陸・第一章 第十一話
「……ラティーファ」
「はい、貴方。
起きられたんですか」
思わず零れ出た俺の呟きは思った以上に周囲に響き渡り……その声が耳に入ったのか死体の山で動いていたラティーファが笑顔でこちらへと振り向く。
──っ。
その姿を見た俺は知らず知らずの内に息を呑んでいた。
それも仕方ない、だろう。
彼女の全身は血に染まり……それの何割が彼女自身の血で何割が返り血かは分からないものの、少なくともメイド服の肩や腹に切り裂かれた跡や刺された跡が見える辺り、彼女自身も間違いなく無事ではないようだった。
尤も、遠目から見るだけでしっかりと傷を確認していない俺には、彼女の傷がどれだけ深いのかを確認する術はないのだが。
「……何を、してるんだ?」
「食料の調達です。
貴方も私も……生きていくにはご飯が必要でしょう?」
俺の問いに対し、瓦礫の上にしゃがみ込んだままの、メイド姿の彼女は事も無げにそう答える。
ただ、答えながらも手元の作業がよほど大切なのか、俺からすぐさま視線を逸らし……その手に持っていた中華包丁のような大きめの料理用ナイフを動かして、「何かの作業」へと再び取り掛かる。
「だから……ソレは、何をしているんだ?」
「ですから、食糧を調達しているんです。
もうちょっと待ってください。
こっちは焦げてて食べられないので、こっちのお肉を……」
その行動に嫌な予感を覚えた俺は、再度同じ問いを口にする。
だけど、俺の問いを理解しているのかいないのか、ラティーファは自分の近くの『何か』を大型のナイフで切り分ける作業を続けるばかりで……俺の問いに顔を上げようともしない。
「だからっ!
ソレは何の肉だと聞いているんだっ!」
言葉が通じない。
いや、言葉は通じていて、会話も交わしているのに、決定的に意味が通じない。
その苛立ちに俺は声を荒げるものの……
「何って?
何を言っているんですか?
……生きるためのご飯ですよ?
貴方と私、二人が生きるための、ね」
ラティーファにはそれすらも通じない。
ただ近くの瓦礫を動かすと、その下に転がっていたらしき肉へと叩き付け、その「食べられる」と判断したのだろう肉片を近く置くと、残りの「食べられない」と判断したのだろう肉片を無造作に遠くへと放り投げる。
その「食べられない」炭化した肉片が、どう見ても人の右手だったのは……やはり彼女が調理しているモノは、『俺が想像しているモノ』で間違いないということ、だろう。
「……っ」
嫌な予感が的中した俺は思わず息を呑むものの……そんな俺の様子に気付くことなく、ラティーファは足元の『何か』から肉を切り分ける作業から離れようとしない。
「貴方と私の、二人分だから、しっかりと確保しないと。
大体、城へと逃げ延びていた男性はもう全て焼け死んで、他の女性たちも全員、片付け終えたこの島には……この世界にはもう貴方と私しかいないのですから。
ああ、でも、二人で暮らしていたら……すぐに増えるかも、しれませんけど」
ぶつぶつと何かを呟きながら作業を続けるラティーファに何処となく恐ろしいものを感じた所為で、彼女の奇行を見ていられなくなった俺は、彼女から目を逸らすように周囲へと視線を向ける。
そこには黒焦げた死体ばかりがゴミのように散らばっていた。
体格からして男だったような気がするそれらは、何故か一か所に集められていたのを掘り起こしたのか、炭化した身体が砕け散っていて……
「ああ、それらは男性ですよ。
食糧も男手も足りなくなったからって、王族が独占して自分本位に『配給』して……その所為で暴動が起こったんですけどね。
結局誰も彼もが死んでしまって……ああ、私も少しばかり残っていたのを片づけましたけれども」
その男性の周辺にはもう少し原型を留めている女性らしき死体もたくさん散らばっているのは、恐らく男性を助けようとした人たちじゃないだろうか?
そんな女性の死体には火傷で死んだようなのもあれば、倒壊した建物の下敷きになったのも……そして、此処までの道のりで見たような首を横一文字に掻っ切られて死んだ死体もあった。
それ以外にも、城の周囲に散らばっている豪華な服装の、四肢や頭蓋が砕けているアレらの死体は、焼けた城から逃げ延びようと飛び降りた王侯貴族とやらのなれの果てか。
兎に角、東西南北前後左右どこをどう見渡しても生きている人なんて一人も見当たらず……いや、その前に文明の痕跡すらも全てが焼け落ちていて……残っているのは北側斜面のあのクソ婆の家くらいという有様なのだ。
勿論全てが焼け落ちた訳ではなくて、単純に暴徒によって倒壊した建物も多いのだろうが……この様子では他の生存者なんて望めそうにない。
そんな中、たった一人で焼け落ちた死体を斬り裂きながら、肉を用意しようとするラティーファの姿に、俺は恐怖と嫌悪を覚えてしまい、僅かに半歩だけ後ずさっていた。
「もう、誰もいないん、だろう?
何故、そんなことを?」
何をどう間違えたかは分からないが……もうこの世界は終わってしまっている。
詰んでしまった後でどう足掻こうがもう何にもなりやしない……そんな意味を込めてそう問いかける俺の声に、ラティーファはただ首を傾げて見せる。
「誰もいないって……貴方と私がいるじゃないですか」
ラティーファが放ったその一言は……多分、俺と彼女との間にある、最も大きな差異だったのだろう。
数多の異世界を旅するが故に「この世界がダメでも他に住む場所がある」と考えられる俺と……この四方八方を海で囲われ、この場所以外に住む場所のない彼女との。
だからこそ俺は……世界が滅んでしまったこの状況でまだ生きようとする彼女が別の生物のように思えてしまう。
「それでも……わざわざ『ソレ』を食べる必要はない、だろう?」
他の選択肢があるからこそ俺は未だにそんな……好き嫌いなどという、余裕のある生物の専売特許でしかない、甘ったれた問いを口にし……
「ですが、畑も燃えてしまいましたし、来年のための種籾も種芋も食べ尽くしてしまってます。
海には、貝も魚もカニすらも、もうほとんどいないでしょう。
……お偉いさんは海の塩が増えた所為で微小生物が死に絶えてしまったとか言ってましたが、私には何のことだか。
その理論が分からぬ下町のみんなは、ただ「世界の終わりを見届けずに死んだ海龍の呪いだ」と噂していて」
「──っ?」
彼女が放ったその答えを聞いて、絶句してしまう。
何故ならばその瞬間、俺の持つ破壊と殺戮の神ンディアナガルの『直感』が、何故こんな状況になったかの答えを……答えを導くための切欠を俺の脳裏に閃かせた所為だ。
──増えた塩……塩分、濃度?
──死んだ……俺が殺したンスラヴァーリ……
ラティーファの言葉を聞いてまず俺が思い出したのは、この世界に訪れたばかりでいきなり襲いかかってきた、あの巨大な海蛇のことだった。
殺しても殺しても生き返ってくるものだから、命ある限り死に続けるように体内で『塩の花』が咲き続けるようにしてやったのだが……
──アイツは、確か……六千万回生き返れるとか言っていた。
正直、回数自体はうろ覚えでしかないが、それほどの回数をあの全長すらも見えないほど巨大な海蛇が、海中で死に続けてしまったのなら……海の底に咲いた『塩の花』は一体どれほどの大きさで、どれほど咲くことになったのか。
そして……塩は、水に溶ける。
破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能によって創られた塩だから、普通の塩とは溶け方が違うだろうが……あの巨体が六千万も塩の塊へと化したのならば、生態系が狂うのは当然と言えば当然で……
──まさか。
──まさかまさかまさかまさかまさかまさか……
これでも俺は一応、現代日本で学生をやっていたくらいだから、生物学の知識くらいは僅かながら持っていたりする。
それに当てはめると……塩分濃度が上がってしまった海は、まずバクテリアや単細胞生物などの小さな生き物が環境変動の影響を受け、あっさりと死んでしまう。
次にそれらを餌としていた貝類や小魚が減り……最期に残るのは大型の魚だけとなる。
うろ覚えの適当な知識ではあるが、大筋ではそう間違ってはいないだろう……少なくとも死海とかいう塩分濃度の高い海では、魚も棲まないと聞いたような覚えがあるくらいだ。
つまり、この世界を滅ぼしてしまったのは……いや、滅びの切欠を作ってしまったのは……自分の導き出しかけたその答えを認められなかった俺は、さっきまでの思考を振り払うように首を左右に振る。
「しかも、その海龍の呪いを解くため。アイーシャ先生の家に棲みついた海神の落し子を生贄に捧げようなんて、内乱から逃れてきた難民たちは画策していて……あの、どうかしましたか?
……ああ、妻が料理を傍から眺めるなんて殿方にとっては退屈でしたね。
そうですね、これ以上はもう持てないですし……帰りましょうか、私たちのあの家に」
「……あ?
あ、ああ」
俺がそんな自問自答している間にも、ラティーファは「手元の作業」を終えたらしく、こちらへとそう語りかけてくる。
正直、話を聞いていなかった俺は話半分ながらも頷きを返し……それを見たメイド姿の少女は周囲に置かれた肉片を集めて風呂敷に包み、それを持って立ち上がろうとして……
「あれ?」
どうやら荷物が重すぎたのか、その場から立ち上がろうとした彼女は、ただ上体を僅かに傾けただけだった。
二度・三度と同じ行動を繰り返すものの、よほど荷物が重いらしく……どう頑張っても立ち上がることすらも出来やしない。
「……何やってんだか」
正直、彼女が執着する『それらの肉』なんて食べたいとは思わない俺だったが、立ち上がることも出来ないほど必死になっている以上、放っておけとは言い難く……仕方なく俺はラティーファに近づくと、その風呂敷を手に取り。
──ん?
周囲の焦げ臭さの中、不意に鉄錆の臭いが強烈になったことに気付く。
尤も、今さっきまで彼女がやっていた解体作業の所為だと臭いから意識を外し、ラティーファへと視線を向け……
「あれ?
どう、して?」
そんな俺の眼下には、荷物を持ってもいないのに立ち上がることも出来ない、メイド服を身に纏った女性の姿があった。
彼女の顔面は酷く蒼褪めていて……そればかりか、その瞳は焦点が合ってないどころか、俺が見えているのかすらも分からない有様で。
「お、おいっ!」
その明らかな異常事態に慌てた俺は、ラティーファの腕を取り……気付く。
彼女の体温は、ほぼ、外気温に等しいほど、冷え切っていて……こうして近づいて見てみれば、幾つもの裂けた傷が残っているメイド服から、未だに鮮血が流れ続けているのが見える。
──出血多量。
不意に浮かんだその言葉に、俺は思わず彼女の腕から手を離す。
身体に力が入らない訳だ。
目の焦点があってない筈だ。
彼女の体温が外気温とそう大差ない筈だ。
何しろ、彼女の出血量はもう輸血しても助からないほどに……
「どうしたん、ですか?
ああ、この服、ちょっと破けてしまって……みっともないとは思うのですけれど、替えの服は全部燃えてしまったので」
目は見えずとも俺の動揺に気付いたのか、ラティーファは蒼褪めた顔のまま、力ない笑みを浮かべてそう言い訳を口にする。
痛みすら感じてない……いや、自分の行動に疑問を抱きすらしていない様子のままに。
──いや、違う。
彼女は痛みを感じていないのではなくて……ただ、怪我の痛みから目を背けているだけ。
いや、それは痛みだけではなく、仕えるべき王も敬愛するクソ婆も、頼るべき家族どころか自分の住む世界全ての人間が死に絶え、生きる希望すらも無くしてしまった彼女は、その耐えがたい現実を前にただ眼前の作業に没頭することで、痛みも未来も希望も何もかから必死に目を逸らしている……正直に言ってしまえば狂気に憑りつかれてしまった姿でもある。
そもそも水そのものを作り出していたこの南側の全ての施設が燃え崩れてしまった以上、ラティーファは今後、水を手に入れることも出来やしない。
そんな極限状態に直面し、現実を受け入れることの出来なかった彼女が必死に逃避を重ねた結果が、この……立ち上がることすら出来ない、出血多量で死に瀕している姿という訳だった。
そして、その現実逃避の延長として、俺とラティーファ、たった二人しかいなくなったこの世界で唯一希望を抱こうと……恐らく彼女の深層心理で人生の目標になっていたのだろう「結婚後の生活」を思い描き……結果として、死体を切り分けるなど彼女の中の良心や嫌悪を振り切って、無理矢理でも『俺の妻役』を演じようとしているのか。
「さぁ、帰るぞ。
俺たちの、家に……」
それが分かったからこそ、俺は末期患者の優しい嘘に付き合うように、少しだけ澄ました声でそう告げると……立ち上がることすら出来ないラティーファをお姫様抱っこの姿勢で抱え上げる。
「ええ……あなた」
そうして俺の膂力に抱え上げられたラティーファは力尽きたのか、それとも夢が叶ったと錯覚したのか、妙に満足そうな声でそう呟いたかと思うと目を閉じ……息を深く吐き出した後、そのまま次に息を吸うことはなくなった。
それを理解しつつも俺は、彼女だったモノを抱きかかえたまま朝方に歩いてきた道を逆に辿り、クソ婆の家へと歩みを進める。
映画なんかじゃこうして腕の中で眠るような彼女に思い出や今後の生活を語りかけるのがパターンではあるのだが……生憎と俺は口が上手いとは言えない上に、彼女と積み重ねた日々なんてものはなく、そもそも彼女への愛情なんてものを欠片も抱いていなかった俺には、気の利いた台詞の一つすらも浮かんでこない。
──どうして、こうなった。
その代わり、歩きながら浮かんでくるのは、ただ一つの……その疑問だった。
今までの俺は、数多の場面で戦いを選び、人間を殺し過ぎたから……力に頼り過ぎたが故に世界が滅びたのだと認識していた。
俺がこの破壊と殺戮の神ンディアナガルの力を持て余しているからこそ、何もかもを殺し尽くし、結果として世界を滅びに誘ってしまうのだと。
……だけど。
──そうじゃない、だろう?
──だって俺は、この世界で、誰も殺していない。
……そう。
すぐにかっとなって戦い続け殺し尽くした今までの自分を反省した……訳でもなかったが、今までとは違う結末を探そうと、俺はこの世界では人を一人として殺していないのだ。
一番最初の……俺を殺しにかかってきた、この世界を水没させて滅ぼそうとしていた海蛇一匹を殺しただけで。
いや、少し前に死に瀕していた少女を介錯してやったが……あの時は既に人が全滅寸前だったので、この世界の滅びとは全く関係がない筈だ。
──なのに、何故、こうなってしまうっ!
その理不尽に歯噛みするものの……そんな問いに答えが返ってくる筈もない。
もしかすると答えられたかもしれない唯一の女性は、もう俺の腕の中で息を引き取り、二度と声を発することもないのだから。
俺はラティーファの亡骸を横抱きにしたまま、ただただ歩き続け……口から零れる言葉どころか脳裏で呟く言葉すらも失って歩くだけの機械と化した頃に、ようやく俺が数十日ほど過ごしたボロ小屋へと辿り着く。
「ほら、着いた、ぞ」
返事がないのを理解しつつ、ラティーファの亡骸を寝床へと横たえ、その枕元にクソ婆の生首を置いてやり……
この世界でかかわった二人のなれの果てをしばらく眺めていた俺は、溜息を一つ吐き出すと、それらから視線を逸らし、ボロ小屋から外へと出て……息を一つ大きく吸い込み……
「何で、何で何で何でっ!
こうなってまうんだよっ、くそったれがぁああああああああああああああっ!」
行き場のない怒りと苛立ちに、右の拳に渾身の『力』と『権能』とを込めて……ただ意味もなく大地へと叩き付ける。
大地へと叩き付けられた拳は豆腐に指を突っ込むよりも抵抗なく大地へとめり込み……拳に込められた権能はただ殺意と破壊衝動を周囲へと伝達する。
結果、破壊と殺戮の神ンディアナガルの化身である俺が放った渾身の権能は、大地だけではなく、周辺の空間そのものにミシリ、という異音を響き渡らせ……
──ぁ?
俺が予期すらしなかったその異音に首を傾げた次の瞬間、まるで世界の底が抜けたかのように島そのものに対して縦横無尽に亀裂が走り……
一瞬の後に、俺が暮らしていた島そのものが塩に覆われてしまう。
「これは、島を……大地を殺した、のか?」
今までも何度か目の当たりにした、人を殺した後に死体が塩の塊へと化すのと同様の、その不思議な光景に、俺は思わずそう呟きを零す。
実際のところ、俺が殺したのは島だけではなくて世界中のような……海すらも塩の結晶と化したような直感があったのだが、それを確かめようとも思わなかった俺は、すぐさま首を左右に振る。
「さぁ、終わってしまった以上、仕方ない。
……次の世界へと、行くか」
こうして失敗してしまった以上、泣こうが嘆こうが怒ろうが吼えようが、どのほど悔やもうと悼もうとも死者は生き返らないし失敗は元に戻せないのだ。
だからこそ俺は、滅んでしまったこの世界にあっさりと見切りをつけ……
「次こそは、必ず、成功させてみせる」
もう何度目になるか分からない、そんな誓いを呟きつつ……俺は眼前の虚空に向けて『爪』を振り下したのだった。
2019/05/10 22:11投稿時
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