弐・第三章 第四話
翌日の早朝。
俺とテテの二人は子供たちを連れて、砂漠を延々と進んでいた。
まるで夜逃げのように日が昇る前に家を出たのは、俺たちが『上』の居住権を得たと知った連中が押しかけてくる前に逃げるためだった。
夜通し荷造りをさせられ、太陽が昇る前から延々と砂漠を歩き続けさせられた子供たちを、テテが心配そうに眺めるが……
「ひっこしだって」
「うえってどんなところかな?」
子供たち自身はそんなことを呟き合っていて、どうやらまだまだ元気いっぱいらしい。
背負っている各自の服や「宝物」が随分と重いというのに、誰一人として疲れた様子すら見せていない。
……破壊と殺戮の神の化身である筈の俺が、直射日光と砂漠の歩き難さに負けて限界寸前だと言うのに、だ。
水も一応、各自が大きめの水筒一つずつを手にしているが……生憎、俺はこの下水臭の漂う水を飲もうとは思えず、渇きはもう限界寸前で、それが俺の疲労を加速させている。
「おいしいものがあるってきいたよ?」
「みずにこまらないんだって」
どうやら『上』での生活に対する希望が、子供たちの活力の源のようだった。
朝食も彼らにしては豪華だったらしく、それが元気を加速させているようにも思える。
「……まだ大丈夫みたいだねぇ」
そんな子供たちを眺めたテテはそう結論付けたらしく、安堵のため息を吐くと……視線を俺へと向けてきた。
「その割に、ガル、アンタが疲れてどうするんだい。
リリもまだ元気だってのに」
「……いえ、私は……
あ、ルル、勝手に列を離れないのっ」
そう。
片足のリリは慣れない杖ながらも必死にみんなの行進について来ていた。
それどころか……隊列を乱そうとする子供に気を配る余裕すらあるらしい。
それに引き替え俺は……既に顎が上がっているし、息も乱れっぱなしである。
──何もかも、この砂が悪いんだよ、畜生っ!
俺は内心でそんな言い訳をしていた。
実際……砂の上で歩くというのはかなりコツが要る作業である。
乾き切った砂は一歩ごとに足を沈ませ、蹴り足の力を削いでしまうので、前へ進もうとすればかなり強く砂漠を踏みしめなければならない。
そして、そんな変な身体の使い方を続けていると、思っている以上に疲れるのだ。
──全力で蹴れば、砂漠が吹き飛ぶからなぁ。
しっかりと歩きつつ、しかも力の加減をしつつ……その無理難題を前に、俺は既に疲労の極致にあった、という訳である。
何故か常に隣に寄り添ってくる、杖を使って歩くのがやっとの、片足のリリにまで気遣う視線を向けられるのが、また自分の情けなさを加速する。
……とは言え、朝っぱらから歩き続けたのは無駄ではなかったらしい。
「ほら、ガル。
……正門が見えてきたよ」
テテのその声に俺が顔を上げると……確かに正門とやらが目に入ってきた。
ずっと見えていた巨島の先端部分に、外周を覆うように建てられた巨大な壁と、豆粒大に見える門は存在していて……
──まだまだ先、じゃねぇか。
その事実に俺は大きなため息を吐く。
背後を振り返って歩いて来た道を眺めると、もう遥か地平線の向こう側まで俺たちの足跡は続いていて……そう考えると確かに「もうちょっと」かもしれないが……
──畜生。
とは言え、歩かなければたどり着かないのだ。
そう気合を入れ直した俺が覚悟を決めて足を前へ前へと踏み出し続け……
それから体感時間で凡そ二時間半ほどを経て、やっと外周壁と正門がしっかりと見えるようになってきた。
だから、だろう。
……『ソレ』が目に入ったのは。
「……ありゃ、蟲、かい?」
テテの言葉通り……正門近くの砂漠から三匹ほどの蟲が頭を突き出ている。
遠くてはっきりとは分からないが、それぞれの蟲の大きさは十メートルほどで、砂漠で俺が殺した蟲よりは一回り大きく、その口は人間を丸呑み出来るほどの大きさだろう。
その蟲たちと対峙しているのは……黒・赤・青の三色からなる機甲鎧と呼ばれる鋼鉄の騎士たち十数体だった。
「たたかってるね」
「きしさまたちだね」
子供たちは……その中でも男の子たちは戦いを近くで見られてご満悦らしい。
蟲と対峙している機甲鎧に向けて無邪気に歓声を上げている。
……だけど。
──俺たちは、あそこを通らなきゃならないんだぞ?
俺の視線に気付いたテテは、やはり深刻な表情で頷きを返してくれた。
……そう。
俺たちが向かうべき場所は正門……あの蟲と機甲鎧が相争っているその場所である。
こうして近づいてみれば分かるが、正門近くの外壁には階段が設けられていて、歩いて登って行けるようになっている。
とは言え、そこを通るには戦場に思いっきり近づかなければならないのだ。
勿論、機甲鎧に襲われようとも蟲に襲われようとも、俺一人なら生き延びる自信はある。
……だけど、テテやリリ、そして子供たちはそうはいかない。
「どう、する?」
「……行くしか、ないよ。
ここもいつ、蟲に襲われるか分からないんだし」
俺の問いに返ってきたのはリリのそんな声だった。
その声を聞いて、俺はようやく気付く。
この『今歩いている砂漠』そのものが、蟲の住処だという事実に。
……つまり。
──歩いている最中に、真下から狙われていたかもしれなかった、ということか。
その事実に……アレに子供たちがいきなり襲われ場合、俺は助ける術なんて持ち合わせていない事実に、俺は震えを隠せなかった。
確かにそれは……大問題だ。
俺とテテは軽く頷き合うと……
「ほら、急ぐぞっ!」
「あんたたち、もうちょっとだから頑張って」
そう子供たちへと声をかけ、少し早足で歩き始める。
俺ももう疲れたとか歩き難いとか言ってられず、足元に注意を払いながら歩き始めた。
まるでそれを契機にしたかのように、蟲たちも機甲鎧へと襲い掛かり始める。
蟲の突進を食い止めるかのように、巨大な盾と長槍を手にした十機ほどの黒い機甲鎧たちが真正面に立ち塞がり、勢いを殺し切れず数体の機甲鎧が吹き飛ばされる。
蟲の速度が止まるや否や、周囲から飛び抜けて早い三機の青い機甲鎧たちが槍や弓などで撹乱し……
そこへ真紅の長剣を手にした三機の赤い機甲鎧が突っ込んで切り裂く。
どうやらそれが機甲鎧の基本戦術らしく、それを何度も何度も繰り返している。
「……これが、この世界の戦争、か」
その様子を見て、俺は思わずそう呟いていた。
そしてふと気付く。
──俺たちの所属する機師団って……
──確か、黒、じゃなかったか?
そう考えた、その時だった。
黒色の機甲鎧が一体、蟲に弾き飛ばされて外壁にぶつかり、そのまま砂漠に倒れて動かなくなる。
どうやら黒機師団という場所は、あの、蟲の突進を食い止めるという、一番危険でどうしようもない場所らしい。
──そういうことかよ、くそったれっ!
その事実に気付いた俺は、怒りに我を忘れかかる……が、子供たちが周囲にいるのを思い出し、必死に歯を食いしばってその罵倒の言葉を飲み込んでいた。
……簡単な話なのだ。
巨島の連中が『下』に来てまで機甲鎧を操る人材を募集している理由。
だと言うのにあまりやる気もなく、適当な金をばら撒いて適当な試験をするだけ……しかも、ソイツの出自も犯罪歴も何も問わない理由。
それは……蟲の突進を食い止めるための『捨て駒』が足りないからに他ならない。
だから、彼らは本当に『誰でも良い』のだろう。
適当な金と待遇をちらつかせ、蟲への囮にするだけなのだから。
──っ。
そうしている間に、倒れたその一体の黒い機甲鎧へと蟲が跳びかかり……鋼鉄の騎士は抵抗も空しく砂の中へと引きずり込まれて行った。
そして俺の予想通り、周囲の仲間たちは……赤い機甲鎧も青い機甲鎧も、仲間である筈の黒い機甲鎧すらも、誰もそれを助けに行こうとはしない。
間に合わないからじゃなく、本当に『どうでも良い』のだ。
──こんな場所に、俺たちは向かわされるのか?
その事実に……俺は思わずテテと子供たちへと視線を向ける。
「うわ、ひとりやられた」
「でも、かてる。
がんばれっ!」
「そうだねぇ。
機師様たちには頑張って貰わないとねぇ」
だけど……どうやら子供たちどころか、当の本人である筈のテテすらも『その事実』に気付いていないらしい。
呑気な歓声を上げるばかりである。
──ったく。
俺は彼女たちの呑気な歓声に大きなため息を吐くと、正門へと足を運び続ける。
そうして歩きながらも……戦いから目を離せない。
戦場は思いっきり不利だった。
と言うか……十五機の機甲鎧がいるというのに、蟲三匹に振り回されているらしい。
一匹はさっき黒い機甲鎧を咥えて砂中へと潜り込んだお蔭でいなくなっていたものの、残り二匹が暴れるのを十四機の機甲鎧が食い止め切れていない。
黒い機甲鎧は次々と跳ね飛ばされていたし、青い機甲鎧は蟲の無茶苦茶な暴れっぷりに一度吹っ飛ばされただけでもうボロボロだった。
……どうやら青い連中は機動力を主体としているらしく、装甲は大したことないらしい。
そして……生憎と赤い連中は攻撃のタイミングが掴めないようで、立ち往生し続けていた。
恐らく、数度斬りつけた所為で、蟲が暴れ始めたことで、収拾がつかなくなったらしい。
とは言え、赤い機甲鎧によって蟲が深く傷ついたのは事実なのだ。
蟲もその内に力尽きて戦いは終わるだろう。
……だけど。
──あの蟲、意外と生命力があるんだよなぁ。
顔を真っ二つに引き千切ったというのに、それでも砂に潜ろうとしていた蟲を思い出し、俺はため息を吐いていた。
どうやら機師の仕事ってのは思っていた以上に過酷らしい。
そうして戦いの近くを通り抜け、ようやく正門近くの階段にたどり着いた、その時だった。
「あ……っ!」
リリの悲鳴に俺がそちらを振り返ってみると……
一体の青い機甲鎧が蟲の一撃を喰らって吹っ飛ばされたらしく、俺たちの方へと跳んできている。
……いや、青い機甲鎧そのものは問題ない。
あの重量と速度なら、手前の砂漠に落ちるだろう。
だけど、その手に持っていただろう槍は……俺の身長二つ分もある、その凄まじい重量の金属の塊は、運悪く俺へとまっすぐに飛んできているっ!
慌てて俺はその死を予感させる超質量の金属塊を回避しようと、全力で砂を蹴るべく足に力を込めて……
「ちょ、ヤバっ?」
「うぁぁあっ」
近くにいた子供とテテの悲鳴が、そして俺の傍に常に寄り添っていた片足のリリの存在が視界に入ってしまう。
例え俺がこの槍を避けたとしても、子供たちは……そして間違いなく片足のリリはこの金属塊を避けられず、肉塊と化してしまうだろう。
──ちく、しょうぉっっ!
俺は凄まじい速度で迫りくる『質量』という恐怖に対し、必死に歯を食いしばる。
……そう。
死なないと分かっていても、自分が破壊と殺戮の神の化身になっていると分かっていても、これほど巨大な物体が迫ってくるのはやはり恐怖以外の何物でもないのだ。
だから、脚が震える。
逃げたい気持ちで一杯になる。
だけど……この一撃を避ける訳にはいかない。
「うぉおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
俺は思いっきり叫ぶと、渾身の力を込めて右腕を直下へ……直前に迫った巨大な金属槍を叩き落す。
ガイィィィンという凄まじい音と共に、俺の拳は予想通りその金属槍を叩き落していた。
「……ガル、あんた」
相変わらず常識外れした自分自身の膂力に俺自身でも驚きを隠せないほどである。
ンディアナガルの存在すら知らないテテからしてみれば、まさに化け物の所業だったのだろう。
脅えたような声が背後から聞こえてきた。
だけど俺は、そんな彼女の声を気にする余裕なんて欠片もなかった。
「……ぐぅっ!」
何しろ俺は、腕に走った激痛に気を取られていたのだ。
触ってみたところ、怪我は……ない。
あれほどの質量が重力によって凄まじい速度で飛んで来たというのに、俺の皮膚一枚すら貫けなかったらしい。
とは言え、痛いものは痛いのだ。
俺の記憶で一番近いのは、机の角に手を思いっ切りぶつけたような、あんな感覚である。
──ふざけ、やがってっ!
そしてその激痛は、激怒に変わる。
人様が子連れで必死に砂漠を歩いていると言うのに、人様が足元を気遣って音を立てないよう慌てて歩いていると言うのに、さっきから熱砂と太陽に照らされて汗と熱気が鬱陶しいと言うのに。
……自分たちは蟲と戯れて俺の邪魔をしようと言うのだ。
──これが、許せる、ものか。
「……あの、ガル、さん?」
俺の様子に気付いたのだろう。
リリが気遣わしげな声を上げるが……もう遅い。
俺の怒りゲージは既に振り切っている。
彼女の声を無視したまま、俺は飛んで来た槍を掴むと……
「遊ぶなら、余所でやれ、クソが~~~~っっっ!」
叫び、投げる。
その機甲鎧にしか操れない、俺の身長の倍ほどもある鋼鉄の槍を。
ただ全力で。
俺の放った槍は体格差をモノともせず吹っ飛んでいき……黒い機甲鎧の頭を見事に貫いてしまう。
「……あ」
流石にちょっと悪いことをしたという気が、しないでもない俺は、思わずそんな声を上げていた。
ただ、塞翁が馬というか、禍福は糾える縄の如しと言うか、こっちへ来る前に授業で聞いた内容通り、あまりよろしくないだろうその『クッション』が功を奏したらしい。
黒い機甲鎧の頭に刺さった槍は、そのお蔭で角度を変えたらしく、上下に弧を描きながら吹っ飛んでいき……
そのまま蟲の首をスパッと跳ね飛ばし、更にその背後にいた赤い機甲鎧の脚を吹っ飛ばして砂漠へと突き刺さっていた。
「……まぁ、結果オーライ、だな」
十四機が二匹相手に苦労していたのだ。
俺の一撃で黒の機甲鎧一機と赤い機甲鎧一機がやられ、そして戦闘不能らしき青い機甲鎧が一機転がっているにしても……蟲を一匹屠ったのだ。
蟲一匹に対して十機を投入できるのだから……戦力比で考えれば、彼らは楽になったに違いない。
──多分。
「ガル、あんたは一体……」
「それより、早く登れっ!
今の内、今の内っ!」
さっきの一幕で俺が『機師』とやらとは大きくかけ離れた存在だと今更ながらに気付いたらしいテテの追及を、俺は勢いでそう誤魔化してみた。
その俺の声で、流石のテテも現状はそれどころじゃないと気付いたらしい。
子供たちを連れて、慌てて階段を上り始めた。
俺は階段から少し離れたまま、背後の戦場へと視線を戻す。
流石に残り一匹になった時点で優勢が決まったらしく、ほぼ一方的に機甲鎧が蟲を切り刻んでいるのが目に入ってきた。
──あれなら大丈夫だな。
あれなら、さっきみたいにテテたちに被害が飛び火するようなことはないらしい。
俺は安堵のため息を一つ吐くと……自分の壁の上へ登るべく階段へと足をかけ……
気付く。
「……あ、っと」
どうやらテテたちの速いペースは、慣れない杖を使っていたリリにはちょっとばかり酷だったらしい。
片足の少女はテテたちから見事に引き離されていた。
テテも子供たちの面倒を見るのが精いっぱいで……いや、いつ蟲が出て来るか分からない砂漠から子供たちを逃がすのが精いっぱいで、リリにまで目が向かないのだろう。
その様子を見た俺は、ため息を軽く吐くと……
「……ほれ、行くぞ」
「わ、わわわっ?」
リリの腰を抱き、軽々と抱きかかえる。
「……ぁ、あの」
まるで米俵を担ぐような体勢に、リリは少しばかり暴れようとしたが、生憎と人間をぼろ雑巾のように引き千切る俺の腕力を前に、少女の抵抗なんて何の意味もなさなかった。
「……ごめん、なさい」
「……気にするな」
足手まといを気にしているらしきリリの声に、俺は軽くそう告げると……
そのまままっすぐに壁の上へと歩き続けたのだった。