第二章 第一話
ドラマがエピローグを迎えても現実の世界が続くように、戦闘に勝利してもゲームのようにただフィールド画面に戻るだけじゃない。
そんな取り留めのないことを、俺は考え続けていた。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ」
と言うよりも、そんなことを考えて思考を逸らさなければ、もう一歩たりとも歩けなかったというべきか。
事実、俺は……戦斧を杖にして何とか身体を前に運んでいるだけ、という有様だった。
「……く、くそ」
……ああ、そうだ。
──人を殺した。
──衝動の赴くままに暴れまくった。
正直、殺すまで顔も知らなかった相手だし、こちらを殺そうと武器を持っていた連中だし、そもそも此処は現実感の欠片もない異世界だ。
罪悪感や嫌悪感なんざ欠片もなかった。
──むしろ愉しかったと言っても良い。
……だけど。
身体をそう鍛えてもない俺が、全身を使って走り回り一時間近く暴れ回ったのだ。
「ああ、くそっ。
うっとう、しいっ!」
全身が鉛を流し込まれたかのように重く、足は塩の砂に取られ、前へ一歩踏み出すだけで重労働。
肺は焼けつくように熱く息をするだけで咽喉は張り付くような痛みを訴える始末。
わき腹は腸がねじ切れたように痛み、手足どころか肩や腰、背中までも筋肉が断絶したかのように痛む。
汗に濡れた身体はまだ焼け付くように熱く、髪や手足は返り血が固まって気持ち悪い。
更に上空から降り注ぐ太陽光が、俺の漆黒の鎧と髪を容赦なく熱してくるのだ。
これがゲームか何かだったら、戦いは終わったと表示され、次のシナリオに進むところだろうけれど。
(……現実は、そんなに甘くないって訳、だな)
戦いが終わっても……歩いて帰らなければならないのだ。
俺は必死に血まみれの戦斧を杖にしながら、何とか集落の方へと足を運んでいた。
「破壊神……どの」
「……な、んだ?」
「い、いや」
バベルが俺に何かを語りかけようとするものの、疲労と苦痛でいっぱいいっぱいだった俺は返事するのも億劫だと、視線だけで返事を返す。
……それが分かったのだろう。
俺が喚ばれたばかりの頃とは打って変わって、巨漢は妙に殊勝な態度で言葉を飲み込んでくれた。
百名余りの満身創痍の兵士たちは、誰一人として俺を気遣うでも話しかけるでもなく、ただ俺の後ろを歩いてついてくる。
……勝利の余韻に浸る愉しそうな様子もなければ、一言の私語すら口にすることもなく。
そうして遅々とした足取りながらも必死に前へ前へと歩いている内に、俺たちは何とか集落に辿りつく。
正直、生き延びられるのが不思議だったほど絶望的な戦いだったのだ。
こうして帰ってこられたのが、奇跡なほどの。
──だけど。
(……静か、だなぁ)
誰も歓喜の声を挙げない。
歓声で応えない。
生のあることを喜ばない。
ただ一番前で俺が身体を引きずるように歩くのを、手を合わせ頭を垂れて見つめているだけだった。
そんな、集団の中を、ただただ歩く。
「すげぇっ!
流石は神様だっ!」
「本当に強いんだよな、アレっ!」
いや、子供だけは大人たちのそんな信仰心や畏れなどはあまり関係ないらしい。
手に棒切れを握ったボロボロの服を着た少年たちが、笑顔で何かを叫びながら俺を遠巻きに眺めながら、人ごみの中で騒いでいるのが目についた。
「……へっ」
俺はボロボロで体力ももう限界、指先一つ動かすのも億劫だったが……それでも自分より幼い子供に対しては見栄を張ってやろうと渾身の力を振り絞り、必死に笑みを浮かべる。
血まみれの顔で、血まみれの左腕を何とか胸の高さまで上げ、親指を上へと突き出して。
「わ、今っ?」
「馬鹿っ! 頭を下げなさいっ!」
俺の合図に嬉しそうな声を上げた彼らだったが、すぐに近くの大人たちに押し倒され、人ごみの中に引きずり込まれていってしまう。
──まぁ、どうでも良いか。
疲労がもう限界だった俺は、子供への興味を早々に無くすと、こちらへ頭を下げ続ける人ごみを抜け、ボロボロのテント群を抜ける。
それでもまっすぐに足を運び続けた俺は、ようやく自分の喚び出された、遠くから見ると廃墟のような、ボロボロの神殿へとたどり着く。
直後に俺が見えなくなったことでタガが外れたのか、それとも今頃ようやく生の実感が湧いたのか……後ろの方から歓声が上がり始めていた。
「お疲れ様でした。我が主よ」
神殿へ着いたところで俺を待っていたのは、山羊頭の黒マント……チェルダーだった。
「殺戮は如何でしたか?
寝る前に必要と思いまして、伽の女性を……」
「……黙れ」
黒衣の神官が何かを語ろうとしていたが、疲労困憊で口を聞くのも億劫だった俺は、鋭く一言だけで遮る。
「あの、お気に召しませんでしたか?」
「いいから、黙れ。
俺を、寝かせろ」
顔を上げてみれば、チェルダーの背後には女性らしき人影が五名ほど。
正直な話、俺ももてない男子高校生だった訳で、そういうことに興味がないなんてことは欠片も言えない。
──だけど、今はそれどころじゃない。
年上に敬語を使う余裕もないほどに、疲れ切っていたのだから。
「ですが……」
「黙れって言ってるだろうがっ!」
まだ言葉を続けようとするチェルダーをいい加減に鬱陶しく感じた俺は、衝動の赴くままに近くの柱を殴りつけて黙らせる。
流石にこの魔法の鎧は凄まじく、俺如きの拳を叩き付けただけで、あっさりと大理石か何かで出来ているだろう、石造りの柱が砕け散っていた。
「……は、ははぁっ。
寝床は一番奥に用意させて頂いております」
『腕力』と『怒声』による説得は非常に優秀だった。
あれだけ言葉を重ねてもさっぱり会話が通用しない、人の言葉を聞こうともしないチェルダーが、あっさりと語る口を放棄し、土下座して恭順の意を示したのだから。
だけど。
……今の俺には、そんな山羊頭に構ってやる体力も余力もありはしなかった。
ただ彼の示した先にある部屋のドアらしき毛皮を引き千切り、部屋の奥にあるベッドらしき粗末な皮と毛皮の塊まで必死に身体を運ぶと。
「……つか、れたぁ」
ただ一言そう呟いて、戦斧を手放し、身体を重力に任せてベッドに倒れ込む。
──その直後。
顔や手足にこびりついた返り血や、全身にまとわりつくような汗の感触。
肌触りの悪いゴワゴワした毛皮の寝床の肌触りと、その凄まじい獣臭。
どうお世辞を並べても着心地が良いとは言い難いラメラーアーマーの鬱陶しい感触。
全身の筋肉の痛みなど。
普段だったら一つだけでも気になって到底眠れそうにないそれらの悪条件を何一つ気にすることもなく。
……俺は疲労という最高の睡眠薬に抗することも出来ないまま、意識を闇の中に手放していたのだった。