第六章 第二話
……べリア族の本拠地をめぐる戦いが終わって五日後。
神殿に戻ってきた俺を、チェルダーを始めとする黒マントたちが出迎えてくれた。
予定よりも遥かに遅れて帰ってきた俺たち見た彼らは、まさに神の奇跡を目の当たりにしたかのように拝み始めたものである。
だが……その中でもただ一人、連中の長であるチェルダーだけは、俺を見た途端、拝むよりも先に安堵のため息を吐いていた。
「予定の三日を過ぎてもお戻りになられぬものですから……
もしかして、何かあったかと」
そう言われてみれば確かに、この村へ連絡を入れた記憶がない。
バベルが死んだことで伝令もまともに機能しておらず、そんな細かいこと、完全に俺の頭から消え去ってしまっていた。
今更ながらにあの巨漢を殺したことを悔やむ俺だったが……死んでしまったものはもう仕方ない。
──破壊と殺戮の神の化身である俺でも、出来ないものは出来ないのだ。
……そうして、今。
チェルダーに請われるがまま、ここ数日間の戦果を語っているところだった。
「なるほど。
それで帰りが……いえ、大勝利だった訳ですな」
チェルダーは俺の話を聞きながらも、指先だけで部下の黒マント共に次々と指示を出していた。
……その指示の一つだろうか。
「失礼いたします、我らが神よ」
黒マントの連中がそう頭を下げつつ俺に集ってきたかと思うと、いい加減ボロボロの鎧を引き剥がし始めたのだ。
先の戦闘から街へ戻る間ずっと着ていたその鎧は、返り血に染まってない場所がないほど血に塗れ、正直その辺りに捨てようかと思うほど汚れまくっている。
それどころか、乾いた返り血が下の服と固着していて……脱がして貰うだけで一苦労の有様だった。
「……ああ。
ついでに帰り道にあったアイツらの農村を潰し、塩の嵐を呼んで畑を潰し、ついでに全ての井戸を潰してきたからな。
これでもうべリア族が発生することはない」
それが……片道一日程度の距離にあるべリア族の本拠地を落とした後、俺たちが此処へ帰ってくるまで五日もかかった原因だった。
いや、正直なところ、俺はそのまままっすぐ帰ってきても良かったのだが……サーズ族の連中は血の気が収まらなかったらしい。
そうして彼らに請われるがまま、俺たちは行きがけの駄賃とばかりにちょっと寄り道をして農村を全て潰して回ったのだ。
べリア族の農村では、あの『最後の領主』の命令の所為か、若い男たちはほぼ本拠地の防衛に動員されていたらしく……ろくに戦闘員すら残ってはいなかった。
そんな、戦える者もまともにいない農村で一方的な虐殺を繰り返し続けた俺たちは……まさに破壊神とその眷属という雰囲気だっただろう。
(ま、これでどう足掻いてもべリア族の再興はないだろう)
勿論、あの虐殺で全てのべリア族を絶ったとは思えない。
……と言うか、百の兵士だけで万に届くほどのべリア族を皆殺しにするのはどう考えても無理だった。
──だが、もう水も食糧もないのだ。
上手く逃げ延びた連中も、ろくな装備もなく塩の砂漠で生きられる訳もない。
そう遠くない内に、渇いて干物になるだけだろう。
もし戻ってきたところで村の井戸は枯れているし、食料も奪い尽くした。
──もはや、どう足掻いても……べリア族が生き延びる術など存在しないのだ。
「つまり、その所為で五日もかかったと」
「……だが、これで俺は依頼を果たしたな」
俺の言葉にチェルダーを始めとする黒マントたちは平伏し。
「ははっ。
お蔭様で我らは救われ……我が倅の仇も討てましたっ!
後は我が命に替えましても、送還の儀を。
すぐには無理ですが……二日後には何とか」
「……ああ。出来るだけ急ぐように」
神官どもに平伏されても、既に俺は何の感慨も覚えなくなっていた。
ただ、人が近づけば蝉や鳥も鳴き止むように、ただそれだけの……当たり前のことでしかない。
鎧を脱がされ終えた俺は、自分の部屋の定位置……神座に座る。
そんな俺の前へ、タイミングを見計らったかのように、黒マントが大量の食事を運んでくる。
恐らくは先ほどチェルダーが出した指示によるものだろう。
……暴れ回った俺が腹を空かせているのに気付いたらしいが、なかなか上手いタイミングである。
コイツも伊達や酔狂で黒マント共の長をやっている訳ではないらしい。
そうして出された焼いた塩漬け肉を喰い、塩辛い臓物のスープを飲みながら、俺は傍に侍っている少女を抱き寄せる。
その全身に包帯を巻いてある少女は、相変わらず虚空を見上げたままで。
(……ん?)
──コイツの肌、こんなに火傷の痕、酷かったか?
抱き寄せた瞬間に気付いたが、コイツの火傷の痕、何か広がっているような……
そんなふとした疑問は、次に出された塩漬けの果物への興味にかき消される。
そうして胡坐を掻きながら床に置かれた皿から手で食べ物を取って食べるという、如何にも日本じゃ行儀の悪い典型の食事を当たり前に取っていた俺は……この毛皮の敷物にも、直接床に皿を置かれるのにも慣れてきたのに気付く。
(後二日しかないんだよな……)
そう考えると、こういう異文化丸出しの作法も名残惜しいものがある。
俺は田舎で何泊かした都会人みたいな上から目線の感想を抱き、その例えに自分で呆れ肩を竦める。
そうして食事も半ば終わった頃。
「ああ。そう言えば、酒もありますが如何いたしますか?」
チェルダーが俺の鎧を持って部屋を出て行ったところで、黒マントの一人がそんなことを言い出した。
「そんなの、あったのか?」
「ええ。
今の我々にはもう作る余力すらありませんが、備蓄が……
その、本当に僅かな量、だけですが……」
「なら、貰おう」
ソイツの言葉に俺は大仰に頷く。
未成年者の飲酒が云々と言われるかもしれないが、ここではそんな法律なんざありはしない。
と言うか、さっきまで俺がやっていたのは法律で禁じられているどころか、国際法とやらで裁かれるレベルの大量虐殺そのものだった。
──そもそも現在の俺は破壊と殺戮の神ンディアナガルの化身である。
──神を縛るような法律なんざ、何処の世界にもありはしない。
そうして出された酒の壷は、俺一人が入っても問題ないほど大きく、中に入っていた酒はウィスキーっぽい蒸留酒で……
(ぐっ!
きつっ!)
酒を飲み慣れていない俺には正直、キツ過ぎる品だった。
……だけど。
(……破壊と殺戮の神が下戸ってのも情けないよな?)
そういう意地だけで俺は出された杯を次から次へと飲み干し。
気が付くと、俺の意識は闇の中へと転落していたのだった。