~壱~ エピローグ
──そうして俺は爪で空間を切り裂き、元の世界へと戻ってきた。
自動車の騒音、鬱陶しい湿気、やかましい蝉の声。
殺してでも止めたいほどやかましかった人たちのざわめき。
「あ~、懐かしい、な」
アレからこちら側で何日経ったのかは分からない。
……ただ、何となく全てが懐かしく、全てが愛おしく。
何故これら全てをあんなにも疎みあんなにも壊そうと思っていたのか、今ではさっぱり分からない。
そして、あの世界では自分と重なり合っていた破壊と殺戮の神の存在が感じられないことに気付く。
もしかして……あの世界に残ったのだろうか。
──自分が滅ぼした世界と最期を共にするために。
「じゃあ、な、相棒」
俺はせめてもの手向けとして、共に戦い続けてきた戦友に深々と頭を下げると……
「……くさっ」
そして、襟元から広がった異臭にふと気付く。
自分の身体と服が、汗と返り血と臓物と砂と塩にまみれて凄まじい匂いを放っている。
いや、この感じは服が臭うだけではなく……俺自身の身体もかなり香ばしいことになっているようだった。
しかも戦いの最中に鎧を貫通した矢傷や斬撃が服に幾つも穴を開けていて、かなり前衛的なファッションと化している。
(あちらでは、風呂なんてなかったからな~)
あまりにも酷い自分の恰好に溜息を吐いた俺は家へと足を向けつつ、帰ったらまず何をすべきか考えていた。
「真っ先に風呂だ。身体を洗いたい」
「いや、飯を食うのも悪くないか?
果物とか菓子とか、塩辛くない甘いヤツ!」
「いやいや、ただ水を飲みたいな。
ああ、冷たくて、美味しいのを」
汚れまくりボロボロの格好をしてブツブツと呟きながら歩く俺は、周囲の人たちから見れば思いっきり変なヤツだったのだろう。
……行き交う人のほとんどが、俺へと変な視線を向けてくる。
だけど……そんな他人の視線すら気にならないほど、俺は風呂と食事と水への欲求を抑えきれなかった。
その時だった。
「ほら、てめぇ!
くせぇんだよっ!」
「豚が立って歩いちゃダメだろうがっ!」
路地裏でそんな声を聞いて視線を向けてみれば……顔を見たことある程度のクラスメートが、どこかの高校生らしき連中に虐められている現場だった。
──今まではそいつらの死を願うだけで、俺自身は何かをしようとは思わなかったけれど。
──今までは関係ないと断じて、そんなクラスメートをどうにかしようなんて思わなかったけれど。
(……そう、だな)
どこかの神にはまた中途半端な正義感とか、中途半端なおせっかいと言われるだろう。
だけど、あの世界では平和な方向に力を使わなかった分、こちらでは誰かの助けになるような、そんな生き方をしてみたいと思ってしまったのだ。
──例え、破壊と殺戮の神ンディアナガルの助けがなかったとしても。
「……さて、と」
俺は近くに建てられていたカーブミラーをコンクリートの基礎ごと軽々と引っこ抜くと、それを手に持って路地裏へと顔を向ける。
……そう出来てしまうことに何の違和感を覚えることもなく。
──眠りについた神が、俺自身には探知できないほど深い位置で未だに俺と重なり合っているなんて知る由もなしに。
俺は足を前へと踏み出したのだった。
……今度は誰かを助けられることを望みながら。