弐・第二章 第一話
「さぁ、やっと出来た。
そろそろ食事にしよっか」
テテという名の、俺よりも若干年上だろう女性の声に、床に座った俺は落ち着かない気持ちで頷きを返す。
……そう。
借金取りを追い払った俺は、そのままテテという女性の家に逗留することになっていた。
まぁ、「力を貸してほしい」という言葉に頷いてしまった以上、こんな成り行きになるのは仕方ないのだろうけれど。
──まぁ、行く場所なかったのは事実だからな。
こちらの世界に来てまだ二日目の俺は、お金がないどころか『通貨が何か』すら理解していない。
前の世界では酷い目に遭った経験から……雨風凌げる寝床と食事と水が手に入るならば、そう贅沢を言うつもりはなかった。
……だから、そのことには納得した、つもりである。
だけど、俺はどうにも落ち着かないのだ。
俺が落ち着けない理由は二つある。
一つは……
「わぁ、ごうかだごうか」
「おきゃくさんのおかげね」
……さっきから子供が周囲で騒がしいことである。
この家にいる二十名ほどの……数えてみたら十六名の子供は、年長の子でも十やそこら程度で、暴れたい盛りらしくさっきから家の中を走り回っている。
しかも俺という存在を恐れないのか、さっきから袖を握ってきたり髪の毛を引っ張ったり……無茶苦茶だった。
それでも奥の部屋で寝ているリリのところへは雪崩れ込まないのを見ると、一応の統率は取れているらしい。
と言うか、さっきから耳やら髪の毛やらを引っ張られて……居心地が悪いことこの上ない。
──けど振り払うのもなぁ。
大の大人であっても、俺がちょっと小突いただけで脳漿を飛び散らして潰れるし、ちょいと握るだけで顔の皮を引き千切ることになる。
そんな自分の膂力を自覚しているからこそ、俺は子供たちを振りほどけない。
「ふふっ」
そして、落ち着かない理由の二つ目が……テテという名の女性の存在である。
彼女自身、大人の女性という雰囲気があり……その上、胸は大き目だし露出も多く、どうにも苦手なタイプである。
そんな彼女が色々と食事らしき皿を大きなテーブルに乗せつつも、何故かさっきから俺に向けて、親しみを込めた視線を向けてくるのだ。
と言うか、さっきからちらちらと短い裾から太股が見えているし、大きく開いた胸元の所為で、俯くたびに谷間が目に入ってしまい、落ち着かないことこの上ない。
──子供の教育に悪いぞ、これ。
とは言え、周囲の子供たちはそれを気にしている様子もない。
俺自身も母親が薄着をしていても気にならないように、子供たちにとってもテテという女性の姿はそう気にするものでもないのだろう。
事実、子供たちは年長の子でも十に届くか届かないかという年齢だし、色香とかはまだ縁遠いのかもしれない。
……しかし。
──さっきから色々と見え過ぎるっ!
太股や下着や胸元など……気にしないようにしようと心がけていても、つい俺の視線はテテのあちこちを追いかけてしまう。
彼女自身がこういう風に異性の視線を気にしないタイプなのか、それとも自分の家だから気を抜いているのか。
見てはいけない、見てはいけないと思いつつ、そして子供たちの視線を感じつつも……俺の視線はついそちらの方へと向いてしまう。
そうして落ち着かない時間を過ごしている内に食事が出来たらしい。
「さ、出来た。
あんたたち、ほら、席に着く!」
テテがそう言いながら金属製の大皿をテーブルへと運んでくる。
出された料理は……何と言うか、野菜炒めに近い『何か』だった。
肉は何の肉か分からないし、野菜も何という種類かすら分からない。
分かることと言えば、この料理には火が通っていることだけだった。
……まぁ、こうして出される以上、食べられる品、なのだろう。
テテが大皿から小皿に取り分けているのを見て、俺は軽く肩を竦める。
──ま、あの世界みたいなことはないだろう。
何もかもが塩辛かった前の世界を思い出し、俺は少しだけ笑みを浮かべてしまう。
俺が昔を思い出していると……テテが俺の前に皿を置いた。
野菜炒めが小皿からはみ出るほど山に盛られている。
──幾らなんでも盛り過ぎじゃないのか?
驚いた俺はテテへと視線を向けるが、彼女はただ笑みを返しただけで……どうやら奮発してくれているらしい。
「さ、どうぞ」
そう言ったまま動かないのを見ると……どうやら俺が食べないと周囲の子供たちは食べられないらしい。
この世界のマナーか、それともこの家のマナーかは分からなかったが……
あまり子供たちを待たせるのも酷、だろう。
「じゃ、頂きます」
俺はいつもの習慣でそう告げると、一緒に出された鉄で出来たスプーンを手に取る。
どうやらこの世界での食事はスプーンを使う、らしい。
子供たちに見守られるまま、俺はその野菜炒めらしきものを口に運び……
──そのまま、固まった。
美味しいとか不味いとか以前に……臭くて、酸っぱい。
酸味の味付けがされているのではなく、腐ったクズ野菜を口に入れるとこうなるんじゃないだろうか?
丸一日何も食べなくても、空腹という名の最大の調味料があってもコレ、なのだ。
──正直、喰えたものじゃない、としか言いようがない。
しかし……出された料理を食べないのも失礼、だろう。
今も必死に顔が歪むのを堪えてはいるが……。
この小皿の山のように盛られた全てを食べるなんて……拷問としか言いようがない。
その上、子供たちは俺が食べ終わるのを必死に見つめているようだし……
──っ!
そこで閃いた。
俺自身が悪者にならずに、この場を上手く収める道筋を。
俺は必死に表情を保ったまま口の中の酸っぱい料理を飲み込むと……
「俺は、もう良い。
……後は、子供たちにやってくれ」
そう言って立ち上がる。
ちょっとだけ料理に未練を残しているかのように、振り返りつつも……そのまままっすぐにもう一つの部屋……リリという少女が眠っている部屋へと足を運ぶ。
……そして。
どうやら俺の決断は正解だったらしい。
背後ではあのクズ料理を争うかのように取り合う子供たちの叫びが響き始めていたのだった。




