いのは貧民たちの住む二級・三級市民区画で、島の七割を占拠していて……ついでに言えば、その広大な土地は農地や林地として利用されているのだとか。


「意外と、広いんだな。

 これなら『下』の連中全部を収容しても、まだ余裕があるんじゃないか?」


「いや、ダメだろ、そりゃ。

 基本的に『下』に落とされるのは犯罪者だからな。

 ……堕ちたくなきゃ罪を犯すなって話だよ。

 ま、お蔭で島の治安は驚くほどに良い」

 

 おっさんの声に、テテは子供たちの方を眺めながら、何とも言えない表情を浮かべていた。


 ──そりゃそうだ。


 テテがどういう罪状を犯して『下』で暮らすようになったのかは分からない。

 だけど、現実問題、罪とは無関係の子供たちがいて……『下』で暮らすことを余儀なくされていた訳だから。

 例えそれが治安維持のためであっても……と考えてしまうのは、俺が平和な国で暮らしてきた所為だろうか?


「ちなみに『下』に落とされる連中は、税の滞納が一番多い。

 あと、機師の軍紀違反、たまに殺人や強盗なんかもあるな」


「あたしも、両親が市民税を払えなくなって、連帯責任ってヤツだねぇ。

 ま、両親は『下』で暮らし始めた途端、あっさりと殺されちまったけど……

 あの子たちも殆どがソレだった訳だし」


 その話を聞いて、俺はようやく理解した。

 あの『下』の、どうしようもない社会があるのは、この巨島での社会を維持するための……王侯貴族が生きるための『見せしめ』なのだと。

 『下』に落ちたくなければ、税を滞納するな。

 『下』で暮らしたくなければ、法を守れ。

 『下』の生活が惨めで危険で荒んでいればいるほど、『上』の住民の遵法意識は高まるって寸法らしい。

 そのルールを理解した俺は、思わずこみ上げてきた憤りに拳を握りしめ……


 ──ま、余所のことだしなぁ。


 ……すぐに力を抜く。

 現実問題として、俺が暮らしていた社会でも、隣の国の貧困だろうと地球の裏側の戦争だろうと、関係ない・どうでも良いと思っていたくらいである。

 異世界の社会ルールが理不尽だからと言ってイチイチ腹を立てていたら、身が持たないだろう。


「ま、取りあえずは家を決めるんだな。

 黒機師団の宿舎はこの壁の近くにあるんだが、そんな場所に住むと蟲が入ってきた時に酷い目に遭う可能性が高い」


「……なるほどねぇ。

 じゃ、まずはあっちへ歩いてみるとしますかね」

 

 ゼルグムのおっさんの声に、テテは頷きながら歩き出す。

 その方向は正門からまっすぐに伸びた道の方向……つまりが二級市民区画への方向だった。

 こうしてその道を眺めると、軽い登り傾斜になっていて、この巨島が傾いているのがよく分かる。

 その向こう側……遥か遠くには壁が見えた。

 恐らくソレは、ここ三級市民区画と二級市民区画を隔てる壁なのだろう。


「……あんまり奥へ行くと人が住んでいるからな。

 無駄足踏むことになるぞ」


「そういうもんかねぇ」


 おっさんとテテが肩を並べて歩き出す。

 その背後には子供たちが雁首を並べてついて行って……最後に残ったのは俺とリリの二人だけになっていた。


「……大丈夫か?」


「……ぇ、はい。

 まだ、何とか」


 リリは口ではそう強がるものの……その表情にはあからさまに疲労の色が濃い。

 慣れない杖で砂漠を歩き続け、今一つ頼りないテテに変わって子供たちの面倒を見続けたのだ。

 十歳ちょっとの少女にしてみれば、体力的にもう限界なのだろう。


「ったく。無理すんな」


「わ、あの、私はっ」


 リリの様子を見かねた俺は、壁を登る時のように少女を肩に担ぐと、そのままテテたちの後を追うことにした。


「ぉ、重くない、です、か?」


「……いや、別に」


 リリは消え入りそうな声でそう訪ねて来るが、俺にとっては重荷にすら感じない。

 と言うか、塩ばかりのあの戦場で使っていた戦斧の方がまだ思いのだ。


「で、でも、私は、その、歩けます、から、その……うきゃっ」


 それでも色々とやかましかったので、俺は右手で少女の尻を軽く引っ叩いて黙らせる。

 意外とその小さなお尻には肉がついていて……少女と言えど子供ではないらしい。

 まぁ、そんなセクハラを若干交えつつ、俺たちはまっすぐに道を歩いていた。

 そうして小一時間ほど歩き続けた頃だろうか。


「~~~っ!」


 ソレが目に入った瞬間、俺は一気に走り出した。


「ちょ、え、あのっ?」

 

 肩に担いでいたリリが何か叫んでいたが、そんなことすら全く耳に入らない。


「ちょ、ガルっ?」


 テテが何かを言っていたようだが、それすらも気にせず、俺は『ソレ』……石造りの円筒形構造物へと走る。

 縄にくくられた桶があるだけの、簡単な造りのその構造物……即ち井戸は、使い方もそう難しいものではなかった。

 桶を井戸へと放り投げ、後は引っ張り上げるだけである。

 水によって重くなった筈の桶すら、俺にとっては重さを感じない程度の軽い荷物でしかない。

 そうして汲み上げた水を、桶から直接口へと流し込む。


「~~~~~ぁっ!」

 

 俺の口からは……声が、出なかった。

 美味いとか、冷たいとか、そういう感想すら浮かばない。

 文字通り……生き返るという表現しか出来ないほど、五臓六腑いや、指先から足先に至るまで全身に水が広がって行くような感覚が走る。

 二口目からは、ただの水で……ちょっと冷たいだけの、変な臭いのしない、本当に「ただの水」でしかなかったが、一度水を口にした以上、その衝動を抑え切れる訳もない。


「……ぁぷぁっ」


 その衝動に駆られるままに桶一つの水を飲み干したところで……周囲に子供たちが集まっていることにようやく気が付いた。

 そして井戸の周囲が石畳で出来た広場のようになっていることにも。

……どうやらここは共同の水汲み場だったらしい。


「ひとりだけ、ずるい」


「わたしも、わたしも」


「ったく、ガル。

 ……あんたも子供みたいなところ、あるんだねぇ」


 子供たちから催促され、テテからはそんな……子供を見るのと同じような視線を向けられた俺は、俯くしかない。

 言い訳をするならば、あの下水臭い水に耐えられなかったからこそ、ここまで俺が渇き切っていたのだが。

 まぁ、率先して一人だけで水を飲んだ以上、俺が何を言ったとしても言い訳にしか過ぎないだろう。

 俺は大きくため息を吐くと……


「……分かったよ、畜生。

 ただ、まずはこの子からな」


 それだけを告げる。

 実際、リリはもう限界寸前で……暴れる気力すらなくなっていたのだ。

 幾ら我を忘れていたとは言え、そんな少女を気遣うことすら忘れていた自分が少しだけ情けないが……まぁ、余裕が出来れば気遣いくらいは思い出す。

 その俺の気遣いに、テテがニヤニヤと何かを察しているような笑みを浮かべていたのがちょっとばかり居心地悪かったものの……

 兎に角、俺たちはこの井戸を中心とした広場で一休みを取ることとなったのである。



 そうして、一休みしたことで、誰も彼もが疲労を思い出してしまったらしい。

 それは『上』に来たことで興奮状態にあった子供たちに顕著で……水を口にした途端、誰も彼もが顔に疲れを見せ始め、そのまま寝入り始めた子供もいるくらいである。


「これは……もう無理かねぇ。

 さて、家は、どうしよう?」


 幾ら統率力を誇るテテでも、疲労の極致にいる子供たちを動かすことは出来ないらしい。

 地べたに座り込み舟をこぎ始めた子供たちを見て、困った表情を浮かべていた。


「……その辺で良いだろ?

 ほら、すぐ隣の大きな家」


 そして家を選ぶなんて面倒だった俺は、適当にそう答える。

 井戸の周囲というのは比較的裕福な人間が住んでいたのか、丁度、井戸を中心とした広場の外側には何軒か二階建ての家が並んでいた。

 この辺りにはあまり蟲も来ないのか、外壁近くと違って壊れている家も見えない。

 ……つまり、比較的安全、ということだ。


「まぁ、確かに……この辺だったら大丈夫だろ。

 丁度、三級市民区画の中心部辺りだがな」


 ゼルグムのおっさんは周囲を見渡しながらそう太鼓判を捺してくれる。

 その言葉を聞いてテテも安心したらしい。


「じゃ、その角の家で暮らそうか。

 ほら、結構荒れ果てていて誰もいないみたいだし」


 そうテテが指差したのは、屋根の赤い二階建ての、一件の廃屋だった。

 見てみれば元の世界で、所謂一軒家だった我が家の三倍ほどの面積がある。

 しかも隣には家と同じくらいの面積の荒れ地……恐らくは畑だったのだろう土地もあったし、周囲の家々に気配はない。

 ……確かに、悪い場所ではなさそうだ。


「さて、と。

 じゃお前らもその内、黒機師団の詰所に来いよ?

 仕事しないと金が入らないからな……また『下』に追い出されちまうぜ?」


 俺たちが家を決めたのを見届けると、おっさんはそう告げて立ち去って行った。


 ──何をしに来たんだ、このおっさん。


 ふと俺はそんな疑問を抱く……が、恐らくはテテが心配で見に来たのだろう。

 もしかしたら、正門辺りでしばらく張っていたのかもしれない。

 現代日本ではストーカー一歩手前とも言える行動だが……ま、おっさんなりにテテのことを気にしているのだろう。


「ガル、何かあるのかい?」


「……いや」


 俺の視線に気付いたらしきテテがそう尋ねて来るが、俺は首を左右に振って見せる。

 おっさんの好意なんざテテ自身の問題で……はっきり言って俺には関係ないのだ。


 そうして俺たちは新しい家を手に入れた。

 家の中はボロボロの埃まみれで、掃除するだけでも一苦労という有様だったが、それを嫌がる子供たちは一人もおらず。

 ついでに言うと何故か俺とリリが同部屋にされたが……彼女が細々とした掃除をしてくれたので俺としては特に反論する気も起こらず。


 その翌日。

 俺とテテは連れ立って職場……黒機師団の本部とやらに足を運んだのだった。


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