陸・第二章 閑話
「……行っちまいやがったか」
いつ『禍風』が吹くかも知れない死の大地へと進んでいく二人……顔を石で覆われた小娘のチャロと、まだろくに知らないラーディとかいう名の新入りの、小さくなっていく二つの背中を見送りながら、俺は思わずそう呟いていた。
その直後、肥大化した顎の所為で変わってしまった自分の声に我が事ながら驚き……そして、地べたで横たわったまま動かないベニグノの姿に視線を向け、その自分が辿るかもしれない未来の姿を思い浮かべ、思わず拳を握りしめてしまう。
とは言え、この行動は俺が特別という訳でもなく……この城壁の内側に暮らしている『覚醒者』ならば、誰だって同じ行動を取るだろう。
──くそが。
──あと、何回耐えられる?
その最悪の未来予想図に震える身体を、拳への力を込めて必死に誤魔化す。
実際のところ、幾ら『覚醒者』が『禍風』に対して耐性があるとは言え……そんなものは所詮、か細い命綱を腰に巻いて城壁の上で作業するのと危険度で言えば大差ない。
……要するに、何の保証にもならないって話である。
事実、俺たちよりも遥かに若く、俺たちよりも「浸食」されてなかったベニグノの餓鬼がたった一度の『禍風』を喰らっただけでこうなってしまったのだから。
「……どうするよ、コイツ」
俺とよくつるむ二人の仲間……その一人であるダビドが少し長くなった角を掻きながら、そう問いかけてくる。
「どうするったって、捨て置く訳にはいかねぇだろうよ。
幾らなんでも、それは人として、な」
ダビドの問いに返事をしたのはもう一人の仲間であるエメリコだった。
本人は『覚醒』した所為で世話すら出来ない甲殻類の腕をしているというのに、そんな人道的なことを口にするのだから性質が悪い。
「ああ、そうだろうよ。
言い出した俺が世話をするさ」
それを知りつつ、俺はエメリコのクソ野郎の提案に頷いて見せる。
基本的にこの手の細かい作業は、やる気もなければやらかすことが雑なダビドのクズにも、腕が変質しちまったエメリコのクソ野郎にも任せることなど出来る筈もなく……結果として自然と俺に回ってくるので、今さら抵抗をしようとすら思わない。
──ま、こうなってしまえば、糞尿を垂れ流すこともないんだけどな。
頭蓋を強打して魂が抜けてしまったヤツは、生きたまま糞尿を垂れ流す挙句、餌を喰わしてやらなければ衰弱して死んでしまうと、人伝手に聞いたことがある。
それに比べれば『覚醒者』がこうなった場合は随分とマシで……捻り出す糞尿すらも石となって出てこない所為で、その手の世話は一切必要ないのだ。
だから、この動かなくなったクソ餓鬼を住処まで運んでやって、あとはお情けとばかりに芋の茎で編んだ茣蓙でも被せてりゃ問題ないだろう。
「……大体が、だ。
もし万が一、アイツらが帰って来てみろ。
俺たち、全員が殺されかねないからな」
とは言え、そんな僅かばかりの手間でしかないとは言え、自分だけが苦労するのも癪だったこともあり……俺は二人の恐怖を煽るようにそんな台詞を告げてやる。
効果は抜群だった。
角を生やしたダビドの野郎は一番最初に『禍風』を喰らって角が生えて来た時と同じ表情を、甲殻類の腕を持つエメリコの野郎は両親から家を追い出された時のような、今までの人生全てを喪った時と同じ表情を浮かべていやがったのだから。
──まぁ、確かに無意味にアレを怒らせたくはない、わな。
流れで適当に口にしただけだったが、俺自身もあの新入り……ラーディとかいう名の化け物を思い出してしまえば、身体が震え始めるのを止められない。
多少は他の連中と違うものの、ああして腕が変質するってのも『覚醒者』にはよくある話であり……加えるならば世間知らずにもほどがある物言いだったこともあり、少し身体が育っただけの「ただの餓鬼」だと判断して絡んでしまったのが運の尽き、だった。
あの後で、俺は「空中に放り投げられた」のだとダビドの野郎は語ったが……人をああして軽々と放り投げるなんて、どれだけの膂力があればそんな真似が可能になる?
同じように投げられた筈のエメリコは鈍いから気付いていないようだったが……アレは恐らく、俺たち『覚醒者』とは全くの『別物』だ。
その挙句、言動の節々から察するに、人を殺すことに全く躊躇いがないのが明白で……そのくせ、何故かベニグノとチャロに甘いという訳の分からない生き物だった。
だからこそあの時、少年に死が迫っていることを認められず泣いていたあの石の面をした少女に対し、柄にもなく「妖精の粉」なんて気休めを口にしてしまったのだ。
……いや。
俺でなくても、真横でアレほどの殺気を放たれたら、誰だってその場凌ぎのために気休めだろうとお為ごかしだろうと嘘八百だろうと並べ立てるだろう。
──お蔭で、助かった訳だが……
──本当にアレは何なんだろうな?
俺は迷信なんて信じない性質ではあるが、もし生きとし生きる者全てを殺す『禍風』が人の形を取ったなら、あんな感じになるのではないだろうか?
──馬鹿馬鹿しい。
──そんなのに出会ったなら、俺たちなんざもうとっくに死んでるってんだ。
俺は首を振って自分の想像を……いや、妄想にもならない馬鹿げた考えを振り払うと、倒れているベニグノ少年の身体を肩へと担ぐ。
「これ以上、此処にいても仕事も出来ん。
……そろそろ撤収するか。
ダビド、報酬はお前が貰ってきてくれ」
「いや、その必要はないみたいだな」
命の危機から逃れた脱力感もあり、とっととこの場を離れようと俺はそう提案するものの……ダビドの野郎はその角を見せつけるかのように首を左右に振る。
そんな男の角の先には、この街の治安を守るなんてお題目で俺たちをクソ溜まり付近に追いやっているクソ野郎共……その隊長であるアレハンドロの面が見えた。
王都警備隊だか何だか知らないが、いつも通りずらずらと雁首揃えてのお出ましに、俺は唾をその辺りへと吐き捨てる。
「おい、しっかりと仕事してるか、『禍憑き』共。
働かないと飯はない……おい、どうした?」
「俺たちは働いたさ。
だが『禍風』が吹いてこのザマだ、くそが」
アレハンドロのクソ野郎は相変わらず俺たちを見下していて、しかも猛獣か何かだと思ってるのか、部下たちにクロスボウを構えさせながらの応答であり……当然のことながら、それに答えるダビドのヤツの口調も荒くなっている。
ダビドの角の先を追うように、アレハンドロの野郎は俺の肩に担がれているベニグノ少年に視線を向け……確かめるように周囲を見渡す。
──クソ野郎が。
──信用の欠片もしていねぇ。
このクソ野郎は、俺たちが仕事をサボるために、ベニグノに寝たふりをさせている……なんて疑っているのだろう。
そんなことをやったのは俺たち以外の『覚醒者』連中だし、そもそもソイツらはもう遥か昔に死んでこの世にはいない。
──何で自分以外の馬鹿のやらかしたことに、俺たちが苦労しなきゃならないんだか。
実際、何もかもがこうなのだ。
こうしてクロスボウを向けられているのも同じで、大昔にやらかした馬鹿が一人いたという……俺も餓鬼の頃に聞いた話でしかないが、クソ溜まりで暮らすのに絶望した結果、街へと突っ込んで『覚醒』した能力をバラまきまくって数十人を巻き添えに自殺をした馬鹿野郎がいたらしいのだ。
アレ以来、街の連中は『覚醒者』が『禍風』に晒さると、殺戮衝動に自我を失って無差別虐殺を始めるのだと妙な迷信に囚われてやがる。
──それでも、コイツの対応が一番マシってのがなぁ。
そんなクソ野郎としか言いようのないアレハンドロではあるが……それでも言葉を交わすだけで汚らしいとばかりに口を噤み、近づくだけで矢を放ちかねない他の警備隊の連中よりはまだマシだった。
いや、視界に入るだけで猛獣を見つけたとばかりに逃げ出す街の連中や、見ただけで糞便に集る蝿に対するように普通に殺しにかかってくる王宮の連中と比べると、この冷徹なクソ野郎ですら、大昔に大地に緑の奇跡を齎したという『恵みの風』を与えて下さった一翼の神にも見えてくるから不思議な話だ。
事実、こうしてちゃんと仕事を割り振ってくれるし、クソ芋や土豆以外の餌もこうして働けば配ってくれる……まぁ、ちとケチ臭いという欠点はあるが。
「……暴れ出す前にきっちりお前らで始末をつけろよ」
「くそったれが」
とは言え、こうして重病人……しかも余命幾許も残されていない『覚醒者』を前にこういう態度を取られると、こう悪態を吐いてしまうのは仕方のないことだろう。
「しかし、『禍風』が起こったのは間違いないようだな。
……今日はしっかり働いたことにしてやろう。
市民と同じ飯を、人数分配ってやる」
「あ~あ~、お優しいこって。
くそったれ」
そんな酷い悪態と犯罪者以下の待遇を受けながらも、俺たち『覚醒者』がアレハンドロのクソ野郎にこき使われているのは、こうして温情とは言わないものの、俺たちの事情を酌んでくれるところがあるから、だろう。
実際、こうして『禍風』が吹いた所為で成果が上がっていないにもかかわらず、だ。
他の王都警備隊の連中は、そんなアレハンドロ隊長の方へ非難めいた視線を向けていて……アイツらが隊長なら、成果が上がってない時点で一顧だにせず飯の配給を止めるに違いない。
──だからって好きにはなれないんだがな?
ダビドのヤツが六人前の飯を要求していて……そして、アレハンドロの野郎が四人前の飯を渡しているのを眺めながら、俺は大きく溜息を吐く。
さっき外に出て行った連中の取り分を要求するダビデのヤツも十分に面の皮が分厚いと思うのだが……流石にあの二人の分は貰えなかったらしい。
「けっ、いつもながらしみったれてやがんな」
こちらに戻ってきたダビドのヤツは、俺たち二人……と、俺の肩に担がれているベニグノへと視線を向けながら、聞えよがしにそんな悪態を吐き捨てる。
その態度に王都警備隊の連中は当然のことながら、アレハンドロの野郎までもが眉をしかめていたが、まぁ、憎み合っているのはお互い様だ。
「まぁまぁ、ベニグノの分までぶんどっただけで十分だろう?
とっとと帰って食おうぜ」
そんなダビドの悪態とは対照的にエメリコは楽観的で、いつもの癖で甲殻類のような腕とぶつけ合わせながらそう告げる。
事実……『覚醒者』としての生活に慣れた俺たちであっても、クソ芋をたらふく食うってのはかなり根性の要る行為である。
つまり、この手の配給品でないと……ちゃんとした芋や豆に加え、もしかしたら干し肉の欠片でも入っているかもしれない飯でないと、飢えをしのぐ以上に口に入れ、満腹感を味わうなんて真似、出来やしない。
要するに昨日はクソ芋しか手に入らなかった俺たちは、今かなりの空腹を覚えていて……とっととまっとうな飯で腹を膨らませたかったのだ。
「そうだな、こうして担いでいるのも面倒だ」
だからこそ、俺はエメリコのヤツに追従するようにそう告げ……さっきまで働いていた職場を後にすることにした。
一度だけ背後を振り返ると、俺たちにクロスボウを向けたままの王都警備員の連中がびびっているのが見える。
が、俺はそのビビり連中に視線を向けることなく、崩れたままの城壁を……そしてその向こう側にいるだろう、チャロの小娘と新入りへと意識を向ける。
──生きて帰ってくる、だろうか?
そう自問自答しながらも……正直な話、俺は二人とも無事に帰還することなど不可能だと思っている。
唐突に吹く『禍風』は、城壁ほど頑丈で、且つ、かなり大きい遮蔽物がなければ身を護ることも出来ない挙句……その前兆が全くないのだ。
俺が生まれる前の話ではあるが、王族が石化してしまった事件があって……家族を失い狂気に駆られた当時の王が、伝説上の妖精を求めて城壁の外へと出征を行ったことがあったらしい。
その時は大盾を持った兵士たちが十数人で横陣を組んで必死に『禍風』に耐えようとしたのだが……それでも彼らは森の入り口までもたどり着けなかったと聞いている。
つまり、『禍風』から身を護るには大盾以上の遮蔽物が必要であり……しかも『禍風』がいつ吹くか分からない以上、いつでも隠れられるよう、その巨大な斜頸物を持ち運ばなければならないのだ。
そんな馬鹿げた真似なんて、人間に出来る筈もないのだが……
──あの野郎……ラーディの膂力なら出来るかもしれない、な。
ただし、先ほど出て行ったのはあの規格外の化け物だ。
もしかしたら……もしかするかもしれない。
──だから、コイツを捨てる訳にはいかねぇ。
──万が一、ってこともあるから、な。
俺は踵を返しながらも、抱えているベニグノの小さな身体を抱え直す。
迂闊に落として砕こうものなら、あの連中がもし帰ってきた時に同じ運命が俺を待っているに違いないのだ。
裏を返せば、万が一、あの連中が帰ってきた時に頑張って俺がこの餓鬼の世話をしていたと認めて貰えれば……
──妖精の粉を、貰えるかも、しれない。
勿論、妖精の粉なんざ、ただの迷信だろう。
俺だって信じている訳じゃないし、石になった連中はどうしても治らなかったと聞いているのだから。
……だけど。
──もしかすると、『覚醒者』を治せるかも、しれない。
今の力を……俺の持つ「岩を食べられる能力」を失うかもしれないし、『覚醒者』の仲間たちと縁が切れてしまうかもしれない。
それでも……街の中で今まで顔見知りだった相手に石を投げられる生活も、クソの臭いしかしない芋を喰う生活も、兵士たちにクロスボウで狙われる生活も、もう御免なのだ。
このままでは近い将来、『禍風』に耐えられない日が訪れ、俺は石の像と化すことだろう。
そんな最期なんざ、俺は望んではいない。
「……死ぬなよ」
だからこそ俺は残された唯一の……だけど微かでしかない希望への道筋に向けて、祈るようにそう呟くと。
救いのためのか細い命綱であるベニグノ少年の身体を、大事そうに抱え直したのだった。
2019/07/11 13:15投稿時
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