弐・第一章 第六話
「……なん、だと?」
そのあり得ない光景に、俺はただ呆然と呟くことしか出来ない。
吹っ飛んだ右腕のあった場所からは、人の血液よりも遥かに明るい色の、真紅の液体が噴水のように噴き出している。
その液体の所為だろう。
……がら空きになった操縦席周辺に腐葉土みたいな匂いが立ち込める。
ただ今は、そんな臭気よりも……右腕が吹っ飛んだ不条理さに、俺の思考は完全に停止してしまっていた。
「~~~~っ、前ぇええええっ!」
ふと聞こえたテテの叫びに、思考停止していた俺は、反射的に顔を上げる。
すると、視界の中に巨大なランスを突き出そうとする灰色の機甲鎧が目に入った。
「───っ!
あぶ、ねぇっ!」
慌てて悲鳴を上げながらも、俺は反射的に自分の右拳を振るい……その鋼鉄の槍の先端をぶん殴る。
俺の一撃によって軌道が逸れた巨大なランスは、見事に俺の乗る機甲鎧の左脇の装甲をあっさりと貫いていた。
衝突の火花と、金属のひしゃげる凄まじい音が俺の耳を劈く。
何はともあれ……あの先の尖った凶器で貫かれる事態は避けられたらしい。
「……ちぃっ!
壊れやがったっ!」
ただ、その回避に払った代償は大きかった。
慌てて渾身の力で右拳を振るった所為だろう。
俺の右拳は右の操珠を引き千切ったばかりか、あっさりと握り潰していたのだ。
こうなった以上……もうこの機甲鎧は操れないだろう。
──だったらっ!
決断するのにそう時間はかからなかった。
今日見たばかりの機甲鎧に何の未練もなかった俺は、一切の躊躇なく操縦席から飛び出ると、ランスを突き出したままの恰好で硬直しているその機甲鎧へと飛び込み……
「喰らい、やがれぇえええええっ!」
俺は渾身の力を込めて、右拳をその胸甲へと叩きつけるっ!
「ぎゃあああああああああああああああああっ!」
……効果は絶大だった。
如何に機甲鎧が強かろうと、中に乗っているのはただの人間である。
機甲鎧用の大剣をもへし折る俺の一撃によって胸甲はあっさりとひしゃげ……その『中身』が潰れてしまったらしい。
不幸にも中の人間は即死しなかったのか、機甲鎧はその甲冑の隙間から先ほど見た真紅の液体よりもどす黒い、よく見慣れた赤い液体を垂れ流しながら、そのまま砂の上でのたうち回り始める。
「……さて、と」
砂のクッションによって怪我をすることもなく地面に降り立った俺は、ゆっくり立ち上がると……残る一体の機甲鎧へと視線を移す。
そして……既にコイツらの弱点は理解している。
俺は近くに落ちていた機甲鎧用のランスを手に取ると……
「がぁあああああああああっ!」
こちらへ向かってこようとしていた青い機甲鎧へと放り投げる。
流石にランスは重く、しかも大き過ぎてバランスが悪かった所為か、渾身の力で放り投げたというのにあまり速度が出なかった。
とは言え、借金取りの操る機甲鎧にとってはその速度で十分だったらしい。
人間大の俺がまさか機甲鎧の槍を投げるとは思ってなかったのか、完全に虚を突かれたらしき鋼鉄の騎士はろくな反応もしないまま、そのランスに胸を突き刺されて動かなくなってしまう。
上手く中身の操縦者は即死出来たのか、その青い機甲鎧は指一つ動かすことなく、その鋼鉄で出来ている筈の胸甲から赤い液体を垂れ流していた。
「……ふぅ、意外と疲れるな」
ランスを投擲した俺は、肩に鈍痛を感じそう呟く。
あんな巨大で大きな武器を投げたことで普段使わない筋肉を使ったらしく、どうやら筋を痛めてしまったらしい。
そうして、その場に残されたのは肩の調子を確かめている俺と……残された二十名ほどの、生身の借金取りだけだった。
「……化け物だ」
誰かがそうポツリと呟いたのが、引き金になった。
「逃げろぉおおおおおおおおっ!」
「殺されるぞぉおおおおおおっ!」
「助けてくれぇええええええ!」
そんな悲鳴と共に、強面で屈強そうだった借金取りたちは蜘蛛の子を散らすかのように逃げ出していた。
俺は逃げ惑うクズ共を一匹ずつ狩ろうと、へし折った剣の先端を拾い、踵を浮かせたところで……
「……ガルっ!
いやぁ、思った以上に無茶苦茶だな、あんた」
そんなテテの声が背後からかけられる。
振り向くと同時に、俺の身体は暖かな感触に包まれていた。
「でも、想像以上だ。
助けてくれて、ありがとう」
テテの声が、耳元で聞こえる。
暖かな感触は身体の前面側、だけど両肩にも柔らかな感触が。
胸には柔らかい、だけど弾力のある少し大きめの二つの感触がある。
鼻をくすぐるのは、妙に鼻を突く変な香水の香りで……
──抱きしめられた?
俺がそう理解するまでに、数十秒の時間を要していた。
何しろ俺は年齢と彼女のいない歴が同じという人間だ。
しかも姉や妹がいる訳でもなく……異性との接触には慣れていない。
だから……信じられなかったのだ。
その女性という名の柔らかな肉が、向こう側から触れてくる、なんて。
「助けてもらって、すぐこんなことを言うのも何だけど、さ」
俺に抱きついたまま、テテはそう口を開く。
俺の耳元で囁くように。
ついでに女性特有の匂いと香水の香りをまき散らしつつ。
「力を、貸してほしい。
あたしが、いや、あの子たちがこの地獄から抜け出るために……」
そのテテの言葉に……
俺は、気付けば頷いていた。
俺が頷いたのは、彼女の声には切羽詰まった響きが……まさに神に祈りを捧げるような響きがあったから、だろう。
いや、もしかしたら彼女の柔らかな感触や、暖かな体温や、その何とも言えない落ち着かない香りの所為もあったかもしれない。
兎に角、俺は彼女の言葉に頷いたのだ。
……それが、彼女の人生を大きく歪めてしまうことに、気付くこともなく。