第六章 第三話
「……っ!」
「……!」
闇の中から俺の意識を引っ張り上げたのは、遠くで聞こえる物音だった。
悲鳴と物が倒れるような、人が暴れるような物音が響き渡っている。
「敵襲っ?
……ってぇっ!」
その音が今まで何度も聞いた戦いの騒乱だと気付いた俺は飛び起き……二日酔いだろう脳髄に響くような頭痛に眉を顰める。
正直に告白すると、酒を飲んだことが今までない訳でもない。
が、ここまで酷い二日酔いは初めてで……。
ズキズキと痛む頭を押さえながら、騒ぎのする方へと俺は遅々とした足取りで歩いて行く。
──畜生、べリア族にまだ生き残りがいやがったのかっ!
俺はあの程度の殺戮で敵を皆殺しにした気になっていた自分を恥じ、その慢心の所為で今こうしてサーズ族の連中が命を奪われていっているという事実に歯噛みしつつ。
早急に参戦して彼らを助けようと、未だに続く頭痛を歯を食いしばることで我慢しながら……
そのドアを開け放つ!
「──っ!」
そこには……殺戮が繰り広げられていた。
襲われているのは、黒マントの神官たち。
「何をするんだ!
我々は同族じゃないかっ!」
「やかましい、この邪教徒どもがっ!」
襲っているのは、敵のべリア族たちではなかった。
そこにあったのは……あり得ない光景だった。
いや、あってはならない光景だった。
だって……黒マントの神官たちを襲っているのは……
──味方であるハズのサーズ族の戦士たち、だったのだから。
「わ、私は言われた通りアヤツに酒を飲ましました!
命ばかりはっ!」
「五月蠅い!
この邪教徒がっ!」
「そ、そんなっ!」
何処かでそんな悲鳴が上がっているのを耳にしたが、俺は二日酔いに加え起きたばかりでイマイチ状況を掴めない。
……いや、俺の頭脳が理解しようとしない。
ただ嗅ぎ慣れた血と臓物の匂いが……未だ眠気が取れず現実逃避に走っていた俺に、目の前の現実を突き付けてくれていた。
「……な、何をしているっ?」
ようやく事態を理解した俺の叫びに襲撃者たちは一瞬だけ恐怖に殺戮を躊躇する。
そのお蔭か一人の身体中に斬撃を浴びて血まみれになっている黒マントが一人、襲撃者の囲いを抜け出し、俺の足元へ平伏す。
その腕には、俺が使いボロボロになったラメラーアーマーが抱かれていた。
「……申し訳、ありません。我が主よ」
その黒マントの老人……初めて顔を見たが恐らくはチェルダーだったのだろうその老人は、そう一言呟くと身体中の力を抜いて息を大きく吐き。
……そのまま、動かなくなってしまった。
「……なぜ、だ?」
襲撃者の首謀者らしきその男……今まで戦場で付き従っていた副官とも呼ぶべき仲間だった筈の……ロトを睨みつけ、俺は呆然とそう呟くしか出来ない。
だが、ロトの奴は違っていた。
何処で拾ったのかその手に聖剣を持ち、俺に突き付け叫ぶ。
「貴方の横暴は此処までだ、破壊と殺戮の神ンディアナガルっ!
貴様の横暴により、我らサーズ族の戦士たちが何人犠牲になったと思っているっ!
意のままにならぬとなれば、ゲオルグ殿やバベル殿まですぐ手にかけるその所業、許す訳にはいかないっ!」
「──っ!」
ロトの叫びに、俺は返す言葉がない。
……あるハズがない。
事実、俺はゲオルグを殺しバベルを殺し、自分の欲望の赴くままに無謀な戦争を繰り返し……彼らの命を危険に晒し続け……
こうして敵視されてもおかしくないことを続けてきたのだから。
……だけど。
それはあくまで『俺が』やらかしたことである。
──黒マントの神官たちが犠牲になる必要なんて、何処にもないだろう?
「だったら、何故、コイツらを殺すっ?」
「この邪教徒共は我らサーズ族に毎日毎日生贄を要求してきたっ!
それも、年端もいかぬ子供ばかりをっ!
破壊と殺戮の神……即ち貴様への供物としてっ!」
「……供物?」
身に覚えがない俺は軽く首を傾げ……不意に気付く。
俺が毎日出されるがままに食べていた、いや、この世界で唯一食べられるからと好んで口にしていた、『何の肉か分からない塩をぶっかけただけの焼肉』と、『妙な匂いの葉っぱが入っている形が崩れて分からないほど煮込まれた内臓のスープ』。
子牛か子羊辺りの肉で、潰したばかりだから臭みが少ないと思っていたが……
──もしかしたら。
それに気付いた瞬間、俺は咽喉奥から逆流してくるモノを止められなかった。
二日酔いの所為もあるだろうし、もしかしたらその生贄とやらと俺の食べていた食事には何の関係もない『かもしれない』。
だけど……一度『その事実』に思い当たった以上、俺の身体はそれらの肉を受け付けてくれなかった。
そして、冷静に思い返してみると……俺にも心当たりはあったのだ。
以前に街中で気付いた違和感……それは、『子供の数が明らかに減っていた』ことである。
──毎日のように街を歩くたびに響いていたあの子供の騒がしい声が、いつの間にか静まり返っていたことに、俺は全く気付いていなかったか?
大体……前にもチェルダーは言っていたではないか。
──あの小娘を潰して『肉』にする、と。
……実際問題、もしあの『肉』や『スープ』が子供と何の関係もなかったとしたら……俺がサーズ族の集落に来たとき見かけた、あの子供たちは一体何処へと消えたのだろう?
「このままでは、我らサーズ族は敵に殺される訳でもなく、貴様によって滅びを迎えてしまうっ!
だから、破壊と殺戮の神ンディアナガルよ!
三つの聖具が我らの元に集ったことこそ、まさに神意であるっ!
よって貴様を、この聖剣と聖槍と聖鎚をもって討滅する!」
「……だから、あいつらを、殺したのか?」
ロトの口上を聞いている最中に、俺はようやく一つの事実に気付き……辺りに散らばる死体を眺めながら、俺は呆然とそう呟くしか出来なかった。
「ああ!
これも全ては我らサーズ族の総意と心得よ!
破壊と殺戮の神よっ!」
ロトの叫びによってサーズ族の戦士たちが一斉に、丸腰で鎧もない俺に斬りかかる。
だが、聖剣に肩口を斬られ、聖槍で咽喉を突き立てられ、聖鎚で頭蓋を殴られながらも、俺は呆然と突っ立ったままだった。
俺の視線の先には……チェルダーの亡骸がある。
そして、その周囲に散らばる、黒マントたちの死体が。
それは即ち……
(──俺は、もう、帰れない?)
その事実に俺は呆然としたまま、動けない。
ただ、その事実の衝撃を斬撃と刺突と打撃の痛みが徐々に塗り潰し始め。
「こ、こいつっ?」
「聖なる武具を喰らっても、びくともっ?」
狼狽えるロトたちに俺はようやく目を向ける。
「……何故、殺したんだ?」
「聞いてなかったのか、貴様っ! こやつらは……」
「明日にはっ!
俺はっ!
送還されるハズだったんだぞっ!」
俺の激怒の咆哮に、ロトたちはようやく自分たちが触れなくても良かった逆鱗に触れたと気付いたのか、その表情に後悔の色が滲み出す。
「まさ、か?」
……だが、もう遅い。
「がぁああああああああああああああああああああああああああ!」
俺は絶望と激怒の叫びを上げると、ロトを始めとするその場にいた戦士たちを素手のままで襲い掛かっていた。
すでに俺の拳はただの拳ではなく、貫手はどんな爪よりも鋭く内臓を引き裂き、拳はどんな鈍器よりも重く頭蓋を潰す。
そのまま、落ちていた聖槍と聖剣を手に取ると、血まみれの俺の姿に恐慌を起こした戦士たちを次々に斬り殺し刺し殺し蹴り殺しながら、赤く染まった神殿内を歩く。
そうして戦士たちを皆殺しにして神殿から出たところで。
松明や血まみれの棍棒や火掻き棒を手にしたままの、サーズ族の女や老人たちと目が合う。
──その眼にあるのは……絶対的な恐怖と、そして隠しきれていない敵意と憎悪。
ロトの奴が言っていた……この弑逆がサーズ族の総意というのは間違いないのだろう。
こうして戦えないハズの女や老人までもが、血まみれの武器を手にし、邪教徒と思われる死骸を引き摺っていたのだから。
子供を殺されたという彼らの怒りは、まぁ、分からなくはない。
……だけど。
そうやってコイツらが憎悪に身を任せた所為で、保身に走った所為で……
その所為で、助けてやったハズのコイツらの所為で俺は。
──もう、元の世界へ帰れなくなったのか。
「……お前たちなんか、もう要らない」
俺は静かにそう呟くと……身体の奥にどんよりと横たわる絶望から気を逸らすためだけに、眼前の連中に向けてその凶刃を向けたのだった。