陸・第二章 第三話
ベニグノ少年とチャロの住処に居座り始めてから一晩が経ち……ようやく俺は、彼らの現状が如何に酷いかということを理解し始めていた。
「ひでぇ匂いだろ?
此処には街中のクソが集まってるんだ」
「……ぁ、ああ」
少年に「飯を調達する方法を教えてやる」と先輩面で案内された場所が此処……街を縦断するように流れる川の、街の端にある中須のような場所だった。
流れがそれほど早くない川に街の連中が汚水を捨てていて、更に言えば、この中須付近は勾配の関係で水が滞留するらしく、全員が捨てたゴミやらクソやらがぷかぷかと浮かんでいて、コレの所為でこの辺り一帯……どころか恐らくはスラム全域に糞便臭が漂っているのだろう。
──ペストとか流行りそうだな。
俺は地球での知識……ヨーロッパの歴史を脳内で紐解き、そんなことを何となく思い浮かべる。
尤も、真っ当な人間がかかるだろうその手の病気を、『禍風』とやらで変質した彼らが患うかというと疑問が残るのだが。
兎に角、『禍風』により『禍憑』……『超越者』となった彼らが追いやられた先が、この香しき黄金郷だった、という訳だ。
「んで、アレがクソ芋だ。
ちっ……今日も岸辺は全部掘られてるな、くそったれ」
中須一帯を眺めたベニグノ先輩がそう吐き捨てた言葉を聞いて、俺は悪臭を我慢しながらも周辺を注意深く眺めてみる。
そうしてみると確かに、クソ溜まりに変な蔓が生えているのが見えた。
「おい、チャロ、ラーディ。
ちょいと待ってろよ。
……あ~、今日もクソまみれかよ、畜生が」
ベニグノはそう唾を吐いたかと思うと、その場で服を抜き出し……ぼろ布で出来たパンツらしきモノ一丁になったかと思うと、そのまま川の上に浮かんでいるクソ溜まりへと平然と跳び込みやがった。
その無謀な突撃に俺は慌てて駆け寄ろうと一歩を踏み出すものの……どうやら岸辺付近のクソ溜まりはさほど深くないらしく、少年の膝くらいまでが埋まるくらいまでであり……俺が懸念した「ベニグノがクソ溜まりに溺れたので助けに行く」という最悪の事態は発生しないらしい。
──これが、彼らの、生活、か。
今日の飯を手に入れるため、糞便に膝まで浸かりながらそれをかき分けて進む……彼らはそうやって日々を何とか暮らしているのだ。
その光景を目の当たりにした俺は、俺自身の食い扶持をあんな目に遭っても取って来てくれるベニグノ先輩に対して気持ちを抱きつつも、この生活を何とかして変えることが出来ないかと思案してみる。
尤も、俺が思いついたのは「この糞便の中須に桟橋を架ける」とか「飛び石を放ってその上を伝う」という程度で……どっちにしろこの糞便の臭いから逃れる術はなさそうだったが。
「ほれっ。
今日も大漁だぜ、くそったれ」
俺がそんなことを考えている間にも、ベニグノ少年はとっととクソ芋とやらを収穫してきたらしく、少年の拳よりも大きな芋を七つほど抱えている。
当然のことながら、身体中は川に溜まっていた糞便で汚れ……正直に言ってあまり近づきたくはない。
とは言え、飯は飯であり……臭いは兎も角、他に喰うものがないのだから仕方ないと俺がベニグノからクソ芋を受け取ろうと近づいた、その時だった。
「おいおい、今日もご苦労だな、ベニグノ君よぉ」
二十歳くらいの野郎三人が、ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべながらベニグノ少年へと近づいてきやがったのだ。
「へへへっ、税金の取り立てってヤツだ」
「ああ、いつも美味い飯をありがとうございますっと」
「……たまには自分で採ってきやがれ、クソ野郎共」
突然現れた野郎三人組が言い放つあからさまにクソ芋強奪を目的としたその台詞に、ベニグノ少年はそう噛みつくものの……勝てないことも逃げ切れないことも分かっているらしく、反撃しようとか逃げる素振りは見せていない。
いや、せめてもの抵抗に背中で震えている石仮面を被ったような妹分であるチャロを庇おうとはしていたが……
はっきりとした力関係は理解出来ないものの、どうやらこのにやにやしている野郎三人組は自分が汚れるのが嫌で、ベニグノ少年からクソ芋を奪おうとしている、のだろう。
──ま、よく見るような光景だな。
色々とあって社会から追い出された彼ら『超越者』が、その先で暴力を背景にして同じ境遇の弱い者から搾取を行う。
……蟲の砂漠のスラム街でも似たような力関係は目の当たりにしたし、腐泥の中で暮らす連中も浮島で戦いに明け暮れる連中も、やはり弱者が犠牲になっていた。
──つまり……俺の出番、か。
暴力を背景にして弱者から搾取するクソ共に、俺の力をもって天誅を下す。
これは……間違ってはいない筈だ。
今まではこんな、弱者が虐げられる場面であっさりとぶち切れて殺しまくっていたから失敗し続けてきただけで……殺さない程度に叩きのめして正義を示せば今度の世界は救えるに違いない。
……多分。
正直、何をやっても五度も世界が滅んでしまったから、俺としてはどう行動して良いか素直に信じられないところはあるのだが。
取りあえずこのままではベニグノ少年がクソ芋を連中に渡しそうだったので、俺は前へと一歩を踏み出す。
「おいおい、兄ちゃん、新人か?
何とも勇ましいこって」
「俺たち『超越者』がどんなこと出来るか、まだ分かってないだろうなぁ?
いや、分かったから良い気になってんのかぁ?」
「はははっ、こういう勘違い野郎を正してやるのも、俺たちの役目じゃね?
なんて優しいんだろうなぁ、俺たちは」
三人組はアホ面で笑いながら口々にそんなことを叫ぶ。
ちなみに三人組はそれぞれ、鉱物らしき角が額から生えているヤツ、右腕が甲殻類っぽい鉱物に覆われているヤツ、下顎から咽喉にかけて仮面のように石化しているヤツと、『超越者』としての形も性質もバラバラで。
取りあえず、脳内でこの三人組をそれぞれ角野郎、甲殻腕、石顎と呼ぶことにする。
「馬鹿野郎、ラーディ、この馬鹿っ。
いいから下がってろ」
三人組の矛先が俺へと向いたのを感じ取ったのか、ベニグノ先輩はそんな叫びを上げていた……が、もう遅い。
「さて、餓鬼にたかろうとするクソ野郎共よ。
人にやらせようと思うなら……まず自分が汚れて働きやがれっ!」
「……ぁ?
てめぇ、偉そうに何を……うぁあああああああああああああっ?」
俺はすごんで近づいてきた石顎の胸ぐらを掴むと……そんな説教を口にしながら、ほんの少しだけ力を込めて斜め上へと放り投げてやる。
勿論、破壊と殺戮の神ンディアナガルの膂力を持った俺の「ほんの少し」は、人間が軽く空を舞うレベルなのだが。
そうして飛んで行った石顎は見事中須のど真ん中辺りへと放物線を描き、見事に腹からびたんと凄まじい音を立てて水面に激突する。
直後、水面というか糞便の滞留ブツがその周辺からびちゃびちゃと飛び散り続けているのを見る限り……俺がしっかりと手加減したこともあって石顎のヤツは死んでおらず、糞便の中で激痛に悶え苦しんでいるのだろう。
「て、てめぇっ!
何をしやっいやぁああああああああああっ?」
仲間の末路を見て胸ぐらを掴んできた甲殻腕も同じように脇の下へと手を入れ……子供を「高い高い」と遊んでやるように持ち上げ、放り投げる。
肋骨をへし折らないように手加減してやるのが難しかったのだが、幸いにして俺の力加減は上手くいったらしく、甲殻腕は空中で三回転して見事にクソ溜まりへと足からずぼっと突き刺さる。
「……ぷっ」
甲殻腕の「刺さり具合」があまりにも綺麗だった所為、だろう。
ベニグノ先輩はその光景を前に、年相応の幼さで思わず噴き出してしまっていた。
「くっ、くそっ。
待ってろ、今助けるっ!」
そうして一人残された角野郎は俺に怒りをぶつけるか、恐怖のあまり逃げていくのかと思いきや……俺を一瞥することもなく中須へ向けてそう叫ぶと、仲間たちを助けるために一切の躊躇いもなく糞便が溜まった川へと跳び込んでいく。
──へぇ。
──ただのクズかと思ったら。
汚れるのも意に介さずにクソへと跳び込むその姿勢に感じ入った俺は、追い打ちをかけるために拾っていた小石をその場へと捨て、こちらを見上げているベニグノ少年の方へと向き直る。
「あんな感じで問題ないですかね、先輩?」
「あ、ああっ。
すげぇな、お前っ!」
ベニグノ少年も口調がやさぐれていても、性根の部分は年相応のままなのか……俺が見せた膂力に憧れの視線を向けている。
「これで飯が奪われることもないっ!
上手くやれば、もっと良い家に住めるかもしれねぇっ!」
やはり純粋な腕力があるというのは、虐げられた少年にとっては眩く見えるものなのだろう。
行く当てもなかった俺を助けてくれたベニグノ少年が、「こうだったらいいな」という欲を口にし始めたのを見て、俺は僅かに笑みを浮かべる。
──ちょっとは楽をさせてやらないと、な。
このベニグノという少年は、行く当てのなかったこんな俺を、極貧のど真ん中にありながらも助けてくれた、究極のお人良しなのだ。
そんな良いヤツが迫害されて虐げられるばかりで全く報われないならば……この世界の社会システムは絶対に間違っていると断言できる。
「よし、チャロ、ラーディ。
とっとと帰って飯にするぞ。
これくらいあれば三日は食える」
そうして自分の欲望と素直に向き合った結果、ベニグノ少年が選んだのはどうやら食欲だったらしい。
川から少し離れた場所の砂で汚れた手足とクソ芋を拭うと、服を着こみ……クソ芋を両手に抱えながらも満面の笑みで俺たちにそう呼びかけてくる。
「そうだな。
ただ……もう少し美味ければ言うことないんだがな」
「言うなよ、くそったれ。
こんなんでもオレたちの最大のご馳走なんだからな」
そんな少年を茶化すような俺の愚痴に、ベニグノ先輩も笑ってそう返す。
いや、愚痴に聞こえるように……少年の隣に張り付くような少女に悟られない方法で、俺は語りかけたのだ。
「もっと美味い飯のためなら……俺は少しくらいは働くぜ?」
「ああ、オレも少しくらいは伝手がある。
そうだな……明日辺りからちょいと手を借りるぜ、相棒」
幸いにも俺の意図は通じたらしく……ベニグノ少年は悪戯を企む餓鬼そのものの笑みを浮かべながら俺へと視線を向けてくる。
……そう。
愚痴っぽい話を口にする『ふり』をしながらも、俺たちは共に「今日最大のご馳走」を「明日以降のくそったれな臭いの漂う芋」に変えてしまう方法を……つまりが、もっと美味い飯を手に入れる手段の有無を話し合っていたのだ。
少年の口ぶりから察するに、どうやらソレには俺の膂力が必要なちょいと特殊な仕事らしいが……まぁ、美味い飯を喰うためならば、俺としても多少の『汚れ仕事に従事する』程度の労力を惜しむつもりなどない。
そうして俺たちはお互いに笑い合い……最も幼いチャロに訝しげな視線を向けられるものの、それには二人とも答えない。
幼い子供を巻き込んでも問題ないような……そんな真っ当な仕事じゃないと、お互いに分かっていたからだ。
そんな俺たちの背後では、クソまみれになりながらも角野郎・甲殻腕・石顎の三馬鹿が転んでもただでは起きないとばかりに大人の頭蓋ほどのクソ芋を掘り上げ……歓喜の叫びを上げていたのだった。
そうして、日が暮れ……チャロが寝静まったのを見計らった俺たちは、自然と「家」という名の廃墟を出て、お互いに口を開き合う。
「昼間、何か違和感があるとは思ってんだが……やっと分かったぜ。
クソ芋を取りにいった時……蝿が一匹もいなかったよな」
灯り一つないスラム街で、それでも漂ってくる糞便の臭いに顔をしかめていた俺に対し、我が相棒たるベニグノ少年はまずそんな言葉を口にする。
──そう言えば、最近は虫を見た記憶がないな。
この世界で唯一といってもいい話し相手の声に、俺は何となく記憶を辿り……そんな結論に達していた。
尤も、だからと言って困ることなど何もないのだが。
大体が俺の中にある虫の記憶なんて……あの腐泥の世界で大量に飛んでいた蚊か、蠅とかダニとか蚤のような、所謂害虫でしかなかったのだ。
大昔にはセミを捕まえたりした記憶もあるものの……前に創造神を名乗るクソ爺の言葉が正しいのならば、その記憶も俺自身のモノなのか複写して植え付けられたモノなのか怪しく。
「ま、良いんじゃないか。
いてもいなくても食えないだろう、蠅なんざ」
「蛆は意外と美味いぞ?
……クソの中から集めるのが一苦労だけどな」
自らの思索を遮るように俺が発したその声に返ってきたのは、ベニグノ少年の悲し過ぎる食糧事情だった。
俺は一応現代日本で生まれ育った人間として、流石に虫を喰うってのは忌避感がある。
……人肉を何度も食っていて今さら何を言うかという話ではあるが、それでも俺にとっては蛆虫ってのは食い物だという認識が薄い。
「……まぁ、そんなのはどうでも良いさ。
で、どういう仕事をするつもりだ?」
「……別に特別な話じゃない。
この街で『超越者』が食い物を手に入れる方法なんてたかが知れてる」
自分にとってあまり嬉しくない方向へと進んで行った雑談を断ち切るように、俺はこうして廃墟から出て来た「本題」を口にする。
そうして俺からその問いが出ると予期していたのだろう。
ベニグノ少年は特に慌てた様子もなく、ただ肩を竦めながら自嘲めいた口調でそう呟く。
「不味いのを承知の上でクソ芋と土豆を拾うか。
兵士に追われる覚悟で街へ行って誰かから奪うか。
それとも……」
当然のように却下される二つの案を口にした俺の元先輩にして現相棒は、そこで声を随分と潜める。
恐らくではあるが……家の中で眠っているだろう小さな女の子には、どうしても聞かせたくなかったのだろう。
「この『超越者』としての力を使って……ちとヤバいことしてでも稼ぐか、だ」
「……勿論、やるさ。
何だって、な」
家で眠っているチャロに聞かせたくないほどヤバいその「仕事」とやらの詳細を聞く前に、この世界の不味い飯に辟易していた俺は、半ば反射的にそう頷いていたのだった。
2019/05/29 22:01投稿時
総合評価 19,487pt
評価者数:697人
ブックマーク登録:6,602件
文章評価
平均:4.5pt 合計:3,123pt
ストーリー評価
平均:4.5pt 合計:3,160pt




