弐・第二章 第五話
「こんなところまで来るとはな、この若造がっ!」
吹き抜け式の玄関の、二階のバルコニー中心。
俺を歓迎してくれている男たちの中で、一人だけ武装していない……身体中を高級な服で身を包み、ぎらぎら光る装飾品を身についた成金趣味の太った男がそう叫ぶ。
「あんな売女一人のためにここまで来るとは見上げた度胸と褒めてやるっ!
だが、貴様如き小僧が全てを救えるほど甘くはないっ!」
その眼にあったのは、明らかな敵愾心……俺がよく向けられる殺意と敵意の塊だった。
そして周囲には矢を向けている男たちが三十人近く控えている。
バルコニーの上段には巨大な弩……恐らくは蟲用の兵器だろう。
そしてその誰も彼もが俺に向けて殺気を放っている。
──あれ?
──アルバイトを雇うにしては……なんか、おかしくないか?
そんな数多の殺意を向けられた時、ようやく俺はそんな当たり前のことに気付いていた。
……いや、矢がいっぱい飛んで来た時点で、薄々と気付いてはいたのだ。
ただ、「お金を稼げなかった」とテテに伝える時のことを考えると、男としての沽券に関わるから、その、見ない振りをしていたと言うか。
リストラされたおっさんが家族に言い出せずに公園のブランコでぶらぶらとしている、ドラマなんかでよく見かれるあのシーン……今の俺ならよく分かる。
──こんな情けないこと、言い出せるはずもない。
俺が公園のおっさんっぽいストレス性の胃の痛みに耐えている表情を、どう見たのだろうか?
正面で一人喚いている成金デブが厭らしい笑みを浮かべながら声を張り上げていた。
「しかし、貴様も愚かだなぁっ!
機甲鎧を二機も屠る力を持ちながら、あんな一山幾らの売女のために命を落とすとはっ!」
どうやら俺がこのデブに狙われているのは、テテの家を襲ったあのロボットを叩き壊した所為らしい。
つまり、テテが借金をしているのは……このデブからってことになる。
まぁ、この街を牛耳っている顔役だから、そういうこともあるのだろう。
──テテのヤツっ!
ただ、それを俺に向けて言わなかったのは、この状況になるのを読んだ上で俺を鉄砲玉としようとする謀略故か?
俺はあの威勢のいい年上の女性の顔を思い浮かべ……すぐに首を横に振りその嫌疑を振り払う。
……彼女のことだ。
恐らく、何も考えてなかったに違いない。
「しかし、そんなにあの女の具合は良かったか?
命を粗末にするほどなら、まぁ、本望だろう?
ま、あの女の借金なんぞ、この指輪一つにも満たない額でしかないんで……御愁傷様としか言いようがないなぁっ!」
よほど俺を見下ろすその状況が楽しいのだろう。
厭らしい笑みを満面に浮かべた成金デブは俺に見せつけるかのようにその太った指を見せつけてきた。
五指全てに指輪がはまっていて、コイツが言っているのがどの指輪かは分からないが、まぁ、それだけの資産家ってことなのだろう。
俺が稼がなきゃならない額が幾らかは分からないが……少なくともテテの全借金よりは少なくて済むのだろう。
そして、テテの全借金あの指輪一つで済む。
──つまり、あの指輪があれば……
おしゃべりが過ぎた所為で俺の頭脳に天啓が下りてきたことに気付かなかったらしい。
デブはまだまだ言葉を続けていた。
「儂がこの手を下せば、貴様は矢に身体中を射抜かれて息絶えるんだ。
ええ? 恐ろしいかぁ?
だが、もう詫びを入れても遅いぞ?
儂は、儂の財産を狙う輩は鼠一匹たりとも容赦はしないのでな」
デブが話を続けている間に、俺は周囲へと視線を向けていた。
弓兵が二十数人……手が届く場所にはいない。
弩が二つ……これも手は届かないだろう。
正面には何やら悦に入って語っているデブが一匹。
ただ、その周囲を五人ほどの男たちが槍やら剣やらを手に持っていて、恐らくは護衛なのだろう。
俺の近くには男女の裸体を彫った、土台を入れれば等身大を上回るほどの彫刻が一つずつある。
──さて。
いい加減デブの叫びを聞き飽きた俺は、自分に向けられている弓矢も弩も意に介すことなく、平然と彫刻へと歩み寄る。
「だから、貴様は……え?」
俺の無雑作な動きに反応出来なかったらしい。
デブは目を丸くして俺の動きを見守っていた。
「……よ、っと」
その六十個もの瞳が見守る中、俺は右手にあった女性の裸像を握り、持ち上げる。
何故女性の像を選んだかと言うと、野郎の裸体なんぞ彫刻でも触りたくなかったからだたが……
「……おいおい」
「うそ、だろう?」
恐らくは人間の膂力では持ち上げることも叶わないだろう、その石で出来た彫刻をあっさりと持ち上げた俺の姿に、周囲が戸惑いの声を上げる。
そのまま、俺はその女体像を掴むと、そのまま大きく振りかぶり……
「ほい、とっ!」
軽々と、ソレを放り投げる。
ズドォッという感じの、凄まじい轟音が吹き抜けの玄関に鳴り響いたかと思うと……
左側の吹き抜けが弩や弓兵どころか……壁ごと『消滅』していた。
大穴の周囲には血やら臓物やら指やら頭蓋やら、人間の残骸っぽいものが散らばっていたから……まぁ、消滅した訳じゃなく、凄まじい勢いで衝突した結果、肉片と化したのだろう。
──あれ?
放物線を描く軌道で『左側一階』を狙った筈の俺は、その光景に首を傾げていた。
何故かは知らないが、彫刻は力加減を間違えた俺の手を見事にすっぽ抜け、ちょっとだけ上の方へと直線で突き刺さっていたのだ。
……まぁ、結果オーライではあるが、何となく釈然としない。
「ば、化け物、ばけものだぁあああああああああっ?」
「ひ、ひぃいいいいいいいいいいいいいいっ?」
その一投で成金デブの手下たちはあっさりと持ち場を離れて逃げ出し始めた。
恐らくは金で雇われた兵隊で、それこそ命を賭けてまでこんな豚を守る筋合いはなかったのだろう。
……中には踏みとどまり矢を飛ばしてくるヤツもいたが、生憎とそんな棒切れ、俺には何の痛痒にも感じない。
そのまま階段をゆっくりと登り、腰を抜かしている成金デブのところへと歩み寄る。
「……き、貴様、な、何者だ?」
小便臭いそのデブを見下ろした俺は……すぐに豚そのものからは興味を無くすと、視線を目的の品であるその指輪へと移し、ため息を吐く。
はっきり言って、こんな醜い肉の塊なんぞ触りたいとも思わないんだが……どうやら触らない訳にもいかないらしい。
「ったく、面倒くさい」
成金デブの声を無視したまま、俺はそう吐き捨てると、その右手首を掴むと引っ張り上げる。
何故か軽く持ち上げただけだと言うのに、握った時に妙な手応えがあった。
「ひ、ひぃぃぃいいいいいいぁあああああああっ?」
……ちょっと力を込めただけで、手首がへし折れたらしい。
悲鳴を上げて暴れるデブを無視したまま、俺はその太く醜い指を、いや、その指に嵌っている指輪を見つめる。
──どれが一番高いんだ、こりゃ?
宝石や指輪の価値なんてよく分からない俺は、その五指全てに嵌っている指輪を前に一瞬だけ悩む。
だけど悩んだのはほんの一瞬で……すぐに「そんなこと」なんてどうでも良いと気付く。
「……全部持って行きゃいいか」
後は簡単だった。
そのデブの指を掴むと……
「ひぃぎゃあああああああああああああああああああああああっ?」
……指輪ごと、引き千切る。
悲鳴が上がるが、知ったことではない。
──まずは小指から。
ゴキッという砕けた音の後、軟骨の抵抗が消え、それからぶちぶちぶちと皮膚が引き千切れる感触と共に、指輪と指は俺の手の中に転がっていた。
直後、指がちぎれた場所からは脂っこいような血が噴き出してくる。
──あ~あ、汚ねぇなぁ。
血まみれなのが今一つ気に入らない上に、ちょっと力を入れ過ぎた所為か、指輪が見事に歪んでしまっているが……まぁ、宝石は壊れていない。
……許容範囲だろう。
俺は手の中にあるデブの小指を捨てると、その指輪を手のひらの中で転がすと、次の指へと取り掛かる。
「……あ、ぁ、ぁ、ぁっ、ぁっ」
五本全ての指を引き千切った頃には、そろそろ悲鳴も上がらなくなってきたらしい。
間違いなく五つ……これならば試験を受ける費用くらいにはなるだろう。
──これで、もう用はないな。
手の中にある血まみれの指輪を胸ポケットに放り込みつつ、俺は踵を返そうとした。
その時だった。
「ひ、ひぃ、ひぃ、ひぃぃっ?」
何やら足元でデブが蠢いていた。
引き千切られた右手を必死に抑え、声にならない悲鳴を上げっぱなしの成金デブは……流石に哀れに思えてきた。
何しろ、よくよく考えてみれば、別に俺はコイツに恨みなんてないのだ。
高利貸しでリリを狙った外道とは言え、まぁ、借金したテテが悪いのも事実だし。
──それに、俺がやったのってただの押し込み強盗なんだよなぁ。
前の世界の戦争や虐殺のような現実離れした行動と違い、借金取りの家に強盗に入るなんて妙に『実感がある』分、俺は気後れしてしまう。
正義の味方を気取る気はないけれど、こういうのは気分である。
……だから、だろう。
「ほら、これ、テテの借金分だ。
……返すぞ?」
気が付けば俺はそんな台詞と共にその指輪の一つをデブの前に置いていた。
ちょっとした仏心、と言うヤツだろう。
だと言うのに……
「き、貴様っ!
こんな真似をして置いて、ただで済むと思っているのかっ!」
このデブは何を勘違いしたのか、立ち去ろうとする俺の背中に向けて、そんな捨て台詞を吐きやがったのだ。
「お、覚えてやがれっ!
儂は、必ず、復讐してやるっ!
貴様をけしかけたクソ売女も、貴様も、あのガキどももっ!」
「……はぁ」
背後から聞こえてきたその下劣な声に、俺はため息を吐いていた。
……面倒な手間が一つ増えた所為だ。
仕方なく俺は振り返る。
「一匹残らず、身体中を切り刻んで生まれたことを後悔……」
威勢よく叫んでいたデブは、俺の冷え切った視線を見た途端に口を噤んでいた。
「どうして、潰すと汚いから放っておいたのに、要らん手間増やさせるかなぁ」
「……き、汚いから、だと?」
俺の呟きに、デブは絶句していた。
恐らくは、ちょっと仏心を出した所為で、俺の本性を見誤ってしまったのだろう。
正義を騙り、後先を考えず情を優先して命だけは助けるような、物語の中で活躍するような出来損ないのヒーロー擬きと。
──悪いが、俺は破壊と殺戮の神ンディアナガルの化身なんだ。
この手にかけた人間だけで数百数千……世界一つ分なのだ。
……今さら、一匹増えたところで、気にもならない。
「……い、いや、今のは、その、口が滑った、というか、その」
ゆっくりと歩み寄る俺の姿に、デブが必死に命乞いを始めるが……
……もう遅い。
「で、ですから、その、儂は……げぴっ」
直接触るのも躊躇われた俺は、近くにあった男の彫像を掴むと、そのまま横薙ぎに振るっていた。
グチャという鈍い音と共に、あっさりと成金豚の上半身は潰れたらしく、残された下半身が痙攣しながら転がる。
ついでにちょっと力を入れ過ぎた所為か、彫像を握り潰してしまったが……まぁ、こんな男の彫像なんざどうでも良いだろう。
美術的価値なんて、俺に分かる訳もない。
ただ……
「畜生、また汚れやがった」
……叩き潰した時に飛び散ったのだろう。
服に飛んで来た血と肉塊と忌々しげに払いながら、俺はそう呟いていた。
しかし……
──何か変だな?
さっき潰したその元デブの肉塊を見つめ、俺は首を傾げる。
頭蓋をへし折るくらいのつもりでぶん殴ったつもりだったが……腹が減っている所為か、それとも咽喉が渇いている所為か、どうも力加減が上手くいかないらしい。
まさか上半身が潰れてミンチになるほど力が入ってしまうとは……
「……注意しないとなぁ」
俺はあの子供だらけで騒がしいテテの家を思い浮かべると、思わずそう呟いていた。
下手に潰す訳にもいかず……どうも俺は、子供という存在が苦手らしい。
また髪の毛を引っ張られたり頬を抓られたりするかと思うと、どうも足取りが重くなる。
それでも俺は胸ポケットの指輪の存在を確認すると、自分で作り出した惨状に背を向け、砂だらけの帰り道を歩き始めたのだった。