陸・第二章 第十一話
「……殺せっ!
幾ら身体を切り刻まれようともっ、妾がっ、この憎悪を捨てることなどっ!
ないっ!」
「ああ、そうか。
まだ……足りないか」
四肢……と言う表現が正しいかどうかは分からないが、四対の鎌も十五対の羽も、根っ子のような大量の脚も、石で出来た埴輪たちの全てまでも俺に砕かれ、それでも復讐を諦めようとしないカマキリ婆の声に、俺は静かに頷くと……異形と化して治らなくなっている左手を使い、カマキリの腹の部分を覆っている甲殻をただ握力だけで砕き割る。
「ぎゃぁあああああああああああっ!」
「まだ、続けるか?
それとも……もう終わるか?」
何処で見聞きした知識かは覚えていないが、昆虫類には痛覚がないという俺の記憶通り、鎌や羽、足から毒液噴出口まで砕いても痛みすら覚えていなかったカマキリ婆だったが……それでも本体に近い内臓には人間としての痛覚が一応は残っていたらしい。
だからこそ……相手が痛みを訴え始めたここからが、説得の本番なのだ。
──殺せない、からな。
前の世界で世界を海に沈めようとしていた破壊神を迂闊に殺した結果、世界全てが滅んでしまった前例がある以上……世界を救いたい俺はこのカマキリ婆を殺すことが出来ない。
だから、こうして説得を繰り返す。
何としても、復讐心をへし折り、世界に平和をもたらしてみせる。
──そのためならば……多少の外道だろうと。
こうして生きたまま内臓を潰し続けるような……言わば拷問紛いの「あまり好ましくない手段」だろうと、人々を救うため、世界の平和のためならば……俺は欠片も躊躇ったりはしない。
そんな覚悟の下、俺は体表の温度よりも多少高いと言われるその生暖かい臓物を、異形と化したままの左手の爪で抉り、潰し、かき回しながら……もう一度問いかける。
「まだ続けるか?」
「……ぐっ、当たり前、であろうっ。
あの日……夫を殺されっ、辱められ、我が子と共に生きたまま埋められた、あの日に比べればっ。
大地と人とを滅ぼすという、大地の底で眠りし石神ンスゥメラディの声を聴いたっ、あの日に比べればっ!
あの日の苦痛に比べればっ、こんな痛み程度っ!」
「……そうか。
気が変わったら言ってくれ」
激痛に悲鳴を上げながらも復讐を捨てようとしないカマキリ婆の言葉に、俺は特に感慨も覚えずにそう頷くと……拷問を再開する。
抉り、切り裂き、引き千切り……塩へと化す。
この世界を滅ぼしかけていた『禍風』の元凶である婆は悲鳴を上げのたうち回るものの……俺の背丈の数倍もある巨木カマキリが全身を使って暴れても、俺の左手一本の腕力を振り払うことは叶わなかった。
残された唯一の武器であるホウセンカのような毒液噴射口を使う余裕もないのか、カマキリ婆はただ暴れ悲鳴を上げるばかりの木偶となり……要するに、ただ身体がデカくて悲鳴が五月蠅いだけの巨大なクソと化している。
「な、何故。
何故、貴様は……このような、ことを、する」
一通り悲鳴を上げた頃に、息も絶え絶えとなったカマキリ婆……この大地を滅ぼす石神ンスゥメラディの化身は俺にそう問いかける。
「あんなクソ共に、助ける価値がぁああああああああっ?」
その様子にまだ余裕がありそうだと判断した俺は、戯言を断ち切る形で腹腔内に突っ込んだままの左手の爪の先に権能を集中させ、『紅石』を発動……五十センチほどの塩の爪を腹の中で作成してやる。
腹の中に突如異物が発生し……しかもソレは臓腑に触れると焼け爛れるような激痛をもたらす塩の塊だったのだ。
その刺激を受けたカマキリ婆はこの世の終わりを見せられたような悲鳴を上げ、再びのたうち回ることとなっていた。
少しばかり権能の扱いをミスったのか、周囲にあった埴輪たちの残骸全てが塩に覆われ、その姿を消していたが……まぁ、些細なことでしかない。
「当たり前だろう?
人の命を何だと思ってやがる。
救えるなら救うのが、俺の信念だ」
臓腑の中に突き立てた紅石の爪をそれぞれ交互に動かして、カマキリ婆の臓腑を塩の塊で掻き回しながら、俺はそう断言する。
事実……俺は人を、世界を救おうと旅を続けているのだ。
結果が少しばかり、俺の望みと異なっている、というだけで……その所為で、行く先々で死体が積み上がるような光景ばかりを見ているというだけで、その目的は未だに変わっていない。
「……そう、か?
妾が『禍風』を止ませただけで……あのように奇跡に群がる、我欲ばかりの連中が、救うに値する、と?」
「……何、だと?」
俺の答えに何かを感じ取ったのか、カマキリ婆は俺を睨み付けながら……いや、俺の背後にある街の方を睨み付けながら、そう嘲笑する。
ただ苦痛から逃れるためとは思えない、ある程度の確信を持っているだろうその声に、俺は『説得』の手を止め、婆の言葉に耳を傾けることにする。
「くくくっ、アレが、貴様が救おうとした連中の本性よ。
我欲に群がり、他者を殺すのを当然とする。
浅ましく、汚らわしく、図々しい……そんなクズ共を救うに値するだと?
笑わせるわっ」
既に攻撃手段も逃亡手段も移動手段をも失っている以上、このンスゥメラディの化身ことカマキリ婆はもはや脅威ですらない。
その事実を確認した俺は、婆の視線の先……背後を振り向き、絶句する。
──何、だと?
本来なら目視出来ないほど遠くの景色でさえも、権能によってくっきりと映る……そんな俺の視線の先では石化した森の中で唯一自然のままだった緑の森が……妖精たちの住処が燃えていた。
何があったかなんて……言うまでもない。
大勢の人の群れが、城壁の内側から森の方へと流れ込んでいるのを見るだけで、一目瞭然なのだから。
「……馬鹿な、アイツら。
俺が、折角、こうして……」
「妖精たちに何の罪がある?
アヤツらは誰かを救おうとするだけの、善良な者共。
それを、ああして……力ずくで奪おうとする結末がよぉ見えるわ」
……そう。
彼らはただ、奇跡を求めて……救いを求めて妖精の鱗粉を求めたのだろう。
そして、何故彼らが妖精の森まで足を運べたかも、俺の持つ……俺と存在を重ね合わせている破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能『天啓』が教えてくれる。
──俺が……
──『道』を、作ったから、か。
チャロが妖精を連れ帰ったのを見たのは、ダビドとエメリコ……そして、アイツらと共に城壁修復に従事していた『禍憑き』の連中だけだった筈だ。
だけど、人の口に戸は立てられない。
噂が噂を呼び、『禍憑き』たちが一斉に奇跡へと飛びつき……
「くくくっ、あはははははははっ。
そうじゃ、あの連中など、その程度のゴミに過ぎん。
見よっ、我が『呪い』に穢された者が妖精を攫いっ!
健常な者が死者を救おうと、呪われし者を殺して妖精を奪いっ!
殺し合い、奪い合いっ!」
そして、このカマキリ婆の言うとおり、城壁内に籠っていた一般人も『禍憑き』たちの動きから、『禍風』に殺されることなく妖精の森へと行けるルートが出来たことを察知し……ああして人々は一斉に森へと群がったのだ。
だけど、妖精たちの数には限りがあり……当然のことながら一般人と『覚醒者』たちの間で妖精の奪い合いとなる。
そんな惨劇の中、死に瀕した馬鹿か、妖精を取られて絶望した馬鹿か、もしくは自棄になった馬鹿のどれかが、自棄になって森に火をつけたのだろう。
その結果、妖精たちが暮らす安住の地だった筈の森は、現在進行形で燃え尽きている最中、という訳だ。
──だけど、それじゃ……
だけど……妖精たちも生きていたのだ。
あの唯一残された森の中で、必死にただ生きていただけに過ぎない。
自分が助かりたいと言って、同じように必死に生きていただけの知的生命体を殺して良い訳がない。
しかも、あの妖精たちは彼らを……『禍風』によって変質した人を救おうとしてくれていたのだ。
──俺と、同じように。
だから……だから、もし、俺にこの破壊と殺戮の神ンディアナガルの力がなかったなら。
あそこで家を焼かれ、拉致され……腹腔を切り裂かれ、臓物を掻きだされ、血と肉と骨と臓物の全てを薬として抉り出されて死んでいたのは、この俺だったのかもしれない。
俺の脳裏には数時間前に見た……ジャンという名の妖精の、惨たらしい最期の姿が鮮明に浮かび上がる。
その次の瞬間から俺の目には、あそこに群がる人々がただの「血に飢えた野獣の群れ」にしか見えなくなってしまっていた。
「そして、城壁内の者によって殺され、奪われるっ!
ああ、あれは王家の命令によるもの、だろうな」
目の当たりにしてしまった予期せぬ悲劇を前に、俺が呆然と立ち尽くしている間にも……カマキリ婆の言う通り、俺の眼下では新たな惨劇が巻き起こっていた。
妖精を奪い取ってきた連中の上前を撥ねようと……もしくは城壁外へ出ることを禁じるとか、妖精に関わるなとかいう法を武器としたのか、兵士たちが突如、場外に出ていた民衆に向けて攻撃を加え始めたのだ。
以前俺が突き付けられた時と同じようにクロスボウにて射られ……俺とは違って神の権能を持たぬが故にあっさりと射殺されていく群衆を前に、俺は自問自答を繰り返す。
──何故、こうなる?
──俺は、この世界を救おうと……
少なくとも俺は、こんな……人が人を殺し合う結末を求めていた訳じゃないのだ。
ただこの世界を救うために『禍風』を止めようとしただけで。
だけど、『禍風』を止めてしまう前に……ちょっと安全な通路が出来上がっただけで、人々は妖精を殺し、異形と化した同胞を殺し、そればかりか『禍憑き』ですらない、自分と何も変わらない筈の同胞を平然と殺し、その上前を撥ねようとする始末である。
──今度の俺は、ろくに殺してもいない。
──このカマキリ婆もこうしてまだ生きている。
眼前で狂ったような嘲笑を上げ続ける……いや、完全に狂っているのだろう、手足を捥がれ無力化し、その巨大な身体から血と臓物を垂れ流しているカマキリ婆の声を聴きながら、俺はそう自らを弁護する。
──つい、チャロを殺してしまったが……所詮小娘一人。
──大勢に影響はない、筈だ。
つまり……この事態が起こったのは、俺の所為じゃないのは明確なのだ。
誰かを殺し、追い詰め……俺の権能が誘因となってこの殺戮が起こった訳じゃないのだ。
一つ前の……水没する世界で起こったのと同じように。
──なのに、何故、こうなる?
──いつもいつも……
──人々は醜く争い続け、その欲に際限はなく……
眼下で次々と殺されていく人々を眺めながら……権能によって強化された視力によって、妖精の森の側で斃れている、両腕が石になっている存在……恐らくエメリコらしき死体を発見しながら、俺はそう自問自答を繰り返す。
彼らの行動のあまりの醜さに……あまりの自分勝手さに、権能を放って連中を皆殺しにしてしまいたい衝動に耐えながら、必死に考える。
──今までも、そうだった。
──連中は、まるで死にたがっているかのように……
尤も……幾ら考えたところで、その答えなんて、導き出せない。
……出せる訳が、ない。
「くくくくくくっ。
そら見ろ、小僧っ!
これこそが人間っ!
これこそが、貴様が救おうとした者共の本性ぞっ!」
「……てめぇが、言うな……」
カマキリ婆の嘲笑に返す俺の声も、最初の方ほどの力はなかった。
事実……こんな無力の婆の相手をするほど、俺は暇ではなかったのだ。
──どうしてだ?
──どうして、こうなる?
──どうして連中は、俺に殺されたがるんだっ!
俺は、いつだって人を救おうとしていた筈だ。
あの塩に覆い尽くされたような荒野でも、俺は多少の私利私欲はあったものの一応戦いを終えて平和を築こうとしていた。
……だけど、待っていたのは仲間だった筈のサーズ族からの裏切りだった。
あの蟲が巣食う砂漠でも、別の目的も多少はあったが、蟲共を駆逐して堕ちた島の人々を救おうとしたのだ。
……だけど、待っていたのは王家や貴族が蟲を操って人々を支配し、平民の労苦や必死の様を嘲笑うという腐り切った社会の構図だった。
腐泥に穢された森でも、食糧と住処を争い合う各部族を平定し、争いを止めようとしていた。
……だけど、待っていたのは怨恨を捨てられず十分な量の食料をなおも奪い合う人々の醜い姿だった。
人々が争い続ける浮島でも、争い合う人々の上に立つことで力なき子供でも暮らしていける世界を創ろうとした。
……だけど、待っていたのは力なき子供が力を得た途端に力なき別の子供を殺すという、地獄絵図そのものだった。
人類の残滓が造り上げた地下世界でも、四つの種族が繰り返す縄張り争いを止め、力なき者たちが平和に暮らせるようと力を貸した。
……だけど、待っていたのは四つの種族全員が人類のための道具として争うことを義務付けられるという、腐りきった世界の真実だった。
海に沈もうとしてた世界では、誰も殺すことなく世界の滅びの原因だけを排除した筈だ。
……だけど、待っていたのは権能の余波で人々が殺し合い滅ぶという最悪の結末だった。
この風によって石と化そうとした世界でも同じ。
……『禍風』を止めた後に待っていたのは、人々が救いを求めて妖精たちを殺し、それを奪い殺し合う最低最悪の結末である。
──どうして、こうなるんだ。
力を見せつけても世界は滅び。
正義を貫いても世界は滅び。
争いを抑えても世界は滅び。
世界を改革しようとしても世界は滅び。
弱者を救おうとしても世界は滅んでしまう。
──ああ、畜生。
──俺の前には常に、死者と山と争いの火種しかない。
俺が幾ら助けても、人々は何故か皆死にたがっているかのように争いを続け、誰かを殺そうと滅ぼそうと願い……
確かに今までの俺は、その人々の醜さに耐えられず……今まで何度も何度も、俺はこの手を血で汚す結果になってきたのだ。
──だけど……
少しばかり人々と交流し、弱い彼らの気持ちも理解出来るようになった今では、少しばかり答えが違う。
殺す奪う蹴落とす……そんな行動をする認めたくはないが、それでも事情を知れば仕方なかったのだと諦めるくらいには出来るようになってきた。
……それでも。
短気を見せて破壊しても寛容さを見せて人々を救っても、厳格に悪を裁いても慈悲を見せても……やはり結果は全て同じだった。
悪の元凶だけを滅ぼし、誰も殺さなくても世界は滅び。
ただ幼い少年を救っただけでも、こうして世界は醜く殺し合う姿を曝け出している。
──何をどうやっても、いつもいつも世界は滅んでしまう。
──つまり、俺の選択が間違っていた訳では、なかった?
何をやっても滅ぶしかないのなら、世界はどの道滅ぶ運命だった……いや、滅びを内包していて、何をどうしてももう助からなかったと考えるのが正しいに違いない。
つまり、俺は間違っていなかった。
間違っていたのは、世界の方なのだ。
──要するに、世界が酷過ぎる。
──だから、余裕のない連中は悪に走るしかない。
思想系のヤツで、性善説とか性悪説とかネット上であったのをふと思い出しながら……そういうレベルの話じゃないほど世界そのものが酷いことに思い当たる。
事実、地球でさえあれだけ沢山の悪人共がのさばり栄え……そうして悪が栄えた結果、殺し合い、奪い合い、犯罪やら戦争やらが消えなかったのだ。
である以上……それ以下の世界に放り込まれたならば、人類が醜い姿を晒すのは必然とも言える。
──なら、どうすれば良い?
人を幾ら救おうと、世界そのものが滅びかかっているから話にならない。
追い詰められた人は悪に走り、他者から奪い、平然と殺し合う。
だけど、世界そのものを良くするなんて……一朝一夕にできることじゃない。
いや、そもそも……
──何故人々はこんな酷い世界で暮らしている?
──こんな、人間どころか動物もろくに棲まないような場所で……
俺がそんな疑問を抱いた瞬間に……まるでその問いを待ちわびていたかのように破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能が一つ『天啓』が俺の脳裏に答えを浮かび上がらせる。
──地球にいた全知全能の神ラーディヌゥクオルン=ヴァルサッカラーヴェウス。
──俺が殺してしまったアイツが、永久に一人きりという孤独に耐えかね……創造神という名の子供たちを創り出し、それらの世界を管理させた。
──そして……その世界に無理やり人間を送り込んで繁殖させた。
それがこの数多ある世界の根源であり……全ての元凶なのだ。
いつぞや俺があの髭爺を相手に吐き捨てた通り、それらの世界は全て無理矢理創られたボロボロの代物で……その結果、世界は歪み破綻し壊れかけていた。
そもそも、創造の力で無理矢理継ぎ接ぎにした世界だからこそ、その反動によって破壊の力が具現化して人々を苦しめ続ける世界なのだ。
そんな最悪最低の場所でも生きなければいけないからこそ、人々は仕方なく見るに堪えないような邪悪に手を汚す。
である以上……解決策なんて一つしかない。
──ああ、何だ。
──簡単なこと、じゃないか。
2019/09/18 22:22現在
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