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【完結済】ンディアナガル殲記  作者: 馬頭鬼
弐 第二章 ~棄てられし聖女~
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弐・第二章 第三話

 ……その日の晩は地獄だった。

 下手に理想を求め、そして恰好をつけてしまったが間違いだったのだろう。

 俺の寝ている隣には、半裸にも等しい恰好でテテが寝転んでいる。

 その隣には未だに目を覚まさないままのリリが寝息を立てている。

 しかも俺たちが寝ているのは、狭くはないが三人で寝るにはちょっと狭い、そんなベッドの上である。

 テテの柔らかな身体、温もり、吐息、香りなど……彼女の存在の何もかもが俺に女性を意識させてしまう。

 リリもリリで、少女独特の高い体温と、テテには及ばないものの男とは明らかに違う柔らかさのその身体が、どうにも落ち着かない。

 俺はそっちの趣味はないつもりだが……さっきテテが「俺の愛人にして」とか言っていた所為か、妙に意識してしまうのだ。


 ──生き地獄、だ。


 理性と欲望の狭間で、俺は歯を食いしばっていた。

 眠気はない……と言うか、目が冴えて眠れそうにない。

 かと言って前言を撤回してテテに襲い掛かるのも格好が悪いし、やっぱり俺は理想の相手とそういうことをしたいのだ。

 その上……

 

 ──くそ、腹、減ったな。


 今更ながらに俺は、さっき食事を取らなかったことを後悔していた。

 あんなに不味い餌に等しいモノだったとは言え、よくよく考えてみればこちらに飛ばされてから丸一日以上、俺は何も食べていなかったのだ。

 

 ──喰えばよかった、な。


 そう俺は後悔するものの……今さら遅い。

 恰好をつけたのも事実だし、あのヤバそうな臭気を放つ食事なんて、口に入れた途端に腹痛を起こしそうなほどの代物だったにしろ……

 慣れれば、いずれはマシになるものだとは思うが……。


「……事実、あの塩まみれの食事にも慣れたからなぁ」


 俺は天井を仰ぎつつ呟く。

 あの塩に埋もれていく世界の中で、チェルダーという名の山羊頭の召喚主が出してきた食事には何から何まで閉口させられた記憶しかない。

 それでも背に腹は代えられず、あの塩の塊を口に運んで飢えを凌ぎ……何とか生き延びたものだ。

 ……ま、その食材がアレだったけどな。

 俺は隣で眠るリリという名の少女の身体を意識すると、少女を起こさないように意識しつつも、肩を軽く竦める。

 幸いにしてチェルダーが持っていたらしき『破壊と殺戮の神』のイメージとは異なり、俺は少女を見ても別段食欲が湧くこともないようである。

 ……本当に、幸いである。

 もし少年少女しか食べられない身体になっていたならば……と、考えた俺だったが。


 ──んな訳もない、か。


 思い返してみれば、日本に戻ったその直後、ラーメン、チャーハン、餃子、麻婆丼、焼肉、寿司、ハンバーガー、カレー、牛丼、かつ丼、親子丼などを一食で小遣いの限り食べた記憶がある。

 つまり、俺は常人とは別にそう変わっていないということだ。

 と、そう考えた所為だろう。

 グーと俺のお腹が見事に鳴り響いていた。


 ──こっちへ来るときに、何か持ってくりゃ良かったかなぁ。


 今更ながらにそう後悔するが……もう遅い。

 あの時の俺は、飢えよりも渇きよりも、何よりもまず「あの世界をやり直す」ことばかりを考えていたのだ。

 ……例えもう一度あの時をやり直せたとしても……俺は、いつ消えるか保証のない魔方陣を放っておいて、何か食料を買い集めるなんて真似、出来やしなかっただろう。

 それに……


 ──小遣いも、もうなかったし。


 破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能を持った俺だとしても、資本主義の流れには逆らえないのだ。

 たった一日で持っていた小遣いを全て使い尽くした俺は、それからの数日間、喰いたいものも食えず、人並みの食事で我慢するしかなかった。

 哀しいかな、人を殺すことに長けた破壊と殺戮の神であっても、金を生み出すことなんて出来やしない。


 ──そう言えば。


 と、そこまで考えたところで、ふと俺は自分の大言壮語を思い出していた。

 あの時は、そういう流れ、言わば勢いの結果とは言え、俺は間違いなく「自分で試験費を稼ぐ」と口走ってしまったのだ。

 

 ──やべぇ、どうしよう?


 はっきり言おう。

 俺は、働いた記憶がない。

 ……アルバイトすらもした覚えがない。

 両親の仕事を手伝って、皿洗いや肩叩きで百円くらいの小遣いを貰ったのも今は昔の物語である。

 そんな俺がどうやって試験費……テテがかなり必死に稼いだらしきお金を稼げると言うのだろう?


 ──地道にあの蟲を退治するか、それとも犯罪者を捕まえるくらい、か?


 結局。

 俺の頭脳はそんな、腕力に頼る方法を思いついていた。

 と言うより、そういう方法『しか』思いつかなかったのが正しい。

 実際、俺の取り得と言えば、あの『機甲鎧』とやらの一撃を喰らってもビクともしないタフネスと、人間をあっさりと肉塊へと変えるこの腕力くらいである。

 ……その辺りをアピールすれば、誰か雇ってくれるに違いないだろう。


 ──まぁ、その辺りを明日テテに聞くにしても……


 俺はふと隣で眠ったままのテテに視線を移し……


 ──っ!


 慌てて、逸らす。

 俺よりわずかに年上くらいの、テテという女性は……どうやら寝相が非常に悪いらしく、ただでさえ半裸に等しい姿だった彼女は、今や全裸に等しい姿になっていたのだ。

 はっきり言って……目の毒、である。

 俺の初体験を、どこかの素晴らしい処女で俺に惚れているお姫様みたいな女の子と綺麗に終わらせると決めた以上……テテの色香に惑わされる訳にはいかないのだ。

 だからこそ、俺は歯を食いしばって彼女のあられもない姿から必死に目を逸らしていた。


 そして。

 その苦行は……見事に朝まで続いてしまったのだった。




 だからこそ、翌朝。

 俺は酷く調子の悪い目覚めを迎えていた。


「……眠ぃ」

 

 一応、夜明け過ぎに性欲を眠気が凌駕したらしく、少しだけ眠りはしたが……はっきり言って、まともに寝ていないのに等しいのだ。

 ……調子なんて出る筈もない。


「何だい、ガル。

 慣れない枕が苦手な人かい?

 ……意外とだらしないねぇ」


 その元凶であるテテは、今日も相変わらず肌の露出の多い服を着ていて……

 その上、俺の気も知らないで肩を竦めながらそんなことぼやく。

 あまりの眠気に反論する気力もなかった俺は、ただ肩を軽く竦めるだけだった。

 と、テテはそんな俺をジッと見つめたかと思うと……


「そうそう。

 客人を使って悪いけど、水を汲んで来てくれないか?」


 突然、そんなことを言い出したのだ。

 眠気を理由に断ろうとも思ったが、まぁ、人の数倍の重さがある巨大な岩を軽々と持ち上げられるのが俺の両腕である。

 常人にとっては拷問にも等しい苦行でも、ンディアナガルの権能を持った俺にとっては大した手間にもならないだろう。


 ──眠気覚ましには、丁度良いかもな。


 そう思った俺は、軽く頷いて返す。

 その返事を待ち望んでいたのだろう。

 何故かテテは酷く厭らしい笑みを浮かべたかと思うと……


「リリっ!

 今日の水汲みはあんたの当番だっただろ?

 客人と一緒に汲んできなっ!」

 

 そう大きな声で叫ぶ。

 その声に目を白黒させているのは当のリリという少女である。

 いつの間に目覚めたのか、朝起きたらベッドからいなくなっていたその少女は、変な杖を突いてようやく歩いている有様なのだ。

 水汲みのような力仕事なんて、出来る筈がないだろう。


 ──つまり……


 どうやら、テテは……気を利かせてくれた、らしい。

 俺とリリという少女が上手くいくように……リリが俺に対する抵抗を無くすのと同時に、俺が少女に情を移すことで愛人として囲う決断を促すために。

 はっきり言って、余計なお世話以外の何物でもなかった。


「……てめぇ」


 テテの策略に気付いた俺は、アホな企みを取り止めさせるように、その元凶に殺気混じりの視線をぶつけていた。

 ……だけど。


「まさか……今さら、断らないよねぇ?」


 塩の砂漠の戦士たちでも脅えていた俺の眼光にも、テテという名の娼婦は全く脅えることもなく、ただそんな厭らしい笑みを返してきたのだった。




「くそ、ハメられた、畜生」


 水汲み用らしき子供が入れそうなツボを担ぎ、巨島のある方角……ただの絶壁にしか見えない岩盤の方へと歩きながら、俺はそうぼやいていた。

 とは言え、別に俺は歩くのが苦痛でも、その壺が重い訳でもない。

 ただ、何となく……誰かの思惑によって『動かされている』のが気に入らないのだ。

 だからと言ってここまで来てもう引き返す訳にも、今さら水汲みを放り出す訳にもいかない。

 それが分かっているからこそ、俺はただぼやくことで憂さ晴らしをしていたのである。


「……済みません」


 そんな俺の愚痴に律儀にも言葉を返してくるのはリリという名の少女である。

 突如失った片足にまだ慣れてないのか、松葉杖に苦労しながら俺の歩みについてきている。

 昨日は全く出せなかった声も、一晩眠ったことで何とかある程度は回復したらしい。

 ……それでも、未だに少女とは思えないだみ声しか出せないらしく、声を出すのを躊躇っているようにも見える。


「……テテは、その、調子に乗る、悪い癖が……」


「あ~、確かにな」


 リリの声を適当に聞き流しながら、俺は歩く。

 事実、別に俺はロリコン癖がある訳じゃなく……テテの勘違いから『愛人候補』なんぞにされているリリと、下手に距離を縮めるのもどうかと考えていた。

 そんな意図は知らずとも、俺がさっきから会話を聞き流して適当な返事を返しているのに気付いたのか、リリは黙り込んでしまい……会話が途切れてしまう。

 その所為か、俺とリリの三本の足と、彼女が不器用に使う二本の杖が砂を踏みしめる音がやたらと耳についていた。

 静まり返ってしまったのを気にしてか、リリという少女の顔が困ったように歪むのを傍目に見ながらも、俺は何も言わなかった。

 

 ──と言うか、何を言えば良いんだ?


 小学生高学年くらいの少女なんて、どう接して良いかすら分からないのだ。

 だからこそ俺は、彼女が泣きそうな顔をして会話を探しているのに気付きつつも、ただ置いて行かない程度の速度を維持するだけで精一杯だった。

 そうしてしばらく歩いた頃、だろうか。


「……あ、ここ、です」


 リリが告げた場所に、その『滝』はあった。

 大量の水が、上の巨島から……その島の岸壁の中腹、俺と身長より少し高いところ辺りから落ちて来ているらしい。


 ──やっと、終わりか。


 面倒な時間がようやく終わったことに俺は安堵しつつ、担いでいた壺をその滝の中へと突き出す。

 上からの水が壺の中にドンドン入っているのが分かるが……重くなっているという実感すら湧かない。

 ンディアナガルの権能は、一体どれくらいの腕力を俺にもたらしているのだろう?

 そう俺が考えた、その時だった。


「……あ、だめ、です、それじゃ」


 リリがそう言った理由は、壺の中に水を入れ終えた時に気が付いた。

 と言うか、彼女が俺にダメ出しをすることを躊躇っていた所為でもう手遅れだったと言うべきか……


 ──臭ぇっ!


 壺の中の水の匂いを嗅いだ俺は、こみ上げてくる吐き気を必死に堪えるだけで精一杯だった。

 何しろ……その水の匂いはどぶ川の匂いだったのだ。

 ……いや、ちょっと違う。

 どぶ川の水に饐えた便所の匂いを混ぜ、腐葉土の匂いで割ったような感じが正解か。

 兎に角、吐き気を催すその匂いに、俺は思わず壺の中の水をまき散らしていた。

 周囲をよくよく見てみると……岩のあちこちにネズミの死骸や腐った野菜くず、あまり考えたくもない茶色の固形物などが浮かんでいる。


 ──つまり、この水は……


 ……下水、なのか。

 身体に近づけなければ分からなかったのは、昨日蟲の体液を浴びた所為で、この手の匂いに対する耐性がついてしまったから、だろうか?

 少なくとも鼻そのものが馬鹿になった訳ではないし……どうも悪臭が「意識から勝手に外れていた」ように思える。

 それが人体特有の防御機能なのか、悪臭を毒物と判断してしまったンディアナガルの権能によるものなのかはよく分からなかったが……


「……えっと、これを、こうして……」


 そうして俺が自分の鼻についての考察を続けている間にも、リリは壺の中を辺りに落ちている砂で一度洗った後、懐から出した妙な布を重ね、その中に砂を載せている。

 彼女はそれを壺の上に載せて……


「……これで、大丈夫です」


 そう、告げた。

 リリがやって見せたその意味不明の作業の意味は、壺に水を流し込み始めると……すぐに理解出来た。


 ──濾過している、のか?


 勿論、砂と布とを交互に通すだけの、酷く簡易で粗末な代物ではある。

 それでも濾過機としての効果はあるらしく、あまり正体を知りたくないような茶色のゴミや緑色のヘドロみたいなものが、布の表面にドンドンと溜まっていく。

 ……それでもこんな水、使いたいとは思えない。

 だけど、この砂漠の世界では……他に水なんてないのだろう。

 

 ──この……島から落ちてくる汚水以外には。

 

 と、そこまで考えた時、俺は気が付いた。

 ……気が付いてしまった。

 

 ──昨日飲んだ水、やけに生臭かったっけ。


 つまり、それは……


「……これ、まだ、食べられそう、かな?」


 俺がその事実に震えている間にも、リリは下水で身体が濡れることも厭わず、足元に落ちていた野菜くずや鼠の死骸を手に取っている。

 その光景を見て、俺はようやく気付いていた。

 昨日、食べた野菜と肉が、腐ったように酸っぱかった事実を。

 そして……昨日、テテが「この地獄から抜け出る」と語っていた意味を。


 ──当たり前だ。


 ……こんな綺麗な水もないような、まっとうな食べ物すら手に入らないような地獄、抜け出たいと思うのは当然だろう。

 そんな地獄の中でも、子供たちは……目の前で屍肉を拾っているリリも、これが常識だと思っているらしい。

 だからこそ、変だとか嫌だとか思う余地すらないに違いない。


 ──冗談じゃないぞ?


 こんな生活が常識になりたくない俺は、思わず内心でそう叫んでいた。

 とは言え、あと二日間……機師になる試験とやらに受かったとしても、あと二日間はこの生活を続けなければならない。

 水がなければ人は死ぬし、どんな不味い飯だろうと喰わなければ人は飢えるのだ。

 その事実に、俺は歯を食いしばり……


「畜生がっ!」


 大きくそう吐き捨てると、その臭くて飲用には敵いそうにない汚水を汲む作業を再開したのだった。


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